02
蒼は軽く息を整え、海を見た。もうあの黒い触手の姿は見えない。ほっと安堵の溜息を吐いた時。ザバァッと黒い触手が水面から出て来た。
「ひ...っ」
もう蒼には走る気力は残っていなかった。一歩一歩後退していく。黒い触手は蒼を捕まえようと先を砂浜へ伸ばしたが、その先はバチッと弾かれ、海の中へ戻っていった。
「え......?」
黒い触手は何度も浜へ上がろうと試みているが、その身体は弾かれてしまう。やがて忌々しげに砂から離れ、海の中へと潜っていった。それがいなくなって少し経ってから、蒼はへたり込む。
「助かった...の?」
その質問に答える者は誰もいない。
蒼はすっかり荒くなっていた息を整え、足に力を入れて立ち上がる。
普通ならばあまりのショックに泣き崩れてしまうかもしれない。だがリティアと蒼にそこまでの深い友情は無かったし、そのリティアが最期に託した小さな小瓶を渡すことが、より大切だと思ったのだ。それに蒼の強い願いを叶える為にも不可欠なのだ。ジッと座って涙を流している場合では無い。
「浜辺の城...」
蒼は辺りを見回す。だが城のように高い建物は見当たらなかった。更に歩き林の中へと入っていく。すると、すぐに半壊した建物が現れた。
かなりの大きさの建物だったのだろう。昔は華やかなパーティーや美しい装飾で飾られていたかもしれない。だが、そのような姿があった事を夢物語にしてしまうような寂れっぷりだった。あちらこちらに蔦が生え、庭には雑草と木々が生い茂り、虫が我が物顔で建物内へ入っていく。
蒼はリティアに聞いていた話との違いに混乱する。
「ど、どういう事...?」
リティアの口振りからは生きている人間に対しての贈り物という内容だった。決して死人への贈り物、という印象は受けなかった。否、実際には中身を調べていないので生きているのかもしれないが。
中も外と同様、かなり荒れていた。昔の荘厳さを示すようにゆらゆらとシャンデリアが上で揺れている。その下には黒い棺が置かれていた。蒼は恐る恐るそこへ近付く。
その棺は顔の部分が見える造りをしており、中に入っている人物を確認する事が出来た。
透き通るような白雪のような肌に、閉じられた瞳。燃える炎のような赤髪と対照的にする為か、百合が彼女の顔の周りを彩っていた。まるで、芸術作品ような美しさだ。
「この人が...、レティアさんの、お姉さん」
よく良く見れば、確かにレティアと似ているかもしれない。蒼はそう思った。
蒼はポケットから桃色の液体が入った小さな小瓶を棺の上へ置き、小さく祈りを捧げる。そんな中、蒼の頭の上である仮説が思いつく。
この人物とレティア達の時間の流れが違っていたのではないか、という事だ。レティア達は人魚としての長い寿命を生き、姉は魔女に人魚としての必要なものを全て差し出して、人間としての時間を代わりにあげた。そうするならば、レティアが姉がまだ生きていると思っても仕方ないかもしれない。彼女の脳内では、姉は自分と同じ時の流れで生きているのだと思い込んでいたのだから。
深く考えていた蒼を現実に戻したのは、棺がガタガタと震え、音を鳴らした時だった。ビクッと身体を震わせ、棺から数メートル離れる。カタカタカタとしばらく震え続け、それは唐突に止んだ。
「な、...何?」
蒼がそのセリフを吐いたのとほぼ同時に、小さな小瓶の中の液体が徐々に減っていき始めた。蓋が開けられているわけでもなく、その中身は消えていく。完全に中身がなくなった後、カランと音がしてその小瓶の中に白い光が入っていた。
再びカタカタカタと音がして止んでから、棺の上の小瓶を取る。
「...ありか、ございます」
蒼は小さく礼を言う。勿論、死人に口は無し。答える者は1人もいない。蒼はそっと小瓶の蓋を開けた。
視界が真白に包まれる。
橙色の電灯だけが暗くなった部屋を照らしている。どうやら寝る前の記憶らしい。
「ねぇ、蒼ちゃん」
「何?」
「...私ね、好きな人がいるの」
藍の唐突な発言に蒼はガバリと身体を起こす。そして天井に思い切り頭部を打ち付けてしまい、うずくまる。下のベットから「だ、大丈夫っ!?」と心配そうな声が聞こえてきた。
「だ......大丈夫」
と返すが、涙声でいまいち説得力が欠ける。
「ていうか、好きな人って」
「お、同じ演劇部の人で...、今蒼ちゃんと同じクラスの人...」
「...私のクラスに演劇部の人いたんだ...」
「いるよ!もう...。クラス知った時、蒼ちゃん羨ましいな、って思ったんだからね」
「え、ちょっとー!名前はなんて言うの?」
「そ...それは秘密だよ。言ったら蒼ちゃん色んな人に言いそうだもん」
「言わないから!ねっ、ねっ」
蒼は何度も藍に交渉するが、残念ながらそれは受け入れられなかった。蒼は少し肩を落とすが、にっと笑って、
「恋、叶うといいね」
「っ!うん...!」
それで話は終わり、2人は「おやすみ」を言い合ってその目を閉じ、それぞれの夢の世界へと意識を飛ばしていったのだ。
「これは中学1年生の8月の終わり。暑さで目の冴えていた私達は眠くなるまでお互い色々話すのが習慣だった。そんな時に藍が超爆弾発言をしたんだった。結局好きな人...、誰だったんだろう」
蒼の意識はこちら側へ戻って来た。
蒼はゆっくりと立ち上がり、棺から少し離れようとした時だった。ガシャンと頭上から音が鳴り、蒼は上を見上げた。
それは数十年か数百年の時を経ていた為か、金属劣化を起こしていたのだろう。むしろ、今までそこにぶら下がっていた事が奇跡だったのかもしれない。
棺の上のシャンデリアが、蒼の身体へ落ちて来た。
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