第6話 小さなお願い事

「暇、です。ノルチェ」

「...しょうがない。ニアはあまりメイアンに外に出て欲しくないようだ」

 メイアンがここへ訪れて三日。彼は殆ど軟禁状態に置かれていた。

 外へ出る事は禁止に近い状態で、彼の動ける範囲は自室と食堂と娯楽室と庭。ノルチェがメイアンの監視役のようで、彼女の姿ばかりをよく見ていた。

 ゲームは内容がよく分からないし、文字は読めない。ノルチェに読み聞かせてもらう事も考えたが、それを頼むのが気恥ずかしくてその提案はしていない。

 それならば、手伝いをしよう。そう思い至ったのだが、食事を作るのを手伝おうとすればリーフェイが切なげな瞳で仕事を取らないでと言い、掃除をしようとすればアズリナがおやめくださいと言う。ニアは仕事があるようで、部屋にこもりっぱなしである。ベンジャミンとスノーと呼ばれている青年に至っては、屋敷内にあまりいないようで、出会う機会がない。

 故に、三日ほどで暇になってしまった。


 メイアンは自室の布団の上で、隣の椅子で涼やかな顔をして本を読んでいるノルチェに目を向けた。

 そもそもどうして自分は文字が読めないのだろう。ここで住んでいるこの年なら、識字の教育は受けているはずだというのに。

「......本、読みにくい」

 メイアンの視線に耐えられなくなったらしいノルチェは、黒い腕から一つの触手のようなものを生み出し、椅子から一歩も動かずに向かいの本棚へ本を戻した。

「.....メイアン、外を見てみたいの?」

「.......はい」

 三日前、山の上から見た美しい街並みを間近で見てみたい。メイアンはそう思っていた。

 ノルチェは少し考えて、椅子から腰を上げて「ちょっと待ってて」と彼へ言い、部屋から出て行った。

 本当に少しすると、一枚の紙切れを持って彼女が帰って来た。

「アズリナから、買い物メモ貰ったから。外行こう」

「っノルチェ」

「......ただし。私から離れたり、周りの人に目を見せたりしない事」

 彼女はそう言って部屋のクローゼットを影で開き、そこからフードの付いた黒いローブを取り出すと、ぱさりとメイアンの目の前に置いた。

「君は人間っていう珍しい生き物だから、奴隷商人に目を付けられるかもしれない。だから、君を守る為だ。これを守れる?」

 無表情に近しい顔だが、その顔は彼の顔色を窺うようでもあった。こくりとメイアンは頷いて、目の前のローブをいそいそと羽織って留め具を留める。そしてフードを深くかぶった。

 素直な反応にノルチェは目を丸くして、それから眉を寄せて小さく笑った。

「良い子、行こう」

 こくこくと彼女へ頷き、その手に引かれるまま、部屋の外へと足を踏み出した。


 玄関ホールで、いつもの澄ました態度のアズリナと心配そうに顔を暗く沈めているニアが立っていた。

「お買い物を終えたら、早めに帰ってください。旦那様、胃に穴が開いて死にかねませんから」

「了解。他に書き忘れはない?」

「はい、リーフェイにも二度三度聞いておりますから、問題ないかと。明日の八つ時の調理に使うものですから、忘れずに買い揃えてください」

「...........気を付けてな」

「はい、行って来ます」

 しっかりとしたメイアンの答えに、ニアは何も言わずにフードの下に手を入れて、触り心地の良い黒髪を混ぜるように優しく撫でた。

「ほら」

 温かなその手からはすぐに離され、ノルチェと共に彼は外へと歩いて行った。


 玄関を出て、黒い門を抜けるとそこは田園地帯だった。舗装されていないでこぼことした道を、ノルチェとメイアンは手を繋いで歩く。

 所々農家の家や黒薔薇館と似たような豪邸が小さく見えたり、金色の光を手に帯びた人間がその手の光を水へ変えて畑へ降り注がせる畑仕事の風景を見たりしながら、近くなっていく灰色の尖塔ミナレットと色々な建造物群のある場所へと近付いていく。

「都会、だ」

「...ここには色んな種族が色んなお店を出してる。迷子になったら大変だから、しっかりね」

 ノルチェの言葉を聞き、すぐ手を繋いでいる力を少し強めた。

 くす、と彼女は口元を緩めて、それからたくさんの同胞達の行き交う通りへと足を進み入れた。


 通りには、様々な店が道を中心として左右に建てられている。そこでは、色々なものが売られていた。肉や魚、野菜、パンといったメイアンにはどこか見覚えのあるようなものから、爬虫類の干物や怪しげな色合いの薬、あるいは武器や洋服など、多種多様な店が軒を連ねている。元気よく呼び込みをしている場所もあれば、何もしていない店もあった。

 行き交う人々も多種多様だ。メイアンの今の恰好のようにローブを深く被った者、薄く透ける羽根を持つ小さな少女、耳の先が尖った体格の良い女性、メイアンより大きな身体を持つ服を着た蜂人間。他にも様々だ。

 首を忙しなく動かして建物や人々を見ている様子に気付き、ノルチェは引いていた手を微かに緩め、一歩前に歩いていた歩みを遅くして隣を歩くようにした。

「ここには全部で八の種族が身を寄せ合ってる。魔導士、妖精フェアリー、エルフ、蟲人むしびと獣人ウェアビースト、魚人、魔族、吸血鬼。半血種ハーフもいるから、まだまだ見た目の数は様々居るけど」

 ノルチェはそう言って、周りや当の本人にバレないように指を差しながらメイアンへ説明していった。


 まず一番数の多い魔導士。

 呪文を用いて魔法を扱い、人間と同じ見た目をしているもののその寿命は永遠といえるほど長い。髪と目の色が一致していないのが特徴で、街の至る所にその身を置いている。


 次に数が多いのが、エルフと獣人ウェアビーストだ。

 エルフは褐色の肌の者もいれば、白雪のような肌の者もいる。尖った耳と桁外れの視力が特徴で、呪文を用いて魔法を操るが草木や風を操る魔法しか操れない。

 獣人ウェアビーストは、人の姿に耳と尻尾が生えただけの恰好の者もいれば、言葉を話せる獣が服を着て二足歩行で動いていたり、四足歩行で動いていたりと血の濃さによってその姿は違う。血が濃く器用な者であれば、人の姿と動物の姿を使い分ける者もいる。魔法は操れないが、その身体能力は生まれ持って高い。


 獣人ウェアビーストとよく似た種族として、蟲人むしびとという種族がある。彼らも血の濃さによって虫に近しい者から、人に近しいものまで様々だ。

 彼らもまた魔法を操る事は出来ないのだが、元々の虫の能力を持っている。


 そして、妖精フェアリー。背が低く薄い羽根を背に持つ小さな者達だ。可愛らしい見た目と羽根が秘薬になるという事から乱獲されたり奴隷として生きている者がいたり、と不当な扱いを一番受けている種族でもある。魔法を扱えるが、身体が小さいせいか威力はそこまで出なく、そのせいで弱い種族として周りには認知されている。しかし、心優しい者ばかりだ。


 生活範囲が限定されているのは、魚人族と魔族。

 魚人族は上半身あるいは下半身が鱗に覆われており、その鱗が乾いてはいけないので水気のある場所でしか生活できない者達だ。呪文ではなく歌で魔法を扱い、特に水を操る魔法に長けている。妖精フェアリーと同じく、命を狙われやすい一族で、その為かこの街の源流である池の周囲に住んでいる。

 そして魔族は青紫色の肌と黒い角を持つ者達だ。彼らは明るい陽射しに目が耐えられず、暗闇の多い池の隣に広がる闇の森フォレスト・フォンセを根城に生活している。呪文を用いて魔法を扱い、その魔法は魔導士を凌ぐとも言われている。


 そして、一番個体数が少ないのが吸血鬼である。血液を体内に定期的に取り込む事によって、魔法は扱えないもののずば抜けた身体能力を有している。瞳は瞳孔が裂けており、肌を食い破る為の鋭い犬歯が備わっている。魔導士などとは比べられない程の長寿で、見た目もあまり老いる事がないとされている。


 そこまでの話を聞いて、メイアンは頭の中で黒薔薇館の面々の顔を思い浮かべる。

 ニアは吸血鬼だ。笑う時に口の端に犬歯の先が覗くし、瞳もあまりまじまじと見た事はないが、裂けているように思う。

 アズリナは蟲人むしびと。恐らく手や足の数から考えると、蜘蛛かもしれない。

 リーフェイとベンジャミンは、魔導士だ。本人達もそう名乗っており、リーフェイに至っては炎を生み出すところを見た。

 スノーと呼ばれている彼は、耳と尻尾を持っている。獣人ウェアビーストだろう。

 そこではた、と隣で説明をしていたノルチェを見た。

 黒い角があるという事は魔族なのだろう。しかし彼女の口が説明していた青紫色の肌は彼女には当てはまらない。昼目が効かないようにも見えない。

「...ノルチェは、」

「私は魔族と魔導士の半血種ハーフ。だから身体が半端なの」

 彼女は何でもないようにそう言った。ノルチェの言葉にさらに聞こうとしたが、彼女はその言葉を遮るように一つの店を指差してそこへ向かっていった。


「ネイル、林檎と人参を貰える?」

 白い暖簾のかかった店の中に声を掛けると、ずるずると地面を這いずるような音が聞こえてきた。

「おぅおぅ、黒薔薇館の」

 そういって出て来たのは、ノルチェやメイアンの身長を凌ぐ体長の青緑色の蛇だった。ちろちろと赤く細い舌を出して左右に揺らし、黄色い鋭い瞳は楽し気に二人を見下ろしていた。蛇のどの部分を首と形容すべきなのかは分からないが、ネクタイを巻いていた。

「......そっちの子は見ない子だよなぁ。...どっちだ?」

 蛇はメイアンの顔を覗き込むように頭を下げる。目深にフードをかぶっているせいで、鼻の辺りまでしかネイルには見えていないのだろう。ローブもやや大きめであるので、身体つきから判別できなかったのかもしれない。

「メイアンは男の子。林檎二つと人参、いくら?」

「...相変わらず、お前は世間話というものを知らねぇ」

 やれやれといった雰囲気を出すネイルであるが、その間にもう林檎と人参を手に取って、アズリナから渡されていた財布を手に持っていた。

「三百メルだ。二十メルまけといてやる」

「ありがとう」

 ノルチェはネイルの近くに三枚の札を置いて、それから林檎二つと人参を籠に収めて、メイアンの手を引いて店の外へと歩いて行く。

「あ、あの、ありがとうございました」

 メイアンは店を出る直前に、フードの付け根を持ったまま小さく頭を下げた。


「.................................おぉ」


 それに驚き、ネイルは口を開けたままそんな単語を店の中に溢した。

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