MERRY
千住
クリスマスおめでとう
粉雪が師走の街を染める。クリスマスに浮かれた装飾も、ここからは、ビルの屋上からは見えやしない。風が吹き上げ私の髪を乱す。コートに包まれた我が身を抱き、愛した人の言葉を思い出した。
――モデル志望って言うからキープしてたのに、なんだ、結局ただのOLかよ。
私だってこんな結末望んじゃいなかった。オーディションやコンテンストを何度も受けた。でも、全部ダメだった。
大学の卒業を間近に、取れた内定は小さな商社の事務ひとつ。こんなコンクリートの檻みたいなビルに閉じ込められるんじゃなくて、人形のように綺麗な服を着て、スポットライトを浴びたかった。
夢に破れ、愛する人に捨てられて、何もかも失くしたように思えた。最後に会った日を思い出すと涙が溢れてくる。
「もう死んでやるー」
情けない声で言いながら、屋上の淵に立つ。
世界が白く煙っている。雪で純白に染まっていく。この中に飛び込めば綺麗な何かになれる気がした。きらめくダイヤモンドダストや、天使の羽や、それこそ舞う粉雪にさえ……。
覚悟を決めた私の胸で、不意に携帯が震えた。着メロのラブソングが鳴り響く。
通話ボタンを押し、耳に当てる。
『諦メナイデ』
あまりの驚きに涙が止まった。ヘリウムで歪んだ、だけど温かな優しい声が語りかける。
『君ハ美シイ。ドウカ諦メナイデ。イツモ見テイルヨ』
「だれ?」
切れる通話。舞う粉雪。私の手には、見慣れぬ番号からの着信履歴だけが残った。
―――*。・
「へー、そんな事があったんだ」
その隣では
バルーンアート愛好会の部室で、私達三人はお茶を飲んでいた。今日は十二月二十四日、皆デートにパーティに忙しく、部室に居るのは私達三人だけ。
床や壁際には明日、児童養護施設へ持ち込むバルーンアートが散乱している。赤鼻のトナカイも、ツリーも、リースも全部バルーン製。ヘリウムを詰めたあれこれも、天井近くでエアコンの微かな風にふわふわ揺れる。ファンタジックなこの部屋の真ん中で、私は話を続ける。
「でね、電話の主を知りたくて、折り返し電話をしてみたの」
「どうだった?」
「無言だったわ」
私は溜息する。
「何度も何度も電話をしたわ。そのたびに出てはくれるんだけど、無言だった。私どうしてもあの日の王子様の正体が知りたくて毎日電話をかけ続けたの」
「それもうストーカーじゃねぇか」
「うるさい」
私は床から赤いスノウマン柄の風船を拾い上げ、誠に投げつける。流れ弾が照に当たった。
―――*。・
このまま無言電話を聞き続けても埒が明かない。
駅前のカフェでメイプル・ラテを飲みながら、私は考え込む。王子様の正体を知りたいが、王子様自身は名乗りを上げる気がなさそうだ。強引に待ち合わせを取りつけてみるという手もあるが、怖い人だったら嫌だし。
間接照明の灯りにほんわり霞むカフェの中。大きなクリスマス・ツリーが天井に向かって伸びる。きらきら光るオーナメントを見ながら、冷え切った胸に温みを差した、あの声と言葉を思い出す。金の星より確かに、赤いリボンより柔らかく、私に希望を与えた王子様。
真ん丸オーナメントにカフェ全体が移り込んでいた。婉曲したその景色を見ながら私はふと思う。もしかしたら、このカフェの中に、あの王子様も居るかもしれない。
私は携帯を取り、何度もかけたその番号をリダイヤル。
「もしもし、私よ、私。いま駅前のカフェに居るの」
オーナメントの中の景色では誰も電話を取っていない。相変わらず無言のまま通話は切れてしまったが、セレンディピティなこの奇策に、私は上機嫌だった。
それから事あるごとに居場所を知らせる電話をかけ続けた。
ある時は、恋人たちが互いを探す公園の広場で。
「もしもし、私よ、私。いま公園に居るの」
冷たくきららかな噴水の飛沫の下で、誰も電話を取らなかった。取ってつけたようなポインセチアたちが北風に揺れていた。
ある時は、身を切るような寒い朝、講義の前に。
「もしもし、私よ、私。いま大学の講堂に居るの」
最後列に座って見ていたが、誰も電話を取らなかった。各々の巻くマフラーや帽子の彩りが教室をもツリーに仕立てていた。
ある時は、せっかちな友人たちとのクリスマスパーティで。
「もしもし、私よ、私。いま三丁目のカラオケに居るの」
あわてんぼうのサンタたちの誰も電話を取らなかった。赤白の帽子をかぶり、タンバリンを鳴らす私達には寒さも無縁のようだった。
ある時は、浮かれ気分のショッピングセンターで。
「もしもし、私よ、私。いまショッピングモールの三階に居るの」
吹き抜けから下を覗いたが、誰も電話を取らなかった。金と緑に光る大きなリース。踊り出しそうな高揚とBGMの鈴が高らかだった。
もはや電話をかけること自体に楽しみを見出すようになっていた。王子様が私の声を聴いてくれている。それだけでもう嬉しくて、誰も居ない場所ですら、私は電話するようになっていった。
「もしもし、私よ、私。いまおうちに帰ってきたの」
―――*。・
「てゆーかさ、心当たりはないの?」
うっとりと回想に耽る私へ、誠が引き気味に問う。私はロングブーツで緑の風船をドリブルしながら答えた。
「無いわよ。だって自分の電話番号なんて、合コンでばら撒きまくっちゃったし。貰った番号も多すぎてちゃんと管理してないし……」
そう、振られた彼氏とも合コンで出会ったのだ。モデル裸足のイケメンだった。女の子のあしらいもスマートで、ケーキのように甘い時間を重ねてきた、そう信じていたのに。
回想にしゅんとなる私を照が横目に見ている。
「本当は今日までに王子様みつけたかったんだ。それでね、後ろに回ってね。思い切って声をかけるの。
夢見がちに手を組む私を見、誠は小さく溜め息し、ふと腕時計を見た。
「おっと、時間だ」
「あれ? どこか行くの?」
「これよ、これ」
誠がウインクして小指を立てた。
「おっ、いつの間に。この色男」
「つい最近だよ。それじゃ、また明日」
誠は手を振り、部屋を出て行った。彼の起こした風で、床に散乱した余り風船がふよふよ踊る。
少し静かになった部屋で、私は溜め息を吐いた。
「あーあ、残念……」
「どうしてですか」
照はぎゅっぎゅっと風船を曲げ、柊を作りながら問うた。赤い風船を小さく膨らませる。その手元を見ながら私は頬杖。
「誠が王子様なんじゃないかって、ちょっと期待してたんだもん」
「へえ」
照が気のない相槌を打つ。完成した柊を、窓際にかけられたリースへ付けに行く。勿論このリースも風船製だ。
「だって誠、お洒落でカッコいいじゃない。女の子に優しいし、美味しいお店たくさん知ってるし」
「そんなのにばかり引っかかるからああなるんです」
私はうー、と口を尖らせる。
ぐいぐい、リースの調整をする照。その肩の向こうに、あの日私が天使になろうとしたビルの屋上が見えている。
「あ、そうだ、王子様に電話しよ」
私は電話を取った。履歴の一番上を、リダイヤル。
ピリリリリリ。ピリリリリリリ。
静かな部屋に鳴り響く着信音。
私は驚いて発信を止める。と、着信音も鳴りやんだ。
照が窓の外を見ていた。首までまっかっかに染め上げて。
窓ガラスの向こうは綿みたいな淡い雪がほわほわと舞っている。
じわじわと込み上げる、胸の熱さ。
やっと、やっと会えた。
私は椅子から立ち上がり、口を開く。
「Merry,――」
不意に手の中の電話が鳴った。私は慌てて出る。
「はい、もしもし。はい。……え? は、はい! あ、ありがとうございます!」
私は電話を切り、半ば茫然と言った。
「モデル事務所、内定出た。追加採用で……」
照はトナカイの鼻より真っ赤な耳で、つんと外を見ていた。
唇が小さく動く。
おめでとう、と。
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