第二ノ雨 ぼくは歩く

 ぼくは何かに包まれていた。暖かく柔らかな......、それは毛布だった。


 ぼくは目を開けて、身の回りを見る。ふかふかの陽だまりの匂いのする、汚れの無い真白のベット。そのベットの近くには勉強机が置かれ、同じ型の藍色の鞄が2つ並べて置いてある。ベットの真正面には味のある焦げ茶の木のタンスがあり、上には愛らしい色とりどりのぬいぐるみが鎮座している。

 一体誰の部屋なのだろうか。

 ぼくはここの主を探ろうと、若干名残惜しい暖かなベットから這い出た。

 まずは手近の机を見る事にした。机の上は教科書や参考書と思しきがある。名前は書かれていない。次にその机に寄り添うようにある鞄に手を伸ばす。鞄を探ると、1枚の紙が手に触れた。


 愛してる


 パソコンを使って打たれたような整った文字。たった5文字の書かれた紙。一応ぼくは持っておくことにした。

 それ以外にも何か無いかとぼくは探す。しかし入っているのは参考書だけで、身元が分かるようなものは見当たらない。次にぼくはタンスへ向かう。タンスの中身を見れば、男か女か分かるだろう。

 が、タンスは開かなかった。縫い付けられたように、それはタンスに似せたオブジェクトだと言いたげに。開かないタンスを開けるのを諦める。仕方無く、その上のぬいぐるみに触れた。

 モフモフとした手触りの良い感触が伝わる。

 それと同時に、ぼくの脳裏にある映像が流れ出した。


 アップテンポ調の、気分を高揚させるようなメロディーがBGMとして鳴っている。キラキラギラギラと光りを放つ照明は、所狭しと置かれている機械を照らしている。クレーンアームでものを取るゲーム機器だ。中に入っているものは実に様々だ。愛らしい瞳のぬいぐるみやお菓子の詰め合わせ、アニメのフィギュアや何が入っているのか分からないもの。

「あ、いたいた!」

 その時、ぐいっとぼくは腕を引かれた。振り返ると、そこには女の子がいた。

 肩甲骨辺りまでの長さの茶髪に、黒い瞳。白いワンピースは愛らしく美しく可愛い可憐な彼女の顔を映えさせる。

「もー、フラフラしてもいいけど、迷子にならないでよ時雨」

 少し呆れたような顔をして、しかしすぐに顔を明るくした。

「ま、今日は楽しむんだから深く咎めないわ。....その代わり、あのぬいぐるみ取って見せてよ!」

 彼女はビシッとテディベアの入ったクレーンゲームを指差した。ぼくの腕をグイグイと引いて、そのクレーンゲームの前へ連れて来た。彼女はお金を入れて「さぁどうぞ」とぼくに操作を促す。

 ぼくはクレーンゲームを操作し、テディベアをあっさりと取ってしまった。ぼくも驚いたが彼女も驚いていた。しかし彼女は顔をパッと輝かせて、ぼくの手からテディベアを取り、笑った。

「凄いわね!1発って才能あるわよ!」

 花が咲くように。いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「まだまだクレーンゲームあるんだから、やりましょう!」

 ぐいっとまた腕を引かれ、彼女にぼくは振り回される。無理矢理連れていかれているのに、不思議と嫌な気分はしなかった。


 ぼくの世界は部屋に戻った。それと同時にカチャリと、何かの開く音がした。ぼくはタンスに手をかけるが......、開かない。ならばどこが開いたのかと見回すと、最初から有ったのだろうか、茶色い扉があった。軽く押すと、ギィィと音を立てて開いた。

 この部屋ですべき事をし終えたという事だろうか。訊ねたいと思うが、答えてくれる人間はいない。ぼくは少しビクビクしつつも扉の先へ歩いた。

 その先にはリビングがあった。花柄のテーブルクロスが掛けられたテーブルに、4つの椅子。食器を入れる為の白いこじんまりとした食器棚。海色のカーテンがつけられた窓の外では、バケツをひっくり返したような大雨が降っている。

 ぼくは食器棚を開けてみた。すると、コーヒーカップの中に白い紙が入っていた。ぼくはそれを手に取る。


 愛しています


 またあの文字だ。一体誰の文字なのだろうか。

 ぼくはそれをポケットに押し込めた。次にテーブルに触れる。

 4人家族なんだろうか、しかしテーブルクロスは3つの席の前にしかかかっていなかった。もしかしたら3人家族なのかもしれない。

 ふと、雨が気になって顔を窓に向ける。すると驚いた事に、先程まで何も無かった窓の枠の部分にまたあの白い紙が置かれていた。白い枠縁だから気付かなかったのだろうか。いや、白さは窓枠の方がやや灰色がかっている。気付かない筈が無い。

 ぼくは恐怖を抱きつつ、それを手に取った。


 初めて出会ったあの日、ぼくは変わりました。

 貴方が好きです。

 でも、貴方は好きですか。


 無機質な文字。しかし、それに込められた想いは強い物を感じた。一体誰の想いなのだろうか。

 ぼくはその時また脳裏に映像が映った。


 ぼくは白いテーブルと横長のベンチに腰掛けていた。目の前にはトレーに乗った大きなハンバーガーがある。

「遅くなってごめん!人で混んでて...」

 そこへ当然のように彼女は腰掛けてきた。今の彼女は茶髪を三つ編みにして、制服を身につけている。ぼくの視界には他にも制服が見えるが、彼女の制服だけ違うのだろうか。輝いて見える。

「...時雨もハンバーガーなんだ!」

 ニッコリと笑う。また花が咲いた。

「素敵な偶然ね」

 ぼくは頷いた。彼女はクスクスとひとしきり笑って、

「食べよっか?」

 うん、食べよ。

 ぼくは彼女と一緒に「いただきます」を言って、ハンバーガーを彼女と食べた。


 窓の外は未だに雨が降っている。止まらない。いつになれば止むのだろうか。そもそも止むことはあるのだろうか。分からない。

 ぼくは窓から離れ、どうするべきか悩む。その時、来た扉とは逆方向に道が出来ていた。先程までは闇に包まれて、道など無かったのに。

 行くべきか、ここで立ち止まっているのか。ぼくは少しだけ考え、先に進む事にした。ここで立ち止まっても意味が無いから。

 進んで行くと、雨音が強くなり、絵の飾ってある廊下が続いた。絵は3つ。1つ目は2人の人間が楽しそうに笑いあっている絵。鮮やかな色使いで温かい雰囲気が伝わってくる。2つ目は、絵筆を持った人間と、悲しそうにそれを見ている人間。悲しみを表現しているのだろうか。寒色系を基調に描かれている。3つ目は黒い背景に赤い横線の入った絵。それ以外には何も描かれていないその絵は、どこか威圧的で怖かった。

 ぼくは心底不快感がするのだが、仕方無くその絵を一つずつ鑑賞する事にした。どうしてぼくは絵を"嫌だ"と思うのだろうか。それさえも霧がかって思い出せない。

 ふと、温かな絵を見てみると額縁の裏から、白い紙の先が覗いているのが分かった。ぼくはそれを手に取る。


 貴方のお陰で雨は晴れたのです。

 最初はお礼のつもりでした。

 「お友達になろうよ」

 貴方は太陽のような人でした。


 機械によって打たれたような、無機質な文字。ぼくはそれを指でなぞった。

 顔を上げて、もう1度絵を見た。すると絵の下にその絵の題名らしきものが書かれていた。

【2人の楽園】

 素敵な題名だ、とぼくは思う。この絵から滲み出る雰囲気はぴったりだった。

 次にその隣の絵筆を持った人間と、それを見る人間の絵を見た。それにも額縁から白い紙の切れ端が覗いていた。それを取る。


 太陽は貴方だけ。他のものは必要無い。

 貴方がいなければ、また雲が覆うから。

 お願い。傍にいて下さい。


 喉を締められているような苦しい思いが伝わってくる。もしやと思い、顔を上げて見ると、そこにはやはりその絵の題名が書かれている。


【告白】


 何を告白しているのだろうか。自らの身の丈の想いだろうか。それとも......。

 そこまで考え、ぼくは首を横に振る。

 最後の絵を見ようとして、ぼくが目を横に向けた時だった。

「合格だ」

 そこにはあの雨だけの世界に居た少女だった。先程まで何もいなかった空間に、また突然あの少女が立っていた。

「ここじゃない。あっちだ」

 少女の指差す先は、先程からぼくが通っていた道だった。戻れ、という事らしい。

「戻らない、という選択肢も出来る。だが、それは望みの放棄。今までの苦労も水の泡。......それが嫌なら、戻れ」

 何故だか、ぼくは望みを放棄する事をしたくなかった。だからぼくは......、少女に背を向けて戻ることにした。

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