第廿弐話 黒猫と研究所
「行こう」
波瑠にそう言われ、俺と架深は同時に頷いて、研究所の中へと侵入する。
エレベーターは使わずに、階段を使って地下三階まで駆け下りる。
使っても構わないが、出来る限り監視カメラというものに映らないようにしようという事で、階段を使う事になった。階段の方が人通りが少ないらしく、階段の出入口にしか設置されていないのだと。
「こっちだ」
問題なく地下三階に辿り着き、俺達は朔夜が捕まっているという牢へと向かう。
「.....止まって」
道中研究者が慌ただしく上の階へ上がる時にすれ違わないよう、俺が賢者の石に刻まれた朔夜の『人を寄せ付けない』力で出来る限り人との遭遇率を減らし、波瑠の千里眼の力を使って隠れながら、戦闘もなく牢へと足早に向かっていく。
そして、牢へと辿り着いた。
そこにはナンバーの振られた牢が三つ並んでいる。
「.....このNo.1には誰かいるのか?」
「いや、そこに奏人が入るからって、勝手に看板を付けてるんだ。.....本当に悪趣味な奴等だろ?.....で、ここに朔夜がいる」
「.....架深」
俺が架深へ視線を送ると、架深はこくりと頷いて、鞘から短剣を抜く。
ゆっくりと息を吐き出して、風の刃を生み出し、一気に鉄の扉の留め具にぶつけた。
バキンと音が鳴って、留め具があっさりと壊れた。
架深は短剣を鞘へ戻す事なく、俺へ視線を向けた。
「.....私がここを見張ってる。危なくなったら、声を掛けるから」
「...いいのか」
「お友達、水入らずの方がいいでしょ?」
架深の心遣いに感謝しつつ、俺と波瑠は朔夜のいる牢の中へ入る。
「.....朔夜」
波瑠は苦しそうに胸を抑えて、朔夜の顔を見て更に苦々しい顔になる。
朔夜は、あの頃とはまるで違っていた。
元々細かった身体は食べていないのか、窶れて更に細くなって、怯えたような黒の眼差しは床ばかりを見つめている。ぐしゃぐしゃになった黒髪は当時のサラサラ感は一切なく、ボサボサになっている。
「朔夜...」
俺達の言葉を耳に入れたくないように、両手で塞いでいた。
そっと、俺が手を伸ばすと、その手は酷く強い力で叩かれた。
その痛みにすぐに手を引っ込めてしまう。
「朔夜!」
だが、諦める訳にはいかない。
朔夜の両肩を抱き、前後に激しく揺する。
その瞬間、シュッと空気を裂く音が耳の近くで鳴る。
「奏人!」
波瑠の焦った声と共に、頬にチリチリとした痛みが走る。斬られたようだ。
ゆらりと朔夜は立ち上がった。俺はすぐに距離を取る。
身体は起きた。だが、俺達を焦点の定まらない黒目で見ていた。手には刃の先に俺の血が付いたナイフを持っている。
波瑠の言っていた通りだ。あの頃の朔夜とは全然違う。
「あぁあぁ、殺してやる、.....俺が殺してやる...!皆を...、皆を助けるんだ...!」
「朔夜!俺達だ!奏人と波瑠だよ!」
波瑠は必死になって朔夜に向かって叫ぶが、朔夜には聞こえていない。
俺は僅かに足が動いたのを見逃さなかった。
受け身を取ったと共に、朔夜が襲いかかってくる。
ナイフを持つ手を掴み、壁へ叩きつける。
本当はナイフを落とすつもりだったが、かなりの力で握られており、落とす事は叶わなかった。
「奏人!大丈夫かよ?!」
「あぁ、これくらいなら大丈夫。波瑠は自分の身を心配してろ」
ふっ、と短く息を吐いて次の一手を再び躱す。
攻撃はこちらからは決して仕掛けてはいけない。
洗脳が解けるまで、悠威達が見つけてくれるまでの辛抱だ。
「朔夜!俺だ、しっかりしろ!」
「殺す殺す殺す殺す、置いていかれたくない!足を踏まないで!」
何を見させられているのか。朔夜の身体は怒りと共に、悲しみが混ぜこまれているような気がした。
「血に濡れたら、俺を見てくれる?俺を置いていくなよ!俺は、俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は」
俺達が朔夜を見捨てるような映像でも見せられていたんだろうか。
だとしたら、心を壊されてもしょうがない。
俺だって、朔夜の立場で皆に見捨てられる映像を終わりなくじっと見せられていたら──、精神を壊してしまうかもしれない。
「一人で、耐えてたんだな」
俺の懐へ、朔夜は入り込んでくる。
俺は手刀でナイフを床へ落とし、朔夜の身体を抱き締めて動きを止めようとする。
「やめろ!!やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ!!!!!俺に、触るな!化け物!」
朔夜は俺が化け物に見えているようで、必死に逃げ出そうと身体を捩っている。
俺の方が体格がいいし、かつ俺の方が健康状態がいいからか、朔夜が俺から逃げられる事はそうそうないだろう。
朔夜は必死になって俺の背中を引っ掻く。小さな痛みだが、断続的にやられると意外と痛いもんだな。
出来る限りキツく抱き締める。
「助け、助けるんだ!奏人、波瑠!!俺が、俺がお前らを殺して...!」
「ごめんな、一人で頑張らせて」
「赤く染まれば、二人は振り向いてくれるんだ...!」
「俺を逃がしてくれてありがとう。お陰で大切な友達が出来たんだ」
「ごめんごめんごめんごめん、俺が弱いから、お前らを、お前らを引き止められない!」
「この一件が片付いたらさ、
「強くなるから!強くなるから!置いていかないで!」
「三人でさ、また暮らそう。また楽しく遊ぼうぜ」
決して、会話の成立した──言葉のキャッチボールではない。ドッチボールだ。それでも何か会話をしていないと、どうにも落ち着かなかった。
早く、早く洗脳が解けてくれ。
いつもの朔夜に、戻ってくれ。
早く、早く───。
どのくらいだったんだろう。
俺から逃れようと必死に背中を引っ掻いていた手がだんだんと止まっていき、荒かった言葉が小さくなって静かになっていく。
疲れて眠ってしまったのか、と俺は疑問を抱きながら、ゆっくりと彼から身体を離す。
「朔夜........?」
「....................奏、人........?」
しっかり焦点の定まった黒目が、俺を見た。
「っ!朔夜!俺達が分かるのっ!?」
波瑠がとても嬉しそうな声を上げて、俺と朔夜の傍に近寄る。
「.....奏人、お前どうしてここに...」
「助けに来たんだよ、友達だろうが俺達は。助けるに決まってんだろ」
朔夜は呆けた顔をして、それから頭を押さえた。
「っ、痛むの?!」
波瑠が心配そうに朔夜の肩を抱くと、朔夜は首を横に振る。
「少しクラッとしただけ.....。俺は...、そうだ。あいつらに、妙な薬を...。頭に、変な機械を取り付けられて.....」
そこで朔夜の目は大きく見開かれ、バッと波瑠の方を向いた。
「俺は...っ、何かしなかったか波瑠。そこから今までの記憶がない...!」
波瑠はその質問を受けるのを覚悟していたのか、それに対してすぐに答えた。
「........してた、よ。朔夜、殺してた。人をたくさん、ね」
朔夜の目が大きく見開かれ、小さく消え入りそうな声で「そうか」と呟いた。
「.....死ぬとか、考えるなよ。朔夜には罪なんて無いんだから」
「命を奪った人間がいるんだ。操られていたとはいえ、罪を背負わないわけにはいかない」
朔夜はそう言って俺と波瑠を見た。
「俺はここで死ぬ気は無い。生きて罪を償うさ。...助けに来てくれて、ありがとうな」
こいつらしい言葉だった。もうだいぶ調子を戻したようだ。
「よし、じゃあ逃げよう」
「いや、待ってくれ」
波瑠の言葉に重ねるように、朔夜が待ったをかけた。俺と波瑠が首を捻る。
「.....この研究所を潰さないと...、収まらない」
意外とやる気だな。
「潰す.....か。何か見えるか、波瑠」
「...朔夜ならやり返すと言うとは思ってたけど...。まぁ、待ってね」
波瑠は赤紫の瞳を仄かに光らせる。全てを隈無く探すように瞳は動き、ピタリと止まった。
「.....地下四階に、何かあるね。人払いの術が施してある」
「行ってみるか」
「.....骨を喰らわば何とやら、だな」
久し振りに顔を合わせる事が出来た俺達。
何故だか不思議と笑みがこみ上げてきてしまった。
「架深、待たせたな」
「いい。大丈夫?頬に怪我」
「大丈夫、痛くないから」
架深は扉の横の壁にもたれ掛かって、俺達をのんびりと待ってくれていた。
特に踏み入った事は何も聞いて来ない。それがやはり心地よかった。
「.....その人は」
朔夜は架深を訝しげにじとりと見る。架深は数刻考えるようにぼうっとしてから、手を差し出した。
「藤沢架深。奏人の友達」
「.....成程。俺は京極朔夜」
顔の表情が無に近い人間同士の奇妙な自己紹介を終えて、俺は架深に地下四階へ向かおうとしている事を伝える。
架深は少し迷うように眉を寄せて、
「.....少し悠威が心配しそう。.....まぁ、後で謝ろう」
でもすぐに心強い結論を出してくれた。
「よし!階段で下りよう」
波瑠の提案と共に、俺達は顔を見合わせて頷き合い、地下四階への階段へ急いで行った。
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