Episode.32 It doesn't become a dream or the reality.

 カヴィは走っていた。暗闇の中を一人で、汗を流し足をもつれさせながらも、懸命に先へ先へと足を進めていた。

「フェリさんっ!アシュさんっ!ユラっ!」

 三人の姿を探し、懸命に辺りに目を配りながら、それでも見つからない。


「.....俺...、一人は、..........嫌だ」


 呟くようにカヴィが声を出した瞬間、彼の目の前に巨大な黒い影が現れた。

 周りが暗闇なので背景に同化してしまいそうだが、それは形と悪意を持ってカヴィへ襲いかかろうとしていた。

「ひっ.....」

 喉の奥から音が漏れる。

 その黒い影はしゅーしゅーと息を吹き出しながら、じわじわとカヴィへ迫っていく。

「カヴィくんっ!」

 その時、凛としたユラの声がカヴィの横を通った。

「ゆっ、」

 ユラ、と言おうとしたカヴィの口は止まる。カヴィの頬に鮮血が飛び散ってきたからだ。

「え.....」

 何を疑問に思うのか。それを見ていたというのに。


 ユラの身体から勢いよく血が噴き出し、そのまま地面へ倒れた。

 カヴィを庇って、ユラが、倒れたのだ。そう整理し終わるまで、カヴィは少し時間がかかってしまった。

「ユラっ!!」

 慌てて駆け寄る。その身体は酷く軽く──、そして冷たかった。

「.....カヴィくん、.....無事、みたい、だね...」

 口の端から血を零しながら、ユラは仄かに微笑んでいた。まるで痛みを感じていないかのように。

 彼女は恐らく激痛に襲われているだろう。〈鬼神種〉とはそういう生き物だからだ。

 そこでカヴィは思い付いたように声を上げて、素早く顔も上げた。

「っアシュさん!」

 アシュならばユラを治せるかもしれない。

 カヴィはユラを優しく寝かせ、そう言えばと思い、先程の黒い影が居た方向へ目を向ける。

 そこには何もいなかった。

「ユラ、待ってて」

 カヴィは見つからない内にと、宛もなくただただ走り出した。

 少しすると、キンキンと金属音が聞こえ出した。だんだんと、その音は大きくなっていく。

 それはアシュと黒い影が戦闘している音だった。

「アシュさん!」

「っカヴィ?!来るなっ!!」

 アシュがカヴィに気を取られてしまった僅かその数秒。彼の身体を、黒い影の抱いていた剣の先が貫いた。

「ぐふっ」

 空気と血液が混ざり合い、アシュの口から溢れて床へ垂れて落ちた。

「っアシュさん!?」

 ずるりと剣が抜かれ、そこから血液が滴り落ちていく。黒い影はアシュの事をただただじいっと見下ろしていた。それから興味を失くしたかのように、ふらりとどこかへ歩いて行った。

 カヴィは倒れていくアシュの身体を支える。腹には長い切り傷が存在し、赤い肉が紅く染まった服の合間から覗いている。

「.....大丈夫、だったか」

「っ喋らないでくださ、傷、傷を塞ぐ」

「無駄だろ。ど真ん中抜かれてんだからよ」

 ヘラヘラとアシュは笑って、唐突にその顔を強ばらせた。

「カヴィ、逃げろ。あいつが来てる」

「っ.....、無理です。置いて逃げるなんて」

「元々大して知り合いってわけでもねぇんだから、さっさと逃げろ」

「っそんな風に言わなくてもっ」

 しゅーしゅーとまた音がし始める。カヴィは身を強ばらせるが、決して動かない。


「殺す.....」


 ぼそりと、彼の声が聞こえた。そして風がカヴィの頬を撫でた。

「フェリさんっ!」

 フェリが拳銃で黒い影の剣を受け止める。

 その目は戦闘狂の時の瞳ではなく、激情に突き動かされているように思わせる瞳であった。

『どうしてこうなるのか、君自身は分からないの?』

 不意に、そんな声が聞こえた。それは聞き慣れた声。

 生まれた時から聞いている、己の声だ。

『分かってるよね?だって、俺が分かってるから』

「なん、で」

 フェリの戦っている黒い影が形を変える。その姿形は、カヴィそのものであった。

 フェリは既に戦う事しか頭に無いのか、カヴィに変化した事にも気付かずに、ひたすらに拳銃で戦いを続ける。

『この人達の首を絞めてるのは、自分なんだってさ』

「違う...、俺は.....」

『違う?彼らの命が狙われ始めたのは誰がキッカケなのか、よーく考えれば分かるよね?君の頭はそこまで馬鹿じゃない筈なんだけど』

「違う違う...、違うんだって」

『本当に?』

 囁きかけるその声をカヴィは塞ごうとして、己の手が血に塗れているのに気付いた。

『誰の血かな?自分?違うだろう、他人の血だ』

 黒い影はフェリと戦っているというのに、その声はカヴィの耳元でよく聞こえてしまった。


『お前が生き延びる為に殺した、他人の血液だ。.....お前の罪の数だ』








「っは」

 がばり、とカヴィは勢いよく起き上がる。

 息が荒い。はぁはぁ、と肩を上下させてゆっくりと呼吸を落ち着けていく。

「嫌な、夢、だ」

 カヴィは顔を上げ、その目の先に置いてある狙撃銃を見た。

 それはカーテンの揺れに合わせて光が移り変わり、黒く光る銃身をカヴィへ向けていた。

 先日、あれで七人の命を奪ったのだと考えると、胸の奥が酷くざわついた。その思いを振り払うように、カヴィは頭を左右に振った。

「.....慣れなくちゃ」

 今、〈涙雨の兎〉は狙われている。誰もが強く無ければ、そこから糸が綻びてしまうように仲間達は死んでいく。弱い人間は邪魔になる。

 邪魔となってしまったら、ここから出て行く事になってしまうかもしれない。

 それがカヴィには、死よりも恐ろしい事に思えてしょうがなかった。

「...俺は、出来る。大丈夫。生きる為には、殺らなくちゃ」

 自らへ言い聞かせるようにその言葉を反芻して、カヴィはリビングへ足を進めた。



「おはよ、カヴィくんっ」

 リビングでは、ユラが目玉焼きをトーストに乗せた代物を四人の席へ配っていた。

「.....おはよう。アシュさんは?」

「フェリさんを起こしに行ったよ」

 アシュがフェリを起こしに行った、という事は今日の朝は穏やかに始まるだろう。

 ユラやカヴィが起こしに行くと、軽い戦争状態と化す。が、アシュだと静かに戦争が行われ、毎度アシュが無傷でフェリを連れて来る。

「フェリさんって、アシュさんは信頼してるからねぇ。そろそろフェリさんもアシュさんの親愛に気付けば面白いのに。あ、深愛か」

「.....ユラ、う」

「ん?っでぇ?!」

 カヴィが注意喚起をする前に、ユラの背後を取っていたアシュは、彼女の頭を思い切り叩いた。昨日の心配していた姿など微塵も感じさせない、綺麗なビンタであった。

 ユラは涙目でアシュを見上げる。彼の顔はまさに鬼の形相であった。

「.....本当の事言っただけなのに...」

「お前、まだ殴られ足りねぇのか?」

「...もう結構でーす」

「...んん、何の話?」

 のろのろとした足取りで、フェリは目の下を擦りながら歩いて来た。

「何でもない。食べるぞ」

「うぅん」

 寝惚けているのか、アシュの言葉に疑問を抱く事なく、フェリはゆっくりと席に着いた。他三人も同じように席へ座る。

「いただきます」

「頂きます」「いっただきまーす」「いただきます」

 各々合掌をしてから、食事を始めていく。

「今日はのんびりしようか」

「食材、買わねぇと何も無いぞ」

「なら買い出しに出よっか!それかメィちゃんに頼んでもいいと思いますけど」

 ニコニコと笑い、ユラは提案する。

「どっちにしても、ユラは待機だよ。昨日の事もあるし」

「っ私もう治ってまずっ!?」

 フェリの隣に座っていたアシュが手を伸ばし、ユラの右手首を思い切り掴んだ。その途端、ユラはビクッと身体を震わせて、喉の奥から出したような、潰れた声を上げた。

 それからアシュへ不服そうな目を向ける。

「治ってんなら、その声は出ねぇよなぁ」

 先程の仕返しのつもりなのだろうか、彼はニヤニヤ笑いながらユラへそう言った。

 ユラは不服そうに唇を尖らせて、しかし彼らの決定に特に文句を言うつもりもないのか、黙ったまま静かに頷いた。

 それは二人の意見を飲む、という彼女の言葉では表さない合図だった。

「なら、俺とフェリで行くか」

「うん。カヴィはここに居て。銃の整備とかユラから教わってて」

「え?整備くらいアシュさんが教えてるんじゃないんですか?」

 ユラはアシュへ目を向けた。彼はもぐもぐと口の中の食パンを食べ終えてから、

「面倒臭くて教えてない」

「最悪ですね」

「あ?傷口に塩塗り込むぞ?」

「そんな事したら、アシュさんの心の事をフェリさんに言いますからー!」

「殺す」

「殺さないの。で、カヴィはそれでいい?」

「は、はい!」

「じゃあそうしようか」

 フェリはココアの入ったカップに口を付け、こくりと一口飲んだ。

 それを見て、カヴィは黒く揺蕩っているカップの液体を覗き、その液体─甘めのコーヒーに口を付けた。

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