第4話 聖なる場所で生を得よ

 〈霧の森〉は〈黄昏の夢〉の家の裏手を20分程度歩いたところにある。その名の通り、今は誰も住んでいない廃墟となった霧深い街とそれを囲んでいる森とを総称したものを指す。十数年前に起こった殺人事件で街の住人が大量に殺害された為、それ以来ここには誰も足を踏み入れず、こうした"Knight Killers"の取引場所となったり、烏達の住処となったりしている。

 その街の教会に、レオとKはいた。

「誰もいないね」

「まぁ一応廃墟やかんな」

 ザクザクと瓦礫を踏みながら、寂れた教会の中に入り込む。外装は手入れする人間がもういない為か、あちこちがボロボロに崩れかけている。中も割れた床のタイルの隙間から草が生えていたり、壁は風化したからかボロボロであったりと、昔の清麗さは欠片もない。

「かなり荒れてるね、やっぱり。倒壊する前に壊せばいいのに」

「壊すと金かかるやん。そのままにしといた方が楽なんやろ。それに、これはあった方がええ」

「何で?」

「何かあった時に隠れるのに便利やん」

「あー!確かに!流石レオさん」

 Kは納得したように頷いた。

 レオは壁に描かれてる、信者を優しく包み込むような笑みを浮かべていたのであろう聖母を見る。年月を経て大分薄汚れて、掠れて見え辛くなっている。別に彼には一切の宗教心も無いので、薄汚れて汚いとしか思わない。

「いないね、少し待とうか。遅いみたい」

「早く来たわけや無いのに」

「まぁまぁ、僕らが文句言っちゃあ駄目だよ。じゃあ暇つぶしに...、そうだね、しりとりでもする?」

「何でそれを選んだんや?」

 Kは「んー、何となく」と眉を寄せて苦笑いを浮かべた。

「す、すみません!」

 その時、後ろから女性の声がした。振り向くと、彼等より少し年上の白いシャツに黒い膝丈のスカートをはいた女性が息を切らしてそこにいた。遅れに気付いて走ってきたのだろう。

「あー、いいですよ。時間くらい気にしませんから」

「す、すみません」

「で、依頼の方は...?」

 そうKが訊いた時だった。レオがチラリと女性を見た。その女性の背中から拳銃のグリップが覗いているのに気付く。彼女に近付こうとしたKをレオは慌てて引き止める。Kは「何で止めるの?」と言いたげに首を傾げた。

 このクソ眼鏡。気づけよ!

 レオは口の中でそう悪態付き、女性に視線を合わせた。

「...ほんとに、依頼なんですか?」

「ちょ、レオさんっ!?」

「何で、拳銃がいるんですかね...?」

 その言葉と同時に、女性の目が鋭くなり、彼女は拳銃を抜いて2人に向けて撃ってきた。レオは素早くKのコートの襟を引っ張って避けさせる。教会特有の長い椅子に隠れる。それとほぼ同時に頭上を弾丸が唸りを上げて過ぎていく。Kはその間にコートの内側から拳銃を取り出し、弾を確認してちらりとそこから顔を出して辺りを見た。

 そして一言、

「...面倒臭いことになってる」

「は?」

 レオもひょこっと顔を出すと、屈強な見た目の男四人の集団が各々の武器を持っている。一瞬レオの頭にハテナマークが浮かぶが、すぐに察した。恐らく彼女が雇った別の人間、否"Knight Killers"のチームだろう。

「おい、〈黄昏の夢〉!俺達はお前らみてぇな奴らに仕事を奪われたクチだ!そこのネェちゃんも、てめえらに恨みを抱いてんだとよ!ほら、さっさと潔く殺されに出てこい!」

 2人は顔を見合わせた。男の言ってる意味が分からない。そして、レオの予想は外れていたようだ。

「...あー!傭兵崩れか。ほら、"Knight Killers"ってさ、仕事の幅広いからさ。多分そういう感じで仕事口を奪われたから恨みを抱いてるって感じなんじゃない?あと、女の人に至っては俺らより依頼人を恨む方が筋じゃ、」

 そう語るKの頭上を弾丸が過ぎていく。

「うるさいうるさい!あなた達が!兄さんを!殺したのなら!!」

「言っても意味なさそやね」

「あんまり仕事以外でこういうこと、したくないんだけどなぁ」

 Kは少し眉を寄せて、やれやれと肩をすくめるが、目の色がすっと変わった。温厚な人の目から、殺し屋の目へと。

「死にたくないからね」

 Kが駆けた。レオは他の人間がKに目を奪われてる間にポーチから薬品の入った瓶を取り出す。

「ええと、これとこれか」

「ここか!見つけたぞ!!」

 ニヤニヤとレオを見下ろして笑う男がいた。レオはその男が見上げたまま、ひゅっと適当に取り出したものを投げつける。

「ぎゃああああ!ぎゃゃあああああああああ!!!?!!?!」

「あは、せーこー!」

 男の手で覆われた指の隙間から、刺さったガラスの破片と、溶け出した皮膚が見えた。もうこの人の顔は戻らないだろう。だが、これでいいとレオは思う。

 だって、俺らに喧嘩を売ったってことは、なぁ?


 殺される覚悟はあるんやろ?


 一方、Kは男の頭を持っている拳銃のグリップを使って、思い切りぶん殴る。これで2人倒した。後は、女と男2人。女性はこの場の格の違う戦いに置いてかれてるみたいで、発砲はしなさそうだ。あと2人はどちらも手負いだが、それでもレオとKに引けを取らない強さだ。

 勿論、こちら側も怪我一つしてないわけではない。Kは頬と腕に、レオは頬に傷をつけてる。

 Kはチラリと仲間の様子を確認する。レオは残りの小瓶を数えてるようで、今は転がって避けてる。

「おりゃあ!!」

「わぁ!」

 突然男が殴ってきたのを、Kはクルリと捻って躱す。それから、

「っも!面倒臭いよー!」

 パンと撃つ。弾丸は男の腹部に当たった。がくりと男はくず折れる。

「レオさんっ!」

「あ、なにぃ!?」

「そろそろ逃げっ!わわっ!」

「あぁー?」

 銃声で聞こえにくいのか。

 それでもKの声を聞こうとしてか、Kの方をレオは向く。

「何や、K?」

 小首を傾げたレオの背後、Kの視界にはっきりと見える。

 黒光りする銃口が見えた。

「レオさんっ!」

 それから起こることなんて、Kには何も考えられなかった。

 レオの身体を押しのけて、発砲する。それと同時に、脇腹に激痛が走り、Kはその場に倒れ込んだ。

「Kっ!」

 庇ったKの身体が倒れた。ドクリと、レオの心臓が嫌な音を鳴らし、彼の頭の中は白く染まっていく。

「アッハハハハ!!やってやった!あと一人、だな!」

「っ てめっ!」

 ギリっとレオは唇を噛む。すぐ様Kに駆け寄り、撃たれた箇所を見る。出血はそこまでじゃないにしても、撃たれた箇所が生命に関わる危険な場所だ。もう少しよく傷口を見ようと身を乗り出した時、ぐいっとKの手がレオの胸に当てられ、その行動の制止させた。

「レオさん...、大丈夫だからさ、僕」

 Kはにっと笑って、片腕で椅子に寄りかかる。手当てしてやりたいのは山々だが、それをしたらその間にレオが殺られてしまう。

「済まん。...少し、我慢出来るか?」

「ん」

 Kから離れ、ポーチからクロの持つものと同じデザインのナイフを取り出す。彼がこのナイフを買った時にプレゼントとして贈られた、護身用の代物だ。レオ自身、ナイフの扱いが上手いわけでは無いが、

 ここでやらないと、殺られる。

「ああ?出来んのかぁ?」

「うるせぇ!!」

 レオはクロと同じように構え、ナイフを振り上げる。そして、駆けた。

 銃声がレオの耳元を唸りながら通り過ぎていく。彼の足に鋭い痛みが駆ける。だが足を止めてしまえば更に撃たれるかもしれない。なら、足を止めずに走り抜いて、ナイフを振り下ろす。レオの目の前が鮮血の赤に塗られた。

「が.....は.......」

 ばたりと、男の身体が倒れた。抜こうとしなくても、ズルリとナイフが抜けた。

 はぁはぁと、彼は肩で息をする。ヌルヌルと男の血が絡みつくように右手を濡らして、気持ち悪さがレオの胸中を渦巻く。

「Kっ!」

 そう言いながら振り向いた時だった。銃声と同時に、頬に痛みが走る。

 今まで何もしてこなかった女性が、煙を銃口から吹かせていた。狙いの先が、レオの頭にあるのは、見たら分かる。

 ゾクリと、レオの耳元で死が呼吸をしている気がした。

「悪魔...、あんたたちは死神なのよ!」

「っ.....」

 死神。悪魔。そんなことは誰よりも、お前らよりも、知ってる。レオはそう思った。

 カチャリと、引き金の音と構えられた音が鳴る。一歩、レオとKの方に女性が近づいてきた。

「あんたたちみたいなのは、死んだらいいの」

 銃声と共に、レオの視界が黒く染まった。


 しかし、彼の意識はあって。


「お疲れ様...レオさん」


 クロの声が、レオの耳に届いて。


 レオの意識は消えた。


 一方、時は少し戻った〈霧の森〉の街の中。レオとKの身の安否を案じ、シロヒとクロ、ユキ達は2人が居るはずの〈霧の森〉の廃教会へ向かっていた。

「本当にここら辺って何もねぇんだな」

「だって人が寄り付かないもん。...知ってる?ここ昔、キリング=ジャックっていう殺人鬼がいたんだって。で、その人間に殺されたくない人が出ていって、さらに噂が噂を呼び、ここには誰も居なくなったんだってさ」

 うげーっ、とクロはユキの話に嫌そうに顔を歪めた。

 ...いや、全く違うけど同じようなもんだよ。違うのは見境なく人を殺すことをしないってことくらいだからね。シロヒはそう思ったが、何も言わなかった。

 その時だった。パンパンッと銃声が3人の耳に聞こえてきた。方向は、北側。...2人が居るはずの廃教会の方だ。

「!? 何かあったんだ!」

「急ごう」

 3人で走って、廃教会へ急ぐ。窓ガラスが割れている箇所があり、そこから3人はひょこっと顔を覗ける。

 見知らぬ男が四人、血だらけでそこら辺に転がってる。取り付けられた椅子にもたれかかるように、Kが脇腹から血を流してしゃがんでいた。レオは右足を赤く染め、銃口を向けている女性を睨んでいる。

 どういうことだ、この状況。

 シロヒ達にはこの状況の意味が分からなかった。だが、ここで凄惨なことが起こったことは分かる。

「っレ」

「静かに、気づかれたら困る」

「でも」

「そうだね、だからクロくん、静かに行って。後、私にナイフ貸して」

 ユキがしっかりした声でクロにそう言う。「分かった」とクロは渋々そう言い、ユキへそのナイフを渡した。

 何となく、シロヒにはユキが何をしようとしているのかが分かった。数年間一緒にいるだけある。

「シロヒくん」

「分かってる。任せて」

 ユキはにっと笑って、女性の背後に回れるように中に入っていった。クロはサッと中に入り、身をかがめてレオに近づいていく。シロヒは他に応援が来ていないか、廃教会の辺りをグルリと回っていく。


「悪魔...。あんたたちは死神なのよ!」

 教会に入った瞬間、クロの耳にヒステリックに大声で叫ぶ女性の声が聞こえた。

 死神、悪魔か。

 その言葉に自嘲気味にクロの口の端が上がる。

 分かってんだよ、そんなこと。でも生きていかなきゃいけねぇから、どんな方法使ってもさぁ、仕方ねぇじゃん。なぁ、お姉さん?

 銃口から煙が吹いたその瞬間、クロはレオの目元を覆い隠す。銃弾がクロの肩を掠めた。レオは疲れで限界だったのか、或いは安心したのか、意識を飛ばしてがくりとクロにもたれかかってきた。

「が.....」

 背後からこっそり近づいていたユキは、背中から女性を下から上に切り裂く。背中がぱっくりと裂け、彼女はヨロヨロとよろめいて、倒れた。両方の目から涙を流して何か口を動かしたけど、すぐにその動きは止まった。代わりに、口の端から血を溢す。

「K!」

 シロヒがKに駆け寄る。

 クロはゆっくり座って、レオの赤く染まった腕を探る。血に汚れたナイフをギュッと握っていた。護身用にと、クロがプレゼントに渡したナイフ。

 血が嫌いなのに、よく刺せたね。レオさん、頑張ったじゃん。怪我が酷くなくて無事なら、それでいいんだけどね。クロはそれだけ考えて、彼の耳元で優しく囁く。

「お疲れ様」

 それだけをもう一度言って、ゆっくり立ち上がり、彼をおぶった。

 シロヒはKの肩を掴んで、ゆっくり身体を起こしてやる。

「Kっ!大丈夫か!?」

「...何とか、ね」

 Kは脇腹を抑え、苦笑いを浮かべている。まだ喋れるだけの余力はあるようだ。

「エリーさんのとこ、連れてくから」

「ん」

 Kは安心したように笑みを和らげると、くたりと力を失った。力の無くなったその身体を抱き上げる。

「ユキ」

「ん、問題ないよ」

 ユキはへらりと笑いながら近づく。返り血などは一切浴びておらず、これなら街中を歩いても、あまり周りから不審がられる心配はなさそうだ。

「急ごうか!...クロくん、大丈夫?」

「2人に比べれば全然っしょ?」

 クロはレオをおぶって、シロヒはKを抱き抱えて、ユキは他が生きてないか確認して、〈霧の森〉の廃教会をあとにした。

 そこから3人は必死の思いで走り、エリーのいる建物へと辿り着く。

「エリーさん!」

 ドアの何度かノックすると、エリーがのそっとドアを開けて出て来た。

「凄いな...」

 開口一番。エリーは、呆れたように彼等を見てそう言った。

 エリーは5人を中へ入れた。

 中は全部で3室と、彼らの今いるちょっとした広さを持つ待合室を兼ねた玄関だけだ。玄関にも、部屋に置ききれないのか、大量の薬箱が所狭しと置かれている。

「病室はお前らで貸し切りだな。...ユキ、そこの白い箱を取って、シロヒとクロはそいつらを各部屋に寝かせて出て来い」

 エリーは白衣の袖をまくりあげた。クロとシロヒが2人を各部屋に置いたのを見て、ユキと共に待合室に放り投げる。

「ユキ、その救急セットでクロの肩の手当てしてやれ。終わり次第、声かけてやる」

 バタンとドアを締めた。ユキのオドオドしたような声が聞こえるが、エリーは気にしない。

 早速エリーはKの怪我を診る。脇腹に銃創が見られた。面倒臭いと思ってしまうが、エリーはその傷口に触れる。

「K」

「.......っ.....?」

「痛むが我慢しろよ」

 エリーの声に反応するように、Kが微笑んだ。それを了解だとエリーは解釈し、手当てを進める。

 脇腹の銃弾が突き抜けていたのは幸いだった。他の外傷はそこまで酷くなく、丁寧かて素早く包帯を巻いて、次にレオの部屋へ向かう。

「やっぱり...凄いな...〈鬼神種〉」

 レオの治りかけた頬の傷に触れて、エリーは思わず唾を飲み込む。

〈鬼神種〉。自然治癒能力が普通の人間よりも遥かに高い人間とは異なる存在。人間ならば死に値する致命傷のものでも、彼等ならば治癒し生きながらえる事の出来る存在である。しかしそれと引き換えに、人間より痛覚が敏感で、ほんの少しのかすり傷が腕を切り落とすような痛みに感じてしまう程、鋭いらしい。

 彼はその血を受け継ぐ、この国では珍しい存在だ。

 レオ本人はこの血筋を嫌ってるが。

「目立つとこだけでいいか...」

 レオには、手厚い手当てもあまり意味をなさない。自然治癒で治してしまうから。

「っぅ.....」

「足が...痛むか?」

「.....ん」

 レオはこくこくと頷く。エリーは足の傷を診る。見た目の傷は大して酷くはないし、出血量も大したことはないが、痛みが酷いのだろう。痛み止めを塗り込む。

 テキパキと2人の手当てをし終えて、それから待っている3人に声をかける。3人はエリーに深く頭を下げてから、2人の元へ駆けていった。

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