第四章 死火 -しか-
01
蒼は足首までのひんやりとした感覚に驚き、足を上げた。すると、ジャバジャバと水音が大きく鳴った。どうやら浅い川に浸っていたらしい。蒼は目を開けた。
「...わぁ!」
川の中も空も陸も、全てが真っ暗ではあるが、その中でいくつもの金色の光が煌めいていた。満天の星空にいるような感覚に襲われてしまう程、その光景はとても美しかった。
蒼は水の抵抗を感じつつも、とりあえず前へと進んでいく事にした。転ばないように慎重に歩いて行くと、金色の光とは異なる、小さな白い光を見つけた。
それにそっと触れる。
『どうしたの藍?早く寝なよ。明日は舞台があるんでしょ?』
『そうなんだけど...。緊張しちゃって眠れなくて...』
今までのように目の前に光景が現れる事は無くなったが、2人の会話が耳元で聞こえてきた。
もしや、と思い、蒼は川の底を見ながら前へ進んでいく。
また見つけた。
『学校でもやった事あるんだし、大丈夫だって!』
『でも学校以外の人が見に来るし...。ちゃんと出来るか凄く不安で...』
やはり、あの白い光が小さく砕けた破片のようなものが川の流れに乗って来ているらしい。取り逃さぬよう、川の底を探りながら、上流へ向かう。
また見つけた。
『もう...、心配性だなぁ藍は。じゃあこれ......』
『へ?』
どんどん進んでいく。その時、右足の裏に鋭い痛みが走った。
「痛っ.........」
右足を水から上げて見てみると、透明な破片が突き刺さり、血が流れていた。右足で通っていた場所を見てみると、川底の背景に溶け込んで、小瓶の破片が転がっていた。どうやら何らかの事情で割れ、中身も壊れて下流へと流れていたらしい。
蒼は足の裏の破片を抜き取り、ひょこひょこと歩いて、更に上流を目指す。傷口に水が染みてズキズキと痛むが、蒼には立ち止まっている時間など無い。この試練が終わった時、蒼は岸へ上がった。
「これから......、どうしよう...」
辺りを見回しても見えるのは輝く金色の光ばかりで、他には何も見当たらない。進んでみる他に無いと分かっていても、目印が無いというのは、とても恐ろしい。だが、蒼は意を決して前へと歩く。
ただひたすらに歩き続ける。地面も空も金色の光の個数が所々違うだけで、同じ場所を歩いているような錯覚を蒼へ与える。蒼が進んでいるように感じても、本当はずっと変わらず、その場で足踏み行進をしているだけに過ぎないのではないか、と不安を抱く。胸の奥がチリチリとその不信感だけで胸焼けを起こしているように、気持ち悪さと不安と恐怖がグチャグチャに混ぜられたような感情が支配していく。気を強く持とうとしても、その負の感情が振り払えない。
思わず足を止めてしまいそうになった時。
「なぁ」
どこか軽い調子な青年の声に、蒼は目を丸くして辺りを見回す。
「下でもねぇさ、上だよ」
そう言われて上を見ると、金に輝く琴を持った大きな鷲が飛んでいた。鷲は大きく旋回しながらゆっくりと降下し、唐突に琴を落とした。それはふわふわと風船からゆっくり空気が抜けていくように落ち、蒼の腕の中に収まった。
それから鷲が地面に降り立つ。
「え...と」
「それ、弾いてくれないか?」
「へ?!」
蒼が意見を口にする前に、鷲はとんでもない事を頼んできた。
蒼は琴を弾いた事など無い。それどころか楽器に触れた事など、幼稚園の頃のカスタネットと小学生の頃の鍵盤ハーモニカくらいだ。弦楽器など、テレビ番組で見た程度しかない。
「曲は何でもいいんだよ。俺の鉤爪じゃあ張られている弦を切っちまうのさ。頼む、俺にそれの音色を聞かせてくれ」
蒼は少しだけ戸惑ったが、鷲の鋭い眼光に耐えられず、「分かった」と言って琴に触れる。それらしく腕に抱えて、全ての弦を弾いてみせる。それだけで鷲の黄色い瞳が嬉しそうに輝いた。
一呼吸する。
どんな曲でもいい、と鷲は最初に言った。それはつまり下手でも上手くてもどっちでも構わないという事だろう。蒼は若干自分に言い聞かせるように納得し、「きらきら星」を演奏した。所々音を外してしまったり、間違えてしまったりしたが、とにかく懸命に弾く。最後の1音を弾き終わり、蒼が一礼すると、鷲はバタバタと翼をはためかせ、
「上手い、とは言い難いが頑張りは伝わった!いい演奏を聞かせてもらったぜ!」
「あっははは...。ど、どうも......」
ストレートな言葉での正論に、蒼は何も言い返せない。
「ありがとうな」
鷲はそう言うと、蒼に向かって突っ込んできた。
蒼は驚いて目を閉じてしまう。だが、いつまで経ってもその衝撃は訪れない。恐る恐る蒼が目を開けた時、ふわりとした羽毛が蒼の片頬を撫でた。
「よく頑張った」
「え」
鷲はそのまま琴を抱き、姿形が変貌していく。
琴は小さな赤い光へと、鷲はその周りを取り囲み小瓶へと姿を変えて、蒼の膝の上に置かれた。蒼は目をパチパチさせるが、最後の小瓶が手に入った事を純粋に喜び、今までの色とは違う事に警戒心を抱いた。
もしかしたら偽物なのではないか。或いは蒼という少女に害をなすものではないか、と。しかし、ここで何もしなければ、自らの強い望みというものも、ここまでの死に直面した体験も意味が無くなってしまう。
開けるべきだ、と強く訴える自分と、それと同じくらい胸騒ぎがするからやめておけと警告する自分もいる。
どのくらい悩んだのだろうか。しかし彼女は結局、その小瓶に詰まった記憶を見る事にした。
蓋を開けた瞬間、視界がまた真白に染まり、黒く塗り潰された時。
ザァザァ、ザァザァと。耳朶に残る雨音が響き始めた。
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