第2話

 小鳥が朝を告げるべく、可愛く囀る。

 それを合図に錬が地を蹴った。ブンと空気を裂くように刀が振られた。それを和泉は刀身で綺麗に受け止め、弾き返す。錬は体勢を変え、力を分散させるように動く。

「っは」

 短く息を吐き出して、再び渾身の力を込めて振るう。和泉は間合いを崩すべく、懐へ身体を押し込んで下から上へと切り上げる。

 ちっと空気を裂く音と共に、錬の顎の下が少し切れる。

「へへ」

 和泉はにいっと得意げに笑う。

 その笑みに錬は眉を寄せ、上から下へ刀を持つ腕を落としていく。それを和泉は顔色一つ変えずに受け止める。

「まだまだ余裕って感じ?」

「それなりに」

 お互い汗を流しつつも、冷静な顔で剣をぶつけ合う。


「やっほー!あっそびにきたよー」


 そこへ、呑気な声で道場に三日月が入って来た。二人の姿はぴたりと止まる。お互いの刃を首元へ突き付けたまま。

 二人のその様子に、三日月は小さく苦笑いした。

「邪魔、しちゃったね」


 錬と和泉は鍛錬を終えて、縁側に手拭いで髪の毛を拭きながら、三人で並んで腰を下ろす。目の前の庭園の若葉の茂った木々が風に揺られて葉を落とす。

「朝からやるなら、私も混ぜてくれればよかったのに...」

「姫様が武芸に励む必要ないでしょ。また胡蝶さんに俺達が睨まれちゃう」

「え?胡蝶が?」

「やっぱり気付いてなかったか...」

 三日月の慌てた様子に、二人はほぼ同時に小さく息を吐いた。

 少し三日月は不思議そうな顔をしたが、すぐに晴れやかな笑顔に変わり青空を見上げる。

「........いい天気ね」

「そうだね」

「あぁ」

 三日月の顔色が徐々に曇り出す。

「小さいときは、何でも好きなように出来ると思ってた。三人で、どこまでも遊べるんだって思ってた。でも、...昔みたいに好き勝手に遊べないのね。それは私が女だから?」

「違うよ。三日月様が女性のせいじゃない」

「それ、名前に様とか、錬に至っては姫様っていう。昔みたいに呼びすてでいいのに」

 拗ねたように口を尖らせて、二人の顔色を窺うように覗く。

「駄目だ。貴女と俺達じゃあ身分が違う」

「身分って、そんなの関係ないよ。二人は幼馴染で私の大切な人っていう、それだけでしょ」

 彼女は身分と言うものを全く気にしようとしない。それを無視して、すべての人間を対等なものとして見る。だからこそ、他の王族よりも民衆に好かれ、男姫と言われながらも婿を取れない事にお咎めがない。


 全ては彼女の性格によるものである。

 それは良い事でもあり、同時によくない事でもあった。

 王族が王族たる誇りを感じるのは、民衆との圧倒的な差なのだ。それを感じない限り、彼女はいつまでも幼い子どもの頃のままだ。

 それを直感的に理解している二人は、少しずつ成長していくにつれ、彼女との間に差がある事を学ばせる為に、外向きでは敬語を使うようになっていった。

 効果はまずまず、いやむしろ、昔とさして変わっていないというのが正しいかもしれないが。


 二人が返答に悩んでいると、バタバタと廊下を歩く足音が聞こえてきた。

 武芸を積む者ならば足音は比較的立てないので、二人にはすぐにいつもの胡蝶の姫様奪還か、と大体の見当をつける。彼女もまた、ここに来ると少ししてから目くじらを立てた胡蝶が来る事を経験上よく知っているので、錬に隠れるようにしがみついた。

 案の定、来たのは胡蝶であった。いつもとはやや血相が異なっていたが。

「三日月姫様っ!満月の方様がお呼びです」

 厳かな声音が、それが十代である事を明確にする。

 三日月は錬の側からゆっくりと離れ、静かに縁側から立ち上がる。

「俺達は、」

「満月の方様の護衛があるから良いとの事です。...姫様、参りましょう」

「分かりました」

 胡蝶が先に行くのを見てから、三日月は二人の方へ目配せして彼女の後をついて行った。


 三日月の姿が完全に見えなくなってから、錬は大きく溜息を吐く。その様子に和泉は苦笑した。

「大丈夫?心臓は保った?」

「あぁ。いつもより大分脈拍は早かったけど、問題ない」

 錬の冷静な自己分析に、また和泉は苦笑いを溢す。


 昔からこうである。

 和泉の幼馴染二人はお互いに好きあっているのに、一向に両方とも気付かない。

 錬は彼女の事を「鈍感だ」と評価しているが、錬も大概だよなぁと傍から見ていて思う。

 昨日の鍛錬だって、浅沙の世話を和泉に頼み、明らかに二人きりの空気を作ろうとしていたのはとても分かりやすい。先程の錬の方へ隠れた仕草も、目配せも錬に向けられたものだろう。

 だのに、気付かない。ここまでくると彼女が不憫に思えてくる。


 三日月様に「錬も貴女を好いていますよ」という気は、和泉にはさらさらないが。


 こういうのはお互いが頑張って気付いて、恋愛に発展していくべきだと思う。鈍感同士のどちらが相手を上手く振り向かせる事が出来るのか。

 和泉が二人と出来る限り仲良くし続けていたいと思う理由の一つだった。


「なぁ、錬。顔赤いけど」

 和泉は揶揄うようにそう言う。それに錬がびくりと反応し、庭の奥の方へ向かう。その行動に和泉は首を傾げ、その後ろをついて行く。

 錬は井戸から水を汲み、頭から勢いよくかぶる。それを何度も繰り返し始めた。和泉はその様子に焦って慌てて止めに入る。

 しばらく錬の水行は続いた。


「落ち着いた?」

「大分」

「それならよかった」

 ぽたぽたと水の滴る茶色の髪の毛をがさつに拭きながら、何事もなかったかのように喋っている。その様子に和泉は笑いだしてしまいそうになるが、何とか抑え込む。

「錬、和泉」

 そこへ、焦げ茶色の髪をした聡明そうな男性が二人へ声を掛けた。その人物を見た瞬間、二人の身体の動きが止まる。

 その人物は、二人の一応身を置いている軍部を担当する元帥である。

「菫元帥殿!」

 二人はすぐさま跪いて、頭を下げる。その様子に男は優しく笑った。

「畏まらずともよい。毎日の鍛錬、ご苦労様だ」

「大した事ではありません」

 菫はふふふと笑った後、すぐに真面目な顔に戻る。

「お前達に話がある。こちらに座れ」

 二人は言われるがまま、庭から道場へ上がる。畳の上に正座し、内心心臓をびくびくさせながら言葉を待った。

 菫は少し複雑そうな顔をして、しかしはっきりと言い放った。


「お前達の三日月姫の護衛の任は、今日を持って終わりとする。明日からはこちらの...、軍部の人間として活動してもらう」


「「え?」」


 錬と和泉の声は綺麗に重なった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る