第46話:衝撃

芽衣めい

「何?」

「最初に断っておく」

「どうしたの?改まって」

 言っても動じないのはわかっている。

 だが、これは俺自身へのけじめでもある。

「仮に、このまま結婚するとしても、俺は絶対にお前へ心を開くことはない。親が勝手に進めた縁談だからなどという理由ではなく、芽衣。お前自身に対する情が全くわかない」

 ふふっと笑う石動。

「別にいいわよ、それで。あたしがあなたのそばで、時間を独り占めできるという事実に変わりはないもの」

 言いながら、ソファに腰掛けるしょうに向かい合って膝を立てて身を預けてきた。

 抱き合う二人。いや、翔は抱きとめていない。

 体の距離は限りなくゼロに近い。

 しかし心の距離は遠い。

 それこそ光年の概念が必要なほど。

「ふふっ、楽しみだわ。今はこうしてつんつんしてる翔が、一緒に過ごす中でどう変わっていくのか」

「言ってろ。後悔することになるだろうが」

 芽衣は怪しげな瞳で見つめてくる。

「もう邪魔は入らないわ。あなたの想い人は、二度と戻ってこない」

「ここに至るまでの間、緋乃に直接手を下したのはお前じゃないことはわかっている。だが、緋乃あけのとの仲を引き裂いたお前を…石動いするぎの一家を決して許さない」

 目を細める芽衣。

「だったら、あたしが忘れさせてあげる。じっくり時間をかけてね」

 楽しんでいる。

 芽衣はやはり、やり手で有名な石動の家系だ。

 難しい相手ほど燃え上がる。

「ここでキスしたいところだけど、それで余計心を閉ざされても困るから、やめておくわ」

「一生、キスすらないと覚悟しておけ」

 氷に閉ざされた翔の心は、目線すら寒気がするほど冷たい。

「いいわ。中学のときは振り向いてもくれなかったのに、今は変わった。その強がりがどこまでもつかしら?」


 これが石動のやり方か。

 俺が緋乃に関わらなければ、緋乃の身は安全だ。

 だが、今の緋乃は…見ていられない。

 俺と同じく、心を氷に閉ざしてしまった。

 もし雪絵ゆきえがあのままだったら、何か活路を見出すこともできただろう。

 だが一人の女の子になった今はもう頼ることもできない。


 二人は控室を後にして、会見場に姿を現す。

 パシャパシャパシャパシャ!!

 突然、記者たちによるフラッシュの嵐が巻き起こる。


 ひっきりなしに浴びる大光量に動じること無く、二人は会見の席に腰を落とす。

 翔はここであることに気づいた。

 …なぜだ?

 なぜ、石動関係者が居ないんだ?


 前に何度も顔合わせをしていた顔ぶれがここに見当たらない。

 御代の関係者はほぼ勢揃いしている。親父を含めて。


「石動」

「何かあった?」

「なんでお前の関係者が全員ここに居ないんだ?」

 言われて、石動は周りを見渡す。

「ほんとだ…なんで?ここに来るときまでは居たのに」


 本人も知らないうちに席を外したということか。

 一人ならともかくとして、全員がいないのはどういうことだ?

 そういや、ここへ着く時、外で警察車両とすれ違った…あれはこれと何か関係があるのか?


「皆様、本日は石動 芽衣様と銘苅 翔様お二人の婚約発表会見にお集まりいただきありがとうございます。あいにく石動代表と幹部一同は急用ができたということで欠席しておりますゆえ、御代HD関係者と石動代表のご息女のみで進行させていただきます」

 司会進行は御代の広報担当だった。


 やはりいないのか。道理で…。

 俺は何も答えないことにしている。

 それは予め伝えてある。

 もう勝手にしてくれと放り投げていた。


 司会は、型どおりの発表を淡々と行い、婚約の宣言を済ませる。

 そして記者が質問する時間となる。


「石動さん、今の心境をお聞かせいただけますか?」

 記者が質問を投げてくる。

「はい、とても嬉しくて、天にも昇る心地です。夢なら覚めないで欲しいです」

 思えば、二年に上がった時に始まったな。

 この勝手な婚約とは別に、石動は俺に猛アタックをしていた。

 何度でも断った。

 しかし石動は諦めなかった。


 そんな時、この縁談が持ち上がってきた。

 親父は御代HDの常務取締役で、社長交代の時期が数年後に迫っている。

 事業拡大のため、石動と関係を持ちたくて、勝手に組まれた縁談。

 規模はこちらが上。石動を吸収合併するつもりだ。

 調べた限りでは石動は最近業績不振が続いている。

 ここで右肩上がりの御代へ取り入ることで、業績回復を目論んでいる。

 御代側も、事業拡大の狙いがある以上、この合併はなんとしても推し進めたい事情も透けてみている。


 記者が質問してきた。

「銘苅様、今も忘れられない人というのはいますか?」


 もう、何も思い浮かべたくない。


 頭にあるのは、もう届かないあの人への想い。


 中学のとき、もう恋をしないと決めた。


 そうして始業式に向かった高校の春。


 あれは単純な事故だった。


 急停車した電車。

 俺はたまらずバランスを崩してぶつかった。


 ほとんど会話にならなかったけど、その純情な反応は、俺の心に刺さった。


 偶然同じクラスになり、席が隣になって、打ち解けるにつれて見えた心。


 その魅力に俺の決意は無力だったし、夢中になった。


 俊哉が邪魔をして、緋乃を閉じ込めた。


 あの時、俊哉が戻ってくるちょっと前、緋乃に言った。


 背中を押す。思いっきりひっぱたけ。責任は俺が取る、と。


 言ったとおり、緋乃は平手をふるった。


 交流合宿では意識が朦朧もうろうとしていたであろう緋乃が、耳元で告白してきた。


 あえてその告白は聞かなかったことにした。


 答えることで、関係が崩れるのはわかっていたから。


 自分自身を、また甘やかしてしまった瞬間。


 中学の頃から何も成長していなかったんだ。


 そして俺のうっかりで、俊哉を追い込んでしまった。


 緋乃には、俊哉に近づくなと言ったけど、緋乃は自らの意思で俊哉と向き合った。


 雪絵が緋乃の前で過去を全部暴き、俊哉は自分自身と初めて向き合った。


 いや、向き合わされた。


 現実から逃げ続けた俊哉は、逃げるのをやめた。緋乃の勇気によって。


 中学時代の友達が怪我して、俺が代わりに単発バイトに入った。


 親父は仕事はもちろん、自分と家族にも厳しい人で、お金が足りなくて困ることだけは、絶対に嫌がった。


 そのせいで母とすれ違いが大きくなって、離れることを決めた。俺を置いて。


 普通にバイトするよりも多くの小遣いをもらっていた。そのかわり、バイトは禁止。勉学に集中しろと厳しく言われてきた。容赦はない。


 もしバイトがバレていれば、俺は海外にでも全寮制で留学させられていただろう。


 お礼のデートでは、緋乃の告白は断るつもりだった。


 さんざん甘やかしてきた自分を、あえて突き放すため。


 そこに現れたのが衛。


 緋乃に中学卒業式当日、告白して大阪に転校したあいつ。


 言うタイミングを逃して、何も答えずその場から逃げた。


 また、自分を甘やかしてしまった。


 別荘でのやりとりは、火花をバチバチ感じていた。


 夜に、緋乃が衛とキスしたと思い込んでいた。


 これで諦められる。


 そう思ったが、苛立つ自分に腹が立った。


 登校日の前の日に、偶然母と出会い、腹を割って話をされた。


 俺の女性不信が思い違いによるものとわかった時、今度こそ自分を甘やかすのをやめると誓った。


 けど雪絵にこれまでの真相をすべて聞き、俺の心はなぜか晴れやかになった。


 同時に不安だった。


 あのとき、雪絵が続けたアドバイス。


「いい?よく聞いて。これからが大事な話。緋乃に告白するなら、絶対に衛と他の人目があるところにしなさい。校舎裏や公園の隅なんて論外。翔一人で衛を抑えられはしない。学校を巻き込む騒ぎになる覚悟で、緋乃に返事なさい。もし衛がいないところで告白するなら、冗談抜きで夜道には気をつけること。衛と緋乃以外に人目がないところなら翔、あなたが無事で済むとは思わないこと」


 その時は意味がわからなかった。


 けど雪絵が強く迫ってきた時は、必ず何かが起きる。


 衛が襲いかかってきた時、その意味を理解した。


 あの後、付き合いだした緋乃から衛の話を聞いたときは半信半疑だった。


 海に行った時、衛の様子を見て…別人にさえ思えた。


 夏休みを終えて、俺は緋乃と付き合ってる実感がわかなかった。


 氷空が緋乃と仲良くしているのを見て、ふてくされてた。


 あの告白を見て、俺は捨てられるんだと思い、緋乃を避けた。


 現実から逃げていたんだ。


 それが思い違いとわかって、涙が出そうになった。


 緋乃がバイトを始めたのは何があったのかわからなかった。


 緋乃は俺の誕生日を知らない。けど何か様子が違っていた。


 プレゼントを見た時、やっと全部を理解した。


 俺のために、できることをしていたんだ。


 その日、緋乃がなんで俺を待たせたのかはわからない。


 でも、プレゼントを見たらどうでもよくなった。


 感極まった俺は、緋乃にキスをした。


 海沿いのホテルでしようとしてできなかった、緋乃との初めてのキス。


 ホテルでキスしようとした夜、あの震え方に、俺は緋乃を安心させてやる自信がもてなかった。


 それが、緋乃を余計不安にさせていた。


 クリスマス・イブは突然の事故と、予約したお店の都合で予定は全部白紙。


 親父と姉がいると思いきや、どっちも出かけてて…その夜、緋乃と結ばれた。


 初詣は、トラブルに首を突っ込んだせいで唇を奪われ、緋乃に見られた。


 バレンタインデーまでそのことを引きずり、衛に気付かされた俺の本心。


 新学期になって、忘れていた石動が現れた。


 そこそこにあしらっていればいいと思ったが、甘かった。


 まさかそこに、政略結婚があとからついてくるとは思わなかった。


 大人たちにはめられて、後戻りできないようにされた。


 俺にできることは無かった。


 石動に心を開かないことが、せめてもの抵抗だった。


 それでも石動は動じない。


 さっきも心を開かないと断ったが、全く手応えがない。


 それまで婚約を拒否できないまま付き合っていたが、緋乃に別れを告げた。


 心底後悔した。


 それからの緋乃は、見ていられなかった。


 まるで抜け殻みたいになっていて、俺は取り返しのつかないことをしたと悟った。


 けど緋乃の気持ちに応えると、緋乃自身にも大人たちの手が伸びる。


 緋乃を危険から守るためには、手放すしかなかった。




 だが………やはり俺は…緋乃が好きだ。




 どんな危険からも守り抜いて、側にいるためにできること…なんでもやってやる。


 たとえこの身がどうなろうとも…すべてを投げうってでも、もう一度…守り抜く!


「今も、忘れられない人がいます」


 ざわっ。

 報道陣が色めき立つ。

「最初はオドオドしてて、人見知りで…でも会うたび違う顔を見せてくれて、俺の心を掴んで離さない、そんな人が」


「翔がどんな人を想ってても、あたしは一緒に居られれば…」


 がたっ!

 椅子から立ち

「この場で宣言しますっ!俺は彼女、石動 芽衣との婚約をこの場で破棄はきしますっ!」

 ドヨヨッ!!

 報道陣が騒然とし始める。


「翔っ!おまえなんということを言い出すんだっ!!」

 予想したとおり、親父が怒鳴る。

「黙れっ!大人たちの勝手に、俺を巻き込むんじゃねぇっ!!以上、会見終了だっ!!」


 吐き捨てて、控室に飛び込む。


 やはり親父が駆けつけてきた。

 さっき、控室ではテレビがつけっぱなしだったのを覚えている。

 今もまだそのままだ。

「翔っ!!おまえは儂の顔に泥を塗るつもりかっ!!?今度という今度は…」

「体裁…成果…世間体…そんなものに振り回されるあんたに言われたくないな」

 顔を真っ赤にしてにじり寄る親父。

「それより、見ろよ。テレビを」

「何っ!!?」


「次のニュースです。先程石動コーポレーションにおいて…」


 衝撃のニュースに、俺と親父だけのこの空間が凍りついた。

「ば……ばかな…」

 やっとに落ちた。

 この石動関係者に重要と言える今日、石動関係者が芽衣一人だけだったこと。

 こういうことだったんだ。

「へっ、俺は顔に泥を塗ったかもしれないが、よかったな。親父自身が自ら泥を頭から全部ひっかぶらなくてよ。今なら俺が勝手に破棄したせいだと言い張れるな」

 見たことのない絶望に満ちた親父の顔。

「今から会見場に戻って、婚約破棄を撤回してきてやってもいいぜ。どうする?それにな…知ってるんだぜ。俺の親権は母が持ってるって。公表すればちょっとしたスキャンダルだな」

 懐から出したのは、1年の夏に母から預かった封筒と書類。

 再び顔を真っ赤にして怒鳴り始める。

「いいか、翔っ!!儂がいいというまで、報道陣に口を開くことは許さんっ!!婚約破棄宣言については、誰にも口を割ってはならんっ!!いいなっ!!!?」

「しょーちした」

 余裕の表情で答えた。


 親父は会見場に戻り、報道陣に今日の会見の一部始終について箝口令かんこうれいを敷くことになった。

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