Episode.15 Though I like it, I don't like it.
カヴィはフェリの話を聞きながら、リツを見ていた。
どうやら聞かされていなかったようで、いつものおちゃらけた雰囲気を消し、リツは真剣に聞き入っていた。
「.....俺は、アシュが特別なんだよね。きっと多分」
フェリは少しだけ微笑んで、勢いよく杯をあおった。
「ちょっ、フェリさんっ!?」
リツの口振りから酒に強くないと察していたカヴィは、唐突なフェリの勢いの良い飲みっぷりに目を丸くする。
「ふはっ、なんかおもしろいぃ」
段々といつもの硬い口調から、ふわふわしたものへと変貌してきた。
「あれ、お酒飲んでるんすか?」
そこへ、二階に居た他三人が〈堕天使〉へ降りて来た。
アシュはユラの「酒」という単語と、明らかに違うフェリの様子に、動揺していた。
「...お前」
「あ、アシュー」
ふわふわした口調に、アシュは思い切り顔を顰めてリツを睨んだ。
「いや、まさか一気飲みするとは思わなくて。.....はは、ははは」
リツは頬を掻きながら、苦笑いを口元に浮かべた。
アシュは文句を言いたげに口を僅かに動かすが、アシュの事を手招きするフェリを見て、舌打ちをしてからフェリの元へ行った。
「お前何昼間っから酒飲んでんだよ」
「ふはっ、おいしくてさー」
どこか間延びしたフェリの言い方に、アシュは大分酔いが回っているのだと察する。
アシュは後ろを向くと、心配そうな顔をしているのはカヴィとメィの二人だけで、フェリの酔いの原因の一つであるリツはユラに新しく酒を注いで、フェリとアシュの方には視線も送らなかった。
完全に見捨てやがった、とアシュは思いつく限りの暴言を並べ立てようとした時。フェリがアシュの腰に抱きつく。
「っおいっ!」
「.....んー........」
フェリは薄く細い彼の身体を離さないようにきつく抱き締め、ぐりぐりと茶髪の頭を少しばかり腹筋の割れている腹へ擦り付ける。その様はまるで大型犬が飼い主に戯れ付くようだ。
しばらくそれをすると、フェリはパッと顔を上げて、アシュの赤縁眼鏡の奥の赤い双眸を見据えた。
「いつも、ありがとうなアシュ」
にこっ、と効果音が付いてもおかしくない程の模範的な笑みを、アシュへ向けた。
普通の思考の人間なら、ありがとうくらいで済むだろう。
だが、それはアシュだけに向けられた、親しい人間にのみ見せる気の緩んだ笑顔である。
アシュの気恥ずかしさと恋慕的な感情が混ぜ込みとなり、アシュの顔は酒を飲んだかのように段々と赤く染まっていく。
「っな、ばっ.....、なっ.....、こっ.....」
ぱくぱくと空気を求める魚のように、アシュの口は動いている。
「.....アシュさん、何て言って」
「馬鹿だろ、何言ってんだよ、この馬鹿。.....じゃないかな?」
ユラは呑気にカヴィの質問に返答して、リツから、中の液体の赤色が透き通って華やかに見えるカットグラスに注がれた、度数の低いカクテルの一つであるシャンボール・フィズを受け取る。
「馬鹿と馬鹿が重なってるから、これはかなり驚いてるねぇ」
「確かに.....。いつも一文に同じ単語を言いませんね」
メィは納得するようにしきりに頷く。
ちなみにこの間、フェリの抱き付きから誰もアシュを助けようとはしていない。
「っおいっ!もう帰るぞっ!」
とうとう耐えきれなくなったのか、アシュは何とか正気を取り戻し、フェリを自らの腰から引き剥がした。
「ありゃ、帰る?」
「お前らは飲んでろ、糞野郎共がっ!」
アシュはフェリを立たせて肩を貸し、ずるずると半ば引きずるような形で、二階の階段へと向かう。
ユラはニヤニヤといじらしい笑みをその背中へ向け、
「大分参ってるねあれ。語彙力がないぶふっ」
アシュが手近にあった装飾品の正方形の絵画を、見事にユラの顔面へ当てた。
「損害賠償っ」
リツの叫ぶような非難の声も無視して、アシュとフェリは店から出て行った。
「んもー、痛いなぁ...」
ユラは膝に落ちた絵画をメィへ手渡し、赤くなっているであろう額の真ん中から鼻頭の近くまでを、長い前髪の上から撫で付けるように数度触れる。
「...ユラ、切らないの髪の毛?」
「ん?」
カヴィの質問に、ユラは一口だけシャンボール・フィズに口を付けて微笑んだ。
「切らないね。私の身を守る為だからさ」
見てないっけ、とユラは長い前髪を掻き上げた。
そこには紫色の双眸がある。そして、その両目の真ん中には、白い十字架が存在していた。
カヴィはそれを見てハッとする。
「.....あの時...っ」
「あ、なんだー。見てるんじゃん」
ユラは前髪を丁寧に元へ戻し、カヴィへ笑いかける。
「あのそれ...、整形とか何かで.....?」
「整形手術を勘違いしてるかな、カヴィくん?私のこれは元々だよ」
ユラはグッとグラスを傾け、残り半分以下になっていた中身を全て飲み干し、恍惚とした溜息を吐く。
「カヴィくんはさ、〈鬼神種〉って、知ってるかな?」
「都市伝説でしょう?『いい子にしないと、全身の血を吸いにやって来る』っていう...」
このニコールディア王国に古くからある伝説。それが〈鬼神種〉の話だ。
人間の血液を好み、人間離れした治癒力を持つ人間の見た目をした化け物。
対抗するには、頭と胴体を切り離すか、心臓を破壊するしかない。最強の化け物。
昔はかなりの人数が居たのだが、時の王─先代の王の〈鬼狩り〉という政策により、その数は激減してしまった。
今はそこまで酷くないが、一時期は〈鬼神種〉を殺しても罪に問われないくらい、彼らの地位は落ちていた。
今も、彼らを忌む者として扱う人間は少なくない。
人間は、自分達より能力のある存在を恐れているのだ。
「.....ま、察せると思うけど、私の父さんがその血を少しばかり引いてるんだよね。で、その影響でこうなってるの」
ユラは前髪の上から目の辺りをトントンと指で叩いた。
「そりゃ、治癒力も普通の人よりは高いよ?でもそれもほんの少しだけ。それに、血を飲みたい欲とかはないんだよね」
ユラはウィンクして、歯を見せた。
ちろりと見える犬歯は、普通の人間程度に鋭いばかりで、それで肌を突き破って血管から血液を得られるとは思えなかった。
「人と大して変わらないさ。でも、人間からすると、違うんだろうね」
空っぽになったカットグラスを、ユラは手首だけを使って回す。カラコロカラと氷がコップや別の氷とぶつかり合い、小気味よい音を鳴らす。
「.....さぁてと!もう少しここで時間潰して!それから家へ帰ろっか」
「いや、そろそろ店を開けるからな?」
「じゃ、手伝ってあげるから、賃金を家賃に充ててよ」
「...いい案だな、それ」
リツはユラの提案にあっさりと乗り、それに対してカヴィが狼狽えるばかりであった。
「っと」
アシュは何とか玄関を開け、そのままずるずるずるずると、二人の部屋へフェリを運ぶ。
「っおら!」
その扉も乱暴に開け、フェリを布団に寝かせてから、玄関の扉を閉めに戻った。
「.....っはー...」
そして、リビングでようやく盛大な溜息と共に気持ちを落ち着かせる。
「...っあの馬鹿...っ無自覚野郎、本ッ当に心臓に悪っ...」
片方の手で口元を押さえて、もう片方の手で首元の黒髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。
それからまた長く息を吐き出して、フェリの居る部屋へと向かった。
フェリは目を閉じて、気持ち良さそうに笑みを見せている。寝てはいないようだ。
「おい、気分悪くないか?」
アシュは腰を下ろし、手を伸ばしてフェリの頬を指先で撫でながら訊ねる。
普段酒を滅多に飲まないフェリは、気分を悪くしやすい。吐く事は無いものの、頭痛を起こす事はよくある。
その度にアシュが介抱してきた。
「ん...、まだ、へーき」
「二日酔いになるなよ」
「...うん」
ふわ、とまた花が咲くように彼は笑った。それにまた、アシュは胸をざわつかせる。
「.....お前、それ止めろ」
「ん...?」
フェリは首を傾げる。何を、と言いたげだ。
勿論、その理由をアシュは分かっている。フェリ自身が無自覚にそれをしているのを理解しているが、こちらの気持ちを考えると、止めてもらうのが最善策だ。
「...わらうの、きもちわるい?」
ようやくフェリはアシュの言いたい事を理解したらしい。大分方向性はねじ曲がっているのだが。
先程までの柔らかな笑みは消え、不安そうに眉を寄せた顔をして、アシュを見上げていた。
「いや...その、何というか...」
「きらいか?」
まるで怯える子犬のように、フェリは寂しそうにアシュを見ていた。
「...っ嫌いじゃねぇ」
その視線に折れたアシュは、小さく呻くように呟いた。
「ふはっ、...アシュ。いつもありがとう」
フェリの細い指がアシュの頬に伸び、優しく撫でた。
「大好き」
「っ.....そうか」
酔った人間が勢いだけで言う言葉だ。アシュの頭は分かっている。だからこそ、アシュは「好き」という単語を殆ど使おうとしない。
フェリの発する『好き』と、アシュの思う『好き』にはずれがあると理解しているからだ。
「.....もう寝とけ。明日仕事もねぇし、夜に起きても良いだろ」
アシュは頬を撫でていたフェリの指を離し、布団の上へぽすんと置いた。
「ん.....。おやすみ、アシュ」
「おやすみ.....、フェリ」
眠気はあっさりと訪れたようで、フェリはすぐに寝息を立てた。
アシュは手触りの良い茶髪を梳くように撫でて、音を立てないように立ち上がる。
「さて、と」
そろそろと部屋を出て、アシュはソファに寝転がって目を閉じる。昼寝にはまだ早い時間だが、今はどうしても横になっておきたい気分だった。
起きたらフェリへ水を用意してやらないとな、そんな事を考えながら目を閉じる。
「.....俺も、好きだ」
同じ感情を共有する事は恐らく叶わないだろうけど。
アシュは自嘲気味に口の端を吊り上げて、光を遮る為に腕で目元を覆い隠した。
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