第14話 セイレーンが笑いながら歌うバルカローラ

「ユキーっ!!」

 バシャバシャと水が跳ねる。ザァザァと降る雨が強まった気がする。それは視界が見えにくくし、探すのに困る。

『本当馬鹿だね、レオさん!』

『教えないって言ったら?』

 緩くて、でも何だかんだで俺達のことを大切にしてくれてて。サポートも適切で。大切な仲間なのに。

「ユキっ!返事せぇっ!」

 家に帰る途中に襲われて、どこかに連れていかれたとか。そんな怖いことを考えてしまう。いつ死ぬのか分からない。一寸先は闇とは、よく言ったものだ。

 キョロキョロと目を配っていると、いた。レオは、ユキを見つけた。

「ユキっ!」

 壁にもたれかかり、彼女の細い身体は力なくだらりとしている。長い間雨に打たれていたのか肌がいつにも増して白く、生気が無い。

 急いで駆け寄る。

「おい!しっかりしぃや!」

 レオはユキの肩を掴んだ。呼吸はやや浅いが、まだ死んではいない。その時ぬるっと、右肩に置いていた手が滑る。雨のせいかと思ったら、ユキの右腕が血だらけになっていた。意識がまだあった時に圧迫して止めようとしたのか、パーカーの下の服の袖がちぎられ、右腕に巻き付けてあった。

 グッと気持ち悪さに耐え、ユキを抱き上げようとした時だった。

「......レオ.....さん......?」

「っ!ユキっ!」

 ゆるりとユキの瞼が開けられ、何かを考えているようだったが、腕が痛むようで顔を歪めた。

「大丈夫か、ってんなわけねぇか。立てるか?」

「...何か、ごめん。迷惑...かけたっぽいし」

 ユキの目が笑うように下がる。

「喋るな、殴るぞ」

「...それは困る」

「...とりあえず、左腕を伸ばせ」

「ん」

 ユキを抱き上げる。日頃見ているよりも随分と軽い気がした。

「華奢過ぎ...」

「こればっかりは何とも出来ないよ」

 ユキは肩をすくめた。

 レオがユキの身体を抱いたまま、家へと急いで運び入れる。身体を綺麗にし、部屋へ入れる。その時に、Kとクロが帰ってきた。

 眠ったユキは身体をシロヒが手当てをし終え、ふぅと額の汗を拭った。

「どう?ユキは?」

「大丈夫、死にはしないから」

「ふー、良かった!」

 クロは安堵して力が抜けたのか、その場にへたりこんだ。

「傷は?」

「雨が幸をそうしたようだね。破傷風の心配は無いよ。レオさんが早く見つけたから助かってる。衰弱が酷くて血量が足りないだけだよ」

「え、血が無いってやばくない?!」

「貧血気味ってこと」

「あー、そういうこと」

「...レオさん喋んないけど、大丈夫?」

「ん...あぁ、大丈夫」

 レオはゆっくり頷く。クロが心配そうにレオを見てくるが、「大丈夫」という言葉を聞いて、少しだけその表情を和らげた。

「死ぬかと思ってたから......。分からんもんやな、未来って」

 ポツリと、レオはそんなことを呟いていた。

 一寸先は闇とはよく言った言葉だ。いまもまだジワリと心に染み込んでくる。誰がユキがこうなるって予測を付けただろうか。

『1人でも大丈夫だから』

 あの時、俺がついてくって言ってたら?

『疲れてるんでしょ?しょーがないよ』

 後悔だけが山のように積もっていく。

「...預言者なんていないんだしさ。だから、今を生きようよ」

 考え込むレオに、Kがそんなことを言った。

「そうだなぁ。ま、レオさんもそうでしょ?」

「ん、まぁ...」

「後悔してるって顔してる。ユキが起きた時はそんな顔しないでよ?」

「起きてますけども?」

「「「「うわぁ!」」」」

 ユキは4人の揃った声に目を丸くして、それからクスクスと笑った。

「もー、酷いなぁ。勝手に死んだ扱いしないでよね」

「え、あ、すまん」

 ユキは少しだけ右腕に触れ、少し考えるように首を傾げ、

「シロヒくん、これどのくらいで治る?」

「いや、医者じゃないから分かんないけど...。1ヶ月とか?」

「...仕事に支障が出そうだな」

「いや、休めよ!別に1ヶ月俺ら働かなくても」

 そう、あんまりお金を使わない彼らはそこそこ金も貯まっている。1ヶ月くらい働かなくても余裕で生きていけるくらいに。

「いやでも」

「大丈夫だって!」

「あの...一応言っとくけど、受けてる仕事あるからね?」


 他の3人を夕飯を作らせて、シロヒはユキの手当てを続けていた。

「あーあ」

「ん?」

「手袋...、血だらけになったなぁって」

 ユキはプラプラと右手側の手袋を摘んで揺らす。少し残念そうに顔を顰めている。

「新しいの買えば?」

「ん...そうだけど、一応手にしっくりきてた奴だからね。少し惜しくて。 ってて」

「あーこら。動くから」

 包帯が崩れたのをテキパキと直す。白く細い腕だけど、さっきまで真っ赤だったんだよなこれ。

「...何じっと見てんの?」

「ん、いや、細いし白ぇと思っ」

 そこでシロヒは言葉を区切った。心の中で考えるのは自由だが、口に出すのは駄目なものもある。

「ふーん」

 案の定、凄いユキの表情が輝いている。

「いやまぁ、シロヒくんもオトコのコだもんねぇ?そかそか!そういう目で見ちゃうか」

「あのなぁ、俺は治療の目で」

「ふぅん?」

 あーもうこいつは。ネタを提供するとすぐ喜ぶから。シロヒは眉を寄せて顔を顰める。

 クスクスと笑うユキ。

「もう!違うから!」

「いっ!」

 とりあえずべチンと軽く傷口を叩いて、ユキを黙らせた。

「酷いなぁ...。普通の医者なら患者に怒られてるよ?」

「患者っていうほどでも無いだろ」

「うわぁ、酷い」

 そういう割にはニヤニヤと笑って、元気そうだ。こういう所は本当にタフな奴だ。

 次の日。クロはユキの部屋に来た。突然クロが来たことに驚いたようで、ユキは不思議そうに小首を傾げた。

「どうしたの?」

「...なぁ、ユキ」

「ん?」

 ユキが不思議そうに俺を見る。確かに、クロとユキでこうして面と向かって話すことがないからかもしれない。

「...レオさんの血のこととか、知ってんの?」

「...あー、まぁ一応...」

 最初は言葉を濁そうとしたのか、しかしそれでもちゃんと言ってくれる辺り、優しいと、クロは思う。

「でも急にどうしたの?」

「...知りたくなった...というか。一応知っといて損は無い、つーか」

「...ふふふ、そうかそうか」

 彼女は意地悪く、ニヤニヤと笑っている。

「まぁ、からかってもいいけど、今日は真面目クロくんだから止めとこう。〈鬼神種〉のことについてね。...立ったまんま聞くつもり?座りなよ」

 促されるまま、座る。

「クロくんにまず質問っ!クロくんは〈鬼神種〉のことどう思ってる?」

「どうって...。傷の治りが早いとか、痛みが凄いキツイとか?レオさんの身体に起こってることしか知らない」

「うんうん、それが普通だよ。...鬼神っていうのはね、昔は吸血鬼って呼ばれてた存在なんだよ」

「...吸血鬼?」

「そう。吸血鬼にも色々種類があって、それぞれの血を継ぐ一族が3つあったの。で、そこの一族の一つがこの国に来て、鬼神と呼ばれることになった、ってらしいけど。詳しくは私も知らないんだけどね」

「....吸血鬼って、血を飲むんだろ。レオさん、血嫌いだけど」

「だから分からないの。もしかしたらレオさんは特別なのかもね」

「...よく知ってんな」

 「まぁサポート役だしねー」とユキは照れ臭そうに笑いながらそう言った。

「いや、それでもすげぇよ」

「え、本当に何?死亡フラグ?」

「立ってねぇよ」

「あはは!冗談っ!」


 


 


 


 暗闇だ。足には手には冷たい感触が這ってくる。カツカツ、コツコツと歩く音が徐々に近づいてくる。誰?

『いい子にしてたかい?』

 嫌だ。来ないで、来るな。

『ほら今日も私の為に、頑張ってくれよ?』

 触らないで、殴らないで。痛くて痛くて辛くて、辛いよ。辛くてたまらない。

『止めてっ!!』


「っあっ!!??」


 ユキは飛び起きる。息が荒いまま、辺りを見回して、自分の部屋だと自覚して何とか整えて落ち着く。

 汗がベタベタと服を張り付かせて、気持ち悪い。

「...悪夢か」

 そう理解して倒れ込む。...誰もここに来ないってことは、そこまで大声じゃ無かったんだろう。それがせめてもの良かった点だ。

 ギュッと腕を抱え込む。もう、痛まないのに。そこには何も無いのに。

『辛いか?』

 ぞくりと背筋が凍る。頭の中の声がニヤついてる。手が勝手に夜更けに誰かが襲ってきたとき用に隠していたナイフを探り出した。

 それがユキの心臓に向く。

「や、...嫌だ」


『死んだら楽だろ?』

 そのナイフは分かってるを、



 ユキの声が部屋から何か聞こえた気がして、

「ユキ?」

 コンコンとシロヒは扉をノックする。反応がない。そろり、と扉を開けた。

「なにかあっ、」

「やめてやめてっ!!来ないでっ!」

 ガシャンっと、近くにあった物が振り落とされた。

 時々、本当にたまにユキはこういう破壊衝動を起こす。いつもは何とかやり過ごしているらしいが...、今回はシロヒが来てしまった。

 ナイフが手に力強く握られていて、腕はブルブルと痛みでか震えていた。ナイフは前回傷を負った右の二の腕に刺してあった。

「ユキ」

「それ以上動いたら」

 ユキの腕に刺さっていたナイフが、シロヒの喉を狙い定めている。ギラついた蒼の瞳が彼の目を睨んでいる。

「刺し殺す」

「...大丈夫、ユキ。俺は敵じゃないから」

 一歩、ユキに近づく。僅かにユキのナイフを持つ手が震えた。

「や、やだ...っ、シロヒくん...っ!」

「大丈夫」

 一歩一歩ユキに近づき、そっと頭を撫でてやる。

「っあ......」

 ユキが身を硬くし、そして前に倒れてきた。シロヒはそれを支えた。ナイフをゆっくり手から離し、頭を撫で続ける。

「シロヒ...くん」

「...落ち着いたか?」

「...ふー、だいぶ...」

 ユキの肩が深呼吸で上下する。

「ごめん...」

「仕方ないって」

「...ね、シロヒくん」

「ん?」

「...いつか、皆を殺しかけるようなことになったら、殺してね私」

「っ!」

 ずるり、とユキの身体から力が抜けてシロヒの肩に頭が当たる。シロヒは起こさないようにベットに寝かせた。凄い汗をかいてる。それに、出血量は少ないとはいえ、また手当てしないとな。

「私を殺して」か。

 手当ての為にと、そっと服の袖をまくってみる。そこには彼女自身を押さえつけるためか、無数の斬りつけた跡がある。

 痛々しい、生々しい傷だ。

「俺には...無理だよ」

 仲間を殺す、なんてさ。

 グッと奥歯を噛んで、頭をもう一度撫でてやる。

 大丈夫、ユキはそんなこと絶対起こさないから。

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