第4話

「錬、大丈夫?」

 ぼうっとした表情の錬へ、和泉は心配そうに声を掛ける。

 昨日から三日月の護衛を離れ、菫元帥があてがってくれた部隊での特訓に明け暮れている。

 その訓練中には和泉との鍛錬同様、全く手を抜かず相手を次々と打ち負かせている。

 だが、休憩中や鍛錬終了後の錬は、魂が抜けたかのようにうなだれて何も話さない。周りの人間は錬とは初対面あるいは武士になる為の訓練で数回会っているだけなので、そういう性格なのだと勘違いして話しかけないが、和泉からすれば心配以外の何物でもない。

 幸いにも身体を壊したり、私情を訓練に持ち込んだりしないところには流石武士と称賛に値する。

「大丈夫だ、問題ないよ」

「そう?顔色悪いけど」

 和泉がそう言うと、また水をかぶりに行こうと庭の奥へ向かおうとしたので、和泉は慌ててそれを制する。

「顔色は悪くないよ、でも...、元気はないよ」

「そうか。和泉に心配かけてるな、ごめん」

「謝らないでよ。...やっぱり三日月様の事?」

 和泉が訊ねると、錬は少し目を泳がせてから、観念したように頷いた。

「いつもいつも、居る事が当たり前だったけど...当たり前じゃなくなるだけで、こんなにも苦しくなるんだな」

 苦しげな表情に、和泉は少し顔を顰める。


「三日月に、伝えなくていいのか。...お前の思いを」


「...俺が娶れる身分ならな」

「身分とか、関係ないだろ。愛があれば十分じゃないか?」

 和泉の言葉に錬は首を振るう。

 姫を妻に迎え入れたいなら、やはり貴族でなければならない。どれだけ愛していたとしても、彼女の身分を貶める事になってしまう。

 文官ならともかく、彼女の一従者であり軍人という血生臭い役職に身を置く人間だ。更に身分を下に見られ、彼女の評価を落としてしまう。それだけは決してやってはいけない。

 和泉は沈んだ彼の表情を見て、小さく眉を寄せる。少し口を動かして、しかし意を決したように口を開いた。

「姫様も、お前の事が好きだって言ったら...?」

「は...?」

「本当は、二人が頑張ってくっついて欲しかったんだけど。奥手なお前に教えてやるよ。三日月様はお前の事が好きだよ、愛していらっしゃる」

 和泉の言葉に錬の顔が段々と赤みを増していき、耐えきれなくなったのかすくっと立ち上がった。それが庭で水行するのだと経験上理解した和泉は、慌てて引き留めて座り直させる。

「う、ううう嘘に決まっている。それかお前の勘違いだろ」

「こんな嘘をお前に言うほど、俺は人でなしではないよ。本当さ」

 和泉は錬の反応にくすくすと楽しげに笑いながら、彼の心を落ち着かせるように膝を何度も撫でてやる。

「で、そういう事実を知ったとしても――、明後日三日月様がここを出られるとしても、お前は何も言わないのか。その背を、ただ無言で見つめる事が出来るのか?引き止めなくても、いいのか?」

 和泉の訊ねる声に、小さく錬は唸る。

 何もしたくないわけではない。

 出来る事なら、彼女の手を取って三人で暮らしたい。きっと楽しいだろう。彼女の好きな剣術を好きな時間に行なって、料理が上手い和泉なら三人分の食事をささっと作って、錬は二人の為に金を集めて。

 毎日が助け合って、楽しいだろう。


 だが、その願いを叶える事は出来ない。


「なぁ、和泉」

「ん?」

「俺の、俺の我が儘に付き合ってくれないか...」

 錬の切羽詰まったような顔に、和泉は小さく笑って、錬の頭を叩くように撫でた。

「いいさ。僕はいつだって、君の悪友であり、幼馴染であり...、最高の親友だからね」

 和泉は悪戯っ子のような笑みを浮かべて、錬の肩をパンと叩いた。

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