恋色花火

 キラキラと煌めきを見せる所狭しと並んだ出店。道行く人の楽しそうな喧騒を右から左へと聞き流しながら、この街一番と謳われる大樹にもたれかかって、スマートフォンをいじっていた。

 画面に表示される現在の時刻は、五時五十分を少し過ぎた頃。刻刻と近付いてくる約束の時間に、愛らしい彼女を思い浮かべるだけで、青年─相馬千秋はにやついてしまう。

 どれだけ、今日の街の花火大会を待ち望んだか。

 いつもの彼ならば、今日のような祭り事。1人の女子だけではなく甘い言葉と自覚している整った容姿を使って、沢山の美しい女子を口説いている事だろう。

 だが、今年は違う。

 彼の人生で初めて本気で好きになった一つ下の後輩との、初めて二人きりで歩ける日なのだ。

 約束の三十分程前から、待ち合わせ場所で、あんな事やこんな事を思い浮かべては、先程のようににやついて、周りから冷たい視線を浴びていた。しかし、珍しく浮かれた千秋にはそんな事等、全く気が付かない。

 そんな浮かれ気分で愛しい彼女を待つ、千秋の濡羽色をした浴衣の袖が急に引かれた。驚いて横を見ると、薄い桜色の生地に紫色と桃色の朝顔が描かれた浴衣を着た、眉毛辺りで丁度前髪を切り揃えた美しい黒髪の娘が、涼しい顔で彼を見上げていた。

 彼が口を開こうとするよりも早く、彼女は千秋へスマートフォンの画面を突きつけた。そこにはメモ機能を使って、一文が書かれていた。

『待ちましたか、先輩?』

「全然っ!終業式ぶりやねぇ、しぃちゃん」

 千秋は満面の笑みを浮かべて、目の前の娘─神谷静希はこくりと頷いた。その反応に静希はホッと溜息を吐いた。

「えいっと...、浴衣...似合うてるなぁ」

『ありがとうございます』

 涼しい顔をした静希の肌が、ほんのりと桜色になったのを、千秋は見逃さずに彼もまた耳を赤くしてしまう。

 千秋とて、決して初心ウブな青年では無い。十何人もの女と付き合い、身体の関係を持った。だが、本気で好きになった女子に嫌われたくなく、どう接すれば良いのかまるで分からない。

「えと...、行こか?」

『はい』

 文字と同時に意思を示すよう、静希はまた頷く。千秋は柔らかな笑みを浮かべ、祭り一色に染まる広場へと、二人並んで足を進めた。

 やはりこの街唯一の花火大会という事もあり、人の波は想像以上のものだ。千秋はちらり、と静希の顔色を窺う。静希は人の多さに驚き、キョロキョロと見回して、千秋の背を見逃さまいと、懸命に見ているのに気付く。その必死さに萌え殺されそうになりながら、千秋は立ち止まった。

 静希は突然立ち止まる千秋を、不思議そうな顔をして見上げた。

「ま、迷子になったらあかんから...、手、繋ごや」

 やや震えた声で言われ、静希は眉を寄せる。何故、声音が震えているのだろうか。苦渋の決断なのだろうか、と。

 実際は、千秋が緊張のあまりに声が震えてしまっているだけだが、それに静希は気づけない。少し躊躇いながら、彼の手を掴む。

 ひんやりとした静希の手に、千秋はピクリと肩を震わせる。そして慌てて、

「手...手ぇ、しぃちゃん、冷たいんやね」

『冷え性かもしれません。自覚、してませんけど』

「成程。女子が冷え性は困りそうやねぇ...」

『先輩は温かいですね』

 僅かに静希は目を細めて、千秋の手を見た。初めて握る父以外の手の感触に、早る鼓動とその温かさに、彼女の心はほっこりした。

「よし、じゃあまず何したい?出店、見た感じたくさんあるみたいやし」

 千秋の質問に彼女は少し考えて、手元のスマートフォンの画面を見せた。

『かき氷、食べたいです』

「おけ、早速行こか!」

 千秋は静希の手を離さまいとギュッと握り、良さそうなかき氷の出店を探して歩く。

 少し歩いて、丁度良さそうなかき氷店を見つけた。

「しぃちゃん、何味食べたい?」

 失声症を患う彼女の為、千秋は率先として訊ねる。だが何味があるのか、背の低い静希には背伸びをしても、人混みのせいでよく見えなかった。それに千秋はすぐに気付き、

「えとね、オーソドックスないちごもレモンもブルーハワイもあるよ。あとはー、コーラに抹茶に、珍しいなぁオレンジやって」

 静希は千秋の口から溢れた「抹茶」という言葉に、目を僅かに輝かせた。当人や彼女を見知って間もない人からすれば、ほんの僅かな変化なのだが、半ば静希へ変質者にも似た行為をした経験のある千秋には、すぐに分かる。

「抹茶が食べたい?」

 千秋が訊ねると、静希がこくこくと頷いた。千秋は順番が回って来てから、自身のブルーハワイと、静希の抹茶を頼んだ。そして、彼が二人分のお金を払った。それに静希が目を丸くする。

『先輩、私お金持ってきてます』

「ええの、ええの。しぃちゃんが可愛い格好して着てくれた、お礼やから」

 千秋はいつもの調子で甘い言葉を口にし、静希へかき氷を手渡した。静希は熱くなった頬や身体を冷まそうと、氷を多めに口に含んだ。千秋はまたほんのりと桜色に変化した彼女の顔色にハッとして、千秋もまた赤面してしまう。

「あ、えと...、花火...。花火が綺麗に見える場所を俺知ってるから、そこで食べよか」

 静希は両手が塞がってしまっているので、首肯して千秋に意思を伝える。

 二人でしばらく歩き、屋台のある場所から少し離れた、竹林のある丘に千秋は連れてきた。

 そこは昨年の花火大会の日に友人と見つけた、隠れた穴場スポットだった。静希もあまり人騒がしさの無いこの場所に、目を見張った。

「ここ、ええやろー。花火も、少し竹で見えにくい時もあるけど、でも割りとよう見えるんよ」

 千秋は鞄から小さめのレジャーシートを取り出して敷き、静希に座るように促す。ストンと静希は座り、その隣に千秋も腰を下ろす。

『ありがとうございます』

「いいの、いいの。かき氷はどう、美味しい?」

 千秋が訊ねると、静希はこくこくと頷く。その反応が愛らしく、撫でたい衝動に駆られるが何とか堪らえる。

「...しぃちゃん見てみて!べーっ」

 千秋は冗談半分で、静希にブルーハワイの着色料で青くなっているだろう舌を見せてみる。

 静希は目を丸くして、自身の舌を見ようと、懸命に舌を伸ばす。が、見えない。

 その様子がまた愛らしくて、千秋は萌え死にそうだった。それを笑いで噛み殺しながら、

「しぃちゃんも緑色しとるよ」

 と言った。それで納得したのか、静希はまたかき氷を食べ始める。

 二人はほぼ同時にかき氷を食べ終え、夜空を見上げた。

 千秋は花火の音で聞き取りづらくなる前にと思い、グッと拳を握った。

「なぁ、しぃちゃん」

 名を呼ばれ、静希は千秋を見た。その横顔は何かを決心した顔つきをしていた。

 千秋は意を決して、頭の中で言葉を選びながら、

「俺...、しぃちゃんが好き。ホンマに好きや。すぐに返事出してくれとは言わん。俺を気遣わんでええ。しぃちゃんの素直な気持ちを俺に伝えて」

 千秋はニコリと笑って、静希の指通りの良い髪に触れた。

 その時だった。夜空に一筋の光を纏った星が右から左へと落ちていった。千秋は話題を変えようと慌てて空を指差して、

「お、流れ星や!花火大会の日に降るなんて珍しいなぁっ!そ、そろそろ花火始めるんちゃう?」

 いくら鈍い静希でも、千秋が話題を反らそうとしているのは理解出来た。

 静希はグッと拳を握り、唇を震わせた。しかし、口から漏れるのは吐息ばかりで、何も言葉は発せなかった。

 静希はゆっくりと顔を上げて、流星の降る夜空を見上げた。そして横目に彼を見る。

 その横顔はとても素敵で、筆舌に尽くし難い程、まるで一枚の絵画のように見えた。静希は瞳を閉じて、ゆっくりと呼吸をするように、


「私、も...好き......です!」


 言葉を発した。

 最初、千秋は何が何だかさっぱり分からなかった。ただ、時間が経つにつれ、それが静希の口から漏れた声だと分かり、目を丸くする。

「しぃ、ちゃん...っ!声...っ!!」

「あ......っ」

 静希は違和感があるように、喉元を何度か擦る。彼女自身も、この事にとても驚いているようだった。何年間も声が出せずに悩んでいたのが、たった今出せるようになったのだから。

「先輩...、わた、私...っ」

「しぃちゃんの声、とっても綺麗やんか」

 千秋のその言葉に、静希はポンッと顔を真っ赤にして、目線を下に伏せた。

 決してお世辞などでは無い。心を落ち着かせるような、少し低めの暖かな声。もっと聞きたくなってしまうような...。

「ねぇ、しぃちゃん。......千秋って、呼んでくれへん?」

「え、あ...」

「なぁ、頼むわぁ、しぃちゃん」

 千秋は俯く彼女の顔を、覗き込むように見た。また彼女の顔が赤くなった気がした。

「ね...、お願い、しぃちゃん」

「.........ち、ちあ、千秋先輩...っ」

 まだ恥ずかしいのだろう、千秋はにっこり笑って、

「うん、ありが「大好きです!」」

 千秋の声に重ねるように、静希が半ば声を荒らげて言う。予想以上の返答に、今度は千秋が目を丸くして顔を赤くしてしまう。

 全く、彼女はどこまで惚れさせるつもりなのか。

「うん。...でも、俺ん方が大好きやからな、...静希」

「っ...!」

 千秋は口付けをしたい衝動に駆られたが何とか耐え、静希の白く細く冷たい手を握った。

「え、と......」

「花火見よ?」

「は、はい」

 それからは静かに、空に大輪を咲かせ始めた花火を二人で見上げた。もう、夜空には流れ星は降っていなかった。

「静希」

「は......は、いっ」

「来年も、花火見ような」

 視線を花火へ向けたまま、千秋はそう言った。静希はただただ、応えるようにこくりと頷いた。

 それだけで、二人には十分だったのだ。

 ギュッと強く、手が握られる。

 どうかこのまま、時が止まってしまえば幸せな時間が続くのに。

 二人はそう考えながら、美しく夜空に咲き誇る花火を見ていた。

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