第44話:嗚咽
人の噂も七十五日というけど、今のあたしには説得力が無かった。
結局夏休みは一度も
けど噂はまだ消えずにいる。さすがに前ほどの勢いではないけど、居場所に困っている。
学校に出てくれば、
あの動画とは削除されないまま残っていた。
あたしは噂が早く落ち着くことを祈って、学校では翔とは距離をおいている。
翔の代わりに
「
「僕もうかつだった。ずいぶん前とはいえ、まさかあの一度を捉えられるとは…」
見ると、例の動画と一緒に公開されてる写真が加わっていた。
またもその写真に補足やコメントなどは一切ない。
知らない人が見れば、まるであたしが男に見境なく手を出しているように見える。
「もう…やだ…」
目に涙を浮かべて、その写真をぼんやりと眺めていた。
ドラマのワンシーンでよくある、夜の街を流れる光がぼやけていくように、あたしの視界は
この写真が掲載されたことで、また噂は再燃の動きを見せていた。
周りでひそひそ話が目立ち始め、女子だけでなく男子からの目も気になりだす。
婚約騒ぎの後、翔とまともに逢えていない。
おそらく石動さんが何か手を回しているのだろう。
「もう、これ以上は見てられないぜ」
俊哉は翔と一緒にいる芽衣と話をするべく、放課後に昇降口で待ち伏せすることにした。
ほどなく、翔の腕にまとわりつく芽衣の姿を捕らえる。
「俊哉…お前…」
「悪いな、翔。話があるのはそいつのほうだ」
クイッと顎で指した先は
明らかに不審そうな顔をする芽衣。
「何よ?」
「あの動画と写真、早く消せよ。仲間内でも迷惑してるんだ」
「あれはあたしのじゃないわ。他の誰かよ」
「しらばっくれるんじゃねぇ!てめぇの仕業だってのはわかってんだよっ!てめぇのものじゃねぇってんなら、消すように指示出しやがれっ!」
芽衣を指さして、キツツキのように何度もさす指を前後に往復させる。
「やめろ俊哉」
「翔、てめぇもこいつの肩を持つのか?」
「後で電話する。ここは引いてくれ」
そう言った翔の目に、生き生きとした光はない。
「頼む…」
それに気づいた俊哉は、何か裏があると悟って、それ以上追求はしなかった。
「ねぇ、翔。まだ緋乃と別れたわけじゃないでしょ?」
「…答える必要はないな」
ぶっきらぼうに答える翔。
「だったらさ、正式に別れてよ」
ぎゅっと腕にしがみつく。
「俺はお前との婚約に同意した覚えはない。それ以前に…」
芽衣は翔の口に指を当てて
「忘れちゃった?翔に選択権は無いこと」
と目を細めて怪しく微笑む。
「…お前には…『いっそ殺して』と言わせてやる」
「ふふ、その日を楽しみにしてるわ。そうそう、別れ話はあたしも一緒に聞くから、必ずあたしがいるときにね」
芽衣の悪趣味もここまでくると、いっそ清々しさすら感じてしまう。
翔が芽衣を見る目は、さらに厳しく鋭いものへ変わっていた。
「ねえ、気づいてないとでも思った?あたしに内緒で緋乃と逢ってるの、知ってるんだから」
そう。あれから緋乃とは逢っている。
けど外を出歩くのは危険と判断して、個室のある場所や緋乃の家に行くなど、人目につかないよう警戒していた。
まるで
家に帰った翔は、俊哉に電話をかける。
「待ってたぜ、電話」
翔は電話で俊哉と5分程度、短く話をした。
翌日
朝から翔は芽衣に付きまとわれていた。
(俊哉に預けた伝言、早く伝えてもらうか…)
引き伸ばしてもメリットが無いと判断して、翔は緋乃の姿を探す。
ほどなく、緋乃を見つけて話をすることになった。
そして、芽衣も翔についてきている。
屋上に誘い出して、翔はわずかに口を開く。
けど、その前に気になることがある。
「何?石動さんも一緒ってどういうこと?」
怪しい笑みを浮かべる芽衣。
翔は黙った。
言い出しにくいことを、傷つけることを言わなければならないプレッシャーで、口を開けない。
芽衣はきゅっとしがみつく腕の力をわずかに強める。
「緋乃…勝手なことだとはわかってる。俺と別れてくれ」
翔が何を言ったのか、頭が理解しようとしなかった。
「え………嘘……だよね…?」
「つまりね、もう先輩はお呼びじゃないのよっ!あたしがいるからっ!」
石動さんが翔に正面から抱きつくけど、翔は抱き返しもしない。
「…冗談…よね?」
翔は答えない。
芽衣を振り払うと、緋乃の横を通り過ぎて屋上から姿を消した。
そのまま俊哉の姿を探す。
「俊哉、頼むぞ…」
「わあったよ…なんで俺が…」
芽衣から見えないよう、親指を上に立てる。
上にいるということを伝えるためだ。
重苦しい足取りで屋上に向かう。
屋上で呆然と立ち尽くす緋乃の前に姿を見せた俊哉。
昨日、翔からの電話に出た俊哉は、未だに自分の耳を疑う気分だった。
-----
「あまり時間がないから、手短に話す」
緋乃と付き合ってることは知っているから、翔は2年に進級した後のことをザッと話した。
「あんのゲスアマ…陰険だとは思ったがそこまで極めてるのかよ」
「そこでお前に伝言を頼みたい。俺は明日、緋乃に別れを告げる」
「翔っ…てめぇ…」
「これ以上一緒にいると、本気で緋乃を…だから伝えてほしい」
「………」
電話口の向こうが黙る。冗談でもふざけでもないことを感じた。
静かな口調で、翔は伝言を口にした。
「…わかった。伝言、必ず伝える」
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「緋乃、翔から昨夜預かった伝言だ。一度しか言わない」
すう、と息を吸い込み、口を開く。
「緋乃………俺はもう、お前を守りきれない。お前を守るため…別れを決めた…別れたくはないが、緋乃の身の安全が第一だ」
それを聞いても、緋乃は何も反応しなかった。
「確かに、伝えたからな」
俊哉は体を
俊哉は、このことを護に話した。
護は驚きつつも、とうとうこの時がやってきたとため息をついて、翔を呼び出した。
「翔、お前…本気かよ…緋乃と別れたって」
「もう…終わったことだ。お前、緋乃をまだ諦めて無いんだろ。なら今が緋乃と付き合うチャンスだ」
「てめぇ、本気で言ってんのかっ!?」
衛は両手で翔の胸ぐらを掴んで締め上げる。
「そうだよっ!今も緋乃に本気さっ!!だがなっ!!俺じゃダメなんだよっ!!緋乃を笑顔にできんのはお前だけなんだよっ!!!緋乃を本気で好きだからこそ、俺は身を引くと決めたんだっ!!!それなのにお前がそんなんで、いったい誰が緋乃を笑顔にしてやれるんだッ!!?答えろっ!!答えてみろっ!!!翔っ!!!」
衛は目にわずかな涙を浮かべつつ叫ぶ。
だが翔の瞳に感情のゆらぎが見えない。
揺さぶりが足りない、というわけではなさそうだ。
死んだ魚のような目には、そもそも光が灯っていない。
(だめか…こうなったら緋乃を動かして、翔にテコ入れするしかない…)
「俺だって…まんまと石動の連中の思惑にひっかかってやるつもりはない…」
「…何か、逆転の策があるのか」
「いや…」
翔は少し黙る。
「石動との結婚はもう避けられそうにない。だが、芽衣にはその結婚を後悔させてやる…何年…何十年かかるかわからないが、芽衣自身の意思で離婚届を握りしめさせてやる」
言ってる間も、翔の目に光は灯ってない。
完全に望みを絶ち、諦めたものが、せめてもの仕返しを考える人の目だった。
このことはすぐに詩依の耳にも入り、緋乃と会った詩依はその姿を見て
たまらず、詩依は護を呼びだした。
「緋乃を…緋乃を助けてよぉ…もう見てられないよぉ」
「俺は、緋乃と会話しちゃダメだから…」
「そんなのもういい、どんなことしてももう怒らないから、緋乃とどうなってもいいからぁ、緋乃を助けてよぉ!緋乃と翔が一緒に歩く姿を、取り戻してよぉ!」
「…わかった。できることはなんでもやってやる」
護は緋乃の姿を探した。
授業にも出てこないでどこにいるのかと思ったら、屋上で立ち尽くしていた。
その姿はまるで生ける
「緋乃、翔が悲しんでるぜ」
後ろから声をかける。
「…うん」
いつもの元気はどこにもない。
正面に立って顔を見るけど、その顔に生気は見られない。
少し揺さぶってやるか。また面倒になっても困るから、最後の手段はできれば使いたくないが…。
「石動のやつら、かなり強引なやり方みたいだな。話には聞いていたが」
緋乃は反応しない。
「
だがそれ以上の反応がない。
まったく手応えを感じない。
「緋乃、お前はどうしたい?」
「…翔と…一緒にいたい…」
「なら」
「でも…ダメ…あたしのせいで…翔まで危険な目に遭っちゃう…」
くっ、あいつと一緒にいることにマイナスイメージが結びついてやがる。
「だから、あたしは翔と一緒にいちゃいけない…」
その気はあるけど、心を折られてしまった…。
これは難しくなってきた。
「だったら俺が守って…」
「だめ…衛まで危ない目に遭うよ」
感情が動きはするけど、波が立たない!
少しでも怒ればまだやりようはあるのだが…。
仕方ない。
一度怒らせるか。そこを起点に…。
「もう、翔と付き合う気はないってか。わかったよ」
俺はずいっと緋乃と距離を詰める。
「前に言ったよな。翔を泣かせたら、俺がもらうって」
ぐいっと腕を引き寄せ、抱きしめる。
すっかり悲しみの空気に包まれた緋乃の姿は、本当に見ていられない。
だが、やるしかない。
「予告どおり、もらうぜ」
顔を近づけ、唇を重ねる。
前は、このあとでビンタを喰らった。
今の緋乃は抜け殻みたいになっている。
もう少し刺激してやらなきゃダメかもしれない。
俺は緋乃の口に舌を差し込んだ。
抵抗しろっ!緋乃っ!
頼むっ!抵抗してくれっ!怒るんだっ!
俺がいくら嫌われても構わないっ!怒ってくれっ!
意外にも口を開けて受け入れたが、緋乃は自分から舌を絡めてこない。
もはや、されるがままの緋乃の姿にショックを受けた。
心の叫びも虚しく、期待と反する結果に護は肩を落とす。
ダメか…。
まさかここまでとは…。
それでもしつこく、感情を揺さぶるため緋乃の口を舌で舐め回す。
10分はこうしていただろうか。
その間、緋乃は俺にされるがままされていた。
手応えがないことに焦れてきた護は、試しに緋乃の胸に服越しで触ってみる。
まったく抵抗しない。
意を決して、そのまま下へ手を伸ばす。
スカートをまくりあげ、布に包まれた秘所をまさぐる。
ここで拒否したり、ひっぱたいてくるなら突破口も見いだせる。
くっ!
まったく手応えを感じない俺は、緋乃の着衣を正して手を引っ込める。
「緋乃…お前…」
「もう…どうでもいい…何もかも…」
緋乃の言葉を聞いて、全身の毛穴という毛穴が、一斉に開き
足先から頭のてっぺんまで駆け抜ける寒気が気持ち悪い。
ここまでしたのに、緋乃の感情がまったく揺らがない。
悲しみ以外の方向に、感情が動かないっ!?
もしこのまま続けていれば、今度は緋乃が
クソッ!
もうダメなのか…もう…。
「今のは…忘れてくれ…」
打てる手をすべて打って、事態が何も動かないと確信した俺は、歯噛みしながらその場を後にした。
その様子を物陰でこっそり見ていた雪絵が、緋乃の前に出てきた。
「緋乃…本当にいいの?あれでよかったの?」
「………」
「あなた、護に襲われるところだったっ!!なんで無抵抗のままされるがままにされたのっ!?」
「……………」
「なんで一言も
雪絵は緋乃の両肩を掴んで揺さぶりながら問い詰める。
「……………………」
焦点の合わない
雪絵はふと、思いついたけどやめておくことにした。
今の緋乃には何をしても感情が動きそうにないことを、雪絵はよくわかっていた。
「………話はそれだけ?」
「………」
今度は雪絵が黙る番だった。
「もう…手遅れなの…?緋乃…本当に翔といっしょに歩く姿を諦めるの…?」
何も答えず、緋乃は雪絵の横を通り過ぎた。
「ひどい…石動のやつら…あいつら…ひどい…」
雪絵は悔しさを隠さず、とめどなくあふれる涙をひたすら流していた。
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