Episode.14 Cooking for them is made on a little gentleness.

「あ、あの、マキさん!」

「うん?」

 今日はシノが仕事に行っており、マキとユイが家で彼の帰りを待っていた。

 今はマキが昼ご飯であるトマトスパゲティを作っており、ユイは『脱獄』をソーロに習ったように懸命に読んでいた。そしてユイが唐突に声を掛けてきたのだ。

 マキは盛り付けていた手を止め、不思議そうに首を傾げた。

「僕、でも...、料理って作れますか...?」

「うんん?作りたいの?」

 マキは全てを盛りつけ終え、「おいで」とユイを手招きしてリビングテーブルに皿を置いた。ユイは本を閉じて、食器棚からフォークを二つ、一つは自分が持ち、もう一つをマキへ手渡した。

「ありがと、ユイ。んで、何が作りたいわけ?」

 マキは座りながら先程のユイの言葉を訊ねる。

「...初めてでも、簡単なもの」

「それは、頭のいい解答だね。そして、選択肢が多すぎて困る答えでもある」

 マキはくすっと笑って手を合わせて「いただきます」と言う。ユイもマキから少し遅れて、「いただきます」と言った。

「...シノに、何か作ってあげたくて。...それで、本当は...」

「本当は?」

「......僕の身体、使おうとして。でも、シノ、それ、嫌かなって。だから料理...」

「ふぅん...、な、る、ほ、ど」

 マキはくるりとフォークに麺を巻き付けて、口の中へ運ぶ。ユイは少々手間取りながらも、それを口へと運ぶ。少々口の周りを赤色で汚しながら。

「先輩の好物、作ろうか?私も手伝うからさ」

「お、お願いします!」

 ユイは勢いよく頭を下げて、ごつんとテーブルで頭を打つ。幸いにも髪の毛がスパゲティに付く事はなかったが、ユイは涙目でマキを見た。

 彼女は音に目を丸くして、それから小さく苦笑いする。

「.....まずは、額を冷やそっか」


 昼ご飯を食べ終え、二人で食器を洗え終えてから、マキは冷蔵庫からにんじんとじゃがいも、たまねぎを取り出した。それらを水洗いして、ユイが見えやすいように台を持って来て、そこへユイを立たせ、マキは後ろへ立つ。

「いつもより、準備、早いですね...」

「ま、教えながらやるから時間かかると思ってさ」

 マキはじゃがいもを一つ取り、包丁を滑らせていく。

 それはまるで魔法のように。刃を滑らせた箇所から、新たなじゃがいもの肌が露わになる。

 ユイはそれを食い入るように見つめていた。

「私も付き添うから、包丁をまずは握ってみるところからね」

 マキはユイへ包丁を手渡す。ユイはそれの柄をギュッと握った。

「.....そうか、握った事ないか」

「へ?何で分かるんですか?」

「...その持ち方、人を殺す持ち方みたいだからだよ」

 マキはユイの手の上から自身の手を置き、そっと持ち方を返る。反対の手にじゃがいもを持ち、そこへ刃を置く。

「ゆっくりいくよ。怖かったら手を止めて」

「は、はい」

 ユイはごくりと唾を飲み込み、マキが動きやすいように力を抜く。

 マキはくるくるとジャガイモを器用に回し、皮を剥いていく。

「少しずつ、力を入れていって」

「はいっ」

 マキはゆっくりゆっくり、ユイが追い付いていけるように動かしていく。ユイはじいっと集中している。マキは少しずつ自分の力を緩め、ユイに任せていく。そして、じゃがいもが綺麗に剥けた。

「ほら、上手くいってる。その調子だよ」

 次のじゃがいもに持ち替えて同じように剥いていく。それをもう二つ繰り返し、次ににんじんを同じような動作で行なっていく。

 たまねぎはマキとユイで皮を剥き、マキが手早く切っていった。たまねぎに関しては、ユイには難しいかと思ったからだ。


「よし、次は皮を剥いたにんじんとたまねぎを切っていくよ。これに関してはまぁ、剥くよりは簡単だから、すぐに上手くなると思うよ」

「はいっ!」

 ピシッと、軍隊ならば敬礼をしそうな勢いの返答に、マキは眉を寄せてくすくすと笑ってしまう。

 そしてまた、マキがユイの手の上に乗せ、ゆっくりゆっくりと動かしていく。

 硬いじゃがいもとにんじんは切る度に、がくっがくっと手が動いてしまう。が、マキが支えとなって、手を切る事にはならなかった。

 全てをサイコロ状に切り終えると、それをあらかじめ水の張られた大きめの鍋へ入れる。

「よし、次にカレー粉を入れるよ。...匂い嗅いでみる?」

 こくこくとユイは好奇心に光る瞳を輝かせながら頷き、すんと鼻を鳴らしてそれを嗅ぐ。

 食欲をそそる匂いに、ユイはマキの顔を見上げた。マキはにこりと微笑みかける。

「これが、シノの好きな物...」

「そ。カレーだよ。あとは、これでいい具合に混ぜて終わり!ご飯を炊いておくから、ユイ、このお玉で混ぜててくれる?」

「はい」

 マキは炊飯器の方へ向かい、ユイは鍋の中をじいっと見ながらぐるぐるとかき回す。

「シノは...、こういうのが好き、なんだ」

「そそ。...ユイ、ご飯を美味しくするのにはね、心ってのが必要なんだよ」

 にこにことマキは笑いながらそう言う。ユイはそれを見てハッとしたような表情になった。

「だからマキさんのご飯は美味しいんですね!」

 その言葉にマキは目をぱちぱちとさせ、それから少し照れ臭そうに頬を掻きながらはにかんだ。

「そう思ってくれるなら嬉しいなぁ。...あぁ、それで。これにはユイと私の思いがこもってるわけだけど。これを更に美味しくするコツがあるんだよ。それをユイに伝授しよう!」

 彼女は悪戯っ子のように含み笑いをし、ユイは真面目にその言葉を聞いていた。



「ただいま...」

 それから数時間後、疲れ切った顔をしたシノは玄関の扉を開ける。そしてリビングの方から香ってくるスパイスの香りに、おやと思った。

「お帰りなさい、先輩」

「ただいま、マキ。今日はカレー?」

「うん、そう。あ、ユイは今お風呂ですよ。だから手っ取り早く、ね?」

 それが何を指し示しているのか、シノはすぐ理解して部屋の方へと向かう。

 血の匂いを出来るだけユイから遠ざけ、彼から隠す為に。

 シノは手早く着替えを済ませると、着ていた服を洗濯機の中へ入れて、そうっとリビングへと戻る。

 それからユイが風呂場から出て来た。シノを見るとパッと目を輝かせて「おかえりなさいっ」とシノへ抱きついた。

 それだけで今日一日の嫌な光景と疲れが吹き飛び、温かい思いが胸中へ広がっていく。

「うん、ただいま」

「ほら、お皿とスプーン出してー。ご飯を食べるぞー」

 マキの間延びした声に急かされるように、ユイとシノは皿とスプーンを取り出した。マキはそれを受け取ってそれぞれに対しての適量をついで、テーブルの上へ置いていく。

「よし、それじゃ食べよっか」

 シノは嬉しそうにはにかんで、手を合わせる。それを見てマキは小さくユイへ目配せした。ユイはそれに気づき、ごくりと喉を鳴らした。

「あ、あの、シノ!」

「うん?どうした?」

 ユイは少し頬を赤く染める。シノはその理由が分からずに、眉を寄せて首を傾げた。

「あ、あの、その......」

 ユイは少し目を伏せて、それから意を決したように身体を前のめりにした。シノが目を丸くしていると、ユイはシノの目の前にあるカレーに両の手をかざし、ギュッと拳を作る。


「お、美味しくなぁれっ」


 そう言ってから、ユイはパッと手を開いた。

 シノは目が落ちそうなほど見開いて、ゆっくりとマキの方へ目を向けた。マキは悪戯が成功した子どものように、くすくすと口元を隠して笑っている。

 シノは身体を固めて、ユイはその動きのない身体を見て、不安げに身体をカタカタと揺らして、マキの方を心配そうに見ていた。

「ま、マキさん...」

「あー、大丈夫。脳みその処理が追い付いてないだけだと思うよ」

 おどおどとしつつユイは、シノの顔を覗き見ていた。シノは少ししてから、口元を押さえた。そして肩をふるふると振るわせる。

「し、シノ......?」

「か、......かわ.........」

「........もう先に食べちゃお、ユイ」

 マキは呆れ顔でそう言い、合掌してからカレーを掬って食べる。

「ああああああ!マキさん、シノの鼻から血がっ!!」

「気にしなくていいよ、それ」


 その日は、とても騒がしい一夜だった。

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