Episode.25 As for time, it's not necessary to know the feelings.
男の記憶は数年前まで遡る。
アシュのような軍人かつ軍医という人間は珍しく、本人の知らぬ所で彼は密かに有名人になっていた。
そして、そんな彼に男は憧れを抱き、彼と仲良くなろうと思い立ち、彼はアシュへ近付こうとした。
だが、彼の側にはいつもフェリが居た。
フェリはアシュよりも軍内では有名であった。
味方も敵も関係なく殺しまくり、たった一人で尋常ではない戦果を上げて帰ってくる。まさに化け物と呼ぶに相応しい人物。
だからこそ、殺戮人形というあだ名が付いた。
そんなフェリと居るからこそ、優秀なアシュは他の隊に入る事が出来ないのだ、と男は考えていた。
実情は、アシュのみに様々な入隊要請が掛かっていたものの、フェリとのコンビを辞めたくないアシュが断り続けていたのだが、そんな事を男は知らない。
フェリが悪の根源なのだと、思い込んでしまった。
だから、男は一度だけ本人に進言した事がある。
「あの、アシュさんっ!」
「ん?.....あの、どちら様ですか?」
にこり、と穏やかな笑みを浮かべて、アシュは男へそう言った。
「あ、あの!あ、アシュさん、は、そのっ、す、素晴らしい人ですよね!ずっと見てました!」
「あ、はぁ、どうも、ありがとうございます...」
アシュは頬を掻きながら、苦笑いに近い半笑いを浮かべる。
だが、舞い上がっている男には、アシュの反応など関係ない。
「軍人としての才気があって、かつ軍医という頭脳派なお仕事も卒なくこなされてて!ずっと、ずっと憧れでした!でも、だから、気になる事があって...」
「はぁ...」
「アシュさんは、あの人とは釣り合いませんよ」
その言葉にしん、と周りの空気が一変する。
男も軍人である。空気を読むという事は、どの職業よりもずっと出来ている。
それが敵の呼吸を読む事となり、つまりは相手の次の一手を読む事に繋がる。
それは殺し合いに勝つという事だ。
だがそんな空気だけでは、男はそれでは怯まない。
「あの人が何て呼ばれているか知っていますか!?殺戮人形ですよ?!確かにあの人は強い。敵味方構わずに殺し回って....、まるで本当に化け物みたいだ。だからこそ、遠ざけられてるんです。そんな人と居るから、アシュさんまで変な評価が付けられて...。俺は、そんなのおかしいって」
「うるせぇよ」
低くドスの効いた声で、アシュは男へそう言い放った。味方に向けるような目ではない、人を射殺すかのような赤眼に、男は居竦まってしまう。
そのたった一睨みで、男の声帯は『声を出す』という仕事を放棄した。
「.....あいつは、昔っから方向音痴で迷子なんだよ。帰る場所が分から無くて、教えてやるべき周りの大人もろくな奴は居なくて。待ってても泣き喚いても、助けてくれる奴が現れなかった。だから、アイツは黙ってるのを止めた。暴れ回って暴れ回って、いつか誰かが迎えに来る事を頑なに信じて、.....でも、誰も来ない事を子どもながらに悟ったんだ。後に残ったのは、血塗れの手の平と、沢山の人間の殺し方だけ」
す、と息を吸う音だけがそこに響いた。
「大人達はそれを利用してる。あいつも気付いてて気付かない振りしてんだ。それがいいと思ってるから。そんな事を続けていればいつか死ねると思ってるから。でも、俺はそう思わねぇ。あいつはいつか必ず、あいつらに使い捨てられる。それだけは阻止しないといけねぇんだよ」
「...どうして、ですか。何で貴方はあんな奴の為に必死に、」
やっと声が出た男だったが、その声音は酷く震えていた。
「...理由、か。.....俺が軍医にもなったのは、あいつに帰る場所を作ってやりたかったからだ。『無い』って言うなら、俺が帰る場所になってやろうと思ったから。...初めて、ちゃんと俺を見てくれたんだ。これくらいの恩返しはしねぇとな」
アシュはくるりと背を向けて、
「お前が俺の事をそう思ってくれてるのはよく分かった。まぁ、でも、何だ...。余計なお世話だ、馬鹿」
にこやかな笑みを浮かべて見せ、その場から去って行った。
後に残ったのは、悔しげな男だけ。
「.....あの人が、貴方を作り替えてしまった...。なら、あの人が消えれば、貴方はあの頃の模範的な御方になるんですよね...?」
彼のその言葉は口の中で飲み込まれ、誰の耳にも届かなかった。
時計の針はぐるぐると巻き戻っていく。
男はフェリの懐へ入り込もうと、拳銃をホルスターから抜きながら下腹部めがけて走り込んでくる。
「.....貴方を殺す。それがアシュさんを元へ戻す為の方法だ」
「ふぅん」
フェリはそれを横に飛び躱し、体勢を整える。
「それ、お前の押し付けじゃないのか」
「っ!黙れっ!」
パンッと甲高く発砲音が鳴る。予見していたフェリは、すぐに身を低くして躱す。頭の上を弾丸が通り抜けた。
フェリはいつもよりも澄んだ頭で、戦闘を行なう事が出来ていた。
その理由は単純なもので、先程の肩への被弾だ。そのチリチリと焼くような痛みと出血が、フェリの理性を留めていた。
「貴方が!貴方のせいなんだっ!」
フェリは小さく息を吐き出し、遠慮なく男の腹を撃った。
「がっ」
短い呼吸音と共に、男は膝から崩れ落ちる。フェリはそれから拳銃に向けて一発発砲した。
男の手から拳銃が零れ落ち、カランカランと床の上を跳ねて、遠くへ転がった。
「.....倒せなくて、残念だったな」
「.....っふ、っ」
「何か言いたい事ある?」
「.....っ死ね、化け物っ!!」
男は腹を押さえていない、もう片方の手でフェリの手首を思い切り掴んだ。フェリの手首に爪が喰い込み、じわりと血が滲む。
「そ」
フェリはそれだけ言い、拳銃を眉間に向ける。
その拳銃の銃口を、男は咥えた。歯でしっかり噛んで、ギラリとフェリを恨みがましく睨み続ける。
「.....化け物、ね」
フェリは躊躇いなく、引き金を引いた。
眉間から脳を突き抜けて、脳漿と血飛沫が舞って床へぼたぼたと落ちる。
酷く汚い光景だった。
「あ、フェリさーん、ここですか」
そこへ、呑気なユラの声が部屋へ響いた。
自分の血液か敵の血液か分からない程、彼女の両腕は真っ赤に染め上げられている。
何人の命をその手で奪い取ったのか。それを訊ねる事はしなかった。
「その人、ボスですか?」
「分からない。から、もう少し進む」
「成程、了解しました」
フェリがじいっと、涎が付いた拳銃の銃口を見ているのを、ユラは首を傾げて見ていた。
「どうしたんです?汚れたんなら、いつもみたいにそこら辺で拭いたらいいじゃないですか」
死体の衣類を使って身体を綺麗にする事は、決して珍しい事ではない。むしろ、よく行なう行為の一つである。
死者に触れるのが嫌である潔癖な人間はしないが、今までの行動からフェリがそれに該当する人物ではない事は、ユラの知る彼の顔の一つである。
「.....この人、アシュの後輩らしい」
「へぇ。はぁー、成程」
そこでようやくユラは思い出す。彼らが軍人崩れの集団であるという事を。
「...お知り合いなんですか、フェリさんは」
「いや、俺はアシュ以外の顔はあんまり覚えてないから...。もしかしたら、すれ違ってたりとかはするかもしれないけど」
それだけなんだけど、とフェリは曖昧に言葉を区切った。それからのろのろと銃口の汚れを服で拭う。
「.....今、どんな感じですか?」
「...分からない。もやもやするような、それでいてぽっかり抜け落ちてるみたいな、そんな感じ」
「それはもしかしたら.....。虚しい、って感情かもしれませんね」
「むなしい...」
フェリはゆっくりと立ち上がり、ネックウォーマーの位置を直す。それからはもう、何も言わなかった。
ユラもそれに対しては無言である。
彼の面倒を見るのは、ユラではなくアシュの役割である。その役割を奪ってはいけない。
「さ、行きましょ」
「ん」
フェリとユラは拳銃を片手に、建物の奥へと潜り込んで行った。
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