第5話 奇妙な人々

 ノルチェは何も言葉を発さず、ただ目の前の男を睨み続け、メイアンは彼女の後ろで何が起こっているのか分からずに身体を固めていた。

 男は笑っている。くすくすと、ただ静かに。


 眼帯をした黒髪の男は、同色の縦にピンとした耳と、ゆらゆらと可愛らしく揺れる細い尻尾が印象的だった。黒のコートにパンツ、ネクタイと全身を黒に統一しているので、白いシャツや手袋がその中で好く映えた。

「......ベンジー、メイアンはニアの大切な人だから。敵じゃない」

 ノルチェは静かにそう言い、黒い腕から揺らめき出ている霧のようなものを振り払う。その言葉に黒髪の男は目を丸くした。メイアンも彼女の言葉に疑問を抱く。

 ベンジーことベンジャミンと呼ばれる人物は、彼女の言葉を信じれば白髪で帽子をかぶっているという特徴を挙げていた。

 目の前の彼は獣の耳と尻尾を持つ黒髪の男だ。似通った恰好とは、メイアンには思えなかった。

「......人の名前を間違えるとは、非常に心外ですね...、ノルチェ」

「姿を隠す魔法に、匂い。スノーは魔法は使えないし、足はニアよりは早くない。姿を目視出来ない程の速さでは来ない。だから、魔法を使ってた。スノーは薔薇を使うから彼の体臭は薔薇の花の匂いに近い。香水とは違う。だから、ベンジーが化けてると思う。相変わらず、よく似てる」

 淡々とした口調で、ノルチェは口を動かした。しばらく眉を寄せた後、はぁと黒髪の男から溜息が零れた。

「どこでバレたンかねぇ...、いっつも俺のペテンに気付く......。つまんねぇの。何、スノーを見てんの?それとも俺を見てんの?」

「どっちも、が正しい」

 溜息を吐いて不服そうに口を尖らす彼へ、ノルチェはふふっと口元を緩めてそれから怯えているメイアンを手招きした。メイアンは少しびくつきながらも彼らの所へ少し寄った。

「ふぅん。成程、...ロゼに似てるねぇ」

「ロゼ?」

「ベンジー」

 それはメイアンに伝えてはならない言葉らしく、彼女はベンジャミンをじっと見た。彼はその目で何となく状況を察したようで、すぐに肩を竦めてみせた。それからメイアンの目の前へ手を差しだす。

「ノルから聞いてるかもしれないけど、俺がベンジャミン・テッド。ベンジーって呼んでよ、メイアンくん。今のこの恰好はスノーブルーって奴の顔だけど」

 にっと歯を見せて彼は笑う。少しどぎまぎしながらも、差し出された手を握った。

「よ、よろしく、お願いします」

「ところで、いつになったらそれやめるの?」

「スノーが帰ってくるまでかなぁ。あいつが今、ベンジーだから」

 帽子とか貸してんだよねー、と彼は眼帯をぺちぺちといじってそう言った。その言葉が分からずに、メイアンはただただ困惑するしかなかった。

 それに気づいて、ノルチェはとんとベンジャミンの脇腹を突いた。

「二人は声と顔が似てて、頻繁に遊びで入れ替わってるの」

じゃない、だっての。お前が気付くのがおかしいの!」

「私からすれば、分からない周りの方がおかしい」

 彼女は真面目くさった顔をしてそう言い、それからメイアンの方を気まずそうに見た。

「ごめん、メイアンがいるのにこんな会話して。もっと君の話題をするべきだった」

「い、いえ。気を使わなくていいです!むしろ、その...、普通にしてくれた方が気が楽、というか......」

 へへへ、とメイアンが小さく頬を掻いて笑っていると、物珍しいものを見るような目つきでベンジャミンがメイアンを見る。

「...........ふぅん、な、る、ほ、ど」

 彼は納得したようにそう言ってぐいっとメイアンの手を引いて、身体の距離を一気に近付けるとくっと白い顎を掴んで持ち上げた。

 その行動をノルチェが制止する手や声よりも早く、その動きは滑らかで緩やかだった。

 今の自分自身の状態に気付き、ほんのりと顔と耳が朱に染まり始めたメイアンの耳にベンジャミンは口を近付け、何事かを呟こうとした瞬間。


 窓ガラスの割れる派手な音と共に、メイアンとベンジャミンの間に白い物体が飛んで行った。そしてベンジャミンの背中には赤い薔薇を模した細い針がぷすっと刺さった。


「っ!?ベンジーさん?!」

「じごーじとく」

 オロオロし始めるメイアンを放って、冷静なノルチェはガラスの割れた音の方へ顔を向ける。

 そこには鬼の形相をしたニアと、呆れた様子で腕を組んで残り四本の腕でガラス片の掃き掃除をしているアズリナと、音を聞きつけて調理場から来たリーフェイがいる。

 そして、ベンジャミンの背中に薔薇を飛ばした方向には、白髪を小さく結い深く帽子をかぶった青年―スノーブルーが、不機嫌そうに眉を顰めて立っていた。

「私の服を汚している、という点に関して非常に遺憾ですが...、駄犬を躾けるにはこれくらいしたがいいですよね?」

 にこり、と形よく微笑んでいるが、その笑みに反して目は笑っていない。

 その笑顔を向けられている当の本人は、呑気に背中に刺さった薔薇を模した針を抜いて、その切っ先に付いた僅かな血液を舐めとった。勢いよく投げたわりに、手加減はしていたらしい、とその動きと同じ速度で頭を動かしている。

「...........俺のものに手を出そうとするとは、いい度胸だな、ベンジー」

「私の仕事を増やさないでください、ベンジャミン」

「これは派手に...........」

 ずんずんと鬼の形相で迫ってくるニアに、とんとんと軽いステップを踏んで後ろへ下がりながら、ベンジャミンはノルチェの方を向いた。彼女は黒い手の方でひらひらと手を振る。それを合図とするように、白髪の男の方が素早い速さでベンジャミンに拳を振るう。

 それを薔薇園に身を隠しながら、彼は躱した。二つの影はあっという間に敷地から出て行った。


「ッチ」

 舌打ちが耳の近くで聞こえ、メイアンはくるりと後ろへ振り向こうとする。しかしそれよりも早く、ニアの腕の中にすっぽりと身体が収まってしまう。己より低めの体温に、微かに心臓が跳ねる感覚がした。

「ノルチェ、あの馬鹿に変な事を吹いたのか?」

「何も。...それにしてもニア、よくベンジーって分かったね。いっつも二人同時に会わないと分からないのに」

「あんなふざけた事、スノーはしない。あいつは優しいから」

「ふぅん」

 へら、と彼女は口元を緩めてから、ニアの腕の中に居る人間の方向を白魚のような指先で指差してから、ぱたぱたとアズリナとリーフェイの方へ駆け足で行った。

 彼女の行動をニアは不思議に思い、抱き抱えている下に目をやると、顔を真っ赤に染めて黒い目をぐるぐると混乱させているメイアンがいた。

 慌ててニアはメイアンを身体から離し、彼の顔を覗き込もうとした。

「あ、わ、悪い!つ、つい癖で他の女とかと同じように扱って」

「だ、大丈夫、で、です」

 白い肌を真っ赤に染めて、メイアンはぐっと片手でニアの服の袖を掴んだ。

 その男とは思えない可愛さと儚さに、ニアの元々強い庇護欲を酷く掻き立てる。

「あ、あんまりその...、慣れてない、みたいで......。人にぎゅってされるの」

「ん、そうか......。悪かったな」

 スキンシップは程々なものから慣らしていくべし。ニアは脳にそう書き込んだ。

 幸せに思いながらメイアンの顔を観察していたその背中を、優しくとんとんと叩かれて、ニアは後ろを振り向く。そこにはふわりと目の笑っていない笑みを浮かべるアズリナが立っていた。

 手に乗せている手と、箒を持った手とは別の手で、割れた窓ガラスを彼女は指差した。

「あれのお片付け、流石に手伝って頂けますよね...、旦那様?」

「......................ハイ」

 殆ど脅しだった。ぐうの音も出ないニアは、従順にアズリナの後をのんびりと歩いて行き、おどおどしながらもメイアンも彼の後ろを追って行った。

 割れた場所から室内へ入るとき。メイアンへ、リーフェイが声を掛けた。


「ここで仲よう住めそうか、メイアン」


 パッと顔を上げると、彼の眼鏡の奥の瞳は楽しそうに訊いてきていた。メイアンは静かに頷いた。

「はい、きっと」

 どの人物も人間とは違ってかつ個性豊かで、しかし皆がその個性を認め合っている。

 記憶を失っている身である事すら忘れてしまうほどに、きっと楽しい日々だろうと想像が出来る。

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