第肆話 黒猫と〈霜花〉
看板が【開店中】に掛け変わっている〈霜花〉へ、四人と俺は帰って来た。
店内には昼前という事もあるのか、それとも隠れた名店なのか、客足はあまり無い。
...こんな繁盛具合でよく店を続けられるな、と思ったが、依頼受付を兼ねている店だと孝介が言っていたのを思い出す。そんな特殊な店が潰れたら色々と面倒だから、補助金なんかを貰ってるのかもしれねぇな。
「たっだいまー!」
叶亜が明るい声を上げて、孝介へ帰って来た事を知らせる。
孝介は厨房から出て来て、「お客さんがいるから静かに、それと手伝って」と叶亜へ言う。叶亜はこくんと頷いて、厨房へと駆けて行った。
俺達は窓側の四人テーブルの席へ座り、一番窓側の─つまり、人のあまり関わらないで済む迷惑のかからないであろう位置にある机の椅子に俺を座らせて、後は適当に三人が腰を下ろす。
「何頼むー?」
「.....私は、オムレツライス」
「いいな。俺はライスカレーにするー」
「皆決めるの早ない?!」
品書きを開いてすぐに、悠威と架深は決めたが、煉兎は暫くうんうんと悩み、スパゲッティナポリタンを注文する事にした。
そこで、何かに気が付いたように悠威が架深の方を向く。
「.....おい、藤沢」
「何?」
「朝飯、お前、食った?」
おーや。ようやく悠威は架深が朝飯を食べてない事に気付いたらしい。...遅くねぇか?
「食べた。蜜柑味の飴玉を一つ」
「それは食べたとは言わねぇ」
「でも、すぐ行く感じだったから。まぁ、いいかなって」
「.......俺とは違って味を楽しめんだから、飯食っとけよ馬鹿」
溜息混じりに返された言葉だが、悠威のその言葉には確かに彼の感情が入っていた。
架深は僅かに目を瞬かせて、こくりと小さく頷く。
三人は一気に気まずそうな顔になった。
彼らが決して身体の欠如した箇所には触れていなかった理由を、俺は目の当たりにしている気がする。
「注文決まったー?」
そんな雰囲気を壊すように、給仕の格好へ着替えた叶亜が、注文を取りにテーブルへ来た。
「んー、決まったで。オムレツライスとライスカレー、スパゲッティナポリタンを頼むわ」
「うん。あ、悠威、カナトくんはどうする?」
「魚ソーセージでいい。昨日美味そうに食ってたから」
「分かったー」
叶亜は「ごゆっくりー」と言うと、注文を孝介へ厨房へ届けに行った。
今回は、あいつの明るさが功を奏しただろう。触れ難い空気が少し柔らかくなった気がする。
「さあってと、昼からどうするかなぁ」
しぃんとした空気に耐えられないのか、煉兎が話題を切り出した。
「俺は部屋で寝る。特にしたい事ねぇし」
「何?何なら俺と博打行く?」
「お前そんな所に行かねぇだろうが」
「昼間から、変な会話」
「えぇー、勝負師なら...、なぁ?」
煉兎は悠威に意味ありげに目を向け、それから俺へも向けて来た。
いやまぁ、俺達化け猫は人間になれるし、博打が出来ない訳じゃないと言えばないが...、架深の言う通り、昼間の喫茶店でする話ではないな。
「ま、冗談やで?一緒に遊びに行こうとは誘ってるけど」
「.....暇だから、構わねぇけど」
「私はにゃんこの絵の続きを描きたいから、にゃんこを部屋に上げてもいい?」
悠威に許可を取るように、架深は訊ねた。
「いいぜ、カナは?」
勿論。架深と居るよ。
もう少しよく絵を見てみたいしな、と付け足すと、悠威はそれを架深へ伝えた。
「あ、そういえば。ここに飾ってある絵も、架深が書いた絵なんよねぇ?」
思い出すように手を打ちながら、煉兎がそう言い、俺はそれを聞いて店内へ目を向けた。
店内には二枚の絵が飾られている。
一つは森の湖畔の絵。鬱蒼と茂る森の中に、その景色を鏡のように写す湖が描かれている。
その反対側には、二本の花が生けられた花瓶に触れようとする人の手の絵。その手は生きているように瑞々しく、今にも二輪の花へ優しく触れようとするような──、動きそうな印象を受ける。
これらもまた、素敵な絵だ。
「俺、絵ぇ下手やからなぁ。上手い架深が羨ましいわ」
「レンさんは、上手いよ。スズさんは下手っぴだけど」
どうやら、ここで依頼を受ける人間はまだ居るらしい。
またいつか『スズさん』とやらの顔を見る機会がありそうだ。
「はーい、魚ソーセージ持って来たよ、カナトくん」
ま、一番手間暇が少ないだろうからな。
俺は一鳴きしてから、ピンク色のそれを食べた。うん、美味い。
叶亜はすぐに引っ込んで行き、次に悠威の頼んだライスカレーを運んで来た。
「はい、ライスカレー」
スパイスの良い香りが鼻をくすぐる。匂いの強い一品だ。
それからスパゲッティナポリタンと来て、最後にオムレツライスが来た。
皆、美味しそうに食べていく。
...俺も今人間になれたら、皆と飯を囲んで食えるんだろうな。
ペンダントを止める金具にそうっと触れようとして──、その手を止めた。
「美味し」
「美味いなぁ」
「.....いい匂いする」
三人は美味しそうにパクパクと食べ進めていく。
店は幾分か落ち着いたようで、叶亜はカウンター席に座って、店のまかない料理のような物を食し、孝介は珈琲を飲んで一服していた。
料理自体が来るのが早かったからか、それとも食べる早さが早いのか。食べ終わるのが早いのは、やはり男の悠威と煉兎だった。
二人は一人ひとりカウンターに居る孝介へ金を払いに行き、店を出て行った。
もぐもぐと、架深はのんびりと食している。
「カナトくんは本当に架深に懐いてるんだね。まだ二日でしょ、知り合って」
叶亜は微笑ましい光景なのか、くすくすと笑いながら俺達を見ている。
確かによくよく考えていると、まだ彼らと知り合って二日ばかりしか経ってない。
だが、何故だか彼らと居るのは妙に落ち着くのだ。
どこか彼らとは似通った箇所があるからかもしれない。それが何なのかは...、上手く言葉に出来ないが。
「.....にゃんこは、優しいからね」
「カナトくんって、呼ばないの?名前、知ってるんでしょ?」
「呼ばない。にゃんこは、にゃんこだからね」
いまいちどういう理由なのかは分からなかった。
叶亜も俺と同じく分からないようで、首を傾げたものの、「そっか」と曖昧に笑って相槌を打った。
のんびりとオムレツライスを食べ終わり、珈琲を一杯飲んでから、俺と架深は〈霜花〉を後にした。
カツカツと架深のブーツの足音が鳴る。
また三分程かけてアパートへ戻り、架深の部屋へと俺は入った。
「にゃんこ、絵を見てていいよ。私、歯を磨いてくるから」
分かった。
架深が洗面台へ向かったのを確認して、俺はあの絵を見に行った。
彼女の紫の左目だけが描かれた、小さな作品を。
何故か、酷くこの作品を気に入ってしまった俺がいる。
余程印象が強かったんだろうか、それにしても凄い作品だと思う。
架深の絵の展覧会なんかが開催されたら、沢山の人が見に来るんじゃないだろうか。
力強く、優美で、どこかもの哀しさがある。
こいつの絵が、俺は好きだ。
「.....それ、好きなの?」
架深が俺の横にしゃがんで、顔を覗き込んで訊ねてきた。
うん、好きだ。
そういう意味を込めて鳴く。
それを聞いて、ふふ、と架深は笑う。
「.....ideal」
そしてぽつりと、呟くように異国の響きの言葉を口にする。
「分かる?
理想──。この左目の絵が、理想...。
言葉の重さに、俺は一声も上げられなかった。
「変な話したね。にゃんこ、好きに見てていいよ」
私、勝手に絵を描いてるから。
架深は部屋の中の椅子に座り、机の上に数本の鉛筆と消しゴムを並べ置き、スケッチブックを開いた。
俺は許された通り、部屋の中を見て回る。
というか、朝に見た絵に描き足すだけだとばかり思っていたから、描き直すとは思ってなかった。
ふと、俺はちらりと架深を見てみた。
その片目は鋭く細められて、思わず動きを止めてしまいそうになる。
一筆一筆に自らの命を込めているような手の動きが、俺の所作の一つ一つを逃さないような観察眼が、架深がそこらに居る只人でないように思わせる。
彼女の真剣さが真っ直ぐ俺へ伝わってきた。
夕方近く、全ての絵を見終えた俺はいつの間にか眠ってしまっていた。
目を覚ますと共に、架深の長い吐息が聞こえてきた。
ことん、と筆の置かれる音がする。
出来たのか。
俺はのそのそと近付いて、架深の膝の上へ乗る。
その絵の中に、『俺』がいた。
あのスケッチブックに描かれていたのは落書き程度の力で描かれていたんだな、と痛感した。
黒の毛並み。赤い瞳。この猫は今にも鳴いて動き出しそうで。
下の方に、さらさらと文字が書かれている。
「.....それは、black cat。黒猫、って意味の単語を書いてる」
架深は俺へ顔を近付けてそう言い、そして俺と絵を見比べて、思い付いたように「そうだ」と呟いた。
「にゃんこ、手を貸して」
言われるがまま、俺は架深の手へ自らの手を乗っけた。
架深は俺の手を取って、その上に黒の絵の具を塗っていく。筆先が俺の手をこちょこちょとして──、とても擽ったい。
「よしよし。それをここに、っと」
架深はそっと俺の手を優しく取って、『black cat』と書かれた文字の横に印鑑を押すように、ぽんと置いた。
俺の肉球の印鑑がそこへ付く。
架深は俺を抱き抱えたまま、洗面台へ向かい、俺の手をしっかりと洗ってくれた。
「うん、いい出来」
嬉しそうに『black cat』を眺め、スケッチブックから切り離して、茶色の額縁の中へ収めた。
俺も、いい出来だと思う。
「これ、悠威にあげよう。喜びそう」
悠威は動物好きなんだ。架深はふふ、と笑いながらそう言った。
そう言うお前も、動物好きそうだけどな。
架深は道具一式をテキパキと片付けて、ソファへ腰を下ろした。
俺は架深の膝の上へ乗る。すると、背中をよしよしと撫でられた。
うん、落ち着く。
「...にゃんこ」
架深の声が上から降る。低くて落ち着く柔らかい声。
「私、未来予知の力とか無いんだけど。何となく、にゃんこが遠い所へ行くような気がするんだ」
その言葉に、俺はピクリと反応しかける。
「何でだろ。分からない。けど.....」
今まで静かだった心音が煩く鳴り始める。
尻尾が動いてないか、毛並みが変わってないか。そんな事が気になってしまう。
そんな事を考えていると、ギュッと架深が俺を抱き締めてきた。
人肌としては温かいものの、どこか冷たい体温。心なしか、震えているような気がする。
「もしそれが本当なら...、君の好きなように生きてね、奏人」
初めて呼ばれた『奏人』に、俺はビクリと体を震わせる。
ザワザワと、胸がザワつく。
妙に落ち着かない。
そんな俺達の雰囲気を、コンコンと無機質に鳴ったノック音が変えた。
架深は顔を上げて俺をソファへ乗せると、玄関へ向かって行った。
「カナを迎えに来た」
悠威だ。俺はととっと玄関へと赴く。
「...悠威、渡したい物がある。少し待ってて」
恐らく俺の絵だろう。架深はリビングへ行った。
「描いて貰ってたのか?」
あぁ、三時間くらい描いてたと思うぜ。寝てたから詳しくは分からねぇけど。
「そりゃあ結構な大作だ」
「持って来た」
架深は悠威へ『black cat』を手渡した。
「いい絵だな」
「私もそう思う」
こくっと頷いて、架深は俺へ視線を移した。
「また明日。ばいばい」
おぅ、また明日な。
俺が一鳴きすれば、架深は微かに微笑んだ。
架深と別れて、隣の悠威の部屋へ俺は帰って来た。
悠威は部屋の空いている壁へ、俺の絵を飾った。
「楽しんだか?」
まぁ、それなりに。
悠威は俺の言葉に「そうか」と相槌を打って、夕飯を作りにキッチンへ行った。
その間、俺はぼんやりとさっきの事を考えていた。
俺は、いつかは
だから、架深の言っていた通り、いなくなるだろう。
いずれは彼らと別れなくてはいけないんだ。
それがいつなのかは分からないけど、
「ほれ、カナ、飯」
それまでは、俺はここに居続けていたいと思ってる。
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