第38話 痛いくらい優しいこの日々を

「.........?」

 レオは目を覚ました。身体中が痛む。ここは、あの場所ではない。レオとクロの部屋だ。

 ─...あの後、銃弾を受けて...どうなった?それに皆は助かってるのかな。それに、何か俺の身体...。

「っ!レオさんっ!起きたっ!?」

「クロ...、良かった無事か」

 元気そうなクロの姿を見て安堵する。クロがこの調子なら他の3人も大丈夫だろう。

「...ね、レオさん」

「ん?」

「...レオさんに伝えなきゃならないことがある、のさ」

 クロの表情が曇っている。語尾がおかしい。─...もしかして3人の誰かが...?

「....レオさん、〈鬼神種〉じゃなくなった」

 ─............は?

 レオの頭は白に染まった。

「おま...何言って?」

「本当の事だよ。俺、レオさんを死なせたくなくて、だからユキに方法を教えて貰って、生かした。レオさんは吸血鬼になったんだよ」

 意味が分からなかった。頭の中はゴチャゴチャしていて、それでも心のどこかで『彼の言葉は信用できる』と言う自身がいる。それでも信じ切れない。

 そんな夢物語みたいな事をやすやすと信じられるほど、レオは馬鹿ではない。

「...本気で言うとるんやろうな?俺が吸血鬼になったって」

「試してみる?」

 クロはそう言って、自分の寝床から黒い仕事用ポーチを持って来て、それからナイフを取り出した。

「お、おい」

「大丈夫、浅く切るから」

 クロは切っ先で指先を、ほんの少しだけ切った。赤い液体が少しだけその傷口から流れる。クロはそれをレオへ向けた。

「舐めてみて」

「...はぁ?」

「ユキが言ってたけど、レオさんは俺のが一番美味しく感じるらしいから。ほら、早く...」

 クロがグッとさらに指を近付けてきた。少しだけ鼻に血の独特な鉄の匂いがつく。─そもそも何で俺がクロの...っ。今更文句言うても聞かなさそうやな。

 そっとクロの手を掴んで、レオは指の傷を舐めた。血の味が口の中に広がっていく。

 ─血。俺が大嫌いな血。でも何故か美味しいと思えた。鉄の匂いに混ざる甘い匂い。

 それが何よりもレオに自分の身体の異常さを教える。

「分かった?」

 そっと、クロの指が離れる。レオの頭はまだ混乱していたが、しかし納得せざるを得なかった。

「...あぁ」

「だからさ、レオさん。俺は死ねないんだよもう。...俺はレオさんの為に生きてるのにさ。俺が死んだら、レオさんが死ぬ可能性高くなるみたいで」

 クロが申し訳なさそうにそう言う。

 ─...別に俺は、お前に死んでまで守って欲しくない。でもそう言うと悲しい顔をするやろう。そして、甘い毒は俺に注がれなくなる。

「...お前は、あぁ言ったのにな」

「? 何を?」

「失うこと全部、俺の為になると思うなよ」

 ジッと彼の紅い瞳を覗く。その目は動揺を表すようにユラユラと揺らいでいる。そう言われるなんて思って無かったんだろう。純粋な彼は嘘が苦手だ。

「...それは」

「俺も同じや。お前に死んで欲しいと思うてへん。だって大切やもん、ずっとずっとあの日、出会った時から。クロは俺を死なせたくないって思ってくれとるのは知ってる。でも、俺だってクロに死んで欲しくはない。...だからさ、これからはクロ自身を大切にして欲しい」

「それ、...俺が生きていくのに、必要な目的がなくなったみたいだ」

「今まで通りにやってたら、遅かれ早かれクロ死ぬぞ。そしたら、俺も危ないんやろ?だから大切にしてくれ...、な?」

 クロは少し浮かない顔をしたが、こくりと頷いた。

「ん...じゃあ、何で俺の身体は痛むんや?外傷は見当たらんけど」

「ユキ曰く、無理やり身体を作り替えたからだって」

 ─成程。

「いつ頃治るとかは?」

「っ!分かんない、聞いてくるっ!!」

「いや、おい、また後でもっ!」

 人の制止を聞かずに、クロは部屋から飛び出してった。

 ─はぁもう...。人の話を少しは聞けっての。

 口から溜息を漏らすと、コンコンとノックされる。

「ん?」

「私だよっ」

 ひょこっとユキが出て来た。クロと入れ違えてしまう、なんて狭いこの家では有り得ない。

「あれ、クロ...?」

「軽く説明したんだけど、分かんないって言われてさ。だから私が言う方が早いと思って」

「...成程」

 ─...何もここまで馬鹿を発輝しなくてもええんやないやろうか。

「改めて、身体の調子はどーお?レオさん」

「まぁ、痛みはあるけど...、って感じやな」

 その返答にユキは微笑んだまま、レオの膝上に紙の束を投げてきた。

「これ、」

「レポート。これからの君に対してのね」

「...これからの俺」

「大変だったよ、割りとっ!〈鬼神種〉の資料から吸血鬼を探すの。出典が少ないし、しかも文字も読みにくいし!...でも君の身の振り方には必要でしょ?」

 パラパラと書かれている事に目を通していく。丁寧な文字で事細かに説明されている。もう一度ユキの顔を見上げる。

 改めて見てみると、どこか疲れているかもしれない。

「ありがとうな」

「どういたしまして。.....あのさ、本当にこれで良かった?」

「......?何が?」

「こういう形で生かすことになった事。クロくんと、仮にとはいえ枷で許可なく勝手に括りつけたみたいなもんでしょ?だから、どうかなって思って」

 ─...そうか。クロが言っていた通り、クロ以外の血は美味しくなく、潤いを満たさないのなら...。それに耐えられないならば。死ぬのか、俺は。

 ─あいつは重要な事を勝手に決めやがって...。

 しかし、これで良かったかも知れない。もし、この〈黄昏の夢〉が解散してバラバラになっても、レオはクロといられる。─あの優しい彼から貰える甘い毒の中に、ずっとずっと。

「...レオさん?」

「大丈夫。変な身体は元々やから」

「...そか。レオさんがそうならいいや。じゃあ早く治してね」

 ユキはポンポンと頭を撫でてきた。そして、部屋から出ていった。

 レオはベットの中に背中から倒れる。それからゆっくり息を吐き出す。

 入れ代わり立ち代わり、レオがいる部屋へ入っていく。ユキが出ていくと、またクロが入っていった。

「レオさん、どうだった?」

「どうもこうも、冷静過ぎるよ。落ち着き払ってる」

 ユキはそう言いながら、ソファに勢いよく座る。

「本人は体質上大した変化は無いって思ってるみたいだけど、なかなか慣れるまで大変だと思う。ギャップもあるしね。今まで時間がかかっていた傷の治癒も吸血鬼の力を解放すれば、一瞬で治っちゃう。私としてもそもそも吸血鬼の事例を見るのレオさんが初めてだからさ、どうしたらいいのかも分からないしね」

「さっきの資料が全部ってことか」

「そゆこと!まぁ、キリングの所にあれだけしか無かっただけで、宮廷内の雪城の図書館に行けばもっとあるかもね。...今度ナツくんに頼んでみようかな」

 ユキは肩をすくめてそう言った。唯一彼らの中でこういう事に詳しい彼女がお手上げ状態なら、4人にも分からないだろう。

「これから、どうしよっか?」

「レオさんの様子を見ながらだな」

「うん、それが一番いいよ」

 ユキはこくこくと頷いた。

「あ、そうだ!レオさんの事で忘れかけてた」

「どうした?」

 Kは玄関の方へ行き、靴箱の上に置いてあった茶封筒を持って、シロヒのところへ来た。

「これ、シロヒにって」

「俺?」

「差出人は?」

「分かんないけど、でもシロヒへって書いてあったから。昔の知り合い?」

 ─昔の...。あの人はもう年齢的に死んでるだろうし、手紙をくれるような親しい知り合いなんていないはずだしな。

「んー、僕ちょっと暇だから練習してくるね」

「熱心だなぁ。頑張ってね」

 2人の会話を聞きながら、シロヒは手紙を開ける。

 中には1枚の白い紙。そこにはたった二文字が書かれていた。


白陽シロヒ


 ゾッとした。─だって、それは俺の...。さーっと血の気が引き、思わず眩暈を起こしてしまう。

「...シロヒくんっ!?」

「...大丈夫、だから」

 ─まさか、こんな事になってるなんて。...もしかして、レオさんの誘拐もあの人達が関与してる?

「大丈夫...なの?本当に。顔色があんまり...」

「......レオさんの誘拐と少し、ね」

「...何か関係あるの?シロヒくんと」

「...そんな所だね」

「ふうん。でも今は関わってないんだよね?」

「う、うん」

「じゃあ気にしないでいいと思うよ。シロヒくんのせいじゃない。レオさんを必要とした人間のせいだよ。あと、ツグミっていう人のせい!...何にでも責任感じてたら、シロヒくん耐えきれなくなっちゃうよ」

 ユキはそう言ってニヤっと笑った。「心配するな」と遠回しに言ってくれた気がする。でも、それでもやっぱり気になってしまう。それが、シロヒの性格なのかもしれない。

「シロヒ、レオさんの身体大丈夫だと思うんだけど、一応確認して」

「おう。...なぁユキ」

「ん?」

「ユキー!」

 Kがそこへやって来た。シロヒはKに気付かれないようにユキに耳打ちする。

「この件、秘密裏に調べてくれ」

「!......分かった」

 ユキはコクっと頷いて、シロヒの手の内から手紙を抜き取って、Kへと向く。

「練習はどう?」

「クロくん誘ったんだけどね、レオさんの所にもうちょいいたいって断られちゃった」

「そうか」

「相変わらずクロくんてばレオさんっ子だこと!まったく...」

 ユキはすぐに何でもないような顔をして、Kの注意をシロヒへ向かせないようにしてくれた。

 しかし、シロヒの頭の中はまだグルグルと渦を巻いている。─この人体研究...、雪城家から受け継いでいる人間がいるのだとすれば...、間違いなく。

 ─俺があそこから逃げ出したせいだ。


 ◆◇◆◇◆◇


 真夜中。ユキはパソコンをいじっていた。

「...んん、よし!だいぶ正常に動き出したかな?回線を1つ落としたから、どうかなと思ったけど。動作はスムーズだね」

 ユキは久し振りにパソコンの前に座り、シロヒから渡された手紙を見る。

─差し出し人の名前は無い...か。でも、このキツい香水の匂いは...。

「ブランドかな?まずは香水関係を攻めていくか」

 こういう探索作業は〈蒼月の弓矢〉の時にしていた以来かもしれない。ここでは主に指示出しの仕事よりも、実地だ。仕事の幅は向こうの方が広かっただけに、色々な技術を身につけた。

─...こんな事をする事もね。

「さぁてさて?どのくらい粘ってくれるかな?」

 ユキはニンマリと笑って見せた。

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