Episode.7 To see through the truth.
何もしなくても風通りの良いボロボロの酒場で、全身を黒ずくめで包んでいる情報屋の男、シーは立ち飲みをしていた。
今日のシーは、ハイボールをロックで飲んでいる。
この場所を酒場として入り浸っている人間は、シーだけであろう。
他の人間は仕事の依頼を引き受けるだけで、ここに長居して酒を飲むなど滅多にない。
美味しい酒と女のいる綺麗な店がこの歓楽街には沢山あるのだから。
シーはキラキラし過ぎる鮮やかな世界が好きではない。だからこそ、ボロ酒場が自分には合っていると自負している。
あんな世界に居るのは、手持ち無沙汰になった性欲を満たす時だけで充分だ。
そんな思いと共に、ハイボールを喉へと流し込んでいく。
身体全体に染み渡る聖なる水に、シーはにんまりと笑い、また店員に同じハイボールを頼んだ。
その時、来客を示す鐘の音が店内へ響き渡った。
仕事を持って来た裏の人間か、ここで依頼を受ける人間か。
いずれにせよ、裏社会の人間である事に変わりはない。
とりあえず言える事は、シーの想い人でないという事だけだ。
「よぉ、今日もここに居るのか。いい加減、別の所で飲めよ」
その声音に、シーは目を丸くした。
「...へぇ、こりゃあ珍客だなぁ」
相変わらず、腰に剣を差した物騒な男だ。
赤眼鏡を細い指で押し上げながら、機嫌が悪いのか眉間に皺を寄せ、シーを睨んでいる。
だが、シーの方が幾分か身長が高いので、彼は見上げている羽目になっているが。そこを指摘すればここが戦場と化してしまうのは目に見えて分かる事なので、何も言わないで微笑んでみせた。
「出不精なあんたがここに来るって事は、他の二人は死んだのかァ?」
「巫山戯んな、フェリは死なさねぇよ、ユラもな」
軽い冗談というのに、アシュはシーを視線だけで殺さんとしている。
「で、何の用事ですかね?」
「シー、お前に頼みがある」
「へぇ、あんたが」
アシュがシーに会う事は滅多にない。
アシュが出不精である事は勿論だが、そもそもアシュ自身がシーを毛嫌いしている節がある。それはシーも感じ取っていた。
「最近この地区で有名な事件、知ってるだろ」
「何?首切り殺人鬼の事?黒髪青目の人間しか殺さないさぁ」
シーの問いは的を射ていたようで、アシュはこくりと頷いた。
「そいつ、誰だか分かるか?」
「分かってたら取っ捕まえて警察に引き渡して、懸けられてる報奨金をたんまり貰うでしょ」
「.....確かにな」
そこへ店員がハイボールを持ってやって来た。シーは彼へ一杯分の金を握らせ、彼は頭を下げてから去っていった。
「次の仕事はそいつを殺す事か?」
「違ぇが、あながち間違いじゃあねぇよ」
アシュはそう言って腰のポーチから、一枚の紙を取り出した。それをシーへ渡す。
「これ、.....へぇ、なかなか面白い物だな」
シーは目を通しただけで、それらに共通している事象を理解した。
「何の資料?」
「この間引き受けた仕事の副産物だよ。詳しい意味は分からねぇけどな」
それが嘘である事はすぐに察しついた。しかしシーは何も口を挟まずに、ハイボールを飲む。
「で、俺のすべき事ってーのは?」
「こいつらがエノ・カンパニーの社長に出会ったかどうか。それを調べて欲しい」
「.....無茶言うなぁ」
シーは苦笑いを浮かべて、額の髪の毛を掻き上げた。
彼の情報の手に入れ方は、他人からの
今回は地区内は勿論、国でも指折りの大企業に名を連ねようとしている会社だ。一介の情報屋が侵入出来る程、甘い場所ではないだろう。
「俺にだって、出来る事と出来ない事があるんだぜ?」
「分かってる。でも、これはお前でも出来る事だ」
「...腕を買いすぎだよ、アシュ」
カラン、とコップから溶けた氷の音が鳴る。
「...まぁ、やれるだけはやってみるよ」
「で、何をお望みだ」
面倒事は引きずりたくないのだろう、早急に報酬の話を持ち出してきた。
「...ユラが居ればユラの『何か』を所望するんだけど.....」
カラコロカラと、コップの氷は耳障りの良い涼し気な音を鳴らす。そのコップを机に置き、アシュへ目を合わせる。
「いひひ、隊長の命とか、」
どうよ、とシーは言いながら懐からナイフを取り出してアシュの喉元へ突き付け、アシュは血走りかけている眼を見開いて、シーの首に両手をかけている。
「.....お客様方、ここでの殺し合いはお控え下さいよ」
店員はその様子を見て咎めるだけで、止めようとしない。
そんな事をすれば自らの命が危険に晒される上に、最悪は何の罪も無いのに死んでしまう。
こういう現場によく慣れているのだろう、店員は冷静な対応で接していた。
シーはニヤリと笑う。
「.....これじゃあ先に、俺がアンタを殺すなぁ」
「フェリを、殺させるかよ」
殺気を孕んだ瞳と鬼の形相で、シーを睨み付けている。
「ひひっ、外に出ないからって知らない訳はないだろ?〈涙雨の兎〉の頭を倒せば、名は少しばかり上がるもんなんだぜ?」
「.....けしかけてみろよ。俺が全力で相手してやる」
「.....フェリはここまで想われてるのに、気付かないもんかねぇ」
シーはナイフを元の定位置に戻し、未だ睨んでくるアシュへ笑いかけた。
「その好意、報われねぇだろ。辛くね?」
アシュは僅かに目を瞬かせ、首から手を離す。それから小さく引き攣った笑みを浮かべる。
「辛くねぇよ。.....純粋なフェリじゃあ気付かねぇんだ。俺のは綺麗な感情じゃねぇ。そう、恋だの愛だのな純な想いじゃない、もっとドロドロしてて腐りきった想いだ」
アシュは剣の柄を握り締めた。
「お前は叶えられるんだから、頑張れよ」
「...相手にその気がないなら、俺もアシュと同じさ」
ハイボールを全て飲み干し、シーはふらりと立ち上がる。
いつもよりは飲んでいる量が少ない筈なのに、何故だか足元がおぼつかなかった。
「.....同じ不憫人間に免じて、報酬は特別にナシだ」
「は?」
アシュが呆気に取られている間に、シーはさっさとボロ酒場を後にした。
明日飲む酒は何にしようか、と勝手に持って来た紙を眺めながら、そんな算段をつけていた。
一方その頃。
フェリとユラは依頼主に会う為に、一回目と同じ喫茶店で待ち合わせていた。
今度は遅れてくる事なく、フェリとユラが来た時には席に座っていた。
二人が彼らに声をかけると、開口一番に黒いスーツの男が眉を顰めて言い放つ。
「あそこまで派手にされる必要はあったのですか?」
目的の建物を火事にしたのが既に耳に入っているようで、その行動を咎められているのだろう。
「私の不手際です、申し訳ありませんでした。目的の物がどれだか分からなかったので全てを燃やしていまして、それが偶然にも燃え広がってしまったんでしょう。一枚だけならすぐだったんですが」
遠回しに燃やす資料を教えれば良かったんだ、とユラは二人を見ながらそう言った。
ユラのその発言にムッとした顔をしつつも、二人は何も言わなかった。非があると思っているようだ。
「で、報酬なんですが...」
「お持ちしました、こちらです」
スーツケースを二つ、黒いスーツの男はフェリへ手渡した。
「中身を見ても?」
「どうぞ」
フェリは促されるまま、スーツケースの一つに手を掛けた。
黒いスーツの男は、僅かに身じろいで二人に気付かれぬよう腰へと手を伸ばし──、
「ひっ」
隣で社長の男が息を飲んだ。
黒いスーツの男は怪訝そうに眉を寄せる。彼が命令した事であるというのに、今更怖気付いたのだろうか、と視線だけを向けると、彼の腹に銃口が向けられていた。
「っ!?」
「貴方がフェリさんを殺すより先に、私は貴方達を殺せますよ、お兄さん?」
その手の先に居るのは、ユラである。
「な、何の事でしょうか?」
「しらばっくれるなら、別にいいですけど。社長さんのお腹に穴が開くだけですしー」
ユラは何でもないようにそう言い、更に社長の男へ銃口を押し付けた。
「何のつもりか、教えてくれますか?」
スーツケースを全て確認し終えたフェリはそう言い、黒いスーツの男へ問いかけた。
二人からの鋭い視線に耐えられなくなったのか、社長の男が汗の滴る額をハンカチで拭いながら、深々と頭を下げた。
「...申し訳ありません。貴方達を殺せ、と上からの命令があったのです」
フェリとユラは顔を見合わせる。
「それは、エノ・カンパニーの社長って事?」
「.....我々が子会社とお知りなのですね。それなら話が早いです」
黒いスーツの男は社長の男へ目で合図を送り、それからフェリとユラの方を向いた。
「社長は何故か、貴方達を殺す事を我々に頼んできました。理由は教えてもらえませんでしたが、そうすれば社員全員の給料を上げると言われまして....。それを断ったら家族を人質に取る、と言われて...、誠に申し訳ございません」
「いいですよ、そちらにも事情があるならしょうがないですから」
フェリは小さく微笑んで、相手の警戒を緩ませようとしている。
ユラは不満げに唇を尖らせるが、何も言わずにフェリと二人の会話を流し聞きしていた。
「...あの、エノ・カンパニーの社長はそんな御方なんですか?人を脅すような」
「えぇ、昔からそうです。彼の恩恵を受けられるのは、目鼻顔立ちの整った黒髪の人間ばかりですよ」
その言葉にユラはピクリと反応する。フェリも僅かに眉を動かす。
「その人達...青い目?」
「え.....。えぇと、多分そうかと.....」
「.....ありがとうございます」
フェリがそう礼を言うと、黒いスーツの男は首を振るった。
「いえ.....。あの本当に.....申し訳ございません。そして、依頼完遂ありがとうございます」
黒いスーツの男は立ち上がって礼を言い、社長の男もまた「ありがとう」と力強く礼を言った。
そうして二人は外へと出て行った。
「...呑気ですねぇ。もし私が何もしなかったら、死んでるんですよ?」
「ユラならしてくれるって信じてたから」
フェリのはにかむような笑みを見て、怒る気も失せたユラはやれやれと肩を竦めた。
その時だった。空気を激しく振動させる爆発音が辺りに響き渡った。
「な、何.....?」
フェリとユラは急いで外へと向かう。
そこでは高級車と思しき黒い車が炎上していた。
メラメラと紅い炎を燃やして、バチバチと電気が音を鳴らす。
「車って事は...」
ユラは呆然と眺めながら、ぽつりと呟く。
車やバイクなど、一般人なら決して手に入れられない高級品だ。
本体費用だけでも相当な大金が掛かる上に、オイルや整備などの維持費がかかる為、普通の人間には余程金回りが良くないと手に入れられないのだ。
だからこそ、フェリはバイクを隠せるような位置に置いたり、鍵を三重にも掛けたりして、売人による盗難を防いでいる。
つまり、この車は物珍しそうな目で見ている野次馬やこの近くに住んでいる人間の持ち物ではない。
そう例えば──、会社の社長くらいの階級の人間ならば持ち合わせていてもおかしくない。
「.....あの人達...」
「どういうつもりなのかは知らないけど、エノ・カンパニーの社長は、俺達の命を狙ってるっぽい。それだけ分かれば充分だよ」
フェリはそう言って、先に店の中へと戻って行った。
「.....ごめんね、教えてくれてありがとう」
ユラは燃え盛る車へ、語りかけるように言った。
「罪の無い人を殺すのは、許された事じゃない」
フェリは店主へプリンアラモードを頼み、小さく唇を噛み締めた。
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