Episode.11 There is not the terrible thing as lying down and getting up.

 ふわり、と鼻先を擽る香ばしい香りに、カヴィはゆっくりと目を開ける。

 カーテンから透けて射す朝日の眩しさに目を細め、改めて地下の部屋から脱したのだと実感した。

 初めてソファというもので寝た為か、幾分か身体が痛んでいるような気もするが、誘拐された時には床に寝転がされていたので、そこまで身体的ダメージはないだろう。

 フェリから借りたやや大きめのTシャツを見つめ、それから身体を起こした。


 あの後、四人は〈堕天使〉の二階にある家へと帰り、そのまま風呂へと順番に入って各々就寝した。

 カヴィは服など一切持って来ていないので、フェリから必要な物を借り、それから寝た。


「あ、おはよ!カヴィくん」

 頭の中で昨夜の事を整理していた為に、唐突なユラの元気の良い登場に、カヴィはびくりと肩を震わせる。

「っお、おはようございます...、ユラ」

「敬語じゃなくていいってばー」

 にひ、とユラは歯を見せて微笑み、ぐしゃぐしゃとカヴィの黒髪を撫でた。

「髪の毛、切らないとね。服もそうだし。後でメィちゃんに頼んでみようか、.....いやそれよりも」

「おい、ユラ、邪魔だ」

 アシュは朝早くから既に眉を寄せ、不機嫌そうに唇を尖らせている。

「おおはようございます、アシュさん」

「ん、はよ」

 アシュは床にホットケーキが数枚乗せられた大皿を置き、小皿を四枚置いた。

 それからフォークを取りに行こうとして、アシュは思い付いたようにユラを見た。

「.....フェリ、起こして来い」

「えぇー...、私に『死ね』って言ってんですか?」

 至極面倒臭そうに、ユラはぷくっと頬を膨らませる。

「カヴィくん、一緒に行こう」

「お、俺がですかっ?!」

「うん。フェリさんに羽交い締めしてくれたらいいからさ」

 どう考えてもカヴィには無理難題である事を、ユラはさらりと言った。しかも眠りから覚めた人間を羽交い締めにする事を求むとはどういう事なのか、カヴィの頭には疑問符が大量に溢れる。

「ま、行って来い」

「うー...」

 アシュは意地悪く笑いながら、ユラとカヴィを見送った。


 ユラは足取り重く、カヴィはそんなユラの後を恐る恐るついて行き、二人はフェリとアシュの部屋へ向かった。

「.....っフェリさーん!朝だよっ!起きてっ!!」

 ユラは声を張り上げノックしながら、中で眠るフェリへ声を掛ける。

 しかし、彼が起きている気配はない。

「...アシュさん、起こしてくれたらいいのにぃ...!」

 ユラは顔を顰めて、二人の部屋へと侵入した。


 こざっぱりとした部屋の隅にある二段ベッドの下で、フェリはスースーと心地よさそうな寝息を立てながら、気持ちよさそうに寝ている。

「フェリさん!起きてっ!」

 ユラはそう言いながら、布団を剥ぐ。

 が、布団に引っ付くような形でベットから転がり落ち、フェリは布団まんじゅうと化した。机にぶつかる事なく手前でピタリと止まるので起きているのかと思わせるが、それ以後の動きは一切ない。

「.....ど、どうするんです?」

「はー...。しょうがないけど...。後でホットケーキ一枚多く強請ねだろうかな」

 ユラは溜息交じりに息を吐き出し、フェリの布団に手を掛けた。

 そして深く深呼吸して、


「フェリさぁぁぁぁぁああん!!おぉきぃろぉぉぉおおおおっ!!!」


 小柄な彼女からは想定出来ないような大音量で、布団まんじゅうを激しく左右に揺する。

 流石のフェリもそれには堪えたようで、低い呻き声が布団まんじゅうの中から聞こえてくる。

「うる、さい、...ころ、す」

 眠気の酷い状態で言っているせいなのか、いつもの彼に比べると舌っ足らずな物言いだが、かなり恐ろしい内容の発言を口にした。

「っいい加減にっ」

 ユラが再び布団を引き剥がそうとした時。

 布団まんじゅうから手が伸び、チッとユラの頬を掠めた。間一髪躱したユラは、トンと一歩後ろへ下がる。

 そしてまるで蛹から蝶々が生まれるように、ゆらりとフェリが起き上がる。その目は酷く虚ろだった。


 起きた。否、というべきか。ユラは呑気にそう考える。


 ユラは拳を構え、カヴィはオロオロと二人を見ている。

 フェリの虚ろな目がユラを捉えた。それにユラが気付いた瞬間、フェリの拳はユラの目の前へ迫って来ていた。ユラはそれを受け流す。

 フェリの口から舌の打つ音が鳴った。

「カヴィくんっ!後ろに回って、フェリを押さえてっ!」

「っ?!む、無理無理無理ですって!」

「やって!」

 ユラはフェリの動きを何とか躱しながら、カヴィへ叫ぶように言う。


 このままだといずれは攻撃を喰らって気絶、という末路しかユラには見えない。


 カヴィは目を空へ泳がせてから、意を決したようにユラへ目で合図を送る。それからカヴィは、フェリの視界に入らないように裏へと回っていく。

 フェリは加減もせずに次々と拳を放つ。その瞬間を見計らって、両脇に手を差し込んで羽交い締めにする。

「っこ...の、」

「フェリさーん、ご飯食べましょーよ。お腹空いたでしょ?」

「すい、て.....なんか、」

 その時、くぅと腹から空腹を知らせる虫の音が鳴る。

 フェリはその音に身体を硬直させ、顔を俯かせた。


 ユラはしばらくフェリの顔を持って、左右に揺すって意識をはっきりとさせる。

 虚ろだった目は、ぼんやりしたいつもの瞳へと戻って行った。

「.....おはよ、ユラ、カヴィ」

「うん、おはようフェリさんっ」

「おはようございます」

 フェリは目の下を少し擦り、のそりと立ち上がって布団を元へ戻す。

「...今日も迷惑かけたっぽいね。ごめん」

「自覚あるなら直してくださいよ」

「...頑張る」

 安直な言葉にユラは肩を竦め、「まぁいいですよ」と呟いくように言って、アシュの元へ起きた旨を伝えに行った。

「.....いつも、あんな感じなんですか?」

「うぅん...。起きようって寝る前に思ってたり、微睡んでたりしてる時なら普通に起きてるらしいんだけど...。ぐっすり何も考えずに寝てると、攻撃的らしい」

 フェリ自身には『やっている』という自覚があまりないようで、ぼんやりした感想を口にした。

「おい、起きたならさっさと来いや」

 アシュの苛立ちを示す低めの声に、フェリは小さく肩を竦めて、カヴィと共にリビングへ向かった。


 そこではユラは既にホットケーキに蜂蜜を垂らして一口食べており、アシュはソファに座って小皿へ乗せている所だった。

 カヴィはユラの正面へ腰を下ろし、フェリはアシュの横へ座る。

「ほら」

 アシュは盛っていた小皿をフェリへ手渡し、彼がいつも使っている練乳ソースの入ったチューブを渡す。

「ありがと」

 フェリはそれを受け取り、これでもかと練乳を綺麗に縦横無尽にかけて、フォークでパクパクと食べていく。

「あ、甘過ぎませんか...?」

 フェリの超甘党を知らないカヴィは、目を白黒させながら自身の小皿に盛り付けたホットケーキを食べる。

「いつもだからねぇ。この間、フェリさんがシュークリームにホイップクリームを更に足してた時は、ビビりましたよ」

「美味しいんだけどな」

「病気になりますから、程々にしてくださいよ」

 ユラの忠告にフェリは生返事で返し、甘いホットケーキを口へ運んでいく。

「んで、今日はカヴィくんのお布団とか身の回りの物買いに行ってくださいよ」

「本当にこいつをここに置く気なのか...」

 アシュは今日一日だけだと考えていたようだが、そこまでカヴィが〈涙雨の兎〉に入る事に抵抗はないようで、「まぁいいけど」と付け足すように小さく呟く。

「それじゃあ、男三人で仲良く行ってきてください」

「あ?お前、楽する気かよ」

「女が男物分かると思わないでくださいよ。皆が行ってる間、私はその間に倉庫になってるあの一部屋を少しでも片付けておきますから」


 この二階には洗面所を含む風呂場とリビング、それとフェリとアシュの部屋にユラの部屋の他、もう一部屋あるのだ。

 現在そこには、依頼で貰って使っていない弾丸の在庫やナイフの予備、金庫等が乱雑に置かれている。

 その部屋の半分をカヴィの部屋としよう、とユラは考えているのだ。

「.....まぁ、俺はいいよ。カヴィに付き合う」

「い、いいんですか?」

「暇だし」

 フェリは嬉しそうなカヴィの額の前髪を撫でた。

 それを見て、アシュは少しだけ目を白黒させ、すぐにフェリの袖口を軽く引いた。

「お、俺も行くってーのっ!」

「ん、分かった」

 フェリはアシュへ薄ら微笑む。それだけでアシュの心は、言い表せない充足感で満たされてしまう。

「楽しんできてくださいね、御三方」

 ユラはそんな三人へ、笑顔でそう言った。

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