第拾伍話 奏人と架深
俺の話を、皆は黙って聞いてくれた。
誰も茶々を入れず、静かに俺の耳を貸してくれる。
それだけで俺は嬉しかった。
「.....それなら、奏人はいつか、
「あぁ、友達を放ってのうのうと生きられる程俺は馬鹿じゃねぇんだよ。助けに行くつもりだ」
がたん、と音が鳴った。
架深が椅子から立ち上がった音だ。架深はカツカツとブーツの音を鳴らして俺へ近付く。
何か言うんだろうか。この意気地無し...みたいな?まぁ、言われて当然だしな。
と思ったら、ぐいっとマフラーを手前に引っ張られ、無理矢理頭を下げられる。
何事かと驚いていると、ポンポンと頭を叩かれた。いや、.....撫でてくれてるのか。
猫の姿の時のぎこちない架深の撫で方を思い出して、俺はそのまま身体の動きを止めてしまう。
架深は何も言わない。ただただ俺の頭をポンポンと叩くばかりだ。
「...マフラー、引っ張るなよ」
やっと吐き出せた言葉は、とても震えているような気がした。
「うん」
架深はそれっきり、また黙った。その何も言わないのが、凄い心地よくて。
俺は背の低い彼女へ縋るように、ギュッと抱きついた。
すん、と鼻に入ってくるのは絵の具の匂い。架深の匂い。それが酷く落ち着いた。
「...ありがとな」
「.....うん?」
礼を言われる理由が分からないのか、架深は不思議そうな声音で、こてんと首を傾げているようだった。
「.....なぁ、カナ」
「.....なんだ」
俺は架深から離れて、悠威の方を向く。
「それは、一人で何もかもやるつもりなのか?」
「..........あぁ。迷惑になると思うし、一人でやるつもり」
俺はそう言った。
すると、今度は叶亜が足早に俺の近くにやって来て、俺の両頬を軽くぺしんと叩いた。痛くはない。
「僕らが迷惑だって言うと思ってるの?」
叶亜はムッと顔を顰めて、拗ねたようにそう言った。口を尖らせていて、怒っている。
「心外だなぁ。僕らだって友達でしょ?友達が困ってるなら、助けるよ」
「うん、私も叶亜と同じ」
俺もやで、と煉兎も言ってくれて、悠威もこくこくと頷いてくれる。
あぁ、そうだ。皆も友達なんだ。
そう、だからあの時。猫の姿から人間の姿へと変わって助けたんだ。
迷惑だなんて、皆が思うはずないんだ。
「...ありがとう」
もう一度、俺は礼を言った。
帰り道。
「奏人、私の部屋に泊まって欲しい」
という架深からの申し出により、俺は架深の部屋へ泊まる事になった。
悠威は快く承諾し、前回は看病で入った架深の部屋へ俺は上がる事になった。
前回来た時には、綺麗に片付けられていた部屋には、今はイーゼルが立てられ、そこへ立てかけられた大きなキャンバスには夏空が描かれていた。
夏の青空に大きな入道雲、その澄んだ空を小さな赤い風船が飛んでいる。
綺麗な絵だ。
「.....次の依頼品か?」
「うん、そう。爽やかな絵がいいって」
何か食べる?と架深は訊ねてきた。それを俺は断る。
帰る前に皆で夜飯は食ったからな。
架深はそうとだけ返して、俺の隣へやって来た。すとんと座る。
「.....俺に話したい事があるんだろ?」
「.....分かるの?」
「何となく」
「ふうん」
架深は少し下を向いて、それからギュッと自分の京藤の着物の袖を握った。
「私の、話を聞いて欲しくて」
「ん、聞く」
ふ、と架深は短く息を吐き出す。
「私は、家出してここに居るの」
架深はそう前置きを言って、ゆっくりと語り始めた。
架深はこの街の港町の生まれなのだという。外国人の泊まる宿場の家の次女として生まれて──、家族全てに蔑まれたのだと。
彼女が生まれてすぐ、架深の母親は左目の無い架深を『呪われた子』だと言い、それで気を病んで首を吊って自殺したのだという。
父親と兄には母親を殺した『化け物』として、家の地下に作られた牢で暮らしていたらしい。
必要最低限のご飯しか与えられず、毎日震えながら生活をしていた。
そんな架深に転機が訪れる。
数年後、父親が架深を牢から地上へと外に出したのだ。だが、それは架深を認めたわけではなく──、架深の見た目の綺麗さにつけ込んだのだ。架深を使って、落ち込んでいた宿場の利益を上げようとしていた。ようは彼女は利益を上げる為だけの道具だったのだという。
外国人の前でニコニコと作り笑いをしているだけの仕事。彼らの言葉を理解して会話をして、そうやって店の為になる事以外は全て取り上げられたのだという。
そんな架深の心の支えが、絵だったのだ。
他の人から褒められる生まれながらのその才能は、宿場の目玉になった。
そして経営が元に戻り始めると、仕事の忙しさのせいか、父親は身体の見えない部分に傷を付けたのだという。
「何だよそれ.....、散々架深を傷付けて!理不尽にも程があるだろ...!」
「そういう人だった。今でも傷は残ってる。だから、前は私が拭いた」
看病の時を思い出す。
あの時は犯罪者の気分になりつつ目を閉じながら背中を拭いていたが、あれは架深なりに最大限俺へ気遣ってくれてたのか。
「私は、逃げたかった。誰にも生き方を縛られない、絵を自由に描ける場所へ。だから、父親と兄さんの目を盗める昼ご飯の時間に、店のお金を少し盗って、家を飛び出した」
その時、叶真に出会ったのだという。
事情を説明すると、叶真は架深へこの部屋を与えてくれたらしい。
そして退魔師という職も、退魔絵師という職も。
「そして、私はここに居る」
架深はそこで言葉を区切って、ちょいちょいと手招きした。
側へ寄ると、架深がギュッと俺へ抱きついてきた。
「時々、凄く怖くなる。あの人達が、ここに来る気がして。でも、皆が守ってくれると思うと、凄く力になる。大丈夫、って思える」
だから友達も助けられるよ、と架深は言ってくれた。
「...ありがとうな」
俺も架深の細い身体を抱き締める。
急にふと照れ臭くなり、少し強めに抱き締めて、
「...細ぇって言ったろ。もっと食え」
「気を付ける」
絶対気を付けないだろうな。そう思うと、何故だか無性に笑いたくなってしまう。
自分の事をほっぽり投げるような人間が、他人の世話を懸命に焼いているのだ。それくらいの力を普段から自分に投与すればいいのに。
それが出来ないから、架深は架深なんだろうな、とは思うけど。
「........っあ、」
架深が何かを発そうと声を出したその時、がくりと彼女の身体の体重が俺へかかる。
「どうした?」
見ると、スースーと寝息を立てていた。
ま、今日は頑張ってたもんな。眠くなったんだろう。
そう呑気に考えていたら、カチリと音が鳴る。
振り返ると、ベランダから一人の人間が部屋の中へ侵入して来ていた。
明るい茶髪に所々桃色の線を入れた髪型の、草色の書生服に身を包んだ女。
この女を、俺は知っている。
俺達を捕まえようとした、あの女だった。
「お前っ.....っ!?」
「おぅおぅ、静かにのぉ。
女は困ったように眉を寄せて肩を竦める。そして、部屋の中へつかつかと入り、俺の目の前に立つ。
「それに今の
俺は腕の中で眠る架深を見た。
あまりにも唐突な眠り。何か言いたげな口振りでもあった。
「架深に、何かしたのか...っ!?」
「
つまり、と女は俺の顎の線を細指でつうっとなぞる。
それの意味ははっきり分かる。
今視線を交わしている俺の命も、彼女の手中にあるという事だ。
「用件は...、何だよ」
「話したい事があるのじゃよ。この近くに公園がある。このアパートを出て、其方がいつも行く喫茶店とは逆に五分程歩いた場所にの。
「.....行かなかったら」
「友を助けられないと思え」
それがあいつらを指しているのは容易に分かった。
「それじゃあの。其方が来る事、期待して待っておるわ」
女は嫌味ったらしく笑みを浮かべて、開けた窓からベランダへ出て、そのまま飛び降りた。
二階くらいの高さじゃあ、あの女は死なないだろう。
冷たい風が俺の熱くなった身体を冷ましていく。
架深が風邪を引かないよう、ゆっくりとソファへ寝かせ、近くに畳んで置かれている毛布をかけ、窓を閉めた。
「.....明日の朝、か」
殺す気はないと言っていた。それにあの服装は軍服ではない。
騙して俺を捕らえようとしているのか。それとも手の平を返しているのか。
さっぱり女の考えが読めなかった。
でも、行くしかない──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます