第参話 黒猫とお仕事

 四人と俺は依頼場所であるらしい、寂れたシャッター街へ来ていた。

 この場所に近づく度に、何とも言い難い囲気が肌を撫でた。

 それは四人も同じようで、顔付きが厳しくなっていっていた。

 だが、徐々に『仕事』の顔付きというか、妙に好戦的になるのだろうか、楽しそうな散歩へ行くような雰囲気へと変わる。

「こりゃあ、妖もこの場所が好きそうやねぇ」

 煉兎はくっくっと噛み殺したように笑って、乾いているらしい唇を舐める。

「人の嫌な感情がぐるぐるって渦巻いてる。瘴気が酷く濃いよ」

 叶亜は顔を顰めてそう言う。


 瘴気─人々の負の感情が空気を穢す事で生まれる妖百鬼の栄養素─は、普通の人体には病気を引き起こすと共に、妖百鬼らを呼び寄せてしまう、人間からすると迷惑な代物だ。

 つまり、俺からするとこの瘴気は大変美味しい代物なのだが、今は普通の猫に成り下がっているせいか、どうにも居心地が悪いというか、気持ちが悪い。


「多分、結構な数の雑魚が居そうだよね。それを狙って、そこそこの強い妖も居そう」

「だな、手分けするか」

 悠威は髪を掻きながら言い、手近な商店街の裏道へと入って行った。

「じゃあ、俺は反対側に行こか。二人で大通りを見回ってな」

「うん」

「分かった」

 任せとけ。

 煉兎と分かれ、叶亜と架深が大通りを歩く。


 それにしても、ここはいつ頃寂れたんだろうか。随分と時の経った印象を受ける。

 閉まったシャッターは錆び付いて、荒れた路面には雑草がぼうぼうと生えている。時折吹く風でカタカタと音を立てて窓やシャッターが揺れ、それが酷く恐怖を煽る。

 今は昼間だからいいものの、夜だったらここはめちゃくちゃ怖ぇだろうな。怪奇現象が起こる場所として有名になりそうだ。

「ねぇ、カナトくん、君は妖の気配を感じ取れたりする?」

 無理に決まってんだろ。そんなの出来ねぇ。

 俺が一声鳴くと、架深は俺の顎を優しく撫でた。

「通説の化け猫にはそんな力はない。自分達で探さないと、いけない」

「やっぱりー?んん、面倒だなぁ」

 叶亜は背を伸ばしながら、そう言う。その時、悠威の向かっていた方向から轟音が聞こえた。

 二人が反応する。

「あはっ!やっぱりいるみたいだね!」

「いつも思う。叶亜の気分の盛り上がりが、どうにも分からない」

「僕は祭り事は何でも好きだよ?」

「そう」

 架深は小さく溜息を吐いて、袖口から小物入れを取り出す。そこから丸い蜜柑色の飴玉を出し、口へ放り込んだ。

 それを見て思い出す。

 お前、〈霜花〉で飯食うって言ってたよな。何で食べなかったんだ。

「悠威の方しか出ないのかな?だとしたら僕達ハズレくじ?.....いや、仕事せずに報酬が貰えるなら、当たりくじなのかな?」

「いや、こっちに逃げて来ると思う」

 架深の言葉が終わるか終わらないかという所で、横道から姿を現した。


 しなやかな体付きに鋭い爪を抱いた短い四肢、鼻先の尖った顔に反して、耳は丸く愛らしい。しかし、その目は昨日の旧鼠と同じく、殺気に満ちている。

 恐らく、鎌鼬かまいたちという妖だ。

 一匹だけしか出て来ないのかと思いきや、ぞろぞろと数匹が出て来る。

 個体差なのか男女差なのか、体の大きさはまばらだ。

「あははっ!」

 叶亜がまた笑った。

 何故だろうか。.....この男、何かヤバいような気がする。

「...叶亜、遠くは任せた。にゃんこ、この前のように」

 しがみついておけ、と言っているんだろうか。

 俺がはしっと彼女の襟首を掴むと、架深はにこりと微笑んで鎌鼬の群れへ目を向けた。

 叶亜は架深へ返答するようにひゅうっと口笛を吹き、腰から拳銃を一丁引き抜く。そして何の躊躇いもなく、鎌鼬の内の一匹へ撃った。

 それを受けて、奴等は完全に俺達を敵視する。

「いひひっ!さぁ!楽しもう、楽しもうね!僕が殺してあげるよ、一匹残らず、ね!」

 完全に叶亜の目は狂気じみた瞳をしていた。

「.....相変わらずで、何より」

 何よりでいいのか?!

 勿論俺のツッコミは聞こえずに、架深は短剣を鞘から抜く。

 刃に風がまとわりつき、ギュルルルと音を立てている。

「いひひひひひっ!!」

 耳につく変な笑い声を上げながら、叶亜はもう一丁腰から拳銃を取り出して、鎌鼬を撃っていく。叶亜が撃ち損じたり、また一発で仕留められなかった鎌鼬を架深が次々と斬っていく。

 俺は振るい落とされないよう、必死に架深へ掴まる。とは言えども、架深は身体の芯がしっかりしているのか、あまり身体が揺れる事は無かった。

 むしろ、目の前で動く叶亜の方が、架深の代わりに縦横無尽に動き回っているように見える。

 庇ってくれている、のだろうか。

「ふひひひひひひひっ!!」

 いや、ただ楽しんでいるだけにしか見えないな。


 二人の素晴らしい動きのお陰で、ものの数分で鎌鼬は殲滅された。

「けほっけほっ、いやぁ、楽しかった!」

 笑い過ぎたのか、軽く咳をしながら叶亜は笑う。架深は眉に深く皺を寄せ、

「薬、飲んだら?身体、強くないんだから」

 薬?こいつ身体弱いのか?

 叶亜は架深の言葉に苦笑いして、「まだ大丈夫だよ」と言った。

 架深は不安そうだが、本人が大丈夫だと言うからか、そこまで深く咎めようとはしなかった。

「いずれにせよ、まだいるかも。探そ」

「うんっ」

 架深はどこか叶亜を庇うような形を取りつつ、すたすたと歩いて行く。


 ここまでの会話から察するに、どうやら叶亜は身体が弱いようだ。

 架深の左目が無いように、悠威の味覚がないように。叶亜にもきっと『何か』が無いのだろう。それが恐らく健康に関わる事なんだ。

 俺はぴょんと、叶亜の方へ飛んだ。

 叶亜は驚いたものの、俺の体を見事に予想通り受け止める。

「うわ、.....懐いてくれたのかな?」

「かも。それか、叶亜が咳き込むから、心配してるのかも」

 どっちも大当たりだ、架深。

 賞賛する一鳴きを俺が上げたと共に、架深が左の脇道へ紫の瞳を仄かに光らせながら向け、バチンと凄まじい音が鳴ったのは、ほぼ同時だった。


 相手は再び脇道へ転がっていったが、余程強い反発だったのか、架深の身体も動く。

「架深!」

「問題無い」

 叶亜の声に架深は淡々と返し、俺達の方を向く事なく、体勢を整えた。

 もし、架深に妖を弾く力が無ければ妖に食われていたのだと思うと、背筋がゾッとした。

 架深は鞘へ直していた短剣を抜き、正眼に構えた。


 のっそのっそと再び脇道から出て来たのは、赤肌の二本角の生えた巨大な鬼だった。

 手にはゴツゴツとした複数の突起のある金棒を持ち、筋肉質の体を見せつけたいのか、黄色い虎柄のパンツ以外には何も履いていない。

 架深の小柄な身体と比べると、鬼は巨人のように見えてしまう。

 鬼は威嚇するように低く唸り、血走った眼を架深へ向ける。


 そんな目線に架深は怯えた様子など一切なく、相手の動きを見ているようだった。

 叶亜も腰の拳銃へ手を伸ばしている。こちらへ向かって来たら、確実に撃てるように。

 俺もギッと鬼を睨みつける。

 今はこんななりだが、人間の時は睨みを利かせると『数人は殺ってる目』と揶揄されていた程の目つきの悪さを俺は持ってんだ。

「........なかなかの大物。私がお相手、してあげる」

 架深は鬼を煽るように声をかける。その意味を理解したのか、鬼は架深目掛けて金棒を振り下ろした。

 それはまるで叩きつけて彼女を潰すように。

 架深はその動きを見切っていたようで、軽く跳んで躱す。金棒は何も居ない地面を抉った。その上へ架深が降り立つ。

「重い武器。振るのが遅い」

 鬼は再び振り下ろす為に振り上げた。架深は素早く飛び降り、その瞬間に鬼の腹を斬る。

 その時、俺には彼女の短剣が普通の剣程の大きさに刃が伸びたように感じた。

 架深は僅かに顔を顰め、鬼から距離を取り、俺達の前へ立つ。

「筋肉質、凄く硬い」

 どうやら硬すぎて刃で傷つかなかったらしい。

 鬼はほくそ笑むように、俺達を見下ろしていた。

「っ、」

 叶亜は銃口を鬼へ向け、二発発砲する。

 しかし架深の言う通り、あいつの体は鋼鉄みてぇに硬いのか、大した傷にはなっていない。

「もしかして、瘴気の吸い過ぎで強くなってるのかも...」

「可能性ある」

 ふっ、と架深が短く息を吐くと、音を立てて短剣に風が集まり、刃が長くなった。

 やっぱり、さっき見たのは見間違えじゃなかったのか。

「.....叶亜、目線を反らすようにして欲しい」

「ん、分かった!」

 叶亜は頷いて、俺へ目を向けた。

「ね、お願いがあるんだけど...、肩から降りてそのまま立ち止まっててくれる?絶対に動いちゃ駄目だよ?」

 よく分からないが、言われた通り地面へ降りた。次の指示を聞こうと、叶亜へ顔を向けたその時。


 そこには赤鬼がいた。


 目の前で起こっている状況がさっぱり分からず、俺は目を白黒させるばかりだ。でも叶亜の『動くな』という言葉を守らなくてはならない。

 俺は動揺したものの、その場からは動かなかった。

 突然現れた赤鬼は、ゆっくりとした足取りで目の前の赤鬼へ近付いていく。

 向こうも、急に現れた同胞に驚いているようだ。


 それを見て、




「架深、今だよ」





 架深が動く。



 突然現れた赤鬼のいた場所には、何故か叶亜が立っていた。それに赤鬼は気を取られ、架深の方への反応が遅れた。

「ありがと」

 架深は叶亜へ礼を言い、地面を思い切り蹴って跳躍し、金棒の持っていない方の手を斬り落とした。

 肘辺りからぼとりと落ち、勢いよく黒い血が噴く。

 鬼の眼光が架深の背へと向いた。

 その背後へと金棒が勢いよく振り下ろされる──、という事は無かった。


 その金棒の突起に引っかかるように、所々に紫色の紋様が描かれた銀色の鎖が絡み付いている。


「お前が最後の一匹のようやね?」


 その鎖は屋根の上から伸びていた。

 そこにいたのは、不敵に微笑む煉兎が立っていた。片側の袖口から鎖を出している。

「悪いけど、済まんなぁ」

 笑顔のままで、しかものんびりとした彼の口調が、逆にえも言われぬ恐怖を感じる。

 架深は素早く振り向いて、もう片側の腕も切り落とす。

 それを合図として、反対側の道から悠威が駆けてきた。その手には、架深の短剣よりも遥かに長い剣が握られている。

「死ねよ、餓鬼」

 さらりと暴言を吐きながら、綺麗に斜めへ斬った。

 短剣では得られない攻撃力の高さなのか、女と男の力の違いなのか、今度は斜めに傷が付く。

 よろめく鬼の頭に鎖が纒わり付く。

 煉兎が金棒から離した鎖ともう片側の鎖が、鬼の頭蓋骨と首を締め上げる。

「ほな、さいなら」

 ゴギゴギ、ボキボキ、バキバキ。

 骨の折れる音と、肉の潰れる音。血飛沫が勢いよく上がり、どす黒い鮮血が噴き上がる。

 他にも色んな音が混ざり合い、鬼の頭部はぐちゃりと圧で潰れた。


 それを見届けると、煉兎は二本の鎖を袖の中へとあっという間に巻き戻し、屋根から飛び降りて来た。

 どんな運動神経してんだ。普通の人間なら足を骨折してるぞ。

「お前らの所も、こいつで終わりか」

「うん、そう」

 架深はこくりと頷き、叶亜の顔色を見て、俺へ目を向けた。

 言い付け通り、俺は動かずに黙ってこいつらの仕事を見ていた。

 架深は俺へ近付いて来て、優しく俺の頭を撫でてくれた。どこかぎこちなさを感じるものの、よしよしと撫でてくれる。

「いい子だねぇ、にゃんこ」

 褒められる、という体験をなかなかした事のない俺に、彼女の褒め言葉はどうにも...、気恥ずかしいものがあった。

 どうも、という意味を込めて、鳴いておく。

 架深はそんな俺を優しく抱き上げてくれた。

「さて、帰るか」

 悠威は欠伸をしながら、鞘へ剣を収める。

「昼飯は〈霜花〉で食うか、藤沢」

「うん、そうする」

「じゃあ俺もー」

 全員がそう言い、俺達はシャッター街を後にした。


 行きと同じように架深の肩へ乗せられた俺は、ふいと後ろを見た。

 黒く変色しパラパラと枯葉のように地面に散ってしまった鬼の死体を見て、

「.....にゃんこ?」

 架深に呼ばれて視線を外した。

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