Episode.29 Proceed to the death all alone.

「ユラ、遅いですね」

 カヴィはリビングの床に座って、ぼんやりと窓の外を眺めながらそう言った。

「シーに会いに行ったからだと思うけど?」

 フェリはカヴィの質問へそう答えた。

「.....叔父さんだっけ?その人の情報でも貰いに行ったのか?」

「そういう訳じゃ無いんだけど...」

 フェリが少し言いあぐねていると、チャイムが鳴った。

 ピリッとした空気が辺りに張り詰める。

 フェリは拳銃を手に持ち、アシュはカヴィの前へ立ち、手に持っていた包丁を構える。

 フェリは階段を降り、扉を開けた。

 そこには、

「お前ら、客だぞー」

 呑気にヘラヘラと笑っているリツと、

「どうも、フェリさんにはまたお会いする事となりましたね」

 ボロ酒場の店員だった。

 フェリは拳銃をポケットへ突っ込み、半開きだった扉を完全に開けた。

「用事は?」

「これを、シーさんから貴方方へ渡して欲しいと」

 それは一枚のメモだった。

「詳しく言えばその紙ではなく、そこに書いた文字ですが」

 フェリは首を傾け、アシュとカヴィを呼んだ。

 警戒を解いた二人は玄関へやって来て、フェリはアシュへそのメモを手渡した。

「何て書いてある?」

「..........ユラの馬鹿が、敵のど真ん中に突っ込んだ事が書いてある」

「「っ!?」」

 フェリとカヴィは息を飲んだ。

「お、俺が止めてたら...」

「後悔してる暇ないぞ。この場所へ行くしかねぇんだ、すぐ準備しろっ!」

 フェリとカヴィは頷き、部屋の奥へと上がって行った。

「ありがとうな、伝えてくれて」

「いえ、それでは僕はこれで」

 店員は恭しく頭を垂れ、リツの背後を歩いていった。

 アシュは完全にその姿が見えなくなってから、ぐしゃりと紙を握り潰した。

「あの馬鹿...っ」

 そして、小さく悪態をつく。




 ユラは今は廃屋と化している元工場跡地に訪れていた。

 鼻を刺す独特な油の匂いや、空気の汚れから近付く人間は誰もいない。

 恐らく彼はそれを逆手に取り、ここを拠点としていたのだ。

 出来る限り音を立てぬよう、ユラは中へ侵入する。

 中は匂いさえ我慢すれば、まぁまぁ綺麗な状態が保たれていた。埃や床の汚れはあるものの、油汚れは一切ない。

 護衛と特に出くわす事もなく、ユラは目的の場所へ辿り着いた。

「や、どうも。初めまして」

 ユラは軽やかな足取りでその床へ降り立ち、仄かに微笑んだ。


 男は椅子に座っていた。普通の人間が座ると丁度良いくらいの大きさである筈なのに、筋肉の塊のような男が座ると小さく見えてしまう。

 男は意外そうに目を見開いて、しかし冷静にその場から動く事は無かった。

「私の元相棒を、痛めつけてくれたそうで?」

「必要な情報を渡さないと言ったのでな」

「成程。じゃあ勘違い系男子の貴方へ忠告をしておきましょうか」

 ユラは微笑んでいる。しかし、その笑みは決して心の底からの微笑みではない。

「情報屋だって、自分の身可愛さに渡す情報は選びます。誰にでもほいほい渡すわけないでしょう?私達だって、普通の人間なんですから」

「.....成程。心に留めておこう」

 ギシギシと椅子の音を立てて、男はゆらりと立ち上がった。

 その途端、ユラの身体全体に形容し難い気持ち悪い雰囲気が纒わり付く。それが殺気だと気付き、ユラは唾を飲み込んだ。

「で、君は一人で何が出来ると思って来たんだ?」

「まー、殺せないにしても深手くらいなら...、いけるかなって?」

 決して気取られないように、ユラはヘラヘラと笑ってみせる。

 男は椅子の後ろへ手を伸ばした。そしてそこから一振りの剣を取り出した。ユラは腰の拳銃へ手を伸ばす。

「殺れると、思っていると?」

「ま、そんなとこって感じかな」

 男は剣を振り上げたその瞬間、ユラは拳銃を抜いた。

 そして、躊躇いなく頭のこめかみに狙いを定めて発砲する。

 ユラを真っ二つに切り裂こうとしていた男の剣は、ユラから飛んできた銃弾へと狙いを変更して、弾丸を弾いた。

「ひゅぅ、流石は元軍人だー」

 ユラは棒読みで感嘆し、後方へ飛び退く。先程まで彼女の居た場所に、鋭い剣先が突き刺さる。

 男は黙ったまま、一撃一撃でユラを殺そうと、大きく振るう。

 ユラは銃弾を一つも撃たず、ただただ躱す事に徹した。

 チッチッと剣は空気を裂き、ユラの服の袖も裂く。そして、その下にある白い柔肌も遠慮容赦無く切り傷を付けていく。

 ユラは顔を顰めつつも、拳銃を持つ腕を守った。

「.....お前」

 その内に男はある事に気付き、僅かに振るう動きを遅くした。

「...〈鬼神種〉か」

 ユラの腕に付く傷が新たな傷しかない事に、男はすぐに気付いた。

「そーですよ!でも、〈鬼神種〉も中途半端ですね!」

 男の動きが緩慢になったのを狙い、ユラは拳銃の引き金を引く。

 それは男の肩に当たる。が、そこから流れ出たのはほんの僅かな血液。

 ユラはチッと口の中で舌を打つ。

「ほぅ、なら人間なのか?」

 ブンッと剣が風を切る。ユラはそれを銃身で受け止めた。

 ガギャガギャと、独特の金属音が鳴り響き、拳銃と剣の間に火花が散った。

「.....人間でもっ、ないかなっ!!」

 ユラは拳銃を傾けて刃を受け流し、そのまま発砲する。それは太腿へ当たった。

「ほぅ、興味深い」

 シュッと風を切る音と共に男の姿が消えた。そして、次の瞬間には、ユラの目の前に現れていた。

 しまった、という感情が生まれたと同時に、ユラの右手が熱を抱く。

「っ!!?!」

 ぼとり、と床に拳銃を持った右手が転がっていた。そして、自身の手首からはぼたぼたと赤い液体が零れ落ちていた。

 それを見た途端、焼けるような痛みが全身を襲う。


「ぐ、っあああああああああああああああああああああああっ!!」


 ユラは絶叫しながら右手の元へ駆けた。男はユラの首を切り落とそうと狙うが、それを綺麗に躱し、右手を拾い上げると傷口に押し当てた。

「っううぁ」

 くぐもった声とも言えぬ音を漏らしながら、ユラは痛みなど気にせずに手首に右手を押し付け続けた。

 かしゃんと拳銃が零れ落ちた。しかし、ユラはそれさえも気にしなかった。


 そして左手を離すと、右手は手首にくっついていた。ユラが軽く動かすとボキボキと骨の音が鳴りあらぬ方向へ曲がっていた右手は、元の形へと戻る。

 それからユラは、ゆっくりと拳銃を右手で拾い上げた。




「..........面白い」


 男は笑っていた。

 それは愉悦でも嘲笑でもない、ただただ『面白い』という感情が彼の心に渦巻いた。

「っは、はぁっ、」

 ユラは肩で荒く息をしながら、額に浮かんでいる玉のような汗を拭う。

「.....ユラ、か。貴様を殺すのは、また後にしよう。お前のような面白い者を、こんな薄汚い場所で殺すのは、駄目だ」

「.....駄目、だよ。貴方を野放しにしたら、フェリさんやアシュさん、カヴィくんに危害を加えて、」

「.....確かに〈涙雨の兎〉を殺せと命じられた。だが、あくまでもそれは建前だ」

「..........は?」

「.....それだけだ。サービスはここまで」

 男は剣を後ろへ直し、ユラの顎を掴んだ。

 ユラの眉に皺が寄る。それを見て、男はまた口角を上げる。

 彼自身も何が楽しいのかは分からない。が、彼女を見ると何故か笑みを浮かべてしまった。

「.....次の一戦、楽しみにしている。腕を直しておけ」

「楽しみにしてなくて、結構です...!」

 ユラの顎から手を離し、男は出口へと向かう。

「.....っ貴方、名前っ」


「.....俺はイーサン。軍人を辞めて、今は暗殺稼業をしている者だ」


 イーサンはそれだけ言って、軽い足取りで去っていった。

 ユラはその背中を呆然と眺め、ふと我に返って無理矢理くっつけた右手を見やる。

 未だ熱を持つ右手は、じくじくと痛む。ユラは汗を流し続ける。


〈鬼神種〉特有の治癒にも、それ相応の応酬がある。

 人間よりも早く治る代わりに、その痛みは形容し難い程壮絶なものになる。


 ユラは半〈鬼神種〉なので傷の治りが遅い分、痛みも小さい。

 が、今回は目に宿る血の力を無理矢理強めて右手を治した為、凄まじい痛みが全身を駆けていた。

 出る場所のない痛みは、ただただ全身を巡り続け、ユラの神経を刺している。

「.....っう」

 呻く。喉から漏れるのは意味の無いものばかり。だが、声を出していないと、痛みが更に増しそうで、懸命に痛みを紛らわせようと呻く。

「.....っはは、アシュさんに、怒られそ」

 よろよろと立ち上がり、ユラはゆっくりゆっくり足を運んで、外へ向かう。


 行きの倍の時間をかけて外へ出た。

 ユラの頬を、冷たい夜風が優しく撫でた。


 そこでユラはがくりと崩れ落ちた。

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