第4話 黒薔薇館の住人
メイアンは目の前いっぱいに広がった内装の美しさに、思わずほうと息を呑んだ。どこも小さくとも気品ある飾りがあり、美しい。目がチカチカするほど派手なものもない、落ち着いた色合いである。
「...気に入ったか?」
ニアは少し喜色を混ぜた声で、目を大きくしているメイアンへ訊ねる。彼はこくっと頷いた。
「綺麗です...」
「よかった。これは俺と......、いや、俺の趣味だよ」
ニアはメイアンを連れて階段を降りる。
黒塗りの螺旋階段を下りたすぐ右横の黒い大扉を開ける。
「あぁ、こんにちは。そして改めまして、ようこそ黒薔薇館へ」
そこには六本の腕でせっせと長いテーブルの上に、白い食器をテーブルクロスの上へ並べている女性がいた。白いメイドキャップやふわふわとした黒いドレスの上に付けている白いエプロンからメイドであるのだろうと、メイアンはすぐに察しがついた。
「もう少し遅めに起きてくだされば、丁度八つ時でしたのに。タイミングが悪いですね」
彼女は手の中にあったそれらを全て指定の位置に置き、それから二人の方へ近付いて来た。そしてメイアンへ視線を合わせて、一礼する。一番下方にあった手が、腹の前で重ねられて、他の手は下の方へ下ろされている。
「アズリナ・レーヴィスと申します。ここでメイドとして雇われております。よろしくお願いいたしますわ」
「め、メイアン...です。俺の方こそよろしくお願いします」
メイアンは頭を下げつつそう言う。アズリナは顔を上げて物珍しそうに彼を見ていた。そしてメイアンの両頬を挟み込んで、顔を上げさせた。
「貴方は使用人身分ではありませんので、頭を下げられる必要はございません。それではメイアン様、こちらへどうぞ」
アズリナはメイアンの手を取って、細やかな装飾の彫られた椅子へ座らせた。ニアはテーブルクロスの敷かれた席ではなく、メイアンの隣へ座る。
それを見て彼女は静かに息を吐き出して、クロスとその上に置いていた食器らを全て片付けてから、一気に元の状態へ戻した。
「リーフェイ、料理を」
アズリナが少し声を大きくしてそう言うと、部屋にもう一つある別の扉から、赤マフラーの男が両手に皿を乗せて出て来た。
「お、起きたんですね。具合は?」
彼もまた、メイアンの具合を訊ねた。
「平気です...。え、と...。俺はメイアンです...。貴方は?」
「リーフェイ=ウェン。ここで料理人みたいな事しとる魔導士ですね。メイアン、よろしく」
リーフェイはそう言って、ことんと皿をクロスの敷かれた場所に置く。その皿の上には美しい楕円に焼かれたホットケーキが乗っていた。
「わぁ...!」
「飲み
「こ、コーヒーで」
「ん。これには何かかける?蜂蜜あるし、ジャムもある。少し時間はかかるけどホイップクリームも出せるで」
「えと...、じゃあ...蜂蜜で」
ん、とリーフェイは応じ、隣の席のニアの方へ顔を向けた。
「
「メイアンと同じコーヒー。でも
「私が用意してきましょう。かしこまりました」
アズリナは深々と頭を下げて、すたすたとリーフェイの出て来た扉へ歩いて行った。
「ふぅん、珍し。ま、調理器具に触らないだけましか」
少しして、コーヒーカップを盆にのせてアズリナが戻ってきた。それらを二人の前にことりと置いて、更にメイアンの前には小さな白いポットを置いた。
「蜂蜜が入っております。一応、コーヒーの方は甘めに味付けしておりますが、合わないようでありましたら、リーフェイへ申しつけください」
「は、はい」
アズリナは空いていた上の方の手で、メイアンの髪の毛を優しく撫でた。それから部屋の外へと出て行く。
「じゃ、私も片付けしますんで、何かあれば呼んでください」
リーフェイもキッチンらしき場所の方へ歩いて行った。
「それじゃ食べよう」
ニアの言葉にメイアンも頷き、二人揃って「いただきます」と言って食べた。
ホットケーキはとても美味しかった。香ばしく、生地はふんわりとしており、蜂蜜との相性は抜群である。こんなに美味しいものを今まで食べた事があったろうか。そう思うほどである。
「美味しいようだな、メイアン」
ニアは見ていて面白い程、彼の瞳はキラキラと輝いている。
「はい、とても」
「それならよかった。...この後、どうしたい?屋敷の案内ならばノルチェが買って出てくれるそうだし、本が読みたいのならばアズリナをよこそう。リーフェイは料理関係の話を聞けば一発だ。俺は少し用事があるから、お前の相手はしてやれないが」
メイアンは少し悩んだ。
それから、ゆっくりとニアの顔色を窺うように口を開いた。
「お屋敷の事、知りたいです.....!」
「っふは、そんな畏まらなくていい。本当は敬語で話さなくてもいいくらいだ。...ノルチェ」
ニアが少し声を張って名を呼ぶと、食堂の扉が音を鳴らして開いた。そこには起きた時に側で立っていた少女がいた。
「...呼んだ?ニア」
「相変わらず耳がいいな。ノルチェ、メイアンに屋敷の中を案内してやってくれ。庭の方も含めて頼む」
メイアン、と首を捻るノルチェを見て、ニアはあぁと納得した声を出して、ポンポンとメイアンの黒髪を叩いた。
「メイアンって名前なんだ。俺が名付けた」
「成程。私はノルチェ=R、ノルチェでいい。メイアン、よろしく」
「は、はいっ」
無表情でよろしくと言われても、とメイアンは心の中でそう思った。
食事を終えてすぐ、ノルチェに手首を握られて食堂から連れ出された。食器をリーフェイの所へ持っていこうとしたが、それは使用人のする仕事だからとニアに制されてしまった。
「屋敷は二階建て。縦長でなく横長。右と左で用途が違うから。どっちから行きたい?」
玄関ホールに出て、ノルチェはメイアンの顔を覗き込むようにして訊ねてきた。メイアンは少し悩むように顔を顰めて、
「よく使うような場所...から、説明してもらってもいいですか......?」
「...分かった。こっち」
ノルチェはメイアンの手を取って、一階右側の方へ歩いて行った。
部屋の扉は三つほど。扉の横に掛けられている部屋の名称の書かれた木板のどの文字も、メイアンには読めなかった。
「ここは娯楽室がある場所。手前がゲームがある場所。奥側が図書室になってる。廊下の一番奥にある扉は本棚があるせいで開けても中に入れないから、手前の扉から中に入って。...行ってみる?」
「入ってみたい、です」
「ん」
ノルチェは一番手前の娯楽室を開けた。
そこにはチェス盤らしきものや、カードゲームが出来そうな台などがたくさん置かれていた。
「ここにはベンジーがよく入り浸ってる」
「ベンジー...?」
アズリナともリーフェイとも違う、新しい名前。恐らくまだ出会った事のない人物なのだろう。ノルチェもメイアンのその反応に気づいたらしく、あぁと頷いた。
「
メイアンは小さく頷いた。
さっさと部屋から出ると、その横の図書室へ今度は向かった。扉を開けた瞬間に、ふわりと紙独特の匂いが鼻をくすぐる。
「はぁ...!」
そこには本棚が所狭しと空間いっぱいに置かれ、中にはぎっしりと本が詰まっていた。赤、緑、青、と色々な装丁の本が並んでいる。それらを読むためのふかふかとしたソファに、書き物も出来るようにといった焦げ茶色の長い机がある。
「文字が読めるなら、楽しめると思う。ここはベンジー以外がよく使ってる」
「ベンジーさんという人は、文字が?」
自分もまた、ここの文字が読めないのでほんの少し親近感を持つ。しかしノルチェは首を振るった。
「読めるのに、読まない」
「......そう、ですか」
「...........君は、不思議な人だね」
「へ?」
ふわ、と花が咲くようにノルチェは笑い、メイアンの手を引いて歩いて行く。
「この向こう側の方は、客間。その奥の二部屋は庭に繋がってる戸とトイレがある。私達が普段使うトイレと風呂は、二階にあるから」
「庭...」
ふと、先程食堂から見ていた庭の様子を思い出す。綺麗な薔薇の咲き誇る庭。
メイアンの顔に気付き、ノルチェがくい、と袖を引いた。
「行こう。屋敷の外だけど、私の結界内だから。守れる」
すたすたと半ば強引にして、ノルチェはメイアンの身体を引っ張っていく。
庭への扉へはすぐに着いて、二人は芝生の茂った薔薇の香りが渦巻く庭にやって来た。
黒薔薇館の名に恥じぬほど、その場所には様々な薔薇が咲いていた。赤、黄色、青、紫、黒、どれもメイアンは初めて見るような気がして、キラキラと目を輝かせながら花に顔を近付ける。
鼻先を、薔薇の香りが掠める。
あっちこっちと、庭の薔薇を観察しているメイアンの後ろを、ノルチェは何一つ文句言わずについて歩いて行く。
「楽しい?」
「はい、とても!こんなに綺麗な花、久し振りに見ました。誰が育ててるんですか?」
「スノーと、ニア。ここはニアの――」
そこで彼女の言葉は止まった。
ぐると身体を回すと、黒い腕をぶんと前へ突き出した。その拳が、突然目の前に現れた黒髪の男の拳とぶつかり合う。
ノルチェは一歩も動かずにメイアンを庇うように立ち、その衝撃で後ろへ身体を飛ばした黒髪の男は芝生の上に綺麗に着地し、それから若干ずれたらしい黒の眼帯を元の位置に戻した。
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