第30話 救済の闇を
Kの家は俗に言う有名な資産家というやつだった。実際裕福で、家の中も豪華さを前面に押し出した家だった。そんな家で育てられた幼少期のKは姉2人と共に大切に育てられていた。
そんな家でKは過ごしていたわけだが、親と感性が似ることもなく、─...というかキラキラして目が痛くて、そういうのは嫌いだった。幸いだったのは、2人はKの部屋までキラキラさせる事はしなかったので、家庭教師と呼ばれる人が来るまでは、基本部屋にいる事が多かった。
部屋にこもっていた理由は他にもある。何でも卒無くこなせる姉2人と違い、やや劣ったKはよく怒られていた。
『どうしてこんな簡単な事が出来ないんだっ!?』
罵声を浴びることも、
『このっ!!』
暴力を振られることも慣れきった。だが、その事実と暴力を振られる事は決して結びつきはしない。だから、Kは部屋に逃げた。
そんなKを変える為かは知らないが、父がKに家庭教師を付けてくれた。
「光輝。今日からお前の家庭教師になるイザベラさんだ」
「どうも、初めまして」
「......どうも」
「出来損ないですが、よろしくお願いします」
「あはは、どうもどうも。その方が教えがいがありますよ。じゃあ、光輝くん。私を部屋まで案内してくれるかい?」
端正な、整った顔。結い上げられた茶色い髪の毛は、爽やかな夏風が似合うとKは思った。瞳は空色をしている。
「...こっちです」
「ありがと、それでは」
「よろしくお願いしますな」
──..どうせ父の選んだ人だ。私利私欲の為にこの仕事を選んだに決まってる。
「ここが、君の部屋か。随分、色々置いてあるな」
開口一番、イザベラはそう言う。
「あの、勉強...」
「あぁ、そうだな。...にしても大変だね」
「はい?」
「必要なものが置かれた部屋、あの父親の態度、怖がる君の素振り...。察するに、君はこの家に馴染めない悲しい子ども...というとこか?」
「!?」
ぐしゃり、と心臓を掴まれた気分だった。頭の中が真っ白に染まっていく。
「見りゃあ分かるさ。私も伊達に働いていないよ。目立ってないが、額の左下、青いぞ」
思わず手で隠す。そこは数週間前に殴られた箇所。
「大当たりだろ?」
「............ん」
「うんうん、素直な奴めっ!」
グリグリと、イザベラは乱雑にKの頭を押さえつけるように撫でてきた。親にされたことのない、それはとても暖かくて、心地いい。
「よしよし、じゃあ早速するか。言っとくが私の教える勉強はただの勉強じゃないぞ」
「へ?それってどういう?」
「その内分かるさ」
イザベラは歯を見せて笑った。
イザベラはKに様々な事柄を教えた。父が頼んでいたらしい学問は勿論、屋敷の外に出た事の無いKにとっては目からウロコのような話をしてくれたり、身体を鍛えてくれたりと、本当に色んなことだ。
だから、不安になることがあった。─こんなにたくさんの事をやっていて、怒られないかと。
必要以上の事を教えるのは、父はよく思わない人だった。理由は分からないが、自分の意思に自由自在に動く子どもじゃ無くなるからかもしれない。
拳銃を用いた鍛錬の時。Kは思い切ってイザベラに聞いてみた。
「..先生、本当にいいんですか?」
「何が?」
「僕が学ぶものは、数学とか帝王学とか、そういう系統じゃないといけないって、父さん言ってたから。こうやって他の事してていいのかなって」
「...いけないかもな」
「なら」
「でも、生きていくには必要だ。マフィアに乗り込まれても犬死するだけだ」
くすり、とイザベラは微笑んだ。
「それに、お前には才能がある」
「才能?」
「あぁ」
イザベラは黒光りする拳銃をしまって、Kの頭を撫でた。
「まぁ、無い方がいいんだろうけどな」
「は、はぁ」
そんな生活が一ヶ月ほど続いた。
そして、〈鬼狩り〉という政策が国から出された。起業家であるKの家にとっては、それは大変な事だった。従業員に〈鬼神種〉がいれば、即解雇して『関係ないです』と意思表示をしないといけないし、そもそも〈鬼神種〉は存在が許されなくなっていた。
──同じ姿形をしてるなら、別にいいと思うんだけどなぁ。
それが関係しているのかどうかは定かではないが、珍しくKは父に呼び出されていた。
廊下を歩いていると、背後から誰かが抱きついてきた。慌てて後ろを見ると、
「コーキ」
「!姉さん」
「最近明るくなったね、あの先生のおかげ?」
「!!」
一番上の姉の発言に驚いて、Kは目を丸くする。─そんなに変わってないと思うけど、もしかしたら父さんにバレてて、だから呼ばれたのかな?
「...良かったね」
「え」
「楽しい事見つけたから明るいんでしょ?だからそれが見つかって、打ち込めていい事だなって、思ったから」
「...姉さん。うん、ありがとう」
「んん、ごめんね」
一番上の姉はふわりと笑って歩いて行った。
父の部屋の前に着き、Kはスッと息を吐いてから、ノックして中に入る。
「お呼びですか?」
「あぁ、もう少し近くに寄れ」
言われるがまま、1歩前に出る。
「家庭教師を解雇した」
「え.........?」
──解雇した?
──それって、先生に会えなくなったってこと?
あまりにもその発言は唐突で、Kの口から言葉がすぐに出てこなかった。
──お別れ?嘘だ。
──僕は、まだあの人に『ありがとう』も言えていないのに...?
それからも二言三言言われたが、記憶に残ることは無かった。
父の部屋から出ても、Kの心はどこか遠いところにあるような気分だった。
◆◇◆◇◆◇
イザベラのいない生活は実に味気ないものだった。身体の一部分を削がれたような、そんな気分だった。何を食べても美味しくないし、勉強も身に入らない。
いつの間にかイザベラの存在が、Kの太陽になっていたのだ。─いないならば、僕は暗闇に包まれて、生きていけなくなっていたのだ。
──どうしたらいいのか。
Kはそこでいい考えを思いついた。
──先生が会いにこれないならば、僕が行ったらいいじゃないか、と。
──そうだ、会いに行こう。ありがとうございました、って言わないと。
──人にお礼を言うのは、人として当然だよね?
Kは気づけなかった。もう、その時点で彼の心は崩れていたってことに。
◆◇◆◇◆◇
決行したのは、イザベラを解雇したと聞いた日から、二週間後。─早くしないとイザベラが遠くに行ってしまうと思ったから。
そっと、部屋から出て、中庭へと向かう。その時、
「コーキぼっちゃま?」
すぐに見つかってしまった。ボディーガードからゆっくりと距離を取って、Kは一気に走り出す。それに相手もおかしいと思い、Kを追いかけてくる。Kは小柄な身体を活かして、チョロチョロと動き回る。
その時だった。
「コウっ!」
「姉さんっ!」
2番目の姉はこっちこっちとKを手招きして呼んだ。少しだけ父に頼まれてるのでは、と考えがよぎったが、彼女の元まで行くと、その手を掴んだ。すると引っ張られ、2番目の姉の胸の中に抱かれる。
何人かの草を踏む音がするが、しばらくして止んだ。
「...ふぅ、何とかセーフね」
「姉さん...ありがとう」
「いいのよ。コウには今まで何もしてあげられなかったから。...あの先生に会いに行きたいんでしょう?」
「っ!.......うん」
「そう。...あのね、ここから走っていくとキリノ姉さんがロープを壁にかけて置いてくれてるから、そこから下りて。キリノ姉さんはあそこの門兵さんを止めに行ってるから挨拶は無理だと思うけど」
「...2人は?」
「いいの、父さんに怒られるくらいコウに比べれば!でも、コウとはお別れね...。父さんはもう、コウをこの家に入れないと思うし。だからその...」
──やめて欲しい、のかな?でも、
「僕は行くよ」
「...そう、だよね...。コウ...」
ぎゅうっと、姉がKの身体を力強く抱き締めた。Kは初めてのことに、ドギマギしてしまう。
「ごめんね」
姉は最後までKに謝っていた。
Kは姉に別れを告げて、指示してもらった場所へと向かう。
そこにはキリノが仕掛けてくれた太い縄が垂れ下がっていた。それにしがみつき、屋敷の外に出て、そして逃げ出した。
──貴方に会う為に。
どのくらい走っただろう。分からないけど、屋敷からある程度離れたところでKは息をついた。
「はぁ...はぁ...」
ふと、目を向けると近くに整った小さな場所があった。人は見当たらない。そっとそこに腰を下ろし落ち着く。
今頃、姉達はどうなってるんだろう。父に暴力を振るわれているのだろうか。そんな事を考えると、急に心配になってきてしまう。でも、気持ちが揺らぐことは無い。─僕は会うんだ、あの人に。
「誰だ?」
「っ!!」
後ろから声をかけられ、振り向くと不思議そうな顔をした同い年くらいの少年がKを見ていた。
「...お前、ここの人間か?」
「...君、誰?」
Kの棘がある言葉に、声をかけてきた彼は何でも無いようににっと笑って、
「俺はシロヒ。お前は?」
咄嗟に呪を言おうとして、口を噤んだ。─もし言ってこれを月島家の誰かにバラされたら...、家に連れ戻されるかもしれない。姉は家に帰れないとは言ったけど、連れ戻されないとは言って無い。またあの場所に戻されるのは、嫌だ。
名乗ることに言い淀んでいると不思議に思ったようで、彼がKの顔を覗き込んできた。
「名前の、最初の一文字目は?」
「え...っ、えと...こ」
「ん、じゃあお前は今日からKだ!」
「へ?」
「どういう事情かは知らないし無理に聞かないけど、相当だな」
シロヒはそう言ってKに手を伸ばした。
「ようこそ、K。お前もここの住人だ」
Kは彼の手を使って立ち上がる。同じくらいの歳に見えるのに、ここでの暮らしは長いみたいだ。
「なぁK。俺、お前が気に入ったんだ!俺んとこ来いよっ!」
「...君は、僕が何者か分かってないのにはいいの?もしかしたら君を殺せって、そう頼まれた人間かもしれないよ?」
「そん時はそん時だよ!それにさ」
シロヒはふわっと笑って、Kの頭を撫でてきた。
「いいんだ。俺が信用したんだからさ」
それからKとシロヒの共同生活が始まった。
◆◇◆◇◆◇
「...イザベラさん?」
「そう。知らない?女の人でさ、シュッとしてて」
シロヒはKの告げる特徴を聞きながら、パンをもぐもぐと食べる。そして不意にその口を止めた。
「俺は聞いたことないなぁ...。ここら辺の人じゃないか、死んだかってとこかな?...あ、ご、ごめんっ!」
「ううん、いいよ」
シロヒが悪いわけじゃない。そう言うと、彼は安心したように笑った。
Kの周りにいた人間は嘘の仮面を貼り付けた人間ばっかりだった。
─でもシロヒは違う。僕を同じ、対等な人としてみてくれる。優しい人だ。
「イザベラさん...ねぇ。うーん...、他の可能性を考えると、名前を変えたとかかな?」
「変える?」
「そう。こういうとこじゃよくある事だよ。俺達の生活は警察に見つかったら困るから。だから一時的にでも目を反らさせるために名前を変えた...とかはあるかも。この国じゃあ呪は親しい間柄にしか教えないわけだし」
「...そうかぁ...」
「Kはその人に会いにここに?」
「うん」
「うーん...、とりあえず色んな人に聞いてみるよ。Kはここで留守番してて」
「えっ?!」
「土地勘がまだ無い上にここでの暮らし方分かってないだろ?そういう状態で動いたら、逆にKが危ないよ」
グッと思わず黙りこくってしまった。ここではKは1人の力のない子どもであって、月島家の高貴な権力を振りかざす人間ではない。─そうだ。折角変わるのに、僕は...。
「K...?」
「分かった、待ってる」
「ん、いい子」
ポンポンと、数度叩くようにシロヒが撫でてきた。慣れないことにビクッとKの身体が震え、ピンッと背が伸びる。シロヒが不思議そうにKを見る。─そりゃあそうだ。
「な、何でもないっ!」
「...へぇー」
ニヤニヤと面白いと言いたげに、シロヒはKを見て笑う。
◆◇◆◇◆◇
Kはこれからもずっと、イザベラに縛られるだろう。何故ならば、イザベラはKの憧れなのだから。
──迷惑かけるだろうね。心配かけちゃうかも。
──だって僕はあの人に会えるなら、何だって出来るから。してみせるから。その為に、"Knight Killers"になってまで、貴方に会うまでの居場所を作ったんだから。
笑えるかな?笑ってもいいよ。でも、それを汚さないで、邪魔しないで。
──僕の想いはどこまでも黒い。光の無い、暗闇の中で存在し続ける。
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