第伍話 黒猫と闇医者
俺がこの
ここでの暮らしも大分慣れた。
悠威の家で厄介となり、基本的には〈霜花〉で一日の大半を、悠威の見回りの仕事があればそれへついて行く。
動物と話せる悠威だが、妖百鬼とは話せない為、妖から何らかの情報を得る時は俺が会話を試みた。
化け猫として備わっている能力の、封じられていない僅かながら使える力と元の職業により、少しばかりは悠威を助けられていると良いのだが。
架深は退魔絵師の仕事が本分だからか、あの日以来出会う機会が殆ど無かった。
アパートから出る時に大きな絵を抱えている彼女を見て、悠威が声を掛けた数回ばかりしか見ていない。
基本、架深は部屋の中で絵を描いている時間が多いようだ。
もしかしたら...、避けられているのかもしれないが。
あの日以来、どうにもぎこちないような気がしてならない。
そんな事を考えながらも、今日もまた、俺は悠威と共に〈霜花〉へ来ていた。
ここに居座っている人間は大体決まっている。
まずは店主の孝介と店員の叶亜。悠威に俺、時々煉兎が訪れる。
後は依頼を持ってくる役人や普通の一般客だ。
俺が可愛く鳴いてやると、物好きは俺を撫でに来る。
そういう意味で、俺は〈霜花〉の招き猫のような存在になっていた。
「いらっしゃーい」
いつものように叶亜が俺達を出迎えた。
「あ、今日も架深は絵を渡しに行ったの?」
「みてぇだ」
いつもの窓際の席に座って、悠威は叶亜へ珈琲を頼んだ。
他に行く所ねぇのか、と訊ねると、
「ここら辺に良い娯楽施設がありゃあ話は別だがな」
こう返される。
時計の針が悠威と来た時より一周回った頃。いつもの
「レンさんいらっしゃい。何か食べる?」
「いいや、ええよ。のんびりしてるから」
叶亜は「はいはーい」と笑って去って行った。
「カナトくんが悠威と居るのも、見慣れたなぁ」
「そうか?.....まぁ、確かに」
俺も違和感は無いな。
二人の他愛もない会話をぼんやりと聞きながら、丸くなっていると、孝介が店の奥から顔を出した。
「レンさん、あの人の鼻歌が聞こえるよ」
孝介がそう言うと、煉兎が明らかに引き攣った顔をして慌てて席を立ち上がった。
嫌いな奴が来るのか。
俺は軽く首をもたげて扉の方を向くと、チリンチリンと扉の開く音が鳴る。
そこには一人の男が立っていた。
琥珀色の髪の毛に濃い山吹色の瞳。黒の着物に紺色の袴を着ており、その上から白衣を羽織っていた。端正な顔立ちをした、控えめに言っても女からちやほやされそうな男である。
男は叶亜と孝介へ向けて「おはよー」と軽い調子でそう言い、悠威と煉兎の方を──もっと言えば煉兎を見て、ニコッと笑った。
「レンやん、おはよっ」
「お、おはようございます...」
明らかに引き攣った顔。この男の事が苦手なんだろうか。
男は俺達の方へ近付いて来て、俺を見下ろした。
「あー、黒猫拾ったの?」
孝介が俺を飼っていると思ったんだろう、彼はカウンター席の方向へ顔を向けて訊ねた。
「はぐれの化け猫だよ。色々あって俺が預かってる」
悠威がそう言うと、男は納得するように頷き、「動物好きだもんね、うっしー」と言った。
そして、煉兎の方へ目を向ける。
「レンやん、そろそろ考えてくれたかな?俺と...、同盟組む話っ」
「俺は一人やるからえぇですよ。必要な時にはちゃんと組みますから。それに、叶真さんは一応医者が本業でしょう」
「闇医者だよー」
ここで出会った人間の中でまともな仕事を兼任してるのは、孝介と叶亜と架深のみらしい。
「
悠威は、俺へ聞こえるくらいの大きさの声で教えてくれた。
「レンやんってばぁ、つれないなぁ」
「つれなくて結構です。そういうお誘いは女にしてください」
「俺両性大丈夫だから。それにレンやんみたいな子なら全然いけるから」
「冗談でもやめてください」
昼間からンな話すんなよ。
叶真はケラケラと腹を抱えて笑い、また俺を見て俺の頭を撫でてきた。
「にしても君、化け猫なのに全然化け猫らしくないねぇ。変身とか出来ないの?化け猫って出来るんでしょ?」
「何か呪いにかかってるみたいで」
へぇ、と興味があるのかないのか分からない声で、驚いたように目を丸くした。
「で、叶真さんは何しに来たの?」
叶亜が三人の会話へ割って入る。
そこで叶真は思い出したかのように手を打った。
「手頃な依頼無いかなぁって聞きに来たんだよ。そろそろ金が尽きそうでね」
のらりくらりの生活をしてるんだろうか。
孝介はカウンター席から何やら厚い封筒を取り出して、いくつかの綴じられた紙束を机の上へと並べていく。それを見て叶真は孝介の方へ歩いて行った。
「はぁ.....」
煉兎は心底疲れた顔をして、顔を机へ突っ伏した。
どうやら煉兎はあの男に気に入られているらしい。
心の中でお疲れ様と呟いておく。
「あ、そう言えば、ふじさぁは一緒じゃないんだね、うっしー」
ふじさぁ...、架深の事か。
「退魔絵師があいつの本当の仕事だからな。今日はそっちの仕事が入ってるらしいぜ」
「はー、まだ二十いかないのに、仕事熱心だねえ。俺みたいに楽しく悠々と生きていればいいのにぃ」
叶真の感心する声を聞きながら、俺は目を丸くしていた。
幼顔なのだろうとばかり思っていたのだが、下手したら俺よりも歳が低い可能性があるのか。
女に守られるという恥ずかしい体験をしているかつ、年下に可愛がられているのかもしれないと思うと、どうしようもなく辛くなった。
「てか本当に藤沢、何歳なんだろうな。そもそも、あいつどこ出身だっけか?」
「僕と同い年なんじゃない?僕、十九だし、それくらいでしょ?結構外国に詳しいから、港町出身だと思うよ」
「てか、そこら辺は叶真さんがよう知ってはるでしょ。ここに架深を連れてきたの、叶真さんやろ」
「うん、俺」
へらりとした笑顔で、俺達の方を見てそう言い、孝介へ「これ受けるね」と束になっている紙の一つを取って、もう一度パラパラと捲る。
「それじゃあ、俺はお仕事行くね。レンやん、同盟の事ぉ、よぉく考えておいてね?」
叶真は煉兎へ意味深な目配せをすると、チリンチリンとまた鈴を鳴らして店から出て行った。
僅か数十分の出会いだが、かなり店内の雰囲気を引っ掻き回されたような、そんな気がする。
「悪い人じゃないんだけどな...」
それは分かる。胡散臭さはプンプンしたけど。
「強いんだよねぇ、能力は勿論だけど戦いの時もね」
確かに、この中では一番年上に見えるから、たくさんの修羅場をくぐり抜けているようには見える。
「顔もええからなぁ。俺一回、あの人が凄い美人を侍らせて、夜の街歩いとったんを見た事あるからなぁ」
男の俺から見ても、確かにあの顔はよく整っている方だと思う。活動写真に出演していてもおかしくないような人だ。
「「「性格がなぁ.....」」」
見事に三人の声が綺麗に重なった。
「あんまり失礼な事言うなよ...」
それを聞いて呆れたように笑いながら、空の封筒へ依頼内容の書かれた紙束を直しつつ、孝介がそう言った。
それからはまた、ゆったりとした時間が過ぎていった。
俺は適当に来る客に愛想を振りまいて、店を歩いていた。
そろそろ夜が訪れそうになる頃、煉兎と悠威は帰る事にした。俺も勿論、悠威の肩に乗ってアパートへと帰る。
「いやぁ、今日も良さそうなもん無かったなぁ」
二人があそこへ入り浸る理由は至極簡単だ。
〈霜花〉には役人が封筒に入れて依頼を持ってくる。その中からいち早く簡単かつ高額な依頼を手にする為である。
役人はひと月に数回、曜日の決まりなく来る為、二人は〈霜花〉に用事もないのに行くのだ。
控えめに言っても、暇人の極みである。
アパートに辿り着いた時、その目の前には一人の人間が居た。
「架深」
二人は勿論、俺も目を丸くする。
いつもの綺麗な京藤の着物の左側は赤黒く濡れ、全体的に砂まみれである。何より酷く疲れた顔をしていた。
「.....どうしたんだよ、藤沢」
悠威が目を丸くして訊ねながら、彼女の右肩に触れる。
「.....大丈夫、少し不良に絡まれただけだから」
目線を下に向けたまま、架深はそう答えた。
どこをどう見ても、『不良に絡まれた』という言葉だけでは済ませられない。
「せやけど、ほんまに酷い傷やで?」
「志保さんに治してもらった。というか、二人に助けてもらったから」
ふっ、と架深は安心させるように微笑んで、俺へ視線を向けた。
「ただいま、にゃんこ」
よしよし、とぎこちない動きで頭を撫でる。
本当に大丈夫なのかよ、と俺は思う。
ただでさえ細く頼りのない身体なのに。今の架深は更に酷く弱々しい。
「でも藤沢」
「本当に大丈夫だから、気にしなくていい」
まるでその話題に触れて欲しくないように、架深は二人に踵を返して自室へと歩いて行った。
悠威も煉兎も何も言わない。
「.....ああいう所は
「だな」
俺達もまた自室へと帰って行った。
この夜の寝るその瞬間まで。
あの時の架深の笑みが頭の脳裏にこびり付いて、しばらく離れなかった。
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