第22話 全てを狂わせるもの


「君は何でここに入れたんだっ!?」

 ユキに手を引かれるまま、ナツは下へと降りていく。ナツのその言葉にユキは死角になる場所で立ち止まり、ナツの方を見た。

「私は雪城有希」

 その呪に、ナツは目を見張った。

 ─だって、目の前にいるこのユキが、今までずっとずうっと探していた人間だったんだから。

「ユキっ!お前生きててっ!何で隠し、」

「しっ」

 ユキが唇に手を当てて、静かにと合図した。

「...ごめんね。本当にナツくんに伝える気が無かったんだ。ナツくんのお父さんに...関わりがあるから」

「それってどういう、」

「とにかく!逃げるのが先だよ!大広間の連絡路から王宮の中に入ろう。そこから王宮から出る方が逃げやすいし、早いはずだから」

 ユキのしっかりとした声に、ナツは頷く。ユキはキョロキョロと辺りを見回し、手招きしてナツを呼ぶ。改めて思うが、動きやすい服にされてて良かった。いつも着ているやつだったら、ここまで素早く動けなかっただろう。

「行こうっ!」

 パッとユキが大広間の真ん中を突っ切っていった。ナツも後へ続いて、

「逃がさないぞ」

 ピシュッと空気を裂く音がナツの横を通った。

「ナツくんっ!」

「ある意味盲点でした。こんなに広い、隠れられもしない場所を逃げ道にするとは...ね?」

 グッと腕を掴まれて引き倒された。ユキがナツの前に立った。

「お嬢さんが...、フジさんやセンさんを逃がしたんですね?」

「うん、そうだよ。あそこはね、雪城家の研究用特別牢...、キリング=ジャックが抜け出した脱走路が付いていて、私が幼少期過ごした牢でもある。脱走路から私はここに侵入してきたの。...説明はこんなものでいいかな?」

 ユキはニコニコと笑みを浮かべつつ、男と対峙する。男の後ろにはたくさんの武装した王宮兵がいる。

「ユキっ!」

「ナツくん、ここは私に任せて行って」

「っふざけんなっ!幼馴染みのお前を置いていけと?やっと会えたのにっ!出来るわけ、」

「出来る出来ないじゃないよ。君は...生きないといけないんだ。それが王だよ」

「...っそんな王に、父さんみたいな人になりたくないっ!」

「まぁいずれにせよ、殺せっ!」

「っ!」

 ユキがナツの身体を引っ張って、何とか躱す。

「ナツくん、お願い。君を守りながらは厳しいから」

「ユキっ」

 ユキはナツの制止を聞かず、敵の中へ駆けていった。

 ─...いつだって僕は。

「...必ずだからな」

「元王が逃げたぞっ!!」

 ──いっつも、僕は不運だ。大切な人も守れない。逃げることしか出来ない。助けられてばっかりなんだ!

「ぎゃあっ!!」

 ナツの横の石壁に、千切れた片腕がベチャッと飛んできた。

「ひっ」

 フジの言葉が、ふいにナツの頭の中を駆けた。

『"Knight Killers"は殺し屋だ』

「...ユキ」

 ナツは振り返ってしまった。

 ユキの両手は真っ赤に染められ、返り血か自分の血なのか分からない。口元は薄笑いを浮かべ、まるで殺すことで快感を覚えているようだった。目はぎらついていて、もっと強者を求めているように見える。彼女の腕が振るわれればその近くの人間の何かが飛んでいく。

 それは『化け物』という言葉でしか表せなかった。


 ◆◇◆◇◆◇


「...いない...ね。大丈夫です」

「少し静かすぎる気もするけど、よっと」

 フジ、センが出てから4人が順番に出る。確かにここは不気味さを感じさせるほど、とても静かだった。

「......これが牢屋」

「とにかく出ようよ、レオさん」

「俺は要らん。ユキがもう俺の使って出てる」

 レオさは牢屋の鍵部分に触れていた。そこは鉄であるにも関わらず、ドロドロに変色して解けていた。

「開けてから少し時間が経ってる。どこへ行ったらええんですか?」

「上です。ここは地下牢に当てはまるので。多分、上の大広間から王宮に向かうと思います。その方が逃げ切れる可能性が高くなりますから」

 フジとセンの先導の元、6人は階段で上へと駆け上がる。

「...声?」

 シロヒが小首を傾げた。

 耳をすませてみると、男の悲鳴と果敢に立ち向かう勇ましい声が僅かに大きくなりながら入ってくる。

「...王宮兵!」

「急ごう!」

 駆け上がって辿りついた先は、まさに地獄だった。

「...っ」

 床はガレキと血と死体が埋め尽くし、死臭は辺りを包んでいた。

「ナツっ!」

 ナツは近くのガレキに埋もれて倒れていた。フジとセンは急いでそこへ向かっていった。

 ユキもいた。しかし4人の知ってるユキでは無かった。血で真っ赤に全身を染めた彼女がいた。

 思わず言葉を失ってしまった。あまりにも普段の明るい彼女とはかけ離れていた、─いつもの、優しい彼女では無かったから。

「.......ユキ」

 声は届いていない。今のユキは誰かを壊す事に快感を覚えている、そんな印象をKは受けた。シロヒを殺そうとしていた、あの時の殺気の強い瞳だ。

「あはっ、あはははははははははっ!!なんだよ、こんなもんかぁ?!お前らニンゲンてのは、つくづく豆腐みてぇに潰れるなぁっ!だからこそ、俺はお前らを研究しちゃうんだろーなぁ!」

 ユキの口からそんな言葉が発せられる。─...違う。ユキの言葉じゃない。誰かの、ユキの中にいる人の声。

 誰も手が打てないと思ったその時、



「ユキっ!!」


 フジが、─今までの温厚な彼からは想像つかないほど大きな声を発した。

 その声に反応したように、ユキの瞳が元に戻った。その目は驚いているようにも、焦っているようにも見えた。一瞬だけだけど、彼女の侵攻の手が止まった。

 その時だった。

「ユキっ!」

 ユキの腹めがけて男からの鋭い拳が振られる。彼女が反応するよりも早く、だ。ユキの身体がぽおんとボールのように飛んで、壁に叩きつけられた。

「っ!てめぇっ!」

「クロくんっ!」

 Kの制止よりも早く、クロが駆けて行ってしまった。もう止められないので、3人はユキの元へ走った。

「ユキっ!」

 シロヒがユキの身体を抱き起こす。

 蒼い髪には赤い液体がこびりつき、手に握られていたナイフは血に濡れ、黒い手袋はビリビリに破れている。それは今までの戦いの壮絶さを窺わせている。

「げほっ!ゲホゲホっ」

 ビチャビチャとユキの口から血が溢れる。先ほどの蹴られた衝撃だろうか。腕も折れているかもしれない。

「な......んで」

「ば、化け物を殺せっ!」

「仲間にンなこと言ってんじゃねーよっ!」

「......化け物」

 グッとレオが唇を噛んだ。レオにとって、ユキが『化け物』と呼ばれる事は嫌だった。

「その女が一体何人の宮兵を殺したと思うっ!?何十...いや何百かもしれん!そこで寝転がっている王の首をハネれば、たった1人の命でっぐあっ!!」

「うるせぇよ、黙ってろ」

 すっと辺りの空気が冷えた。センが弓を構えて、もう一回矢を射る。それは男と瓦礫の間に当たって折れた。シロヒはこの空気を知っている。ナツがフジに頼む時にも感じていた気迫だ。

「...ふざけんなよ。そもそもお前らがこんなことを企てなけりゃ始まってなんか無かったんだ」

「ひ...っ」

 クロが男の袖を掴んで地面に倒した。そして、ナイフを首元へピタリと付ける。

「許さねぇっ!」

「...っ甘いなぁっ!!」

 男がそう言うと、さらに王宮兵さん達が沢山やって来た。終わりがない。ここが、戦場になってしまう。

 ど、どうしたら...。

 その時、ユキの指がピクリと動いた。

 ──お願い、キリング。私に仲間を守れるだけの力を下さい。それだけでいいから。沢山の人間を殺す力なんて、要らない。ねぇ、応えてよ。

 どくり、とユキの心臓が耳元で鼓動を打った。

『左目...。その代償に左目を寄越せ』

『雪城の人間で、キリングの血を引き継げた人間は、何かを代償に殺人衝動を失う。...その願いを叶えたけりゃ左目を』

「.........いいよ」

「ユキっ!?」

 もう立てなかったはずの身体が動かせる。やけに冷静に頭だけがグルグルと思考を回す。思わずユキの口角が上がってしまう。

「ユキ、なにをっ!」

「...私は、助けたいの」

 トンッとユキは地面を蹴って、一気に目の前の相手と距離を詰める。重かった身体が軽くて、腕も普通に動かせた。視界に入り込んでくるニンゲンを斬っていく。首に突き立て、腹をかっさばき、喉を刺す。

 ─あぁ、この高揚感。たまらなく楽しい。叫び声も悲鳴も、肉の裂ける音も皮膚の敗れる音も、流れ落ちる血も涙も、全てが、

『これで終わりだ』

 唐突な声。ピタリとユキの身体が止まる。

「このっ!!!!」

 近づいてくる男の身体。反応が遅れるユキの身体。顔の左側に痛みが走ったのと、体当たりを受けて転がった全身の痛みはほぼ同時だった。

 もう起き上がれない。ナイフを握れない。殴りかかれもしない。

 でも、もういい。皆が無事ならどうだって。

 今さ、私凄く眠くて。疲れたから...とにかく眠らせて貰うね。──お休みなさい。


 ◆◇◆◇◆◇


「ユキっ!ユキっ!!」

 身体を揺すっても反応はない。

 左側の顔を斬られたのか、赤い血がダラダラとユキから流れている。ただでさえ貧血体質の彼女から、おびただしい量の血が流れる。

「しっかりしぃやっ!!ユキっ!」

 ぺしぺしとレオがユキの頬を叩く。吐息しか返ってこない。

「とりあえず止血を!クロくん!」

「大丈夫っ!」

 クロが1人で近くに来る人間を殺さない程度に痛めつけている。Kは近くで倒れている王宮兵の布を引きちぎり、左顔面に巻き付ける。が、すぐに赤いシミが布に広がっていく。

「なぁ、さっきのユキ...」

「...別人、みたいやったな」

 シロヒとレオ同じ考えだったようで、レオが頷いた。

 皆が来た時には、もうフラフラで倒れそうだったはずだ。急に立ち上がったかと思うと、圧倒的スピードで王宮兵の急所ギリギリを刺していた。

 余程実戦慣れしていないと厳しいはず。今までユキからそういう素振りを見たことない。

「...別人だったのかもね」

 Kがそう言った。─確かにそうかもしれない。

「ユキっ!」

「ナツさん!フジさん達も!」

「ユキ!」

 3人がユキへ近づいてきた。やっぱり幼馴染みだし、心配で当然だろう。

 ナツの顔が歪んだ。辛そうに眉を寄せて、

「...もう、やめろよ」

「ナツ」

 刃が擦れ合う音がする。ナツの声は届かない。

「やめろって!!言ってんだろうがっ!!!」

 ガンっとナツが大声を出し、地面を蹴った。全員の目がナツの方を向いた。

「本日からニコールディア国王のナツだっ!即刻っ!!今すぐ!剣を収めろっ!」

 ナツの怒声が辺りに響いていく。全員が武器を床に置いたのを確認して、

「...死体を片付け、意識があるものは手当てを受けろっ!至急だっ!」

 1人、また1人と王宮兵がいなくなっていく。

「急いでユキを病院へ。俺達はここから離れられないから、貴方達に頼むしかない」

「大丈夫、任せてください」

「病院って、この傷をっ!?」

「エリーさんかっ!」

「よく分からないけど、そこへ連れて行け!」

「はいっ!」

 シロヒはユキの身体を持ち上げる。グッタリとしているのに軽い小さな身体。─相当この身体に無茶させてきたんだろうな。

 王宮から出て、急いでユキをエリーのところへ連れていった。

「どうしたんだっ!?その傷...っ」

 開口一番エリーはそう言い、今まで見たことなかったのか、驚いていた。

「とにかく急げ。早くしないと」

「は、はい!」

 エリーの指示のまま、病室の1室に運び込む。

「お前らはそこで待ってろっ!」


 4人はただただ、ユキの無事を祈るしか無かった。

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