Episode.1 Rabbit of the sprinkling rain.

「嫌な奴ですね。受理する時から思ってましたが!」

 ぷくっと頬を膨らませて、ユラは車の走って行った方向を睨む。

「...まぁ、いいよ。金は貰えたし、帰ろ」

 フェリは膨れっ面のユラの頭を撫で、近場の倉庫の隅に止めていたバイクを押してくる。

 普通の人間なら手に入れられない高価な代物だ。それ故に隠すように置いていた。

 フェリはユラへヘルメットを投げ、自身もヘルメットをかぶる。

「.....血が付くけど」

 ユラは頬に長く付いた傷を、とんとんと指差す。血は止まっているが、その周りには拭い取れなかった血液が付着している。

「気にしないから」

「うっす」

 ユラもヘルメットをかぶり、既に跨っているフェリの後ろへ乗り、しっかりと腰を掴む。

 そしてエンジン音を響かせながら、二人を乗せたバイクは倉庫群から出て行った。


 夜の風を切りながら、一台のバイクは突き進んで行く。

 やがて、深夜近いというのに煌々と明かりを照らす通りへ近付いてきた。


 ここはこの国─ニコールディア王国の南地区唯一の大きな歓楽街である。不当な賭け事が往来し、酒に喧嘩に女までもを愉しむ街だ。

 辛うじて明かりと人の少ない裏通りをゆっくりと進み、とある店舗の裏手で止まる。

 この店の二階を根城に、彼らは活動している。

 まずはユラが降り、胸ポケットから鍵を取り出すと、その扉を開ける。靴箱しか置かれていない玄関の横の空いたスペースに、フェリはバイクを押し込み停める。

 それから軽い身のこなしで、あっさりとその小屋から抜け出した。

 ユラのヘルメットと自身のかぶっていたヘルメットを重ね、バイクの上へ置いてから目の前の通路横の二階への階段を上がる。

 ユラは扉の鍵を再確認してから、フェリの後を追う。


 二階へ上がり、扉を開ける。

 ユラは鞄を置いて伸びをして、フェリはそのまま中へと入っていく。

「よ、遅かったな」

 リビングに置かれた黒いソファにもたれかかる男がいた。

 さらりとした黒髪に鮮血のような赤目をした、赤縁眼鏡をかけた細身で小柄な男だった。フェリやユラとは異なり、ゆったりとした部屋着を着ている。

 フローリングの床には、泡立つ液体の入った小さなコップが置かれている。

「ただいま、アシュさん!」

「さっさと風呂入って来い、血臭ぇ」

 アシュは顔を顰めて鼻を摘む。

「はいはい...。フェリさん、先入る?」

「いや、いいよ。ユラ、先に入りな」

「流石、紳士」

 ユラはフェリに敬礼し、それから足早に部屋へ戻って部屋着と下着を取って、風呂場へ行った。

 フェリはネックウォーマーを取って、ふっと小さく息を吐き出して、アシュの横に腰を下ろす。

「...ただいま、アシュ」

「.....おかえり」

 アシュは床に置かれたコップの中身を口にし、まだ残っているそれをフェリへ渡した。

「もう飲まねぇから、飲んでいい」

「.....俺、酒苦手なんだけど」

「強くないから、問題無いだろ」

 アシュはそう言って立ち上がり、部屋の方向へと歩いて行く。

「...アシュ?」

「救急箱取りに行ってくる。どうせ、怪我してんだろ」

 アシュは忌々しげにフェリを睨み付け、部屋のある方の扉を開けた。

 フェリはアシュの対応に苦笑しつつ、コップの中身を口にする。

 アシュの言っていた通り、そこまで強くない酒だった。甘い味とそれに負けない甘ったるい香りが鼻から抜ける。

「.....ふふ、相変わらずいい奴だな」

「ありゃ?アシュさんは?」

 そこへ、肩にタオルを掛けて濡れた黒髪を拭きながらユラが来た。

 白のTシャツに膝丈の黒いパンツを履き、前髪を黄色いピン留めで留めて、両の紫の目の中央に白のクロスの入った瞳を晒している。

「救急箱取りに行った」

「あー、成程です。アシュさん、フェリさんに優しいですもん」

「変わらないと思うけど」

 フェリはゆっくりと立ち上がり、ユラに空のコップを手渡す。


 フェリが風呂場へ入ると、部屋の扉が開きアシュが白い救急箱を持って出て来た。

「.....フェリは」

「風呂ですよ。怪我、一応水洗いした方がいいでしょ?」

 ユラはコップをキッチンへ置き、黒いソファへ腰を下ろす。

 アシュは口の中で舌を打ち、床に救急箱を置いて中身を取り出していく。

「あれ?私を先にやってくれるんですか?フェリさんよりも先に?」

「うるせぇ、減らず口」

「生憎と、そういう性格な者でして」

 アシュの苛立つ顔に、ユラはケラケラと笑いかける。

「別に、フェリさんが先で構わないよ?私、人より傷の治り早いし」

「いいから、早くしろ」

 アシュはソファに座るユラを睨み上げる。

 ユラはその視線に負け、床にぺたんと座る。

 アシュは消毒液を綿に染み込ませ、ユラの塞がりつつある頬の傷にあてがう。

「いっっつ...!痛い!痛いよ、アシュさん!」

「黙れ」

 ユラの痛がり逃げようとする反応を愉しむように、アシュは笑みを浮かべながら消毒液を塗り込んでいく。

「何してるの?」

 風呂から上がったフェリは、嫌がるユラへ綿を押し付けるアシュの図をぼんやりと見ながら、ポツリと小さく呟いた。

「あ、フェリさん!アシュさんが虐めるの!」

「?」

 ユラはタッと駆け、フェリの後ろへと回り込む。

 アシュはくっくっと愉しげに笑い、綿をティッシュに包む。

「フェリも座れよ。手当てするから」

「ありがと」

「じゃー、私何かたーべよ」

「俺も欲しい」

「はいはーい。アシュさんは?」

「要る」

「了解」

 ユラはパタパタと冷蔵庫へ向かい、フェリはアシュの前へと座る。

 アシュは新しく消毒液を染み込ませた綿を取り出して、顔の小さな擦り傷へぽんぽんと当てていく。

「いてて.....」

 フェリは小さく顔を顰める。

「今回もまた、突っ込んだんだろ。一人で」

「.....っ。そんな事........ナイデス」

 アシュの見透かした赤い目に、フェリは目を泳がせながらもごもごと口を動かす。アシュは小さく息を吐き、綿をティッシュに包んで、フェリの服の袖を掴む。

「おら、腕も見せろ」

「っ、おい、」

 ぐいっと捲り上げると、古傷と共に新しい傷が刻まれていた。

「はぁ...。お前はさぁ.....」

「く、癖が抜けなくて...」

 苦笑いをするフェリに、アシュは眉を寄せて傷薬を思い切りぶっかける。

 染みるびりびりとした痛みに、フェリはグッと拳を握る。

「堪えろ」

 アシュがフェリの手当てをしている内、ユラは見つけた物を持って、二人の元へと歩く。

「お二人さーん、プリン持って来ましたよー」

「プリン.....!」

 フェリはユラの方を向き、パッと表情を輝かせる。

 ユラはスプーンを渡してから、コップに作られたプリンを手渡す。

 フェリは嬉しそうに鼻歌を歌いながら、幸せそうにプリンを食べていく。

「...アシュさん、ありがと」

 ユラはアシュへスプーンとプリンを渡しながら、笑みを浮かべて礼を言う。

 アシュは視線を反らして、

「俺じゃねぇし.....」

 と呟きながらも受け取った。

 その耳が赤い事にユラは何も言わず、彼女もまたプリンを口に含む。

 控えめな甘さが口の中を満たし、カラメルソースと良く調和している。

「流石、アシュだな。美味い」

「だっ、だから!俺じゃねぇっての!」

「ツンツンさんだなぁー」

「素直じゃない」

「うるせぇ!」

 フェリとユラに口々にそう言われ、アシュはいよいよ顔を真っ赤にして怒る。

「あー、でさ。とりあえず今回の報酬」

 ユラはそこで思い出したように、扉近くに置いていた黒い鞄を持って来て、アシュの前へと突き出す。


 "Knight Killers"という職業は、人の命を奪う事が多いので、金に関しては莫大に掛けられる事が多い。

 何度も何度も仕事を受けると、消費家ではない三人では当然、余りある金額を持てるようになる。したがって、あまり報酬云々に目を付ける事は殆どない。

 やりたい仕事をやるだけである。


 アシュは鞄を開けて、中身を取り出していく。

 弾丸、砥石、札束。アシュに関係するのは後者のみだろう。

「なかなか今後も、弾代浮きそうだな」

「それだけ貰えれば、充分」

「それじゃあ次の仕事はいつしますか、フェリさん」

「そうだな.....」

 フェリは悩むように考え、

「必要になったら」

 ポツリと言った。

 ユラはぐしゃぐしゃと後ろ髪を掻く。

「はー.....、まぁ、楽だからいいですけど」

「お前は兄貴探すんだろ。暇な方がいいじゃんか」

「叔父さんだってば。年上っていう意味でお兄さんなのは確かですけど」

 ユラはむすっと頬を膨らませ、前髪を留めていたピン留めを外す。それから前髪を上手く掻き分け、瞳にかからないようにする。

「ま、用事があれば向こうから来るでしょ。それまでは...ふわぁ」

 フェリは欠伸して目の下を擦り、ゆっくりと立ち上がってキッチンへ食べ終えた空の容器を置く。

「休息って、感じで」

 そのまま洗面台へと向かって行った。

 ユラとアシュはその背をぼんやりと眺めていた。

「.....あの人と仕事をし始めて数年経ちますけど...」

 静かだった空間で、ユラが呟く。

「本当に解離性同一性障害じゃないんですよね、アシュさん」

「昔っから、何回も調べてる。でもあいつはそういう病気は患ってねぇ」

 アシュのしっかりした声に、ユラは眉を寄せるしかなかった。

「今日もまた、あの人が戦ってた跡地の横を通りましたけど...、死体だらけの惨状でしたよ。見た限りの全員がヘッドショットですし、とりあえずまぁ、ぐちゃぐちゃの死体は無かった」

 ユラは目を閉じる。


 二人で依頼主の元へと戻る道中、ユラの目の端にフェリがユラの元へ敵が行かないようにと陽動してくれていた跡が、まざまざと残っていた。

 死体の状態は普通の人間のようで、頭から血を流しているか、あるいは喉元が裂かれていた。


 必要最低限の弾で動作で、フェリが人体の急所を穿った証拠だ。


「...普段の態度からは、想像付きませんよね、本当に」

 眠たい、が口癖の男が、まさか拳銃やナイフを持つと大量殺戮者になるなど、漫画か何かの設定でないと有り得ない能力者だ。

 しかし彼女が何を思おうとも、現にフェリという男は、こうして実在しているのだが。

「昔からあぁだけどな」

「.....二人で何の話してるの?」

 歯を磨き終えたフェリが、洗面所からひょこりと顔を覗かせる。

 水を口回りに受けているだろうに、彼は既にこくこくと船を漕ぎ始めそうだった。眠そうに欠伸を噛み殺している。

「何でもねぇよ。フェリは気にすんな」

「うん...そか」

 気になる方よりもいよいよ眠気が勝っているのだろう。返事が適当になって来ている。

 ユラとアシュもまた、歯を磨きに洗面所へと向かう。

「んー.....んん」

 その時ふらふらとフェリは前へ進み、アシュの肩に頭を置く。

「..........あ?」

「おやおや、これはまぁ...」

 アシュがちらりとフェリを見ると、しっかりと目を閉じていた。

「っ.....!?おい、起きろっての!」

「んー.....んんっ」

 アシュは引き離そうと必死になるが、フェリの方が背も高く身体付きもしっかりしている。引き剥がす事は不可能に近いだろう。

 蹴り飛ばせばチャンスはあるかもしれないが、アシュがフェリを蹴る事は余程苛立っていない限りは有り得ない。

「はい、アシュさん」

 ユラは床に置かれていた救急箱を手渡し、さっさと洗面所へ行ってしまった。

「っ.....!!」

 文句を言おうにも、フェリは起こせない。アシュは口の中で悪態を付き、そのまま身体だけを回転させる。

「おい、部屋に行くぞ」

「んー...」

 アシュは半ばフェリを引きずるようにして、ずるずると二人の部屋へと運んでいく。


「っおら!」

 二人の男が暮らしているには全く散らかっていない部屋をずるずると歩き、アシュはフェリを二段ベッドの下へ寝かせた。

 身長差か身体付きかあるいは自分の体力の無さか、彼をこの短い距離運ぶだけでもアシュには辛い。

 ふーと息を吐き、彼の身体に布団をかけてやる。

「.....お疲れ、おやすみ」

 アシュは苦笑いを浮かべながら、眠るフェリのふわふわした茶髪を梳くように撫でる。

 それから救急箱を元へ戻し、リビングへ戻った。

 そこではソファに座ってナイフの手入れをしているユラが居た。

「お前の分?」

「ううん。フェリさんのですよ。今回は私、拳銃くらいしか使ってませんから」

 ナイフはほんの少しです、とユラは付け足すようにそう言った。

「.....ふーん、そうか」

 アシュは微妙な声を出し、洗面所へと入った。

 ユラはその背を見送り、最後のナイフを磨き終え、床に置かれた数本を持ち上げて、フェリとアシュの部屋へと向かう。

 ノックもせずに中へ入り、置かれている机の上に並べておく。

 それから自室へと帰って、部屋のベットへ倒れ込む。

 その途端、どっと疲れが押し寄せて、瞼が重くなってくる。

「はー...、眠い」

 ユラは流れに身を任せるように、その瞳を閉じた。


 アシュは洗面所から出ると、リビングの電気を消してから、部屋へと戻る。

 二段ベッドの上へ上る前に、もう一度フェリの顔を覗き込む。

 白肌で整った端正な顔に刻まれてしまった、痛々しい擦り傷を睨むように眺めて、顔を歪めた。

「馬鹿。怪我せずに帰って来いってーの」

 悪態付くようにそう言い、ぐしゃぐしゃと自身の髪の毛を掻き乱して、二段ベッドの上へ上がり、布団をかぶった。


 こうして、"Knight Killers"のひとチームである〈涙雨るいうの兎〉の面々の長い仕事の一日は幕を下ろす。

 夜の涼風が、朝まで光の消えない歓楽街の中を駆け抜けていった。

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