第拾漆話 黒猫と出立
公園から帰ってきてすぐ、架深が俺の所へ駆けてきた。どうやら架深がアパートの前に立って待っていたらしい。
「架深...」
「奏人、心配する。ああいう書き置きがあっても」
「悪い」
俺は小さくはにかみながらそう言い、軽く頭を掻いた。
俺は少し言おうか言わまいか悩んだが、
「.....なぁ、昨日さぁ。女見た?」
「...うん。でも、眠くなった」
「.....そいつに、会ってきたんだ」
俺がそう言うと、架深は驚いたようで目を丸くした。
寝た振りしてたんだろ、とまでは言わないでおく。流石に架深にそこまで言うのは酷だろうと思ったから。
「俺さ...、友達を助けに行ってくる」
「.....っ今から?」
「いや、とりあえず明日駅に行こうとは思ってる」
「私も行く」
架深は俺の手をギュッと持って、俺の顔を覗き込む。
「私も、貴方の友達を助けたい」
「架深.....」
「確かに、私は部外者だけど。助けたいって思う気持ちは、嘘じゃないから」
「俺もー」
不意に、上から間延びした声が振ってきた。
見ると、煉兎が俺達を見下ろしていた。その横には悠威も立っている。
「水臭いなぁー。俺らも奏人の友達助けるの、手伝えるで?なぁ」
「あぁ」
二人はそう言って、俺達の所へ降りてきた。
煉兎がポンと俺の腰辺りを叩く。
「行く場所は?分かってんの?」
「うん。政府の研究所。そこに捕まってるらしい」
「白銀の街、か。どんな場所なんだ?服は厚着の方がいいのか?」
「まぁ、年がら年中雪が降ってるような場所だし」
「悠威とレンさんも行くの?」
架深が訊ねると、煉兎は「せやで」と言って架深の頭の上へ顎を置く。
「子ども二人だけで、そんな危険な街に行かせられへんからな、なぁ悠威」
「そうだな」
悠威と煉兎はニッと笑いあっていた。
その光景は、波瑠と朔夜の雰囲気に酷く似ていた。そのせいか、胸のどこかがつっかえているような気分がする。
「それじゃあ今から準備だな。藤沢、持っていく物の中に、イーゼルとかキャンバスとか入れるなよ?スケッチブックと鉛筆くらいなら許すけど」
「分かった」
こくっ、と架深は頷いて、そのままカツカツとブーツの音を鳴らして部屋へと駆け戻って行った。
「じゃー、俺も旅行準備しよ」
煉兎はぐっと伸びをして、片手の鎖を部屋の前の手すりに括りつけて、一気に部屋まで戻った。
「壊れるぞ、アパート」
「平気やって」
煉兎はヒラヒラと手を振って、部屋の中へと戻った。
「俺達も準備だな」
「.....本当に、来てくれるのか?」
俺の微かに震える声に、悠威は溜息を吐いて、俺の肩を叩いた。
「嘘は言わねぇ」
そして、そのまますたすたと歩いて行く。途中、俺がついていかない事に気付いて、くるりと後ろを向いて、
「早くしろ」
と言われる。
俺は少しだけ、ほんの少しだけ微笑んで、悠威の後を追った。
「あ、〈霜花〉の二人に言わなくちゃいけなくね?」
準備をし始めて少し経ち、俺は孝介と叶亜の事を思い出した。
悠威もすっかり頭から抜け落ちていたようで、「あぁ」とのんびりとした声を出した。
「言いに行くか?」
「.....うん、一応言っておきたい」
俺がそう言うと、悠威は外套を旅行鞄の中へ押し込んでから、「行くぞ」と俺へ声を掛ける。
俺は一応猫の姿になっておいて、悠威の肩に乗って〈霜花〉へ向かった。
チリンチリンと、心地よい鈴の音が店内へ響く。
「いらっしゃいませー、って悠威と奏人くんか!」
「おー、いらっしゃい」
二人はいつも通り出迎えてくれた。
猫の姿だと会話が出来ないので、ペンダントを外して人間の姿へと戻る。
「...どうしたの?人間の姿になっちゃって」
「あのさ、俺、街に戻る。友達を助けに」
その言葉に二人は目を丸くして、顔を見合わせた。
「本気?」
「うん。決めたんだ」
「悠威もついて行くのか?」
「あぁ、そのつもり」
「っ僕も行く!」
叶亜がバッと手を挙げ、俺の目を見つめてきた。
「僕も行くよ。だって、昨日ああ言ったんだし、手伝うよ」
「でも、お前店の事もあるし、それに身体とか」
そう、叶亜の身体は一人の身体じゃない。
架深は依頼されていた品を渡しに行く、と先程出て行った。
叶亜だって〈霜花〉の仕事があるだろう。孝介一人になってしまうよりは、ここに居た方がいいと思った。それに架深が気にかけるほど身体も強くないのなら、雪国は厳しいかもしれないし。
「いいよね、孝介?!僕、行きたいんだ!」
「でも、身体」
孝介もそこが懸念点らしい。
「薬、沢山持っていくから!」
「それは安心材料にならないんだけど」
「だー!とにかく行きたいの!」
まるで駄々っ子のように。叶亜は必死に孝介へ主張している。
やがてその熱意に折れたのか、孝介は疲れた顔で叶亜へ行く事を許可した。
「ありがとう、孝介!」
「でも無理するなよ」
「分かってる」
叶亜はそう言うと、店の奥へ引っ込んでいった。恐らく準備しに行ったんだろう。
「.....明日朝、迎えに来るって言っといて」
「分かった」
悠威が孝介へそう頼んでおき、俺達は〈霜花〉を後にした。
「うるさい奴等だな」
「でも、嬉しいよ」
俺が素直にそう言うと、悠威は口元に手を当ててくすくすと笑った。
「お前がいい奴だから、こうやって友達が出来るんだぜ?」
「っ!.....べ、別に」
悠威はひとしきり笑ってから、
「準備、済ませるぞ」
「うん」
悠威へコクリと頷き、俺はペンダントを握り締める。
待ってろよ、と。そう二人へ聞こえるように。
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