第15話 葡萄酒に毒薬を

 王宮の中には、外国から来た使者を迎える応接室がいくつも存在する。その内の一つにナツと身の安全を守る為にフジがいた。ナツの目の前には、たっぷりと栄養を蓄えた身体から汗を流す、白いスーツを着た中年の男がいた。

「...もう少し関税を低くして欲しい?」

「えぇ、他国に比べてここはやや高いのですよ。どうですか?他の国が少し関税を低くしようという情勢ですから、一緒に落とされてみては?」

 にこにこ、へこへこ。そんな擬音が似合う人間だった。ただ一言で片付ければ、ナツがあんまり好きではないタイプだと断言出来る。

「んー、とは言われても外国の安い商品が流れてくると、国の経済が狂っちゃう可能性があるから。僕はこれくらいが妥当だと思うんだけど?」

 ナツも男に張り合うように笑みを絶やさない。しかしこの笑顔はセンやフジに向けるものとはまるで違う、仮面を付けた冷たい笑顔だ。比べるものがない彼には、分かり得ないことだろうが。この人、商売関係の人だからここに来てるのだろうが...、人の所作しょさで見破ることは出来ない人なのだろう。

「妥当ではないからこうして申し立てに来ているのです!」

 あ、この人終わったな。フジは表情を変えずにそう思った。

「そうですか。まぁでも急にパッと変えられないんですよ、こちらの事情もありますし。なので、」

 そこでナツは言葉を区切り、フジの方を見てきた。

 それは合図だ。彼のいつもの暇潰しが始まってしまった。

「執事、チェス持ってきて」

「はい、かしこまりました。国王様」

「は?」

 男の口から間の抜けた声が漏れる。

「貴方も引くつもりは無いみたいだし、僕の方も引くつもりは無い。だから勝負しましょうよ?貴方くらいの人間ならチェスくらい知ってますよね?てか出来る?」

 次から人を煽っても丁寧口調は徹底させないと駄目だな。フジは心の中でそう考えた。

「ナツ王殿!一体どういうこと、」

「あぁ、出来るんだ!良かったよー」

 にこにこと愉しそうに笑うナツとは対照的に、男は不安げな色を顔に滲ませている。フジはその両極な2人の間に盤を置き、駒を一つずつ置いていく。

「あ、質問に答えてなかったですね。簡単な話ですよ。僕とチェスで勝負しましょう。勝者が敗者の言う事を聞く...。非常にシンプルだと思いません?」

 ナツは手近にあったキングの駒を手で転がす。グッと男はその光景に黙り込む。勝てれば言う事を飲み込まないナツを従わせることが出来るチャンスが目の前に転がっているのだ。...勝てればの話なのだが。

「いいと思わない?弱者が強者に何を言っても無駄でしょ?従わせたいなら有利に、強者で無ければならない。さぁ、」

 ナツが頬杖をついて、男を睨みあげる。口の端だけを吊り上げて、ニヤリと笑った。先程までの友好的に見せていたものとはまるで異なる。

 勝負に飢えた獣を連想させる。そんな獰猛な笑い方だった。

「受けてやります...本当に?」

「心外だなぁ。僕嘘嫌いだからね」

 また顔がふわりとした笑みに戻る。ナツはこういう使い分けがとても上手い。だからこそ、〈智将〉と呼ばれるのだろう。

「さ、やろっか。先攻、後攻どっちがいーい?」

 愉しそうに愉しそうにナツは笑う。

 フジは知っている。そもそもこの勝負は受けた時点で負けと言ってもいい。チェスの上手かった亡きナツの父親がナツに教え込んだのだ。勝てた人間は、今まで見たことがない。

 1時間も経たない内に、男は負けた。ナツはつまらなさそうに口を尖らせている。彼からすれば、この男は赤子のように弱かったのだろう。

 一方の男は、驚愕に震えている。

「...な、馬鹿な...っ」

「何さー。文句あるの...?」

 ナツは頬を膨らませ、男へ訊く。

 確かにこの大敗は、男が不正か何かを疑ってもおかしくはないが。

「...ナツ王の従者がここに持ってくる時に、何かを仕込ませたか?!」

「うぇっ?!俺っ!?」

 これは今までにない飛んだ展開だ。フジは表情は変えずに口の中で舌を打つ。巻き込まれてしまっている。

「チェスに仕込むって...何をどうするのさ。ほら、もう諦めて帰って」

 ほら早く早く、とナツは言う。男は忌々しげにナツとフジを睨むと、何かしらの暴言を吐こうとして口を開けるが、それを舌打ちに変えて、出て行った。

 それを確認してから、ナツはグッと伸びをする。

「つっかれたーぁ!!」

「...あの帰し方で良かったのか?」

「いーよいーよ、あの人少し胡散臭かったし。近隣国でそんな動き無いのにさ、あぁやって言いに来て。すっごく怪しかったから、早く追い返したかったんだよねー」

「え」

「...何?」

「何でそんな情報を...」

 執事である俺はまだ知らないンデスケド...?フジは目を点にする。

「あぁ!ほらセンが外交の資料を文章にまとめたヤツあったでしょ?あれ読んだの。ひとっつもさっきの男の言ってたことに掠る話が無くてね。僕チェス強いし、あぁ言ったら受けない人なんていないでしょ?考えたと思わない?」

「...そうだな」

「ふふーん!よしじゃあそろそろ寝よ」

「次の仕事があるよ、国王様?」

 フジは公務から逃げようとするナツの腕を掴み、にこりと笑いかけてやる。ナツはフジの方を見て、プクリと頬を膨らませた。

「褒めてくれたのに...」

「今とさっきじゃ状況が違う!」

 フジの言い分に、やはりナツは嫌そうに顔を歪めた。


 長い1日の激務も終わり、部屋へ戻る道すがら、センとばったり会う。彼の片手には外で買ってきたのだろう、ワインボトルが握られていた。

 センはフジを見るなり、駆け寄ってきて、

「一緒に飲もうぜ!」

「あぁ、うん、いいよ」

 2人は少しばかり広いフジの部屋で飲み会をする事にした。

「相変わらずたいへんなことで、フジ」

「どうも」

 カランとグラスが鳴った。

 そして今、フジとセンはフジの部屋で酒を飲んでいた。

「...俺はさ、"Knight Killers"は消すべきだと思うんだよ」

「え」

 センが手首を回して、グラスの中の氷がカランと音を鳴らす。

「やっぱ殺しが正当化されていいって思わないよ。フジだってそう思うだろ」

「そりゃあ...。でも王宮兵に頼めない闇の仕事ってあるだろ。それをやらせるのは少し...ね。そこから機密情報が漏れてナツの政権が崩れると困る。それを考慮すると"Knight Killers"はあるべきなのかもしれない」

「むうぅ......」

 センが唸るように声を上げて、机に突っ伏した。疲れているのか、フジには彼がいつもよりも早く酔っているように思えた。

「...ナツの父さんだってさ、"Knight Killers"に殺されたんだろ。ユキを...殺したのだって...」

「......っそれは」

「もうナツが探し始めて9年だぞ?これだけ国中探しても見つからないなんて、死んだとしか考えられないじゃん。殺されたんだよ、"Knight Killers"によって」

「...ユキは生きてるよ」

「淡い期待だな」

 例え淡い期待だとしても、抱いていたい。諦めたくはない。それがフジの考え方だった。

「...それなのにお前はそっちの肩を持つのかよー」

「...あくまでも意見だって」

「そうかぁ...」

 センは「ふむふむ」と呟いたかと想うと、急に頭を机に打ち付けた。フジは驚いて慌ててセンを見てみると、寝ていた。

 まったく...こいつは。フジは毛布を彼へかけてやる。

「......"Knight Killers"の存在か......」

 そもそも"Knight Killers"っていつの頃からあるんだろう。...明日調べてみるか。

 フジはそこまで考えて、寝る準備を始めたのだった。


 次の日。フジは図書館に来ていた。

 ここは元御三家と呼ばれる雪城家、ユキの家の人が作った場所で、沢山の本が所狭しと並べられている。文官よりも武官が多いこの国では、あまりここを利用する人がいないけれど、しかし資料の保存状態はとても良い。必要なものは揃ってる。

 早速、フジはそれらしき本を探して近くの椅子に座る。タキシードの上を脱いで、椅子の背もたれにかけた。

 パラパラとページをめくり、

「"Knight Killers"について」

 その見出しの文字をなぞる。


【"Knight Killers"とは、このニコールディア王国の建国当初に置かれた国王や各国の要人を護衛する、武術に優れた3つの傭兵一派に与えられた役職が始まりらしい。最初は目的通り護衛だけの仕事だったが、その腕を買われ、段々と暗殺や敵襲などの国王やそのお付きの人達の依頼も受け始めた。3族は渋々受けていたが、その内の2族が耐えきれなくなり、辞意を表明。国王はこれを承諾する代わり、学問分野で優秀な人間が多かった2家を御家として手元に置いた。】

「...これって多分、手元に置いて変なことを言わせない為...だよな」


【そこで2家は名前を改めて、時の王の名前を取り千石せんごく家が、その王の妻の旧姓を取って藤谷ふじたに家が生まれた。もう一つの、王に頼まれるがまま殺戮を犯す一家にも、当時の当主が好んで住んでいた城の様子から雪城ゆきしろ家と名付けられ、やや遅れる形で御家に加わり、御三家と呼ばれる現在の形が成立した。】

 そこまで読んで、ナツの先祖の傲慢知己さに心無し腹が立った。



「最低だな...。この国は始めっから腐ってたのか」

 ぼやきながらも、続きに目を移す。



【雪城家はとにかく王に命じられるまま、暗殺稼業を行なった。

 そんな時、時の王コート王が〈霧の森〉周辺の街の人間の殺害を求めた。そこは政府の反対勢力だったかららしい。当時の雪城家の当主のキリング=ジャックはこれに応じ、街の破壊を開始した。元々キリング=ジャックは殺人衝動という精神病を抱えており、かつ実力も高かった為に、街の制圧は一週間程で終了した。ジャックはそこで死体として見つかり、彼のナイフが彼の腹を半分にしていたという説もある。

 それから少ししてこの事件により、今までの王宮の所業が明るみに出てしまうことになった。そこで王宮はこの件をキリング=ジャックに全て押し付けた。それ以後、キリング=ジャックの呪いか、殺人衝動を抱えた人間が多く生まれるようになったという。】



 フジでも知っている、歴史的大殺人事件である〈霧の森〉の事件。確かこれでジャックは王国に裏切られて捕まったのではなかったか。ここに記されている事はフジの知ってる話とは少し違うようだった。

「キリング=ジャックが...、ユキの先祖の1人なんだ」

 殺人衝動の文字に、フジは少し引っ掛かりを覚えた。...この言葉、どこか小さい頃に聞いた気がする。思い出せないけれど。

 思い出せない事に少し悪態づいて、次のページに目を向ける。


【それで政府の動きが収まったとはいえ、やはり邪魔者は多い。そこで既にもう貧民街が存在していた為、そこから秘密を守れる猛者もさを雇い始めた。しかもなかなかいい金が入る。但し相手も同じように雇いる。そこで彼らもまたチームを組んで、自分達が死なないようにし、金を分けつつ今の、】


「フジさん...かしら?」

 ピクリと、思わず肩を震わせてしまった。

 そこにいたは白い杖を付いたナツの母親である、現在は隠居している王妃様がいらっしゃったからだ。彼女は目があまり良くなく、いつも杖を付いて歩いていられる方だ。

「補佐も付けられずに歩かれていては危ないですよ?お座りになりますか?」

「いいえ、少し懐かしくて声をかけてしまったのよ」

「...懐かしい?」

「ふふ、よくねここにあの人が来てたから。私には読めないような本を沢山読んでらしたのよ。...丁度今フジさんが座ってた席で」

「そうだったんですか」

「それにね、あの子...ユキちゃんだったかしら?あの子もよくその近くの席に座って読んでて...。凄い子だと思ってたから印象に残ってるわ」

 ユキがここで本を読んでいたのか。フジは驚いた。

「すみません、どの本を読んでたとか、お分かりになりますか?」

「そこまでは分からないけれど...、でもいつも違う表紙を持ってたような気がするわね。大体読み尽くしてるんじゃないかしら」

 大体読み尽くしてると仮定するなら、ユキはこの情報を知ってる可能性は高い。

「...あ、ありがとうございました」

「お役に立てて良かったわ。...ねぇフジさん」

「はい?」

「あの子はどうかしら?ちゃんとやってる?」

「!...勿論です。ただ少し寝起きが悪いのが難点ではありますが」

 そう言うと、ナツの母さんは「まぁ」と驚いて、それからクスクスと笑われた。

「そう。...ではそろそろ失礼しますね」

「あ、お送りしますよ」

「いいのよ、調べ物の邪魔をしてごめんなさいね」

 ナツの母親はフジに一礼て、去っていった。

 フジはストンと椅子に座り、机に開かれている本へとまた目を向ける。もう欲しい情報はないけど。

「ユキは知ってるのか...。殺人鬼の子孫って」

 それを思うと、フジは少し胸が痛んだ。別に、フジが彼女の何かを知ってるわけじゃないくせに。

 フジは本を戻し上着を羽織った。戸締りを確認して、図書館を後にした。

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