第6話

 朝から三日月の周りは慌ただしく動き回った。

 今日が彼女のここから巣立つ日。三日月は忙しく動き回る女官達や荷物をまとめる見習い武官達の姿をぼんやり眺めながら、まるで列の世界の話のような感覚で、意識の波を揺蕩っていた。寝ているわけではないが、寝ているにほぼ等しい様子である。

 快活な彼女の様子の変化に、周りも気付いているが、しかし何も言わなかった。ここで彼女を引き止めれば、迷惑をこうむるのはこの国であり、この国の民である自分達なのだから。

「三日月様、お召し物を変えましょう」

「........えぇ」

 三日月は口答えもせずに、女官達に言われるがまま化粧を施され、着物を一新する。

「お似合いですわ、三日月様。それは葉月の君様も身に付けられた花嫁衣裳ですのよ」

「そう」

 周りの言葉の意味に対して興味が持てない。どこか別の場所で聞いているようだ。

「錬...、和泉...」

 他の人間に聞こえないよう、三日月は静かに呟いた。


 正午頃。三日月は王の間と呼ばれる、客人の謁見の場でもある場所へゆっくりと歩いて行った。胡蝶は隣に控え、静かに襖を開けた。

 そこには満月の方と葉月の君、そして若い男が立っていた。

 黒い髪の毛を上げ、燃える炎のようなグレン色の瞳は細く、三日月を睨みつけるように見ていた。甲冑は瞳と同じく燃え盛る赤を基調としたもので、男のがっしりとした身体を守っていた。

「...貴女が、三日月姫か」

「太陽の方様ですね。...その通り、三日月でございます」

 三日月はきつく睨みつける太陽の方に憶する事もなく、ただその瞳を見ていた。

 太陽の方は三日月をじろじろと見回してから、鼻を鳴らした。

「ふん...。瞳ばかりはきついが、噂通りの美姫だな」

 その態度に苛立ちを覚えた三日月の事を感じ取ったのか、葉月の君が三日月を近くへ呼んだ。

「貴殿の事を見込んで、我が娘を頼みたい」

 満月の方は三日月と葉月の君の方へ目を向けて、小さく頭を下げた。

「あぁ、この美しい姫君を妻として娶れるとは、私はとても幸せ者だ」

 太陽の方はゆっくりと三日月へ近付き、その手を取った。

 その手でどれだけの人間を苦しめ、殺めたのか。

 そう考えると、三日月は吐き気が込み上げてきそうであった。

「こちらへついてこい」

 太陽の方は三日月の手を握ったまま、ぐいぐいと彼女の手を引いていく。その力はあまりにも強く、三日月は痛みに顔を顰めながらそのまま引きずられるようにして行く。


 彼は三日月を玄関の方へと連れて来ていた。そこでは従者達が荷物を太陽の方の用意してきていた馬車へと載せていた。そこに、錬と和泉もいた。

「三日月様、満月の方様と葉月の君様との挨拶はお済みになられたんですか?」

 三日月の存在に気付いた胡蝶が、そうっと彼女の側へと寄って来た。

 いやまだ、と三日月が答えようとするのを、太陽の方は手で制した。

「あぁ、済ませた。荷造りはあとどのくらいで済みそうか、女官」

「は、はい。あと五もありませんので、すぐに済むかと思います。時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」

「いや。しかし、そうか...」

 太陽の方は少し考えこむようにして、それから三日月の顔をじいっと覗き込んだ。

「先に俺達で向こうに行こう」

「へ?」

 三日月の口から頓狂な声が漏れる。それに驚いたのは彼女ばかりではなく、近くに居た三日月の女官や太陽ノ国の剣士達が二人の方を見た。

「荷造りをし終えたら、女官は兵士達と来るといい。なに、別に女を取って食うほど飢えてはいないし、俺もそれなりに腕はある。姫に少しばかり早めに国の景色を見せても構わんだろう」

 太陽の方はそう言う。

「王子」

 それを咎めるような口調で、彼の側近らしい男が彼の横に立った。

「貴方が暗殺者に狙われるかもしれません。我々は賛同しかねます」

「俺の腕を甘く見ているのか?」

 ギロリと、太陽の方は男を睨みつけた。その冷ややかな視線に、周りの人間の空気が凍り付く。しかし男は肩を竦めただけで、その空気観に対して触れようとはしなかった。

「王子の馬を、用意しなさい」

 男はそう言って、彼より身分の低い人間へそう命じた。少ししてから、頼まれた男は一頭の美しい黒毛の馬を引っ張って来た。とても手厚く可愛がられているのだろう、毛並みも美しい瞳も愛情を与えられて育てられている事が分かる。

「姫、こちらへ」

 太陽の方は三日月を馬の背に乗せる。普段ならば軽やかに乗れる事の出来る三日月であるが、今日の服装ではそれは出来なかった。

 あっさりと乗せられてその後ろに太陽の方がひらりと乗る。

 三日月はそうっと視線を動かして、錬と和泉の方を見る。二人は、少し寂しそうに微笑んで手を振ってくれていた。

 二人へ声を掛けようと三日月は口を開いたが、その目の前を太陽の方の甲冑で防がれる。

「はっ」

 太陽の方は短く声を上げて手綱を引き、馬は城をの外へと出て行った。

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