Episode.33 I want to protect it simply because it's an important person.
「なぁ、カヴィの様子、おかしくないか?」
「うん?そう?」
赤く熟れたトマトを両手に、アシュは選別しながらフェリへ訊ねた。
フェリにはそれら二つの違いがよく分からないので、『アシュの瞳と同じ色だなぁ』とのんびり思考しながら、彼の選別を待っていた、そんな時に。
アシュはフェリへ訊ねて来たのだ。
「.....お前、感情の機微に疎いよな」
「分からなくても大丈夫でしょ」
他の人間に比べると劣るフェリの感情を察する能力は、アシュの気持ちをモヤモヤさせる一要因である。加えてこういう開き直った態度なので、更にたちが悪い。
「.....分かってた方が良いだろ。昨日のユラの件だって、そう思わないか?」
「人の心は読めなくていいから」
フェリの真剣な声音に、アシュは何も言わずに選び終えたトマトを店の店主へ渡した。
「で、アシュは何でカヴィが変だと思うの?」
「雰囲気」
アシュは店主へ金を払い、品物を受け取った。
「変わらないと思ってたけど、違うの?」
「何だろうな、上手く言葉に出来ねぇけど、変な感じはする。胸騒ぎ、っていうのか?うーん.....」
彼が言葉に出来ない事を俺が分かると思っていたのか、とフェリは内心驚いていた。
裏を返せばそこまでアシュがフェリを信頼している事に繋がるのだが。フェリはそこまで頭が回らない。
「不安なのアシュ?」
ひょい、とアシュの手の中にあった買い物袋を取り上げて、フェリはアシュの赤縁眼鏡の奥の双眸を覗く。
その瞳は朧気に揺れていた。
「.....多分。昔なら何とも思ってねぇような状況なのに、関わってる人間が変わっただけで、よく頭が動くんだよ。...良くも悪くもな」
「そっか」
フェリはそう言いながら、アシュの目の前に一歩踏み込んだ。アシュが怪訝そうに眉を寄せたのと、目の前からやって来ていたフードを深くかぶった人間の手首をフェリが握ったのは、ほぼ同時だった。
目の前から来ていた彼は無言で、ただただそこに立ち尽くしていた。
「...フェリ」
「.....アシュに何しようとしてた?その手に、ナイフあるだろ」
アシュは顔を動かさずに、視線だけを下へ下げる。確かにフェリの言う通り、フェリの握っている手の中から、キラリと光るナイフの切っ先が見えた。
「......流石、元隊長さん。勘付くの、早過ぎぃ」
アシュは見逃さなかった。フードで顔の隠れた男の口の端が、にたりと不気味に吊り上がったのを。
「フェリっ!」
アシュが空いている片手で、フェリの服の背中を思い切り後ろへ引っ張った。フェリはバランスを崩して倒れ、茶髪の毛が数本、飛んできたナイフの刃の犠牲となった。
その刃の先は店の近くの木の柱へ突き刺さる。
周りの視線が一気に集まったのをアシュは感じた。それによって出来る事を考え、アシュは素早く頭を回していく。
「殺人鬼だっ!!」
アシュは力一杯、叫んだ。
「.....ッチ」
男はその意図を汲み取り、歪に口角を歪めた。
周りの人間はざわめき、アシュの言葉が波のように伝わっていき、一種のパニック状態を引き起こす。
命だけは助かりたい人々は男から距離を取るべく、我先にと人を押し退けて安全な場所へと逃げていく。
それと反比例するように、男の元へ警察が来るのもまた、時間の問題である。
「一手、こっちのが上だったなぁ」
アシュは喧騒の中、男へそう言った。
「.....ひひぃ、出直すぅ?」
男は首を四十五度傾け、それから来た道を戻るように走っていった。
「フェリ、惚けてる暇ねぇぞ。俺らもやばい」
「うん、急ご」
フェリはアシュの手を引くように、近くの路地裏へと逃げていった。
「別に手伝わなくてもいいんですよ、カヴィさん」
「いえ、何かしてないと少し落ち着かなくて」
「そうですか」
カヴィはメィの手伝いをしていた。
フェリとアシュが買い出しに出て行ってから、ユラは狙撃銃の使い方を一通り丁寧に説明してくれた。
カヴィは元々の飲み込みの良さが功を奏し、卒なく全ての作業をこなせるようになった。故に、暇になったのだ。
ユラは身体を癒す為に一寝入りしに部屋へ戻り、眠気も何も無いカヴィは、暇を持て余すのも勿体ないと思い、〈堕天使〉の手伝いをする事にした。
日頃お世話になっている恩返しも兼ねて、だ。
今は空いている瓶を片付け終え、新しい新品の酒を店の棚へ並べる手伝いをしていた。
客に見せるだけの、高い棚に置く為にカヴィは背伸びをして並べていき、下の方の使う瓶をメィが並べていく。
「手伝ってもらって、本当に有難いです」
「いつも助けて貰ってますから」
カヴィはニコッと微笑んで、作業を続けていく。メィはその背中をじっと見ていた。そして、
「.....カヴィさん、何かありましたか?」
ポツリと呟くように訊ねた。
「.....特に何もありませんけど」
「....そうですか?何だかいつもの雰囲気とは少し違うような...。その、何と言うか、まるで」
「よーっす!準備の具合はどーだ?」
そこへ、意気揚々とした足取りでリツがやって来た。
カヴィとメィの間に流れていた深刻な雰囲気は吹き飛ばされ、メィはリツを睨んだ。
「.....えー、何その目ぇ.....。傷付くんだけど」
それに対して、リツは不満げに唇を尖らせた。カヴィはくすくすと小さく笑う。
「んで、どーなの?見た感じは整ってるけども?終わってない?」
「後もう少しです」
「そかそか!いやー、カヴィが手伝ってくれて助かってるよ!ありがとうな!」
「いえ、いいですよ。俺も暇ですから」
カヴィはにこにこと笑って、最後の一瓶を並べ終えた。
「はい、終わりました」
「いやー、助かった!この代金は家賃から値引きしとくなー」
「ありがとうございます」
リツはニッと笑って、カヴィの背中をポンポンと叩いた。
その時、コンコンと扉から音が鳴った。
「あ?開店の札は出してない筈なんだけど」
リツはちらりとメィを見た。メィはフルフルと横へ首を振るう。
リツは首を傾けながら、出入口へ向かって行く。
「酔っ払いか?もしもーし!開店時間はまだ!後四時間後だぞー」
リツは扉の方へ声を掛けながら、扉を開けた。
その瞬間、リツの身体は扉とは逆方向に吹き飛ばされていた。
壁へ叩き付けられて轟音が鳴り、リツが床に倒れる。
「っ!?」
「リツさん!!」
メィは慌ててリツの元へ駆け寄り、カヴィは扉の方向へ目を向けた。
「なんだ、殺戮人形と思って全身全霊の攻撃したのに、意味なかった感じ?」
扉が開いて中へ入って来たのは、長身の男だ。
空に向けて尖らせた髪の毛は金に染められており、好戦的な黒の三白眼が床に倒れたリツと駆け寄ったメィに向き──、カヴィを捉えた。そして大きく目を開く。
「.....おぉ、運良いなぁ。じゃ、先輩は外れくじ引いたわけか」
「.....許さない」
ゆらり、とメィが立ち上がる。その瞳は苛烈に燃えていた。
「リツさんに、謝ってください」
「俺、殺し屋なんだけど?適当に殺しをしてる何でも屋の"Knight Killers"とは違って、本気の本職さんだよ?お嬢さんに手を出す趣味はないから、離れててくれると嬉しいんだけど?」
男はギザギザの歯を見せて笑った。メィは一切笑わずに、足を肩幅程に開いて、背を低くした。
「メィさんっ」
「許しません。リツさんを殴った貴方も...、守る事が出来なかった私も」
臨戦態勢を取った事を感じ取って、男もまた身体を軽く動かす。
「優しくしてあげるけど、骨の一本くらいは許してね?」
メィはその言葉を彼が言い終わらない内に動く。素早く駆け、トンッと床を踏んで飛び上がりながら拳を振り落とす。
その拳は受け止められた。
「弱いんだけっお!?」
メィはその拳を軸に、男の顔へ蹴りを叩き込んだ。男の身体は吹き飛ばないものの、床へ崩れ落ちた。
「.....へぇ、お嬢さん。昔は何してたの?」
男は倒れたまま、メィへ問う。彼女は何も答えなかった。
「出て行ってください。ここはまだ閉店中です。業務執行妨害で、警察を呼びますよ」
「.....神経の太いお嬢さんだ」
男は頭を押さえながら笑い、身体をゆっくりと起こした。
「.....メィ、さん」
「カヴィさん、下がって。私、〈涙雨の兎〉みたいな、戦闘のプロではないですから」
メィにそう言われ、カヴィは引き下がるしかなかった。
男は髪の毛に付いた木屑や埃を払い落とし、軽く乱れた髪の毛を整えていく。
「用事があって来てるんだよ、俺は」
そして、そう言ってカヴィを指差した。
「お前を連れて行く事だ、カヴィ」
メィは目を丸くして、カヴィを庇うように身を前へ出した。
「お前がこっちに来れば、もう誰にも手は出さない。この人達は死なないし、お前を匿っている〈涙雨の兎〉に手を出す意味もない。
「俺、が」
「カヴィさんっ、騙されたら駄目です!あんな法螺、信じる方が馬鹿を見ますよ!」
「心外だなぁ。依頼においては、嘘を吐かないのが信条なんだぜ、俺は」
「あのさー、煩いんだけどもー?」
裏口から、ひょこっと。
前髪をピンで留めて両の十字架のある紫の目が、眠たそうに目の下を擦りながら、立っている三人と気絶しているリツを捉えた。
「〈涙雨」
男が口元を歪にしたのと、ユラが拳銃を抜いて男の肩を撃ったのは、ほぼ同時に起こった。
「私、耳だけはいいからさ。そこそこの内容は把握済み。ほら、さっさと帰ってくれるかな?」
ユラの拳銃を向けたまま、男を脅した。が、男は一切動く気配を見せない。
「撃つよ?」
ユラがカヴィとメィの前に立ち、挑発的な笑みと拳銃をちらつかせる。
そのユラの背中と男の光景が、カヴィには今日の夢と重なって見えてしまった。
夢などいつもなら起きてすぐに忘れる筈なのに、酷く頭にこびりついた嫌なもの。それが鮮烈なフラッシュバックを起こす。
「ユラっ!止めてっ!!」
そうして気付いたら、叫んでいた。
「っ!?...カヴィくん?」
ユラは驚いて目を丸くして、カヴィの方を向いてしまった。
その隙に、男がユラの身体を蹴り飛ばす。
瞬時にユラは受け身を取ったものの、打撃という痛みが身体全体を駆け抜ける。気絶こそしなかったものの、昨日の傷口の痛みと合わさって、壮絶な痛みを僅かに感じる。
ユラはその場に座り込んだ。
カヴィはユラへ近付こうとしたが、その足を何とか押し留めて、男の方を向いた。
「.....彼らに、手は出さない。約束してくれますか」
「..........へぇ、物分かりの良い人間は、俺は割りと好きだぜ?勿論、俺は約束しよう」
男の言葉にカヴィは小さく頷き、彼の方へ一歩近付いた。
「カヴィくんっ!!」
パンと音が鳴り、男の足元をユラが撃った。
「.....私、カヴィくんは撃てない。だから、こっちに来て」
「..........ごめんなさい、ユラ。それは聞けないです」
カヴィは視線を伏せ、それから店の外へ出て行った。
「カヴィくんっ!!」
ユラが駆け出そうとした足の下に、ナイフが投げられる。
「さよなら、お嬢さん方。もう二度と会う事はないですけどね?」
男はカヴィの後をついて行った。
「っ!!」
ユラは外へ出た。
そこには誰も居らず、風だけが吹いていた。
「..........カヴィくん...」
ユラが呟いた言葉は、風の中に溶けていった。
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