第拾陸話 黒猫と捕縛者
朝方。朝靄の立つ景色を窓から眺め、俺は架深のメモ帳らしき物に、ペンで一応書き残しておく。
心配するかもしれないからな。いや、心配するな。
文字を書くというのは、思えば久し振りにする作業だった。猫の姿になっている時が多かったし、そうでなくとも事務的な事は朔夜が率先してやっていたから、こういう機会が殆ど無かったからな。
朝の散歩に行くという旨を書き記し、音を立てないように、架深の部屋の戸を開けて外へ出る。
一応、猫になっておこう。
俺はペンダントを外して猫になってから、再びペンダントを付ける。
そして昨日女が言っていた通り、〈霜花〉へ行く道とは反対方向へ歩いて行く。
しばらく歩くと、滑り台とブランコと木で作られた長椅子しかない、寂れた公園へ辿り着いた。
その長椅子に、紅い唐傘を差した人物が座っていた。陽射しもまだ柔らかいこんな時間帯に、なんで唐傘を差しているのか、さっぱり分からない。
俺が警戒しつつゆっくり近付くと、女の朱色の目が俺を見る。
「よぉ、来たか
この女は、にんまりと笑って俺の目を見た。
「猫じゃと
この女に指図されるのは些か癪だが、しょうがない。
俺はペンダントを取り外し、身体全体に力を込める。人間の姿へと変貌する。
「.....ほぅ、なかなか初めて見たわ。化け猫の変身する場面をな」
「うるせえ。何でお前がここに居るんだよ、それに、」
「まぁまぁ、落ち着け
窘められるようにそう言われ、俺は女の近くに腰を下ろした。
それから女は俺と自分の間に、五芒星の描かれた札を貼った。
「人払いの術じゃ。これで
くすくすと女はひとしきり笑い、俺の目を見た。
「
「元.....?今は違うのか?いやそもそも...、何で、能力を持つお前が政府の人間になれたんだ?」
そう、昨日ひとしきり考えて、俺はこの桜庭に対して疑問を抱いた。
能力を持つのに政府の人間になれているという事。妖も能力持ちも政府の人間は殺すのに。この女の名字は別に白銀の街の町長一族の名前では無いし、そもそもあんな奴等の家に能力持ちが産まれたら、血縁関係云々もなく殺されそうだ。
何故、軍人という高収入の職に就けているのか分からない。
「それの説明はやや長くなるのだが...、まぁ、知りたいじゃろうなぁ。実はあの山火災の時、
それからは分かるだろう、と桜庭は意味ありげに瞬いてきた。
まぁ、想像は付く。筆舌に尽くし難い拷問を受けたに決まっている。他の人間が逃げた場所を吐け、と。
こちらとら自分が逃げる事に精一杯で、他の人間の居場所など知らない場合が大半だ。そうだと知っていて、吐けというのだ。
そして死ぬような辛い拷問を受けた後は、吐き捨てられるように奴等に殺されるのだ。
「
「取引?」
「甘美な響きじゃったぞ。家族の生活と命を保証する代わりに、街に仕えよとな。しかも一気に兵長階級じゃ。...其方ならどうする?」
そんなもの、選ぶ方など決まっていた。
人間、進んで死を選ぶなんてなかなかいないだろう。
「.....まぁ、それから
それから俺達への捕縛命令が出たのだ。
そして、桜庭は職務を全うする為、或いは家族の命を守る為に、俺達の事務所へ部下を引き連れてやって来た。
「そういう訳か...」
「分かってくれたようで何よりじゃ。それじゃあ次に、何故この
そうだ。何故、桜庭がここに居るのかも謎の一つだった。
軍人は向こうじゃ高収入の職業。しかも家族を人質に取られているのなら、こんな場所にいる理由なんて、俺を捕らえに来たとしか考えられない。
しかし、彼女からは─少なくとも今は─そんな感情感じ取れない。
「其方の友人を捕らえてしばらくし、
「はっ!?」
あまりにも唐突な発言に、俺は頓狂な声が出てしまった。
「.....今、政府はこの大日本帝國の秩序を崩さんと、大量の殺戮兵器を作っておる。それは魔金属を用いた武器での。それを作るには大量の
「.....もしかして〈追放令〉は、能力持ちを捕らえる為の法令、なのか?」
俺の言葉は震えている。桜庭は小さく頷いた。
「...表向き、奴等は能力持ちそのものは嫌っておる。町長の座が惜しいからじゃ。だが、それと同時に魔金属武器...こちらで言う
魔金属は以外と高い代物だ。大量の購入は金がかかる上に、周りの三都市に怪しまれてしまう。
だから、能力持ちに目を付けた。
けれど、この世界に能力持ちはとても少ない。その能力値は人によってばらつきもある。とても軍隊を組んで国を潰そうとするには力の不足を感じさせる。
でも、武器そのものが能力を扱えるようになったら?自分達で指定した強い能力だけを発動できるようになったら?
人間は世界に沢山いる。そんな人達にそんな武器を渡せば──、それは超強力部隊を組める。
作る行程も能力持ちを捕縛して、その
そう言えばこの前、架深が持ち帰った魔金属。
あれは普通の魔金属ではないと思っていたが、もしかしたら...、白銀の街で作られた魔金属なのか。
「でも、
「...あぁ、そうか。其方の仲間があの魔金属を手にしておったの。あれは粗悪な人工の魔金属なんじゃよ。能力持ちから奪い取った
能力持ちの
それはつまり、使われた人間は殺されているという事を意味している。
ゴクリと生唾を飲んだ。
「それを作る為に、能力持ちが要るのか」
「そう。だから
「契約違反だと抗議して、部下を数人殺したらの、今度は
ケラケラと桜庭は愉快げに笑った。それが強がりだと俺には分かる。
桜庭は笑い終え、長く息を吐くと、俺へ一枚のカードのような物を手渡して来た。
「くれてやる」
「何だよ、これ」
「其方の友人らは今、政府の武器の研究所にて捕えられておる。そこは沢山の能力持ちが収容されている──、言わば牢獄のような場所だ。これはその研究所に入れられる、軍人のみに支給される鍵だ。年内ならば使える」
ほれ、と桜庭は俺の手の上へ乗っける。
一枚の白いカード。これが二人を助ける鍵になる。
「友人らは移動されておらねば、地下三階におる筈だ。助けてやりない」
桜庭はそう言って立ち上がった。
「.....いいのかよ」
「.....
涼しげな顔でそう言った桜庭だが、その目には静かな怒りが宿っているように見えた。
桜庭はクルクルと紅い唐傘を回し、俺へ目を合わせた。
そして、思い出すように手を打った。
「あの
「架深に?」
あぁ、と桜庭は頷く。架深が何か桜庭にとって良い事をしたのだろうか。
「昨日の夜、小芝居をしてくれて有難うとな」
小芝居...。もしかして、あれは寝た振りだったのか!
俺の心境など無視して、桜庭は口元に薄く笑みを浮かべた。
「それじゃあの。期待しておる。
桜庭は紅い唐傘を差したまま、すたすたと公園から出て行った。
後に残されたのは、膨大な事実を教えられて頭が破裂しそうな俺。
とりあえず人払いの五芒星の札を剥がし、長椅子から立ち上がる。
早く帰ろう。
皆に話さなくては。
今の俺の頭はその考えでいっぱいだった。
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