第陸話 退魔絵師の帰り道

 カツカツカツカツ。

 私の足音が黄昏時の路地に響く。

 黄昏時─彼は誰時とも言う─この酷く美しい夕焼け空を、私は見上げていた。


 いつかこの風景を描いてみたい。私のキャンバスに収めたい。


 筆を動かしたい、と左手が動いた。明日、描こう。


「みゃあ」

 小さな猫の鳴き声がした。

 ふと目線を向けると、塀の上を二匹の子猫が歩いていた。

 ふと頭に過ぎったのは、にゃんこの顔だった。


 一週間程前、だろうか。私は彼の絵を描いた。

 三時間くらいは集中して描いていただろう。その間、にゃんこを見ていた。

 彼は、私の描いた絵を食い入るようにしっかりと眺め、全てを見終えると、疲れていたのか眠ってしまった。

 毛並みをきちんと描きたかった私は、起こさないようににゃんこへ近付き、体の線に沿ってそうっと撫でた。


 その時、何故だかにゃんこがどこかへ行ってしまうような感覚がした。

 勿論、彼はどこかの家の化け猫で、家族も居るだろう。いつかいなくなるのは当然だ。

 どこもおかしい所など無いと言うのに。

 何であんな事を言ったんだろうか。

 今でも後悔してしまっている。

 だが、どうしようもなく、彼の体に纏うえも言われぬ空気が、私に似ているような気がした。


 私も、家出してここに居るからかもしれない。


「.....早く帰ろう」

 一人で居ると、どうにもぐるぐると負の考えに向かってしまう。

 家で筆を握れば、少しばかりは感情も落ち着くだろう。

 足の運びを早くした時。どんっ、と目の前の人間と肩がぶつかってしまう。

 片目がないと、どうにも周りを見るのが苦手だ。

 普段は気配を探ってぶつからないようにしているけれど、考え込んでいたから注意力が落ちていたかもしれない。

「すみません」

 私が離れて、頭を下げる。

 ちら、と見てみると、ぶつかった人物は何とも奇妙な格好をしていた。


 白衣のような真っ白の洋服に身を包んで、顔は烏を模したように見える仮面で隠し、辛うじて身体付きから男だろうと性別が察せるくらい。

 英国いぎりす人は黒を貴重とした紳士的な格好をしていたし、米国あめりか人も派手な衣装を着ている人間は多かったが、ここまで奇抜なのはなかなか無かったと思う。


 白い仮面の男は私を見下ろすと、そのままじいっと私の顔を見ているようだった。

「あの.....」

「.....小娘。賢者の石を抱く猫或いは人間を知っているか?」

「賢者の.....石?」

 その単語に私は首を捻る。


 その言葉は異能を持つ人間ならば一度は聞いた事のある──、平たく言うと魔金属の結晶だ。

 使い方によっては億万長者にもなれる、伝説でのみ語られているような魔金属である。


 見た所、普通の人間であるこの男が、何故『賢者の石』を訊ね、それを持つのが猫だと知っているのか。

 それに、猫か人と言っている時点で、妖である事は明白だ。

 ..........もしかして、にゃんこの首にあるペンダントの石の事?

 そうだとすると、奇妙な色の混ざった石の色合いの説明も付く。

「......答えろ、小娘」

 ...小娘と呼ばれているのも気に食わないな。

「生憎、知りません。他の方を当たってください」

「嘘を吐くな。小娘だからと言って、俺は容赦はせん」

「はぁ...、どうして私が、身も知らぬ殿方に嘘を吐く必要があるのでしょう?もし良ければ理由をお教え願いたいのですが?」

 いつもよりも雄弁に語れている。

「沈黙だ。知らなければすぐに知らんと答えるだろう」

「.....成程」

 次からは気を付けよう。

 そう考えると共に、ハッキリとした殺気が身体を襲う。素早く後ろへ下がり、腰の短剣へ手を伸ばした。

 先程立っていた場所の地面が円状に凹む。

「早う言った方が己が身の為だぞ。俺は人殺しに心は痛めん」

「そもそもそんな人は武器を持ちません」

 私が淡々と返すと、白色の男は歯を見せて笑った。

 彼が持っているのは、戦棍メイスと呼ばれる西洋の武器。棍棒の片方の先に鋭利な打突部分が付いた武器だ。どこにしまい込んでいたのだろうか。全く気付かなかった。

 私達退魔師の持つ祓器ばつきの類いではないとは分かる。

 人のいない赤焼けの空が、私の瞳よりも暗い夜の闇に包まれ始めている時間帯。

 誰も来ないでくれ、と私は心の内に祈った。

「どうだ?恐れをなしたか?」

「いえ.....」

 とにかく、この人はにゃんこを狙っている。正しく言えば、にゃんこの首のペンダントを、か。

 悠威はにゃんこは逃げて来たんだ、と言っていた。

 恐らく、彼の住んでいた所で何か遭ったから逃げて来たんだろう。そして、こんなに怖い追手が来ている。


 ...にゃんこは、今ここで平和に暮らしているんだ。それを邪魔させはしない。


 私は決意と共に短剣を抜く。

 妖百鬼を斬る武器だが、人を斬った事がない訳ではない。人に取り憑く妖もいるし。


「ほぅ.....、やる気か」

「...」

 私は答えずに、刃を正眼へ構えて、ふっと短く息を吐く。

 長期戦になるとややこちらが不利だ。一撃必殺。短期戦に持ち込まないと。

 刃に風を纏わせ、長さを少しばかり長くする。

 それを見て、白い男は気持ち悪い者を見るように嘲笑った。

「お前は異端者なのか!劣性遺伝子の持ち主め!」

 白い男は私へ罵詈雑言を浴びせて、一気に距離を詰めてきた。

 私は身体の小柄さを活かし、懐へ入るように身体を滑らせ、突きを放つ。

 風によって強くなっている突きは、白い男の身体を貫くにもまた──、けれど、私の予想に反して、その突きは男の身体を吹き飛ばしただけだった。

 動揺が分からぬよう、私は眉を寄せつつ同じ体勢を取る。


 地面に蹲っていた白い男は、ゆらりと起き上がり、近くに転がっている戦棍メイスへ手を伸ばす。

 その時、突きを放った箇所の破れた白の布地の合間から、装甲の鋼色が見えた。あれで防いでいたらしい。

「.....肌は、どこが出てる...?」

 突いている先端は風なので、本体が折れる事は無いが、体力が削られる。狙っていかないといけない。

「降参するなら、今の内だぞぉ?」

 人体の急所。腹や心臓は装甲で阻まれている。...首か、顔面か。

 少々気分の悪くなりそうな部位だけれど、致し方ない。

「..........降参は、しない」

 スッと足を移動させ、跳び易いようにする。

 白い男はブンッと戦棍メイスを振り上げ、突き刺すような体勢にする。

 それは通常の戦棍メイスの使い方とは違う。反応に遅れてしまった。

「────っ?!」

 せめてと思い、片腕を犠牲に何とか身体を躱す。

 片腕に棘が突き刺さり、骨が砕かれると共に血が噴いて着物を濡らす。

「はっはっはっ!」

 白い男は豪快に笑い、私は数歩下がり体勢を整える。

 ドクドクと血液が滴り落ち、鋭い痛みが脳を襲う。血に濡れて滑らないよう、短剣を持ち替える。

「利き腕を封じられたら、もう俺を殺せんだろう?」

「.....いや、殺る」

 長く息を吐き出して、一気に駆ける。

 白い男は大柄である為か動きについて来れない。トンッと地面を蹴り、跳躍すると共に仮面と皮膚の合間に短剣を突き刺す。

「っこのッッッ!!」

 私の足を男は掴んで、怒りに任せて勢いよくブンと放り投げた。

 何とか空で受け身を取って、身体への衝撃を和らげる。が、左腕も強かに打ち付け、更にバキリと嫌な音が鳴る。

 声にもならない声が、ひゅっと口から溢れた。

「劣性遺伝子がぁよぉ.....、ふざけんなよぉ...!」

 白い男は仮面の合間からダラダラと血を垂れ流し、私を睨み付けて呻く。

 私はすぐに身体を起こし、短剣の刃を構え直す。

 負ける気は無い。殺す。にゃんこの平穏は守るから。

「あれ?かっふぃーじゃん、血塗れでどうしたの?」


 その時、ポンと私のまだ大丈夫な肩に手が置かれる。

 前の方に意識を傾けていたせいで、すっかり後ろの方を気にするのを忘れていた。

「.....スズさん」

 黒縁眼鏡の青空色の瞳が細められ、彼はニッと人の良さそうな笑みではにかむ。


 黒縁眼鏡に青空色の瞳。黒髪によく似合う青藍の着物に黒紅の袴。彼の名は、錫富蒼月すずとみそうげつ

〈霜花〉で依頼をよく受理している、準常連客の男。


 スズさんは私と白い男を見比べて、

「...喧嘩中?」

 首を傾けながら私へ訊ねてきた。

「.....色々と、事情がありまして。とりあえず、あの男を捩じ伏せたいです」

「ふむふむ、成程。僕ら、手伝おうか?」

 スズさんは袖で口元を隠しながら、白い男へ目を向けた。

「...腕一本封じられたので、出来ればお願い致します」

 頼むのは些か馬鹿にされそうだが。

 そう思いつつ、ちらりとスズさんの顔を見ると──、心底腹の立つ顔をしていた。

「分かった分かった。手伝うよー」

 スズさんはくすくすと笑いながら、私の前へ立ち塞がる。

「あぁ?ンだ手前はぁ?!」

 白い男は突然現れたスズさんに、ギロリと鋭く睨み付ける。

 普通の人間なら尻尾を巻いて逃げるような目だが、残念ながら私達はそんな威嚇で怯むような精神の弱い人間ではない。

「僕は、錫富蒼月。よろしく、お兄さん。で、君の後ろに居るのが、僕の相棒で親友の鼓実志保つづみしほだよ」

 白い男は目を見開いて、慌てて後ろを振り向いた。

 その振り返るという身体の動きのお陰で、その姿が目に入る。


 ぴょこんと可愛らしいアホ毛の、光に当たると少しばかり緑色になる髪の毛に、叶亜と同じ碧の瞳が好戦的に歪み、肩に長剣を置いている。

 赤紫の着物と青漆の袴は、同性だというのに、とても勇ましく見える。


「後輩に手ぇ出さないでよね、お兄さんっ!」

 志保さんはにぃっと口角を上げ、長剣を持っていない左手で白い男へ触れる。

 瞬間、バキバキと音がして鋼鉄の装甲が砕かれた。

 起こった出来事に白い男は信じられないようで、明らかに狼狽えている。

 そして、ちらりと私達の方を向いた。

 恐らく『後ろに唐突に現れた女より、何か胡散臭い男の方が楽に潰せるだろう』と思ったんだろう。


 案の定、白い男は志保さんから逃げ、スズさんと私の元へ走って来た。

 ブンッとまた戦棍メイスを振り上げて、私達へと振り下ろそうとする。

 そんな状況でもスズさんは笑みを浮かべたままで──、青空色の瞳を仄かに光らせる。


戦棍メイスの当たる確率、零」


 彼の呟きと共に、戦棍メイスの軌道がずらされて、スズさんの足元に落ちた。

 それに白い男は驚き、動きを一瞬固めてしまった。

 それが、命取り。


「さっき、装甲砕いたからね」


 どすり、と志保さんが装甲のない男の身体を貫いた。

 男の口からごぽりと血が溢れ、白い布地を赤く濡らしていく。

 そして、ばたりと地面に倒れた。

 志保さんは長剣に付いた血を拭き取り、スッと鞘へ直した。

「架深、大丈夫?」

「.....まぁ、それなりに」

「大丈夫じゃないでしょ」

 志保さんは困ったように眉を寄せて、碧の目が淡く光る。

 それから彼女の指が私の腕を優しく撫でた。すると、傷口がどんどん塞がっていった。

 動かすと痛みはあるものの、傷口はもう無かった。

「.....ありがとうございます」

「いいの!」

 志保さんは快活に笑う。私には無い明るさだ。


 怪我を治す異能。これが彼女の異能力だ。但し、痛みまでは癒せない。


「しぃちゃん、ありがと!」

「いいんだよ、そうちゃん」

 二人は顔を見合わせて笑い、パチンと手を合わせた。

 幼馴染みという事もあるのか、二人はとても仲が良い。

「...スズさんも、ありがとうございました」

「かっふぃーの為だからね。それに、かっふぃーが僕らに物事を頼むの、珍しいし」

 スズさんは笑い、私の頭を撫でる。

 この人はどうにも苦手だ。いい人に違いないんだけど。


 スズさんにも異能力がある。

 それは異常な幸運の力。どんな不幸も、彼の力の前では意味を成さない。


「で、この人誰なの?」

 スズさんは死体をつんつんと足で突きながら、小首を傾けて私へ訊ねる。

「.....見知らぬ人ですね」

「かっふぃーは、見知らぬ人を殺すような人間じゃないでしょ?」

 スズさんの見通すような瞳に、私は思わず後ずさりたくなった。完全に嘘だとバレている。

「.....はぁ。実は、友人が最近出来たんです。訳アリみたいで、詳しくは聞いてないから分かりませんけど。この人はその彼を追う追手のようでして。彼を知ってる私を殺そうとしてきたので、こういう状態になりました」

 簡潔かつ出来る限り真実に聞こえるよう、私は二人へそう言った。

「へぇ、新しい人が増えたんだ!」

 志保さんは嬉しそうに笑う。

 ...にゃんこは、人の括りに入れていいのかなぁ。化け猫だから、妖に入れるべきかな。

「人、じゃなくて猫です」

「猫!レンさんが喜んでそうだね」

 レンさんの猫好きは、〈霜花〉界隈では周知の事実である。

「今度会いに行ってみる?しぃちゃん」

「良いかもね!久し振りに孝介さんの珈琲とカステラ、食べたい!」

 あぁ、すっかり忘れていた。

「あの.....、今日の事は、誰にも言わないで貰えますか?私達三人だけで留めておいて欲しいんです」

 私の言葉に驚いたようで、二人は顔を見合わせて不思議そうにしてる。


 この事は少なくとも、悠威とにゃんこに伝えたらいけない。

 何故だかそんな気がした。


「頼みばかりで申し訳ないですが、お願いします」

「......普段の架深は一人歩きしがちだから、年齢相応にそうやっていつも我が儘言っていいんだよ?」

 我が儘を言うのはとても苦手だ。それで見放されないか、凄く不安になるから。

「ま、何でかの理由は聞かないよ。黙ってる」

 スズさんはニコッと笑って、白い男の服をまざくり始めた。

 恐らく彼の身元を調べる為だろう。

 めぼしい物が無いか、とスズさんがごそごそしていると──、白い男の身体が撞突に足先から燃え始めた。

 スズさんは素早く反応して飛び退く。


 メラメラ、ボウボウと。派手な音を立てて、男の死体は灰になる。

 呆気なく変わり果てた死体に、私達は顔を見合わせるしかなかった。

「.....一般人が魔金属に触れ過ぎると、何らかの支障を身体にきたす。若しくは呪いをかけられていたとか」

 志保さんはちらりとスズさんを見た。

「触診が短過ぎて分からない。でも、瘴気にも似た嫌な感じがしたよ。.....かっふぃー、本当に言わなくていい?」

 スズさんの問いに私は刹那迷ったが、しっかりと頷いた。


 黄昏時はすっかり禍時へ。

 黒濡れ羽の烏が一匹、カァと鳴いた。

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