第45話:悪足掻き
「ダメだ…
「そんな…もう、どうしようもないのぉ…?」
「せめて、あと半年早く手を打てていれば…」
詩依の顔がみるみるが青ざめる。
「…あたしの…せいだぁ…あたしが、もっと早くぅ…」
「詩依のせいじゃない…あのバレンタインで、俺があんなことをしなければ…」
衛は無力感を、詩依は取り返しのつかない後悔に打ちひしがれながら護に抱きしめられる。
「うっ…ああっ…」
腕の中で泣き出す詩依に、衛ができることは何もなかった。
(翔…本気かよ…本気で諦めるつもりかよ…緋乃も…翔を…)
時間は無情に流れ、年が明けた。
緋乃はしばらく食事も受け付けず、明らかに
衛を縛り付けていた詩依の束縛は、このまま
食事を受け付けなかった緋乃は倒れかける。
家族が病院に連れて行ったり、流し込めるようスープを出したりして、少しずつだけど食事を受け入れていく。
翔に別れを切り出されてから、人が変わったかのように勉強を始めた緋乃は、二学年末考査でトップクラスの成績を弾き出していた。
血色は戻りつつあったが、人とほとんど会話もせず、塞ぎ込んでいる緋乃の心には、溶けることのない雪がしんしんと降り積もり、さながら永久凍土と化している。
その目に生気は感じられない。
そして、三年へ進級した。
クラス割が発表され、その内容を眺める。
3-1に緋乃。
3-2に翔。
3-3に護と
3-4に詩依と
3-5に
「緋乃…」
雪絵は心配そうに見ている。
しかし肝心の緋乃は、何の意思表示もせず、クラス割を見ているだけだった。
翔は会話こそするものの、そこに
「クラスは離れちゃったけど、また廊下にでも集まろぉ?」
「ん…」
返事とも取れない声を出して、緋乃はその場を離れていった。
「やだよ…緋乃ぉ…」
「ほんと、抜け殻みたい」
ギリ…と歯噛みして、護は翔を見る。
「いいのかよ…あれで…あんなんで…本当にいいのかよ…」
「………俺が関わらなければ…安全だ…」
死んだ魚のような目をしたまま護の問いかけに答える翔。
「安全って…あんなの、死んでるのとどこが違うってんだっ!死人と違うのは、ただ息してるだけだろうがっ!」
「俊也、
「翔…お前…」
プルプルと肩を震えさせていたが、我慢できなくなったのか、詩依が口を開く。
「やっぱり、こんなの間違ってるよぉ!なんで緋乃と翔じゃないのぉっ!?」
「そんなの…俺が知りたい」
ほどなく涙目になった芽衣が翔に抱きつく姿を確認していた。
「どうも変なんだよな…」
「うん、緋乃も翔も、様子が変だよねぇ…」
護の一言に返事する詩依。
「そこじゃない」
「え?」
「たとえ政略結婚だとしても、こうまでして進めたがる理由が説明つかない」
「どういうことだ?」
「あの様子は、翔の親父も見ているはず。もしこのまま翔の調子が戻らなければどうなる?翔の親父は確か
一瞬だけ静まる一同。
「何か…裏があるとぉ?」
「これはあくまでも推測だけど、今回の政略結婚を進めたがっているのは、御代HD側じゃなくて…
みんなで考え込む。
「そうだとしても、このまま婚約、結婚と進んでしまったら取り返しがつかないだろうが。俺達にできることが何かあるのか?」
「正直、難しいだろうな。本人達の心が折れてしまった今となっては…」
俊也の問いかけに答える護の言葉を聞いて、詩依が申し訳なさそうに俯く。
そっと詩依を抱きしめる護。
「なんか、ぽっかり穴が空いちゃった感じだねぇ」
「翔と緋乃が来ないだけで、こんなに空気が変わるものなのか」
「なんだかんだ言いながらも、いつもあたし達の中心にいた二人だった」
5月の連休が明けても、雪絵以外は翔とまともに話すらできていない。
緋乃に至っては顔を見ることすら無くなり始めている。
「そういえば、緋乃は携帯を解約したみたいだな」
「そうなのぉ!?」
「連休に電話してみたけど、使われてない番号って音声が流れただけだった」
翔はというと、休み時間のたびに芽衣がやってきて連れて行かれている。
緋乃は教室を出ずに黙々と勉強していた。
「護、なんとか…ならないのぉ?」
「もう、何をやっても無駄だろうな」
「うん。だって護に犯されかけても…」
「え?」
詩依が雪絵の言葉に反応した。
雪絵はハッとなって両手で口を塞ぐ。
はぁ
ため息をつく護。
「雪絵…」
呆れた顔をしていた。
「ごめん」
「護っ!どういうことぉ!?」
護は包み隠さずに話した。
詩依から、緋乃との接触禁止という束縛を受けて、もうそれはいいから緋乃を助けて、と許してもらえた後に緋乃と話をしたこと。
最後の手段として手を出したけど、何も手応えがなくて途中でやめたこと。
「最初から抵抗されることを期待してやったけど、ダメだった。怒る方向へ感情を荒げさせて、勢いがついたところですくい上げるつもりでやったんだが…全く感情が揺らがなかった。何もかも諦めてしまっているようだった」
「そこまでしても…ダメなんて…」
護は少々驚いた。
てっきりまた束縛してくると思っていたのに、ガッカリしただけで何も食い下がってこない。
おそらく、抜け殻状態な緋乃を放っておけなくて、まだ護が何かきっかけを作ってくれると期待してのことだろう。
それほどまでに、今の緋乃は見ていられない状態だった。
「時間はかかると思うが、なんとか緋乃が持ち直せば、状況も変わると思う」
「進路希望なんて面倒だな」
「護はどうする?」
護と雪絵は席が近くになった。
「大学進学にしてあるけど、今の成績で現実的な大学は限られるな」
実家から1~2時間で通える範囲としては選択肢はたくさんあるけど、受験通過を前提とした場合の選択肢は厳しい。
「第一志望を、今の成績からツーランク上にしておいて、第二にワンランク上、第三を身の丈にあった大学にしておくよ」
ツーランク上の大学だと、ここから少し遠くなる程度だが、見込みはかなり薄い。
「ところで緋乃はどう?」
「そっちは全くダメだ。相変わらず塞ぎ込んでいる」
雪絵は
「前のあたしだったら…」
「やめろ。自分を責めるな。それに…」
ひと呼吸おいて、護が続ける。
「今の方が、毎日楽しいだろ?」
「…うん」
微笑みはするものの、笑ったところを見せないミステリアスな空気を持っていた雪絵。
その目を見ていると、心の奥底まで覗き込まれていたような気持ち悪さはあった。
氷空と付き合い始めた後ですべてを聞かされた。
そんなまさかと思う前に、なぜか納得した。
「護は、このままでいいの?」
「緋乃を好きって気持ちは変わらないけど、俺じゃ彼女を笑顔にしてやれない。彼女を笑顔にできるのは…あいつだけなんだ」
進路希望はすでに提出した。
相変わらず
親父が指定した大学に落ちたら、進学はせずにそのまま
何を考えているのかわからない。
けど、もう疲れた。
志望大学を一本に絞っていたから、第二志望、第三志望は書かなかった。
先生には何度も問いただされたけど、そこ以外は考えていない、と言い張って押し通した。
あの騒ぎ以後、周りの女子たちは翔に近づいてこようという気が無くなったか、言い寄る気配を見せていない。
何より、もうそんな気にはなれなかった。
石動関係で疲れ切っていた。
芽衣は、こんな状態の俺でもいいのか…?と、ぼんやり考えている。
「氷空くんは進路、決めたぁ?」
「大学進学にしておいた。多分この高校では一番人気のとこだよ。俊也くんも同じとこみたいだ」
雪絵と付き合って、うまくいってるらしい。
けど緋乃があんな状態だから、どこかしっくりこないまま時間が過ぎているような感じ。
雪絵の拒絶事件みたいに自粛とまではいかないけど、心の底から付き合いを楽しめていない何かがある。
「緋乃ちゃん、何とかしないとね」
「護が必死に元気づけようとしてるけどぉ、全く手応えが無いみたぃ…」
「すごい…緋乃…」
三学年になると、中間考査、期末考査の成績が貼り出される。
「ほぼ満点」
「確かにすごい。けど…あんなんじゃな…」
今もなお、緋乃は無言無表情のまま毎日を過ごしている。
話しかけても生返事ばかりで、まともな返事をしない。
奥の手が空振りに終わった状態から、様子が全く変わっていない。
「もうすぐ夏休みだし、どこか誘ってみたぁ?」
「誘ったけど、わかってるんだかわかってないんだか…夏休み中ずっと勉強してるつもりじゃないか?」
「そんなの、緋乃がおかしくなっちゃうよぉ…」
(何かしてないと、自分を保てないんだろうな…今でも緋乃は自分と戦っているんだ)
夏休みが明けて、受験の二文字が近く感じてくることで、次第に包まれていく緊張感のある空気。
そんな空気もどこ吹く風で過ごす緋乃と翔。
一時的にデートの回数を減らしていく詩依と護に、雪絵と氷空。
衣替えが終わる頃には、休みの日のデートはほとんどしなくなり、あの二人を心配する余裕もなくなった。
登校と下校を一緒にするくらいに留めている。
それは翔と芽衣も同じだった。
時間と共に高まる緊張は、新年になってピークへ達する。
最後の学期が始まった数日こそ正月休みボケで緩まったものの、すぐピリピリした緊張感が戻る。
そして時は更に流れる。
高校最後の考査を終え、受験シーズンもほぼ終了した。
次々に合否の通知が飛び交う中、翔にとって大きな転換期となる日が近づいていた。
「俺が諦めれば…緋乃は安全…か」
翔は、自分がどうなろうとも、緋乃を守る選択をした。
もう親父にも、石動家にも逆らうことなく、流されるまま流されている。
その姿はまるで、棋士が扱う将棋の駒のようだ。
今日は婚約発表を行うことになっている。
前みたいな身内だけのお披露目ではない。
マスコミも呼んで、正式に発表を行う。
これで発表してしまえば、もう引き返すことは難しくなる。
世間が話題にして、もちろん学校内でも話題になるだろう。
残る登校日も片手で足りる時期になったとはいえ、今日か明日には発表されるよう手配されているらしい。
「石動芽衣…お前には、お前の意思で離婚届を握りしめさせてやる…例え一生かかったとしても…だ」
これが翔にできる、精一杯の抵抗だった。
その目に光を灯さず、沈んだ面持ちのまま外に出る翔。
迎えを寄越すと言っていたが、そんな気分じゃないと一蹴した。
電車に乗り、石動コーポレーションの本社ビルへ足を運ぶ。
気分はまるで死刑台に向かう人のそれだった。
本社ビルが見えてきた頃、警察車両が数台通り過ぎた。
後部座席に誰か乗っていたようだが、車内は暗くてよく見えない。
マスコミの車らしきものが後を追っていったようだが、マスコミスタッフを送り届けて帰っていっただけか?
…いっそ問題起こして、警察に身柄を確保されてみるか…それでもこの結婚を押し通してくるか?
そんなことを思いながら、本社ビルのドアをくぐる。
準備万端で待ち構えていた石動関係者と思われる人たちに誘導されるがままに足を運ぶ。
もう諦めの境地にいる翔は、特に逆らうことなく促されるまま準備をする。
ガチャ
控室のドアが開け放たれると、そこには芽衣がいた。
周りを見回しても、特に不審なところはない。
「待ってたわ。こっちにおいでよ」
気が進まないながらも、促されるまま従った。
ボフッ
倒れ込むようにソファへ掛けると、隣にいる芽衣の体がわずかに揺れる。
「芽衣…」
「何?翔」
「ここで確認しておく。緋乃にはもう手を出してないだろうな」
死んだような目を合わせず問う。
「ふふ、もう少し手応えがあるかと思ったけど、意外と沈むのは早かったね。あんな抜け殻同然の人に手を出しても面白くないわ」
やれやれ、と言いたげな仕草で答える。
「緋乃はともかく、俺まで思いどおり行くとは思うなよ…」
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