第34話 The faraway future
「えーと、玉ねぎ、じゃがいも、にんじんにお肉。それと足りないスパイスを少し...だね」
「あーあ!俺、レオさんと行きたかった」
「文句言わないでよ。私だってお使いに行くの、面倒臭いんだからさ。それにレオさんはシロヒくんの塗り薬作ってるんでしょ?無理だって分かりきってるじゃんか」
クロとユキは夕飯のお使いに狩り出されていた。ユキとクロはメモを睨み見ながら、
「しかし、この材料って...」
「カレーだねぇ」
「...カレーって、何で誰でも美味しく作れるんだろうな」
「クロくんは作れないじゃん。黒々とした液体になるじゃん、煮込み過ぎてさ」
「うるせ」
ケラケラとユキが笑う。クロは口の中で舌打ちをするしか無かった。本当の事なので言い返せもしない。
「さてさて、サクッと買おっか。もう少ししたらここ混雑する時間帯になっちゃうし」
「あぁ」
クロはコクっと頷く。それと同じくらいに商店街の通りに出た。
クロにとって、街の空気は割と好き。レオは「うるさくて嫌い」と言うが、そこがいいと思う。嫌な事を考えずに済むし、楽しく毎日を暮らせている人の日常会話がクロの耳に入る。「晩御飯どうしよう」とか「好き嫌いは駄目だ」とか、そんな他愛もない幸せな会話が気持ちを落ち着かせてくれる。
「クロくん?」
「っわっ!!?」
「何驚いてるの?ボーッとし過ぎだよ。お店の前、通り過ぎちゃいそうだったからビックリしたの、私の方だよ」
ユキが不思議そうに首を傾げる。
「悪ぃ」
「...具合が悪い?」
「別にそんな事ねぇって」
「そか!いやぁ、馬鹿は風邪引かないって言うからさ」
ユキが意地悪くニヤリと笑う。
何も考えずにほぼ条件反射のようにユキに殴りかかるが、それより早くユキが躱す。クロがそういう行動をしてくると予見していたんだろう。そのままユキは店の中へ入っていった。
「あいつ...っ」
店の中では手を出せない。
物を壊したら、レオに怒られるし、シロヒにも怒られるし、さらに賠償金も付いてくる。トリプルパンチというやつだ。─...それにシロヒくんって怒ったらすげぇ怖いし...。
前にシロヒに怒られたことを思い出して、クロは僅かに身震いする。
「クロくんっ!次行くよっ!」
「お前さ、家帰ったら殴るからなっ!!」
「うわー、怖いなぁ。シロヒくんに言わなくっちゃ!」
冗談混じりにユキがそう言う。
「ね、さ」
「あ?」
「...んー、やっぱ何でも無いよっ!」
「ンだよそれ!気になんだろっ!」
「忘れて忘れてっ!」
「っ......」
ギッと歯噛みする。─というか、いつもこうだ。
ユキは何処かクロの事を馬鹿にしたように言う。しかも本当にクロより頭がいいから馬鹿にする事もままならない。そして、何かをしてもその倍くらいにされて返ってくる。
「...クロくん、レオさんにプレゼントでも買ってあげたらどうかな。私がスパイス買ってる時暇でしょ?向かいのお店、薬屋さんだからレオさんの役に立つもの、あるかもしれないし」
「っ!...い、いいのっ!?」
「うん。ボーッとさせとくの、悪いし。あ、でもあんまり買いすぎないように、ね?安く無いんだから」
「分かった!」
クロはコクっと頷く。それをみて、ユキはクスクスと面白そうに笑った。─ま、でもいいか。
「終わったら、こっち来て」
「おぅ」
ユキは笑みを絶やすことなく、香辛料店に入っていった。クロもその背を見送ってから薬屋に入る。
◆◇◆◇◆◇
Kは今日はシロヒの看病に専念したいからと、クロとユキに買い出しを頼み、Kはリビングにいた。そこへレオが自室から出てリビングにやって来た。
「K」
「っ!...レオさん」
出来る限り不安を悟られないように、Kは明るめの声色で応じる。
レオは小瓶をKへ差し出す。
「これ...」
「一応な。肌に合うかどうかまでは考慮してへんけど」
「ありがと」
「仲間やん。当然やろうが」
ハアっとレオは溜息混じりにそう言った。
「んで、シロヒくんの具合は?」
「まだ痛むみたい」
「そりゃそうやろ。まだあれから3日くらいしか経ってへんし。しばらく依頼は受けんか、受けても2、3人くらいで受けられるやつやな。1人はシロヒくんの面倒見な」
「うん」
Kはこくりと頷く。レオはしばらくKの顔を睨むように見て、突然頭を撫でてきた。しかしKの方が5cm程高い為、前髪と眼鏡に手が当たってる、という感じだ。─なんか、レオさんっぽいなぁ。でも、落ち着く。
「......あんま、気負いすんなや」
「...無理言わないでよ。僕のせいであぁなったも同然じゃん。それを誰のせいでもないって...思い切れないよ」
「こういう時に神様やないか?」
「カミサマはいないよ」
Kはレオにハッキリとそう言う。
「いや、まぁ...、そうやけどさぁ。こういう時くらい、カミサマのせいにしといてもええんとちゃう?」
「...そう、かなぁ」
Kはただ、曖昧に言うしかなかった。
「あ、そろそろシロヒ見てくるね」
「おー。じゃあ俺は部屋でもうちっと薬を作ってくるわ。肌に合うかどうか、また教えてくれ」
「うん分かった。ありがとう」
レオに礼をいい、そっと、起こさないように扉を開ける。
シロヒはまだ寝ていた。スースーと定期的に胸辺りが上下している。
「シロヒ...」
「ん...」
Kの気配に気づいたのか、気怠げにシロヒが目を開けた。
「...ごめん、僕のせいで」
「気にするなよ。...俺が気付けなかっただけだから。それに内臓まで届いてなかったから、良かったじゃん」
「届いてたら遅いだろっ!」
Kが声を張ってそう言うと、シロヒは少し目を丸くして、それから「そうだな」と言った。
「...傷口が一瞬スッと冷えて、でも熱くなってさ。『死』っていうのを感じて。...怖かった。だから皆、死にたくないんだよな。抵抗して、懸命に生きようとして、」
シロヒがゆっくりと身体を起こした。慌てて、Kはその背中を支える。
「もう、完治じゃないんだよ?」
「.........K、あのさ」
「何?何でも言ってよ」
「...Kが、Kが無事で良かったよ」
シロヒはにっと笑ってぐしゃぐしゃとKの頭を撫でてきた。そして「いてて...」と小さく唸る。急に動くからだ。
「もう!駄目だって、急に動くと傷口開くよ?」
「悪い悪い。少しでも身体を鈍らせたく無いから」
「それよりも身体を治さないと駄目だって。傷口開いたらまた『安静にしろ』になるんだからさ。一気に治した方が早いんだよ」
「分かってる......」
シロヒは少し口を尖らせたけど、またベッドに倒れた。
「あ、レオさんが薬作ってくれてるから、塗るよ」
「あ、レオさんが...。お礼を」
「僕が言ってるから。脇腹見えるようにしてもらっていい?肌に合うか分からないから、痒くなったりしたら言ってもらっていいから」
「分かった」
シロヒは服をまくり上げて、脇腹を見えるようにした。Kは包帯をゆっくり解いて、レオに渡された薬を指に付け、そこへ塗っていく。
念入りに塗るために集中して、終始無言だ。Kは静かに手と思考を動かしていく。─あの時、シロヒの言いかけたことは何なんだろう。
レオはリビングでぼんやりと頬杖をついて、本を読んでいた。そこへ、
「帰ったよーっ!」
ユキの元気のいい声が聞こえてきた。2人が帰ってきたようだ。
「おぉ、お帰り」
「ん、ただいまっ!」
クロの声色は隠しきれずに何処か嬉しそうだ。─ええ事でも何か、
「私、Kくんに材料渡してくるねっ!」
ユキは紙袋を持って、台所へと走っていった。
「ね、レオさん」
「ん?」
「これ、プレゼントっ!」
クロからそう言われて手渡されたのは、薬草。知っていたのか偶然かは分からないが、シロヒの傷薬に使っているものだ。別に足りていない訳では無いし、よく消耗するものでも無い。それでも『プレゼント』と言われて渡されたのは、嬉しい。
「...使えない?」
「いや、シロヒくんの薬に使える。ありがとうな」
そう礼を言うと、クロは嬉しそうに目尻を下げ、頬を掻いた。
「ほら、2人とも!そこで友情深めるのもいいけど、手伝ってよ?」
「料理のプロフェッショナルがいないんだからさ」
2人に口々に言われ、クロとレオは顔を見合わせて少し笑った。
「よしっ!手伝うっ」
「ん、クロくんは皿片付けてっ!」
「料理関係ねぇじゃん!」
「流石に美味しいものを食べたいからねぇ」
「確かにな」
3人がウンウンと頷くと、クロは頬を膨らませてそっぽを向いた。拗ねたんだろう。しかも辛い事は、本人も分かってるから言い返せないことだ。ユキが面白半分に、クロの膨れた頬をつんつんつついている。
「ほら、お前ら遊ぶな」
「「はぁーい」」
「ありがと、レオさん」
「ええよ。早よ作ろ」
「うん。あ、ユキ、人参切ってて」
「はいな、了解!」
わちゃわちゃしつつも、料理を何とか全員で作り上げていく。
◆◇◆◇◆◇
─1人だ。1人、独りぼっち。
─暗闇がぐるぐる辺りを渦巻いて、そう囁いてくる。
もう何度この夢を見ただろう。精神状態が酷い時によく見るこの夢は、シロヒが幼い頃から見ている"夢だと分かっている夢"だ。
どす黒い闇。シロヒを飲み込もうとして大口を開けている。取り込もうとしてくる。
─怖い、怖い怖い怖い。
─助けて...、誰か。
「シロヒくん?」
「っ?!」
ガバッとシロヒは起き上がる。じっとりと嫌な汗が身体を伝う。傍には心配そうにシロヒを見下ろすユキがいた。
「大丈夫?魘されてたみたい、だけど」
「...大丈夫。...いい匂いする。カレー?」
「うんっ。皆で...、とは言ってもクロくん以外だけど。まぁ、皆で作ったよ」
ユキがにっと笑って答えた。
「歩けそう?辛いならここに持ってくるけど」
「歩ける。けど一応心配だから肩貸してくれ」
「うんっ!」
ユキがシロヒに背を向けて、ウズウズしている。頼られているのが嬉しいのだろうか。兎にも角にも、ユキの肩を持って立ち上がる。ズキッと少し痛むが、耐えられるくらいの痛みだ。─酷くない。
「本当に大丈夫?」
動きを少し止めた事に不安がったのか、ユキは心配そうに見てきた。
「大丈夫だって」
心配をかけないように、笑ってやる。
「...言ってよ?身体の事なんだから」
「あぁ」
ユキが扉を足で開ける。─...女の子なんだから淑やかにしろっての。
「! シロヒ、カレー作ったよっ!」
「ん、顔色も良さげで良かったわ」
「食べよーぜー」
3人がわちゃわちゃとした、年齢に似合わない会話がそこでは繰り広げられていた。ユキがシロヒを席に着かせてから、自身の席に座った。
「じゃ、いただきまー」
「いただきますっ!!」
クロがそう言って、もぐもぐと食べ始めた。
Kが「僕が言いたかったのに...」と残念そうに言って、ユキは「凄い勢い...」と呆れたように呟いて、レオは「まぁクロやからなぁ...」と諦めたように言う。
「シロヒ、美味しい?」
「ん、美味しいよ。凄い美味しい」
「良かった!シロヒみたいに上手く作れてるか分かんなくてさ!」
「そうか?」
「俺には一回も触れさせなかったけどなっ!」
「クロくんが少しでも触れたら大変だよ。あと、口に物入れて喋らない」
「ホンマにな」
5人は顔を見合わせて笑い出す。その時間がシロヒにとっては、とても楽しくてしょうがなかった。
だから、シロヒは嫌な夢を忘れた。
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