Episode.13 Be happy with each other is not necessarily for every match.
「.....遅いですね、マキさん」
「そーだな」
皿洗いを終えたユイとシノは、ソファに二人で腰を下ろして、のんびりと何をするわけでもなく、マキの帰りを待っていた。
しかし、二人が予想していたよりも彼女の帰りは遅い。
「.......どこかで、襲われてるのかな」
「えっ!?た、助けに行かなきゃっ」
ユイはソファから飛び降りるように慌てて行こうとしたが、シノがそれを急いで引き留める。
「大丈夫、冗談だよ。入れ違いになったら困るから、ここで待ってよ」
「は...はい...」
立ち上がっていたユイはゆっくりと腰を下ろして、再び静かな時が流れた。
「......ね、ユイ」
静かな時を、厳かなシノの声が破った。
「なんですか?」
「......ユイは、俺達の所に来て、良かった?」
ぽつり、と彼はそう言った。その顔はいつもの明るく楽しそうに笑ってユイの頭を撫でるシノとは、少し違っていた。寂しそうに目を伏せて、バツの悪そうな顔をしていた。
「どうして、そんな事、聞くんですか?」
か細く震える声。シノは、少し眉を寄せる。
「もしかしたら、っていっつも思うんだ。ユイに先に手を伸ばしたのが俺だから、ユイは俺達にしか縋る事が出来ないんじゃないかって。もっと別の人間が、君を引き取るに相応しかったんじゃないんだろうかって」
シノの心の不安であった。ユイは素直だ。だからこそ、自分の好きなように彼を手の平の上で操作しているように思える。そこに例えユイの意思があったとしても、それはたまたま意見が一致しているだけ。
「それに、君が知識を得ていくたびに...、知らなくてよかった痛みを、教えているような気がするんだ」
その言葉に、ユイはピクッと反応する。
それは、心のどこかでユイ自身も思っていた事であった。言葉を知るたびに、表現を理解していくたびに、今まで受けていた痛みを表す言葉をユイは感じていた。
それは確かに、知らなければ分からなかった痛みに違いない。
「幸せを知っていく君を、俺は、苦しめているような気がする...」
寂しそうな瞳だった。苦しげな表情だった。
「......シノ」
「あの日、本当は君を殺していた方が、君にとっての幸せだったのかな...」
どこか、心の片隅に、シノが抱えていた思いだった。何も選択できない自分が、初めてそれらしい選択をした日。あの日見たユイの瞳が、幼い頃の自分に似ていたから。〈蒼月の弓矢〉に入る前の、汚れ切った世界に絶望していた頃の、あの時の瞳に。
「初めて会った日、言ったの、覚えてる?殺してほしかったら、金を積んだらいいって。そうしたらいつでも、殺してあげるってやつ」
「うん......」
「あの時は本気だった。ここまで、君を大切に思う事なんて、ないと思ってたから、でももう、今はユイにどれだけのお金を積まれても、君を殺す事なんて、出来ないんだ」
"Knight Killers"だっていうのにね、とシノは苦笑混じりにそう言う。ユイはグッとした唇を噛んで、シノの身体を力いっぱい抱き締めた。
「ユイ......」
「ぼ、僕は、僕は...っ。シノやマキさんといて、楽しいです...!」
震えた声だ。しかし、芯のあるはっきりとした声だった。
「そ、れは...、確かに、
「........怖い?」
「崩れるのが...、幸せじゃ、なくなっちゃうのが」
またあの日々に連れ戻される事。男に身体をもてあそばれ、ろくに食事を摂る事も許されず、命を削りながら奉仕する。
もう二度と嫌だった。暴力を振るわれたくない。厭らしく触れて欲しくない。
「シノとマキと一緒に居るのが...、凄く、楽しくて...嬉しくて...、幸せなんです」
普通だと思っていた。これが自分の人生なのだと。諦めていた。前世の業が今の自分を苦しめているのだと。
でも、違った。
囲んで食べる料理は美味しい。暴力を振るわれない身体は、とても軽くて痛くない。頭は殴られる箇所ではなくて、優しく撫でられる箇所だという事。文字が読めると、色んな事が出来るようになるという事。
全てが、ユイのくすんでいた世界を美しい色へ染め上げてくれた。
「幸せが崩れる...か」
シノは泣き出してしまいそうなユイを、強く強く抱き締める。鼻孔を泡の香りがくすぐった。
「うん........、ありがとう、ユイ。幸せ、崩さないよ」
「ふぇ?」
「絶対に守る、俺が。命に代えても、君の幸せを...」
シノは額の茶髪を指の腹で撫で、ユイの首元に顔を埋めた。ユイはこれほどまでにきつく抱き締められた事の経験がなく、内心焦るが、特に何かをされるという不安感がない為か、身じろいで抵抗する事をしなかった。
その時、コンコンとノック音が聞こえてきた。それから少し遅れて、「開けてー」と間延びしたマキの声が聞こえてくる。
シノはそれで我に返ったようにユイの身体を離し、ポンポンと笑みを浮かべてユイの頭を叩いて、玄関の方へと向かっていった。ユイはぽかんとして―、しかしすぐにはっとして彼もまた玄関の方へと向かう。
「いやー、狐目さんを送った後に〈黄昏の夢〉メンバーの内二人に追われましてね。何とか撒いて逃げましたよー」
あー疲れた、とマキはマスクをずらして息を吐き出し、靴を脱いで家の中へと進む。そして、ユイを見て、その茶髪の感触を楽しむように数度梳いた。
「ユイ、お風呂洗って入ってきたら?そろそろおねむの時間に近いからね」
「う、うん」
くすくすとからかうように笑うマキの声を背に、ユイは風呂場の方へと走って行った。
「先輩」
ぽそりと、マキは小さくシノに声を掛ける。シノは目をマキの方へ動かし、真剣な顔へと変わった。
「そろそろ、だそうですよ」
「......分かった、ありがと」
「どうするんですか、ユイの事。選択、しないといけませんよ?」
マキはそう言ってシノの顔を覗き込む。シノの紫の瞳は少し伏せられ、しかししっかりとした意思が宿っていた。その目にマキは僅かに目を丸くして、それから少しだけ口角を上げた。
「うん、ちゃんと分かってるから」
シノはそれだけ言うと、マキの肩を叩いて「お疲れ様」と言って風呂場の方へと歩いて行った。
彼の背中をぼうっとマキは眺め、それから楽しそうに微笑んだ。
「二人の幸せを、私は守りますよ...」
「ッチ、逃したか」
「まぁ、ええやん。殺せ、とは頼まれてないんやからさ」
クロとレオは、〈黄昏の夢〉のアジトの方へと向かっていた。マキを見失ってからも少しは周りを探した二人だが、全く見つからずに諦めて帰ろうとしていた。
「それにしても、あの女!レオさんの顔に傷つけやがって、本当にイラつく」
クロは憤慨したように荒々しい口調で、誰ともなく怒りをぶつけるように言う。レオはそんな彼へ小さく溜息を吐いて、腰の少し上をポンと叩いた。
「俺は別に、治るんやから気にすんなよ」
「それでも事実は変わらないだろ」
ぷくっと膨らませた頬は、年不相応でどこか子どもっぽさが勝っている。
「いいから、クロ」
少し語尾を強めに言うと、クロは押し黙ってそれから「ごめん」と呟くように言った。
「ま、いずれにせよ、お前も計画の加担者やろうから、もしかしたらあの子に会えるかもしれんな」
「計画ぅ?俺、ユキに金持ちの家に入って牢屋の鍵を開けただけで、今日がそれらしい仕事って感じがするけど」
「........相変わらず、理解力が乏しいな」
レオは呆れ顔でそう言って、すたすたとクロを追い抜いて先へと進んで行った。
「ちょっ、レオさん!待ってよ!」
慌ててクロもレオの後ろを追った。
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