終わりの日まで愛して

 とある街のひっそりとした裏街に、こじんまりとした喫茶店〈夢遊館〉は【OPEN】の看板を掲げて営業していた。

 今日は夏だというのに、しとしとと雨が降っている。今日は天候が悪く一日中雨が降っており、昼過ぎからは弱まってきたものの、その雨のせいで店には閑古鳥が鳴いていた。

 来た客など数えられる程で、常連の老夫婦と雨宿りがてらに立ち寄って来たらしい2人組の女子大学生。そして、サラリーマンの3人組だけだ。

 そんな客足のまま、夕方へと時間は止まることなく進んでいった。

「そろそろ店じまいしようか」

 ジャズミュージックのかかった、全体的にシック調にまとめられた清廉とした店内には、店長と店員の2人だけがいた。

 その内の1人、カウンターの席に座っている、きっちり眉辺りで切り揃えられた前髪に肩あたりの長さの黒髪を持つ、藤紫色の瞳をしたユエ=ワールダットは、唯一の店員でありかつ同居人でもある、白髪を一つに結った松葉色の瞳を持つウィルソン・ヴェルディーへ提案した。

 ウィルソンは次の客の為に、と丁寧かつ綺麗に机を拭いていた手を止めた。

「いいのか。まだ閉店時間まで30分もあるぞ」

「もう人来ないよ」

 呑気なユエの言葉にウィルソンは肩をすくめて、店の外の看板を【OPEN】から【CLOSE】へ変えに出た。

 朝から降っていた雨も今はだいぶ止み、小雨がぱらついている程に、弱くなっていた。灰色の雲もだいぶ無くなって、僅かに間から星の煌めきが見えた。

 夏ももう終わりに近い。暑い事は暑いのだが、だいぶ和らいだその蒸し暑さに秋の訪れを感じた。

 少しの時間、夏の終わりの感傷に浸った後、ウィルソンは店へ戻る。

「お、ありがとう、ウィル。流石店員さんだね」

「別に。普通だろ」

 小馬鹿にしたようなユエの声音に、ウィルソンは仏頂面で投げやりに返す。その返答の仕方はユエにはどうしようもなく面白いものだった。何事にも彼は真剣に答えているという現れだからだ。

 ニヤついた嫌味っぽいユエの笑みにウィルソンはイラッとし、すぐにでも殴りたい衝動に駆られるが、雇われの身であり家主でもあり、仮にも愛する恋人であるユエを彼は殴れはしなかった。

 軽く舌打ちをするだけに終わる。ユエはそんな彼の考えを見透かすように、また笑う。

「ゴミ...。捨ててくる」

「ありがと!あ、でもその前に車椅子に乗せてくれないかな?」

「あぁ」

 ユエはとある一件で、下半身不全になった。(ウィルソンはその"ある一件"を時々問いただすのだが、いつもはぐらかされ詳しい真実は分からない)。したがって、ユエの身の回りのサポート役として、ウィルソンは彼女と同居しているのだ。

 ウィルソンは伸ばされたユエの細腕を掴み、首に巻き付かせ、自身へユエの軽い身体をもたれかからせる。それから抱き上げて、店のカウンター奥に置かれた車椅子の上へ下ろした。

「......よいしょ」

 ユエは少し音を鳴らしながら車椅子を動かして、汚れが無いかチェックをしに行く。ウィルソンはその背を見てから、店の端に置かれたゴミ箱からゴミ袋を取り、それからカウンターのゴミ袋を取る。そして、裏口から外へ出た。

 そこには入れられたものを更に分別する為に、4つのゴミ箱が設置されている。持ってきたゴミ袋を開け、近くに置かれている橙色の取っ手をしたトングでテキパキと分別していく。

 その時、ふとウィルソンは気付いた。

「雨...、もう止んでるな」

 すっかり雨が上がっていたのだ。薄く雲のかかった空から、時折美しい星空が垣間見える。

 ウィルソンは再び目を落とし、持っていったゴミ袋から残りのゴミを分別してゴミ箱に片付けた。店へ戻ってくると、ユエが店で1番大きな窓から空を眺めていた。

 夜空を見る彼女の背中から漂う、どうしようもない程の儚さに、ウィルソンはぞくりと鳥肌が立った。

 また、どこかに行ってしまって、ボロボロになって帰ってくるのでは無いだろうか、と。数年前、彼女が下半身の自由を失ってこの店に帰ってきたように。

 彼の思いは声にならず、代わりに行動として、ウィルソンはユエの首に抱きついた。ユエは目を見張った。

「どうしたの、ウィル?」

「......何でも、ねぇよ」

「何でもなくは無いでしょ?君は、そんな気まぐれで私に抱きついてくるような男じゃあ無いよ?」

 ユエは優しい声音で、ウィルソンの左腕を撫でた。

「......勝手に、消えんじゃねぇよ」

 彼の口から漏れた声は、弱々しく震えていた。ユエは不思議そうにしたが、僅かに口角を上げた。

「行かないよ。私はこの〈夢遊館〉の店長なんだから」

「.........そうか」

 言葉ではそう言っていても、彼女の心はここにはないどこかにいるようで。またウィルソンの感情は激しく強く揺さぶられる。

「...ユエ、こっち向けよ」

「ん?」

 ユエがウィルソンの顔を見た瞬間、ウィルソンはユエの顎を掴んで、薄い唇に噛み付くように口付けた。

 ユエは唐突な行動に目を丸くしたが、何も言わずに受け入れる。

 少しして、2人の唇がそっと離れた。

「どうしたの?なになに?もしかして欲求不満なの?」

 ユエが開口一番に、恥じらう事もなく聞いてくる。ウィルソンは溜息を吐いて、ユエの細く頼りない肩にもたれかかる。

「違ぇよ。お前が俺のってシルシ」

 その言葉にユエは目を見張った。

「そんな事しなくても、私は君なしじゃあもう生きていけないのに...」

 車椅子に乗る事も、衣食住に関するものも、ユエは彼に手伝って貰わないと何もかも完全に出来ないのだ。それを思い出し、ウィルソンはその愉悦感に僅かに微笑んだ。

 しかし、ユエの目線はもうウィルソンには向いていなかったようで、

「あ、ウィル。今、流れ星っ!」

「本当かっ、どこに?」

「どこにって...。流れるから流れ星なんでしょ?一緒に見てないなら、指差せないよ」

 正論を言われ、ウィルソンはグッと押し黙った。その反応にまたユエはくすくすと笑う。

「悔しいなら、一緒に空見よ」

「あぁ」

 2人して窓の外から夜空を見る。すると、すぐにキラキラと星が落ちていくのが見えた。

「今日はニュースで、何座流星群が降りますとか言ってたっけ?」

「いや...、記憶にないな。今からやるんじゃないか?家に戻って見に行くか?」

「んー...いや、いいよ。それよりも」

 ユエは、そこで言葉を区切ってウィルソンを見上げた。

「帰って、明日の準備だよ」

「あぁ、材料も買っとかないとな。足りないものメモっとけ」

「分かった」

 ウィルソンは車椅子の取っ手を取り、裏口へ向かう。そこに置いてあるゴミ箱の左側の通路に行けば、家へ通じる道になっている。

「止めて」

 そこでユエはピシャリと鋭い声を発した。ウィルソンは動きを止める。

「空見たい」

 未だ降っている流星が余程気に入ったのだろうか。ユエは目を大きくして空を眺めていた。

 ウィルソンからすれば、何一つ面白い事ではない。ただ夜空に星が流れている。それだけでしかない。

「あ、そう言えばウィル、知ってる?流れ星が流れている間に願い事を3回唱えると、願い事叶うんだよ」

「知ってる」

 知っているが、信じてはいない。ウィルソンはその言葉は言わずにしておいた。

「ウィルの願い事って何?」

 ウィルソンはユエにそう訊ねられ、一瞬口を開きそうになったが、そこで留まる。それからユエの一手先を読むように、

「知ってるか。願い事って言うと叶わねぇんだよ。だから言わねぇ。秘密」

 してやったという気分だった。事実、ユエはウィルソンの言葉に目を丸くし、頬を膨らませている。

「何それ!屁理屈っ!いいじゃん言ったって!」

「うるせぇな。ほら、帰んぞ」

 駄々をこねる子どものようにジタバタするユエを乗せた車椅子を押しながら、やはり彼女を愛おしい、とウィルソンは思った。


 ──ユエとずっと離れないでいれるように。

 ウィルソンはそう星に願いを掛けた。

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