Episode.37 side Yura.

 ぽたぽたと雨が降っていた。

 豪雨と言うには程遠く、まるで空がすすり泣いているような雨。

 ユラはそんな雨の路地をひたすらに走っていた。目的地へと急ぐ為に。

 服を濡らしながら、ユラは建物の中へと侵入した。

 扉は開いていない。ガタガタと押して引いても開かないので、ブーツの踵で近くの窓を壊して中へ入った。

「カヴィくんっ」

 ユラはカヴィの名を口にし、建物内を見回す。返答は無い。

「.....地下に幽閉されてる、可能性はある」

 ユラはそう推論立て、二階ではなく地下へと駆け下りていった。


 急げ。もっと走れ。鈍間。

 そんな心の声ばかりがユラの脳内を満たし、足を急かす。

 急がなければ、カヴィはどこかへ行ってしまう。

 そんな予感がユラはしていた。恐らくアシュもしているだろう。フェリは分からないが。

 だからこそ、急ぐのだ。


 ユラは走り続け、少し広めのリビングのような場所に出た。

 三人分の木の丸椅子。大きく丸いテーブルには国の地図が打ち付けられ、歓楽街の〈堕天使〉の場所や、商店街にバツ印が付けられている。

 部屋の隅には木箱が積み置かれ、埃が積もっている。ここに来てからそのまま放置されているのだろうか。

 だが、ユラにはそんな事どうでも良い事だった。

「誰」

 ユラは先程通ってきた扉へ目を向けた。

 そこには深くフードをかぶった男が、扉にもたれかかってニヤニヤと笑っていた。

「.....貴方は、誰」

「人に名前を聞く時は、まずは自分からだろ?ひひっ」

「.....ユラ。私は〈涙雨の兎〉のユラ。カヴィくんを取り戻しに来た」

 澱みのない物言いに、またゲラゲラと男は笑う。ひとしきり笑い終えると、男はまたニタニタとした笑みを浮かべる顔へ戻った。

「.....俺はキダ。お前を殺すのが仕事だ」

「へぇ、じゃあ敵だね」

「ひひっ、そうだ敵だ」

 二人の間に冷たく暗い殺気が流れ出す。

「.....なぁ、お前にとって生きる目的、は何だ?」

「は?」

 唐突に、キダは雰囲気に似合わない質問を、ユラへ投げかけた。

「まともな人間は、人の為に何かをしたいから生きている。ひひっ、俺達は居場所を求める為に殺して生きている。なら、〈涙雨の兎〉。お前達は何に生きている?」

「.....私、は」

 ユラはほんの少し言葉にするのを躊躇った。

 だが、それは確かにほんの少しだけだった。ユラは小さく息を吐き出して、キダの顔を見た。


「.....私は、皆と一緒に明日を生きる為に、今を生きてる」


「ひひっ、いい綺麗事だ。吐き気がする」

 キダはそう言うと、ナイフを服の袖から取り出して、ユラへ切りかかった。

 音からその行動をする事を読んでいたユラは、すぐに躱して拳銃を構える。そして発砲した。

 ユラは身体のバランスを直すのと、牽制の二種類の意味を込めて、二回キダの足元と肩を狙う。

 それは殆ど一発に近い連なった音で、キダは足元の弾丸は避けたものの、肩の弾丸は受けてしまう。

 しかしキダは止まらなかった。笑みを絶やす事なく、ユラの喉元を掻き切りに近付く。

「っ」

 僅かに面食らったが、ユラはそれを拳銃の銃身で受け止める。

 その近距離を活かして、キダがユラへ足払いを仕掛けた。

「っぅっ!?」

 ユラは転倒し頭を打つ。痛みに顔を顰めるが、その余韻に浸る間もなく、キダが上から突き刺してくる攻撃を転がり避ける。

 ユラは距離を取るとすぐに起き上がり、拳銃の弾を入れ替える。

 その間にもキダは猛攻を止める事もせず、人体の急所を穿つように狙う。

 何とか躱しているユラだが、拳銃や背後の壁などに気を取られてしまうと、どうしても無傷で避け続ける事は出来なかった。

 足、手、腕、頬。傷は増えていく

「ひひっ、いひひ」

 その度にキダは、恍惚とした笑い声を上げた。

 ユラはその笑い声をある人間とかぶせていた。

 戦闘狂と化してしまった時のフェリ。笑い声のおかしなシー。

 何故かユラは、不思議と笑みを零してしまった。そして、残酷に言い放つ。

「殺してあげる」

 ユラは装填された弾丸を全て撃ち放っていく。キダは軽やかにダンスを踊るように、ステップを踏んで躱した。

「ひひっ、ひひ、ひひひひひっ」

 壊れたロボットのように、彼は笑い声を上げながらナイフを振るう。

 ユラは流れる水のように、弾を撃って弾倉を入れ替えて、ひたすらに撃つ。

「ひひっ、死ねっ!」

 キダがナイフを突く。それはユラの腹部を掠めた。

「っ」

 服と皮一枚が斬れる。

 ユラは空いた手でその傷を押さえ、顔を顰めつつもキダの腹部を狙って撃った。

 それは確かに右脇腹を撃ち抜いた。

「ひひっ!」

 しかし、キダは止まらない。ぼたぼたと脇腹から血を流しながらナイフを振るい続ける。

 ユラは僅かに面食らうものの、すぐに姿勢を直して更に銃弾を撃ち込む。

「止まらない、止められない!俺達は戦場を駆けるっ!!ひひっ、その為の命だそれ以上の価値はないっ!!ひゃひっ」

「うるさ」

 すっ、とユラは息を吐き出し、一気に背を低くした。

 背の高いキダからすれば、ユラが消えたように見えるだろう。

 ユラは下から上へ飛び上がるように身体のバネを使い、彼の心臓を銃口で強く叩いた。

 そして、火花が吹く。

「ごがっ」

 キダの口から嗚咽と血が流れ落ちていく。

「っぐ...」

 ユラもまた、よろよろとよろめいてしゃがみ込む。その腹には深々とナイフが突き刺さっていた。

 ほんの僅かな隙、ユラが近付いた時に腹へ刺したのだ。

「ひひっ、死ぬな」

「ふふ、ざーんねん」

 ユラはナイフの柄を掴み、ずっずっと引き抜いていく。

 それから血に濡れた手で、ユラは自身の前髪を掻き上げて、十字架の映る瞳を見た。


「.....私、人間じゃないんだ」


 キダは見つめていた。

 血に濡れた前髪、神の象徴であるとも言える十字架の紫紺の瞳。赤く濡れた刃が美しく彼女を際立たせた。


「ひひっ、成程。だから、イーサンは、逃がした、のか。ひひっひひっ、最期に、悪くねぇ、景色だ」

 ばたばたと口の端から血を流し、脇腹は酷く痛む。

 しかし、何故だか悪い気分ではなかった。

 キダの意識はそこで途絶えた。


「っは、はぁっ」

 ユラは荒く息を吐き出しながら、傷口に手を当てる。

 修復は既に始まっている。痛みで脂汗が出て来るが、気にしている暇はない。

「そこに居るんでしょ.....」

 ユラはよろよろと立ち上がり、積み上げられた木箱に触れる。そして、力任せに倒した。

 現れ出たのは、冷たい印象を受ける鉄の扉。

「鍵を...」

「.....ユラっ」

 その時、確かにカヴィの声が聞こえたのを、ユラは聞き逃さなかった。

 ユラは下にある食事入れの柵に触れる。目を凝らして中を見るが、暗闇がカヴィの姿を隠してよく見えなかった。

「.....怪我はない、カヴィくん?」

「うん、大丈夫...」

 ゴソゴソと音がして、カヴィは扉の方へ近付く。そして怪我だらけのユラの姿を見た。思わず息を飲んでしまう。

「っユラ!怪我.....」

「これくらい、大丈夫だから。私は、死なないよ」

 ユラの柔らかな言葉を聞きながら、カヴィは思考を動かしていく。


 どうして、〈涙雨の兎〉の皆がこのような目に遭うのか。それは自分の責任なのではないか。カヴィという存在が、彼らの平穏を掻き乱して、壊してしまっているのではないか。

 カヴィが居るからこそ、彼らは弱いカヴィを身を呈して守ってくれている。


 そうであるならば、カヴィという存在は居ない方が良いのではないか。

 その方が、彼らの傷付く姿を見なくて済むだろうか。


「カヴィ...くん?」

「ユラ..........。俺は、ここに居る。帰れない」

「.....っ」

 ユラは息を飲んだ。

 だが、予想以上に動揺していない自分がいる事も、ユラはまた理解していた。

 恐らく、何となく察していたのだろう。だからこそ、腹立たしい。

 口の中でチッと舌を打ち、ガンッと勢いよく扉を殴った。拳にじわりと血が滲む。

 その音にびっくりして、カヴィは肩を震わせた。


「カヴィくんはっ、何に怯えてるのっ!?」



 ユラの視線は扉を通り越して、カヴィに注がれている。

「怯え.....」

 そのユラの荒らげた語調に、カヴィは言葉を詰まらせる。

「俺は、怖いんだ。俺が居る事で、皆を危ない目に遭わせてしまってるんじゃないかって。だから...、離れた方がいいってそう思って」

「それは.....、カヴィくんの、本当の意思?やりたい事なの?」

 その言葉に、カヴィは夢の中のフェリの言葉を重ねてしまう。


「.....違う。もう一度、あの家に、戻りたい。でも、」


「ならそれでいいじゃないっ!私達だって、カヴィくんの居場所になりたいからっ!」

 その瞬間、確かにカヴィの頭の中で美しい鈴の音が反芻した。

「いい、の?」

「勿論、だって私達はカヴィくんの」

 そこでユラは言葉を止めた。

 気配がした。足音がした。

 カヴィに気を取られ過ぎて、完全に背後の様子を見失っていた。


 ユラが振り返った時。

 彼女の目と鼻の先には、ぽっかりと大きな銃口が向けられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る