Episode.31 Because I confront it over and over again.
「ユラ、起きて。家に着いた」
ぺちぺちと今度は優しくフェリがユラの頬を叩く。その刺激で、ゆるりとユラは目を覚ました。
「着いた?」
寝ぼけ眼でユラは辺りを見回し、ここが自宅のリビングだと理解する。フェリがユラを下ろし、トンと背中を押す。
「風呂、入っておいで」
ん、とユラは小さく頷き、ふらふらとした足取りで風呂場へと歩いて行った。
風呂上がりに着る衣服など、すっかり頭になかった。ただただ気怠く滑りのある身体をさっぱりさせたかった。
服を全て脱ぎ、まずはシャワーを浴びる。
「.....っう」
傷口に水が染み、小さく痛みを発する。ユラは傷をちらりと見るだけで、それ以上に触れないようにしながら、その辺りにこびり付く汚れを丁寧に落としていく。
「.....はあ」
ユラは汚れの落ちた右手首を眺める。
刺青のように、赤い線がぐるりと囲んでいる。もう肉自体は繋がったようで、後は細かな組織──毛細血管や細胞の修復を残すのみになっていると予想をつける。
ユラはふと顔を上げ、鏡に映る貧弱な己の身体を見る。その身体には、今までの怪我の跡が痛々しく残っていた。
普通の〈鬼神種〉ならば傷跡さえも綺麗に無くなるが、ユラは何もかもが中途半端だ。傷跡は消えない。
今回のも、恐らく一生残る傷となるだろう。
「.....見える位置なの、最悪だ」
どんよりとした気持ちを切り替えようと、ユラは乱暴に髪の毛を掻き乱した。
「お腹空いたー」
「そうだな、飯を食う前にここから出たからな」
アシュは生返事で返しながら、冷蔵庫の中を覗く。中には申し訳程度の食材しか入っていなかった。
「.....またメィに頼まないとな」
「何が作れそう、アシュ?」
「目玉焼きと白ご飯。フェリ、飯炊いて」
「ん、分かった」
「あ、あの、俺は、」
一人何もしないという事に耐えられなくなったカヴィが、恐る恐るアシュへ進言する。
アシュは少し考えて、こくりと頷いた。
「ユラん所行ってきて、飯が要るか風呂から上がるのいつか聞いてきて。それによって目玉焼きを作る時間考えっから」
「わ、分かりましたっ!」
カヴィはドタドタと音を立てて、風呂場へと向かった。
「.....カヴィに聞かせたくない話でも、あるの?」
「いや、別に無いけど。ま、強いて言うなら...、」
アシュはそこで言葉を止めて、フェリの胸倉を掴んだ。そして碧の双眸を覗き込む。
「自覚があるなら、特攻するのを止めろ」
真剣味を帯びた彼の言葉に、フェリは小さく笑うばかりで頷かない。
「無理。俺の命は、もうとっくに死んでるから」
「死んでねぇ」
アシュは服を掴んでいた手を離し、とんっとフェリの左胸を叩いた。
「動いて、生きてる」
「.....でも、死んでるよ。きっと」
フェリはアシュの手を包み、そっと離す。それから後ろを向いてご飯を炊く準備をし始める。
その様子を、アシュは黙って見ていた。
カヴィはこんこんと風呂の扉をノックする。
「ユラー」
「ほいほーい」
風呂の中にいるせいで、ユラの声は浴室に響いて聞こえてくる。
「お風呂、どのくらいかかりそう?」
「ん、もうすぐに上がるよ。入っていいって伝えて」
「分かった」
カヴィはそっと風呂の扉から離れ、アシュ達に伝えに行こうとした時だった。
「ねぇ、カヴィくん」
「っはい?」
「.....君はどうして閉じ込められてたか、分かる?」
ユラのその内容に、カヴィは首を傾げる。
何故なら、彼女はその理由を知っていた筈だからである。
カヴィが黒髪青目をしており、それが父親にとってとても好都合な─彼の性癖に当てはまる─もので、カヴィは地下に閉じ込められていた。
それを知っていて、彼女達は助けに来てくれたのだと、カヴィは記憶している。
だからこそ、カヴィの答えは決まっていた。
「.....俺が、父さんの望みに当てはまる人間だったからじゃ」
「.....うん、そうだよね。...答えてくれてありがとう」
「.....いいよ、それくらい全然」
カヴィはそう言って、そっと風呂場から離れた。
彼女の問い。それにもし何か意味があるというのなら。
察しの悪い馬鹿な人間でも、その意味はよく理解出来る。
「俺に、関係してる.....?」
カヴィの脳内は真っ白に染まっていた。
「いぃさぁん」
暗闇に存在する部屋に、ねっとりとした声が響く。
「.....何でしょうか」
その部屋の中に居るイーサンは、自らの名を呼んだ依頼主の声のする方向へ顔を向けた。
「何でユラを逃がしたんだ?あの女の手首を刈り取ったなら、ココも取れただろ」
依頼主はイーサンの左胸をノックした。
「.....あのような薄暗く油臭い場所で命を終えさせるのは惜しい人間でしたので」
「あの女は人間じゃねぇよ。....ったく、どうして依頼主の俺の言う事が聞けないかなー」
依頼主は呆れたようにそう言い、椅子の背もたれに思い切りもたれかかる。ギシギシと軋む音が鳴った。
「〈涙雨の兎〉はあくまでも『出来れば』殺せ、そういう旨の内容であったと記憶していますが」
イーサンの言葉に依頼主は背を正す。
「そうだ。でも、あの男の首はお前も欲しいだろ?
「.....興味はないですね。もうとっくに現役を彼らは退き、私も同じく退いている。彼らは殺戮人形でも軍鬼でもない、ただの"Knight Killers"のフェリとアシュに成り下がったのです。...私も似たようなものですがね」
くっくっと依頼主はイーサンの言葉に笑い、それからその笑い声を唐突に止めた。
「...好き勝手してもいいが、あまり俺を怒らせるなよ」
「依頼は遂行します。それでは」
イーサンは頭を垂れ、それからその暗闇の部屋から出て行った。
依頼主の男は小さく舌を打ち、それから脇に置いてあったゲームボードの上に並べられているチェスの駒に触れる。
「あの男も喰えないな...」
その駒を持ち上げ、隣の駒にコンと当てる。
男はにんまりと嗤った。
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