第21話 催涙紅雨が降り注ぐ

 ユキは〈霧の森〉の研究所内にいた。赤銅色のパーカーに黒の革手袋、つまり仕事の格好をしてきたのには理由がある。

 先日のクーデターの事件。3人が捕まっているということ。まだ処刑はされてないらしいが、もしかしたら殺されてしまうの可能性も否定出来ない。そうなったら、ユキは困る。

 研究所の岩畳の一箇所、真新しい部分の隙間に指を入れて持ち上げる。女のユキでも持ち上げられるほど軽い岩。

 そうここは、地下への脱出路の出口だ。

「久しぶりに通るなぁ」

 グッと岩を持ち上げて、身体を中へくぐらせる。あの頃には大きな通路だと思ってたが、今の身体では少しだけ狭く感じる。

 レオの薬品棚から盗ってきた、強酸の瓶を腰のポーチに入っているのを確認して、奥へ奥へと進む。

 ここはユキが王宮から〈鬼狩り〉に乗じて逃げた時に使った道。殺人鬼キリング=ジャックが昔作ったとされるものらしい。いずれにせよこの道の存在を知ってる存在は、雪城家直系の少数の人間と、詳しい王宮歴史家の人間だけだ。

「...そろそろかな」

 予想通り、30分弱で王宮内の牢の塔の真下にある地下牢に辿り着く。ハシゴの強度を調べてからゆっくり慎重に上っていく。いざという時のために、口にはナイフを咥えて。

 少しして、コツンと硬い何かが頭に当たる。

 着いた。

 ユキはグッと上の岩畳の一つを持ち上げる。

「ったくっ!どうなってんだよっ!」

 ガンッと背後から地面を蹴る音と、センの悪態づく声が聞こえた。

 雪城家の特製牢。強酸で溶けるといいのだが。それだけが懸念点だ。

「ったく...、縄くらい切れそうだけどっ!」

「いたたたたた」

「これだからなぁ」

 ユキは音を立てないように身体の向きを変え、そろりと上半身を抜け出す。

 目の前の柱にはフジとセンが手首を縛られている様子が分かる。2人の背中と柱のお陰で、恐らくユキの姿は見えなさそうだ。

 グッとユキは身体をさらに乗り出して、2人にもう少し近づいた。

「こんなに騒いでもお咎めなし..か。やっぱり今は見張り...いないっぽいな」

「よし、セン手首折って」

「無茶言うなよっ!?痛てぇし抜けないだろっ!」

「だよなー」

 つんつんと、フジは手首をつつかれる。その方向へ目だけ動かしてみると、

「やほ」

「っ!??!ユ、」

「へ?」

「しー、静かに」

 フジはグッと言葉を詰まらせるが、頭の中は混乱してぐるぐると回っている。

 ─何でユキがここに?どうやって?!

「ユキ...っ!?生きてたのかよっ!」

「静かにしてってば。後、動かないで適当に話してて」

 フジの目にユキの手の内にナイフが握られているのが見えた。センにも見えている。2人で軽く目配せして、前を向く。

「生きてたのかよ」

「...ん」

「俺に言ってくれれば良かったのに」

「ごめん、色々あったんだよ」

「...そ、成程ね」

「それにあんまり私が生きてるって、ここに知られたくなかったからね。はい、センくん。フジくん、ちょっと待ってて」

「サンキュ。バレたくなかったってつまり...?」

「また後で話すよ、っと」

 ギッと、ナイフが鈍い音を立てて縄を切った。

「ありがと」

「いえいえ♪」

 ユキは片手にナイフを持って、ヒラヒラと手を振り背後に立っていた。

「一体どういうこと」

「ここは元々雪城家の特別牢なんだよ。で、この下には昔の人が作った逃げ道があるの」

「ユキ...どうしてここを知って」

「2人とも、後で詳しく話すから今からここを使って逃げて」

「「え?」」

 フジとセンの声が重なる。ユキは笑顔を崩さず、1歩横へ動く。そこにはユキが使ったらしい"逃げ道"があった。

「でも、ユキ1人でナツを助けにはっ!」

「大丈夫、私は"Knight Killers"だよ?これくらいの仕事、いくつも受けてきてるからさ。2人は逃げて」

「ユキ」

「早く行って」

 明るかったユキの声が一転、真剣な色を見せた。2人はグッと黙りこくってしまう。


「必ずナツくんを連れて帰るから」


「......絶対だからな」

「うん」

「い、いいのかよっ!?」

「...引かないだろ?ユキ」

「流石フジくん!分かってるねっ!」

 ─当たり前だろ。昔からずっと君を見てたんだから。

 穴の中にある縄ハシゴの強度を確認して、先にフジが中に入る。センがその後に続いて行く。

 僅かに不安を感じたまま、2人は先に進むことを選んだ。


「さてさて」

 一人になった牢の中、ユキはポーチから透明な液体が入った試験管を取り出し、牢の施錠された箇所にかける。すると、じゅーと音を立てて鍵部分が溶けて、開くようになる。

 ─急ごう。早くしないと、手遅れになってしまう。手遅れになる前に。ナツくんのお父さんと、約束したんだから。


◆◇◆◇◆◇


 ─まったく...。好きでなった職業でも無いのにさぁ。どうして軟禁される筋合いになるんだよ。本ッ当に意味が分かんない。それに、センは殴られてて...、フジも頬をはたかれてたし...。ちゃんとご飯も貰えてるのかな。

 ナツは天井を見上げながら、そんな事ぼんやり考えいた。

 自分の事よりも他人が気になる。ナツの昔からの癖だ。自分よりも他人の身。それでよく帝王学の先生に怒られていた。結局直さなかったのだが。

 ─とにかく!これからどうするか?逃げてもいいけど、それは厳しい気がするし...。

「ナツくんっ!」

 .....声?

「どこから...?」

『ナツくん』

「......ユキ」

「ナツくんっ!!」

 バッと右の通路から蒼髪の人間が走ってきた。その人物をナツは知っていた。〈黄昏の夢〉のユキ。

「何でここに...っ?」

「説明は後だよ!行こうっ!」

 ユキはポーチから透明な液体が入った試験管を出すと、それを鍵部分に場所へかけた。勢いよく泡が吹き、ドロドロと鉄が溶けて、ガキンと音がして牢が開く。パッとユキにナツは手を掴まれた。

「行くよっ!」


 ◆◇◆◇◆◇


「あれ?」

「どうした?」

 頓狂な声を上げたレオへ、クロは訊ねた。

「...無いっ、薬品がどこにもっ!金属も溶かせる酸が」

 アワアワとレオが慌て出す。レオは薬品棚を次々と確認していく。

「...それってヤバイよね」

「まぁ。...予備もあるけどさ。もしやばい奴に盗まれてたら大変やからな」

 そんな事が無い、とは言い切れないのが何とも言えない。

「どこかに置き忘れたとか?」

「危ない薬や。Kやシロヒくんやユキが触れる場所には置かん」

「二人ともっ!」

 バンっとKが部屋の扉を開けた。肩で息をして、額には汗で髪の毛が張り付いている。

「どうしたんだよ、そんなに焦って」

「ユキがいないの!どこにもっ!」

「はぁ?」

「シロヒが今、周辺を探してる!どこにも、どこにもいないんだ」

「...あいつ、もしかして」

 レオが血相を変えた。

「レオさん?」

「ユキが消えたんと、酸の薬品が無くなったん...、同じ時期や。...ユキが持ち出した...?」

「とにかく、探すの手伝ってっ!」

 Kにそう言われ、2人も捜索に加わった。

「ユキ...っ、どこ行ったんだよ!」

「俺の薬品を盗んでって!」

 レオは怒って、シロヒはオロオロしている。クロはうーんと唸って考えてるし、KもKでユキが行きそうな場所を考える。しかし、何も出て来ない。

 これほどユキは何も4人に情報をくれていなかったのが分かる。

「行きそうな場所...わっかんねー」

「僕もー...」

「...!本があった研究所...?」

「何それ?」

 レオの呟いた声に、シロヒは首を傾げる。Kとクロもだ。そんな場所、聞いたこともない。

「ユキの先祖の研究所。...〈霧の森〉のとこにあって、〈鬼神種〉のことが調べてある資料があるって。そこ、俺とユキしか知らんはず」

 可能性はありそうだ。レオ以外の3人が知らない場所でもある。

「そこへはどうやって」

「ユキの血がいる、らしい」

「それなら!前にユキが右腕撃たれた時に着てた服!まだ捨ててないはず。血の汚れをもう少し落とすって言ってたから。ちょっと待ってて」

 シロヒがユキの部屋に入っていった。

「でもユキは何で急に」

「事件って言っても、政権交代したくらいで。ユキには関係ないよね」

 そう、それ以外の周りに起こった出来事で、思い当たる節はない。

「あった!」

「よし、行こうっ!」

 4人は〈霧の森〉に急いだ。

 レオの案内の元、〈霧の森〉のとある半壊した建物の一角に来た。シロヒがレオの指示した場所に服に付着した血液部分を触れさせる。すると、ビコンと音が鳴って扉が開いた。

「うわぁ...っ!」

「凄っ!」

 そこは大量の本が積まれ、本棚がひしめき合っていた。すっと4人の鼻に本独特の匂いが入ってくる。

「ユキっ!おるんかっ!」

 レオの声が響く。しかし、返事は返ってこない。

「ここにもいねぇの?」

「...じゃあどこに」

「...ユキって一体何者?」

「K」

「だって、こんな沢山の本...。貧乏な人間じゃ持ってないよ。ユキの家柄が金持ちなら、納得出来るけど。でもなんでこんな所にこんな場所を」

 その時だった。

 少し広くなってる床の一部がガタガタと動き出した。シロヒとクロがKとレオの前に出て、ナイフと大鎌を構える。Kとレオも少し遅れて、各々の武器を出す。

 床の一部が持ち上がり、中から人が出て来た。

「へ......フジ?」

「え...?クロ...?」

 その人物は、ナツに仕えていた執事である、フジだった。それからもう一人、4人とは初対面に当たる、碧色の髪をしたセンも出てきた。センは彼らの手の内にある武器を見て、素早い反応で手を挙げて「ひいっ!」と怯えた声を出した。

「え?え?どういうこと?何でここに...?」

「え、フジ。何知り合い?」

「前に王宮警護してもらったんだ。ほら、パーティー会場に使ったところ半壊した」

「あぁ!」

 うわぁ、覚えられ方に若干恨みこもってる感、半端ないんですけど。Kはそう思ったが何も言わなかった。

「2人はどうやってここに?」

「ユキが、助けてくれて。俺達が捕らえられていた所が、雪城家の特別牢だったらしくて。それでここに繋がってるんだと思う。...キリング=ジャックが使ってた脱出路らしいけど」

 キリング=ジャック。この〈霧の森〉で大量殺人事件を起こした殺人鬼だ。そんな人物がユキの家とどういう関係が...。しかも王宮と繋がっているという事はどういう事なのか。

「...どういうことですか?」

「とにかく!詳しい説明は後でいい?ユキを助けに行きたいんだっ!武器か何かを」

「そう!そうなんだ!早くしないとユキがっ!」

 4人にはもうさっぱり分からなかった。しかし分かることは、

「ユキが危ない...?」

「あいつ一人でナツを助けに行って!でもあそこは1人じゃ無理だ、敵が多過ぎる。それなのにっ!」

「っ!ここ通ったら行けんの!」

 クロの言葉に2人は頷く。

「...助けてくれますか?」

「依頼でも何でもないです。仲間を助けるのに、そんなの要らないですから」

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