第伍話 黒猫と闇医者

 俺がこの紺鉄こんてつの街にやって来て、一週間が経っていた。


 ここでの暮らしも大分慣れた。

 悠威の家で厄介となり、基本的には〈霜花〉で一日の大半を、悠威の見回りの仕事があればそれへついて行く。

 動物と話せる悠威だが、妖百鬼とは話せない為、妖から何らかの情報を得る時は俺が会話を試みた。

 化け猫として備わっている能力の、封じられていない僅かながら使える力と元の職業により、少しばかりは悠威を助けられていると良いのだが。

 架深は退魔絵師の仕事が本分だからか、あの日以来出会う機会が殆ど無かった。

 アパートから出る時に大きな絵を抱えている彼女を見て、悠威が声を掛けた数回ばかりしか見ていない。

 基本、架深は部屋の中で絵を描いている時間が多いようだ。

 もしかしたら...、避けられているのかもしれないが。

 あの日以来、どうにもぎこちないような気がしてならない。


 そんな事を考えながらも、今日もまた、俺は悠威と共に〈霜花〉へ来ていた。

 ここに居座っている人間は大体決まっている。

 まずは店主の孝介と店員の叶亜。悠威に俺、時々煉兎が訪れる。

 後は依頼を持ってくる役人や普通の一般客だ。

 俺が可愛く鳴いてやると、物好きは俺を撫でに来る。

 そういう意味で、俺は〈霜花〉の招き猫のような存在になっていた。

「いらっしゃーい」

 いつものように叶亜が俺達を出迎えた。

「あ、今日も架深は絵を渡しに行ったの?」

「みてぇだ」

 いつもの窓際の席に座って、悠威は叶亜へ珈琲を頼んだ。

 他に行く所ねぇのか、と訊ねると、

「ここら辺に良い娯楽施設がありゃあ話は別だがな」

 こう返される。

 時計の針が悠威と来た時より一周回った頃。いつもの傾奇者かぶきもののような格好の煉兎が店内へやって来て、悠威の前へ座る。

「レンさんいらっしゃい。何か食べる?」

「いいや、ええよ。のんびりしてるから」

 叶亜は「はいはーい」と笑って去って行った。

「カナトくんが悠威と居るのも、見慣れたなぁ」

「そうか?.....まぁ、確かに」

 俺も違和感は無いな。


 二人の他愛もない会話をぼんやりと聞きながら、丸くなっていると、孝介が店の奥から顔を出した。

「レンさん、あの人の鼻歌が聞こえるよ」

 孝介がそう言うと、煉兎が明らかに引き攣った顔をして慌てて席を立ち上がった。

 嫌いな奴が来るのか。

 俺は軽く首をもたげて扉の方を向くと、チリンチリンと扉の開く音が鳴る。


 そこには一人の男が立っていた。

 琥珀色の髪の毛に濃い山吹色の瞳。黒の着物に紺色の袴を着ており、その上から白衣を羽織っていた。端正な顔立ちをした、控えめに言っても女からちやほやされそうな男である。


 男は叶亜と孝介へ向けて「おはよー」と軽い調子でそう言い、悠威と煉兎の方を──もっと言えば煉兎を見て、ニコッと笑った。

「レンやん、おはよっ」

「お、おはようございます...」

 明らかに引き攣った顔。この男の事が苦手なんだろうか。

 男は俺達の方へ近付いて来て、俺を見下ろした。

「あー、黒猫拾ったの?」

 孝介が俺を飼っていると思ったんだろう、彼はカウンター席の方向へ顔を向けて訊ねた。

「はぐれの化け猫だよ。色々あって俺が預かってる」

 悠威がそう言うと、男は納得するように頷き、「動物好きだもんね、うっしー」と言った。

 そして、煉兎の方へ目を向ける。

「レンやん、そろそろ考えてくれたかな?俺と...、同盟組む話っ」

「俺は一人やるからえぇですよ。必要な時にはちゃんと組みますから。それに、叶真さんは一応医者が本業でしょう」

「闇医者だよー」

 ここで出会った人間の中でまともな仕事を兼任してるのは、孝介と叶亜と架深のみらしい。

荒樫叶真あらかしとうま。闇医者の人間だ」

 悠威は、俺へ聞こえるくらいの大きさの声で教えてくれた。

「レンやんってばぁ、つれないなぁ」

「つれなくて結構です。そういうお誘いは女にしてください」

「俺両性大丈夫だから。それにレンやんみたいな子なら全然いけるから」

「冗談でもやめてください」

 昼間からンな話すんなよ。

 叶真はケラケラと腹を抱えて笑い、また俺を見て俺の頭を撫でてきた。

「にしても君、化け猫なのに全然化け猫らしくないねぇ。変身とか出来ないの?化け猫って出来るんでしょ?」

「何か呪いにかかってるみたいで」

 へぇ、と興味があるのかないのか分からない声で、驚いたように目を丸くした。

「で、叶真さんは何しに来たの?」

 叶亜が三人の会話へ割って入る。

 そこで叶真は思い出したかのように手を打った。

「手頃な依頼無いかなぁって聞きに来たんだよ。そろそろ金が尽きそうでね」

 のらりくらりの生活をしてるんだろうか。

 孝介はカウンター席から何やら厚い封筒を取り出して、いくつかの綴じられた紙束を机の上へと並べていく。それを見て叶真は孝介の方へ歩いて行った。

「はぁ.....」

 煉兎は心底疲れた顔をして、顔を机へ突っ伏した。

 どうやら煉兎はあの男に気に入られているらしい。

 心の中でお疲れ様と呟いておく。

「あ、そう言えば、ふじさぁは一緒じゃないんだね、うっしー」

 ふじさぁ...、架深の事か。

「退魔絵師があいつの本当の仕事だからな。今日はそっちの仕事が入ってるらしいぜ」

「はー、まだ二十いかないのに、仕事熱心だねえ。俺みたいに楽しく悠々と生きていればいいのにぃ」

 叶真の感心する声を聞きながら、俺は目を丸くしていた。

 幼顔なのだろうとばかり思っていたのだが、下手したら俺よりも歳が低い可能性があるのか。

 女に守られるという恥ずかしい体験をしているかつ、年下に可愛がられているのかもしれないと思うと、どうしようもなく辛くなった。

「てか本当に藤沢、何歳なんだろうな。そもそも、あいつどこ出身だっけか?」

「僕と同い年なんじゃない?僕、十九だし、それくらいでしょ?結構外国に詳しいから、港町出身だと思うよ」

「てか、そこら辺は叶真さんがよう知ってはるでしょ。ここに架深を連れてきたの、叶真さんやろ」

「うん、俺」

 へらりとした笑顔で、俺達の方を見てそう言い、孝介へ「これ受けるね」と束になっている紙の一つを取って、もう一度パラパラと捲る。

「それじゃあ、俺はお仕事行くね。レンやん、同盟の事ぉ、よぉく考えておいてね?」

 叶真は煉兎へ意味深な目配せをすると、チリンチリンとまた鈴を鳴らして店から出て行った。

 僅か数十分の出会いだが、かなり店内の雰囲気を引っ掻き回されたような、そんな気がする。

「悪い人じゃないんだけどな...」

 それは分かる。胡散臭さはプンプンしたけど。

「強いんだよねぇ、能力は勿論だけど戦いの時もね」

 確かに、この中では一番年上に見えるから、たくさんの修羅場をくぐり抜けているようには見える。

「顔もええからなぁ。俺一回、あの人が凄い美人を侍らせて、夜の街歩いとったんを見た事あるからなぁ」

 男の俺から見ても、確かにあの顔はよく整っている方だと思う。活動写真に出演していてもおかしくないような人だ。


「「「性格がなぁ.....」」」


 見事に三人の声が綺麗に重なった。


「あんまり失礼な事言うなよ...」

 それを聞いて呆れたように笑いながら、空の封筒へ依頼内容の書かれた紙束を直しつつ、孝介がそう言った。


 それからはまた、ゆったりとした時間が過ぎていった。

 俺は適当に来る客に愛想を振りまいて、店を歩いていた。


 そろそろ夜が訪れそうになる頃、煉兎と悠威は帰る事にした。俺も勿論、悠威の肩に乗ってアパートへと帰る。

「いやぁ、今日も良さそうなもん無かったなぁ」

 二人があそこへ入り浸る理由は至極簡単だ。

〈霜花〉には役人が封筒に入れて依頼を持ってくる。その中からいち早く簡単かつ高額な依頼を手にする為である。

 役人はひと月に数回、曜日の決まりなく来る為、二人は〈霜花〉に用事もないのに行くのだ。

 控えめに言っても、暇人の極みである。


 アパートに辿り着いた時、その目の前には一人の人間が居た。

「架深」

 二人は勿論、俺も目を丸くする。

 いつもの綺麗な京藤の着物の左側は赤黒く濡れ、全体的に砂まみれである。何より酷く疲れた顔をしていた。

「.....どうしたんだよ、藤沢」

 悠威が目を丸くして訊ねながら、彼女の右肩に触れる。

「.....大丈夫、少し不良に絡まれただけだから」

 目線を下に向けたまま、架深はそう答えた。

 どこをどう見ても、『不良に絡まれた』という言葉だけでは済ませられない。

「せやけど、ほんまに酷い傷やで?」

「志保さんに治してもらった。というか、二人に助けてもらったから」

 ふっ、と架深は安心させるように微笑んで、俺へ視線を向けた。

「ただいま、にゃんこ」

 よしよし、とぎこちない動きで頭を撫でる。


 本当に大丈夫なのかよ、と俺は思う。

 ただでさえ細く頼りのない身体なのに。今の架深は更に酷く弱々しい。


「でも藤沢」

「本当に大丈夫だから、気にしなくていい」

 まるでその話題に触れて欲しくないように、架深は二人に踵を返して自室へと歩いて行った。

 悠威も煉兎も何も言わない。

「.....ああいう所は可愛かわゆうないなぁ」

「だな」

 俺達もまた自室へと帰って行った。


 この夜の寝るその瞬間まで。

 あの時の架深の笑みが頭の脳裏にこびり付いて、しばらく離れなかった。

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