三日月物語

本田玲臨

第1話

 青い草原に二人の人間が対峙していた。


 一人は青年。茶髪を一つにくくり、茶色の瞳を自らの持つ刀に注いでいる。痩躯でありながらも必要な筋肉はしっかりとついており、ひょろりとした印象は与えない。

 もう一人は少女。長い黒髪を高い位置で一つに括りあげ、ややつり上がった黒の瞳は好戦的に青年を見ている。細身で便りのない身体つきではあるが、剣を構える姿は幼い少年の姿のようで凛々しく映える。

 少女の肩幅に広げられた足が、小さく位置を動かす。その瞬間、青年の身体が動いた。


 青年の力が込められた刀の刃を、少女は刀身で素早く受け止める。ずずずっと、少女の身体は後退した。

 それに彼女は僅かに顔を顰めて、しかしすぐに切り返す。青年より小柄である身体を活かし、間合いの奥へ奥へとねじ込んでいく。

 青年は適切な間合いへ戻そうと、後ろへ下がったり左右へ身体を揺らしたりするが、少女は青年を逃がさぬよう付きまとう。

 彼の顔が僅かに歪んだのを見て、少女はにっと口角を上げる。

 それを見た青年は、少女の足に払いを掛ける。それで彼女の体勢が崩れた。

「っわ!」

 女にしてはやや低めの声で、そのまま尻もちをつく。そこへ青年は容赦なく刀の先を突き付ける。

 少しでも身じろげば、彼女の白い肌に刃が突き刺さるだろう。


「........参りました」


 観念した少女は、青葉の茂った地面の上に刀を置いて、小さく手を挙げて降参の態度を示す。その様子は拗ねた子どものようであった。

 青年は刀を鞘へ戻し、少し困ったように笑みを浮かべつつ、少女へ手を指し伸ばした。

「怪我はないですか、姫」

「平気。どこも怪我なんてないわ。貴方が手加減するから」

 少女はそう言ってにっと笑う。

「錬は心配性ね。少しくらいの傷なんて大した事ないわよ」

「大した事ありますよ!嫁入り前の婦女子で、しかも未来の月ノ国の王妃となるお方。ただでさえ男姫だと言われて嫁の貰い手が居ないというのに...」

「失礼ねぇ!」

「そう思うのなら剣術を極めるというのはよしてください。貴女を守るのは我々の役目です。貴女が鍛えるから、他の男子が寄り付かないんですよ」

「民を守るのが私の務めよ。それならば自分を守れるくらいの力はあってしかるべきです!」

「あぁ、もう、ですから...」

「言い争いはそこまでにしたらどうですか?」

 第三者の声に、二人は林の方へ目を向ける。


 そこから一人の青年と、一頭の黒毛の馬が歩いて来た。

 黒髪の青年は、錬と呼ばれた青年と同い年くらいの人間のようで、腰には刀が携えられていた。柔らかな印象を与える黒の瞳に、やや細身な身体つきは頼りなさげに見える。

 彼が手綱を引く馬は、慈愛の瞳で少女を見ていた。

浅沙あさざ!」

 少女は馬の名を呼び、彼の首を優しく撫でる。

「体はきちんと清めてきましたよ。そろそろ帰りましょうか」

「えー、和泉の意地悪ー」

 少女は頬を膨らませて、黒髪の青年の方を向く。彼は少し困ったように笑うが、「そろそろ帰りましょう」ともう一度言われると、観念したように少女は頷いた。

「帰りますー」

「はい、乗ってください。俺達は歩くので」

 少女は青年の力を借りて、浅沙の上に乗る。

「はっ」

 少女が浅沙の脇腹を鋭く叩き、浅沙はゆっくりと歩き出す。その真横に二人の青年はついた。


 草原のある丘を下り始めて少し、林を抜けるとその町は姿を現れる。

 町の人々や国外の人間から『朧月城』と称されるその白壁の城は、大きな屋根瓦を広げて町人を見下ろす。さっぱりと区画分けされた城下町は商人と町人の声が、この丘からでも聞こえるほど飛び交っていた。

 少女は浅沙の足を止め、すっと大きく息を吸う。

「いい空気ね」

 澄んだ林の空気は心を落ち着けた。

 少ししてから、再び浅沙の歩みを進めた。


 丘を下り終えて、町へ入ると、少女は町人に囲まれた。

「姫様、今日も従者の方と剣舞なされていたのですか?」

「相変わらず豪胆だなぁ、三日月様は」

「い、いいでしょ!戦の火がここにまで及んだ時、貴方達を守るのは私達王族の務めなんだから!」

 三日月と呼ばれる少女は、少し拗ねるように言うものの、それは民衆に微笑ましく思われてしまう。

 それほどまでに王族が、あるいは彼女が慕われているという民衆の表れなのだろう。

 その様子を、二人の青年は顔を見合わせて笑っていた。

「三日月様、大人気だねぇ」

「そうだな」

 錬は小さく首肯して、和泉は小さく笑んで、人々の応対に追われる三日月の様子を見ていた。


 三人が城に着いたのは、日が傾きかけた頃合いだった。

「そんなに遅い帰りでどうしたのですか、姫様!」

 彼女に仕える女官は、青白い顔をして三日月に駆け寄った。心配そうに彼女の身体を見回して、それから奥に控えている錬と和泉に厳しい瞳を向けた。

「こんな遅くまで連れ回して...、何を考えていらしているですか!」

 責めるような視線に二人は苦笑いを浮かべる。

 早めに山を下りたものの、町の人間につかまってしまい、そこで話し込んでこの時間帯についてしまったのだ。素直にそう言ってもいいが、何だか責任転嫁しているようで言葉に詰まってしまう。

「二人は悪くないわ、あまり責めないであげて、胡蝶」

 三日月は髪を結んでいた白の元結もとゆいを解き、腰まで長い黒髪の毛を下ろす。胡蝶はその元結を受け取り、二人を忌々し気に睨んでから、三日月の後ろをついて行く。

「隠す気、ないのかな...。あんなの、三日月様が鈍感だから分からないだけでしょ」

「どうでもいいだろ、行こう浅沙」

 浅沙は小さくいななき、錬の後ろをついて行く。

「ちょっ、錬、待ってよー」

 少し遅れて、和泉が一人と一頭の後ろを追った。



 食事を済ませ、湯浴みで鍛錬の時にかいた汗を洗い流し、さっぱりとした状態で、三日月は胡蝶に髪を梳かさせていた。

「姫様。幼馴染だからと言って、男二人と一日遊ぶなど、止めてください。結婚相手となり得る貴族の方々から見れば、男遊びの激しい女性だと思われてしまいます。それに貴女様は高貴なお方であり、かつ剣術を積む必要などないのですから」

「だって面白いんだもん!剣を振るうって、いい運動になるし」

「あぁもう、姫様に傷が付けば、満月の方様や葉月の君様が悲しまれます...」

「父上も母上も何も言ってないでしょ。それに怪我なんてしないわ。錬も和泉も手加減してくれるし、仮に山で悪漢が出ても守ってくれるから」

 ふふふ、と三日月が笑うと、胡蝶はそれ以上は何も言わず、静かに髪の毛に櫛を通していく。

「それでは、おやすみなさい。姫様」

 それを済ませてから、胡蝶は一礼して三日月の部屋から出て行った。

 完全に胡蝶の気配が消えてから、三日月は障子を開けて夜風を部屋へ入れる。普段やると「身体が冷えて風邪を引く」と胡蝶や二人の幼馴染達に怒られるが、今は少しでも夜風に当たりたい気分だった。


「今日も...、かっこよかったなぁ...」

 三日月は小さく呟き、ほんのりと顔を赤くした。それを冷ますように、ずいっと身を乗り出してより夜風が顔に当たるようにする。

 少ししてから、短く息を吐き出してから、空に瞬く月へ顔を向ける。そして瞳を閉じた。



「どうか、この日々が続きますように...」


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