第41話:贈物

 あたしは狙われている。

 学校の生徒のやっかみという枠ではない、もっと悪意に満ちた何か。

 実際に昨夜はしょうが撃退してくれたけど、もしあたし一人だったら…。


「行ってきます」


 玄関を出ると、そこにはまもるが待っていた。

 挨拶もせず一緒に歩きだす。

 このことが、具体的な危機に晒されていることを実感する。


 話したい。

 今の気持ちをぜんぶ話して、大丈夫だよと言ってほしい。

 けど護はあたしの会話を拒否し続けている。

 詩依との約束を守り続けている。

 あたしが、その約束を破らせるようなことだけは、絶対にだめ。


 護は歩きながらメモを手渡してきた。

 メモを見る。


---

緋乃あけのと会話できないことは、俺も苦しく思っている。

だけど今は緋乃をガードする役目を任されている身だ。

もし俺が「行け」と言ったら、絶対に躊躇ちゅうちょするな。

必ず言うとおりにすること。

緋乃は自分の身を守ることを最優先にしろ。

俺のためを思うなら、必ずだ。

---


 メモを折りたたんでポケットにしまう。

 嫌な寒気がしてきた。


 怖い。


 護は何かを知っているはず。

 けど会話を拒否される。

 …メモで筆談してみようかな?

 歩きながらで少し抵抗あるけど…。


---

護は翔から何を聞いたの?

---


 これを渡す。


---

詳しいことは聞けていない。

ただ緋乃の身が危ないと聞かされてここにいる。

---


 たぶんだけど、これは嘘だ。

 とはいえ、食い下がっても多分教えてくれない。

 筆談ではついうっかり口走って、という流れが作りにくい。

 やっぱり、言葉で会話したい。

 あたしは真相を護から聞き出すのは諦めることにした。


 駅まではもう少し。

 人通りはそれほど多くない。

水無月みなづき 緋乃くん、だね?」

 見覚えのない黒服サングラスの大男が声をかけてきた。

 護は無言で警戒態勢に入る。

 周囲を見回して確認していた。

「走れっ!」

 護が指差す方向は駅と違う方向。

 思わず足がすくんでしまうけど、さっきのメモを思い出して、思い残しを振り切るように駆け出した。


 怖いっ!怖いっ!!怖いよっ!!!


 助けてっ!


 ザッ。

 目の前に、もうひとり黒服が現れる。

「しまっ…」

「やあ、緋乃ちゃん。おはよう」

 緊張感の無い挨拶とともに横から現れたのは、雪絵ゆきえの彼氏こと氷空そらくんだった。

「だめっ!逃げてっ!氷空くんっ!」


「はあっ!!」

 ダシーンッ!!

 後ろで吐気とともに、重いものが落ちる音がする。


「なるほどね…ハッ!!」

 一瞬だけ、緊張感の無い顔が引き締まり、姿勢を低くする。

 ドガッ…!

 はやいっ!!?

 氷空くんは、一歩踏み込んだかと思ったら、見えない速度で繰り出した掌底しょうていが黒服を数メートル先まで飛ばしていた。


 後ろを見ると、護が黒服を投げ飛ばしていたようだった。

「これでも中学の頃は柔道の有段だったんだ。腕は落ちたけど、体は案外覚えてるものだな」

 襟を正しながらつぶやく。

 そういえば、そうだった…。

 護は中学に柔道してたんだっけ。

 得意技は確か、跳躍巻き込み背負投げ…部員が付けた別名は奈落ならく落とし。

 まともに入ると相手は多くの場合、気を失う。


雪絵ゆきえにもまだ教えてないけど、僕んちは空手道場なんだ。小さい頃からしごかれて、今は師範代次席の腕になったけど、まさか役に立つとはね」

 緊張感の無い顔で片手をプラプラさせて言い放つ。

「うわおっそろし…空手の師範代次席とは…」

 護は青ざめた顔で氷空くんを見る。

 護はともかく、こんな形で氷空くんの意外な素顔をみることになるとは…。

 そういえば、前に俊哉が冗談めかして「雪絵をへこますぞ」と言ったことに、氷空くんは「僕が黙ってないよ」と言ってたけど、本当に黙ってないつもりだったのかな。


「氷空、緋乃を頼む」

「よくわからないけど、学校まで付き添えばいいのかい?」

「それでいい」

 わしっ。

 氷空くんはあたしの腕を掴み、駅の方向へ引っ張っていく。

 空手の師範代次席…その手は見た目の薄い緊張感と真逆で、スキのないすごくがっしりとした手をしていた。

「護っ!」

「行け!」

 うっ…。

 あのメモを思い出して、あたしは言い返せなかった。


 護は行ったことを確認して、スマホを取り出す。

「翔、お前の危惧していたことが現実になった。確認してほしいから、今から来られるか?」

 伸びている二人の黒服が起き上がらないことを確認した。


「緋乃ちゃん、いったい何があったんだい?護につられるように手、出しちゃったけど、大丈夫かな?」

 さっき、一瞬だけ見た氷空くんの顔が忘れられない。

「あたしにも…わからないの。何も聞かされてないから」

 電車がやってきた。

 開いたドアから入り、電車が動き出す。

 さっきみたいに…襲われたらどうしよう…?

 今は氷空くんがいるけど、氷空くんもいない状態だったら…。


 しばらくの間は翔、衛、氷空くんが送り迎えをしてくれた。

 雪絵は氷空くんのことを知って驚いていたけど。

 気になるのは、あれから石動さんが翔に寄ってこないこと。

 前にも我慢していて来なかったことあるけど、何か嫌な予感がする。


 あれから特に動きもなく、今日はあたしの誕生日。

 やっぱり翔からは何も言ってこない。

 放課後になって、あたしは翔と一緒に帰ることになった。

 家に帰って、ベッドに身を投げる。


 このまま、何もないで終わっちゃうのかな?

 今日は疲れたな。着替えるもの面倒になってきた。

 いいや。このままで…。

 日が落ちかけた時


 ポロン


 メッセージがきた。

 慌てて内容を確認する。

『急だけど、これから会えないか?』

 これって、もしかして…けど、翔はあたしの誕生日を知らないはず。

 護から聞いたのかな?

『もちろんいいよ。どこにする?』

 返事をした。

『駅前広場にしよう』

 すぐに返事が来た。


 急いで着替えて、駅前広場まで行く。

 いきなり呼び出すなんて、どういうつもりなのかな。

 石動さんが現れてからはゆっくり翔と会えてない。

 前に怖い人が絡んできたけど、あれから特に動きはないし、翔はすぐ来てくれる。


 翔は電車を降りる。

 階段を下りて改札を出ればすぐに駅前広場だ。

 下りようとした時…。

「ん?着信か。見たことない番号だな」

 通話ボタンをスライドする。

「もしもし」

「翔っ!?」

「その声…芽衣めいか」

「よかった、つながった。今すぐ来てほしいところがあるの」

 それ以前に、電話番号を知ってることが気にかかった。

「ずいぶん急だな。悪いけどこの後は用事があるんだ。終わってからなら行っても構わない」

「今じゃなきゃダメなのっ!お願い翔っ!!」

「悪いけど…」

「翔っ!!!」

 ピッ

 通話終了ボタンを押す。

 ピロン

 メッセージが届いた。

 電話番号が送り元のようだ。

『待ってる』

 と、場所だけが書かれた短いメッセージ。

 階段を下りきって、改札口が見えた。

 芽衣には、言いたいことが山ほどあった。

 このまま改札を出てしまえば、緋乃が待っている。

 ICカードを取り出して、光っているパネルにかざそうとした瞬間…。

 どうしても文句の一つも言ってやりたくて、ICカードをポケットにしまう。

 念のため、手荷物の一部をコインロッカーに放り込んだ。

 階段を上り、ホームで電車を待つ間に緋乃へメッセージする。

『すまない。ちょっと到着が遅れるから、家で待っていてくれ』

 緋乃と会えば、かなりの時間を過ごすことになるはず。

 芽衣の呼び出しを無視すれば、この消化不良な気持ちはどうなるのか。

 モヤモヤした気持ちは、明日直接芽衣に言えばいい。

 だけど、この状態で緋乃に逢っても、何かが気になっていることを気づかれる。

 だったら、言うだけ言わせてもらう。

 それでスッキリさせてもらおう。


 15分ほどで芽衣の指定した場所に着く。

 周りに人の気配はない。待ち伏せの線は消えたか。

「あっ、翔っ!?来てくれたんだっ!!?」

「どうした。何があったんだ?」

 芽衣は翔の腕に抱きついてくる。

「会いたかった!」

「お前の親父さんが倒れでもしたか?」

「ううん、ピンピンしてるよ」

 イラッ

 まさかと思った翔は

「用事はそれだけか?」

 重苦しい声で問いかけた。

「ご飯食べに行こっ!」

「芽衣…」

 翔のポケットに手を滑り込ませて、スマホを取り上げた。

「こんなの邪魔だよね」

 電源ボタンを押して、慣れた手付きで電源を切る。

 電源を切った芽衣はそのまま自分のポケットに入れた。

「悪ふざけはここまでだ。今なら許してやる。返せ」

「やーだよ。今日は翔と過ごすって決めたんだもん」

「女に手を上げたくない。返せよ」

 ズイッと迫るものの、芽衣は怯む様子がない。

「だったらご飯だけでも。いいでしょ?」


 初詣の時を思い出した。

 また、あのパターンか。

 でも緋乃には家で待っているように伝えたから、家にいるはず。多少の時間は仕方ないか。

「わかった。一時間だけくれてやる」

「翔、話がわっかる~!」


 近くのファミレスに入り、向かい合って座る。

「まず、なんで俺の電話番号を知ってるんだ?」

「あの帰りに翔のお父さんから聞いた」

 婚約話の真相を聞かされた日か。親父め、余計なことを…。

「で、なぜ今のタイミングで突然呼び出したんだ?ずっと音沙汰なしだったのにな」

「あたしにもいろいろあったんだよ」

 やはりはぐらかされるか。

 怪しい笑みを浮かべる芽衣。


 笑わずに問い詰める翔と、にこやかに答える芽衣。

 この二人は知らない人が見れば、彼氏が怒ってるカップルに見えるだろう。

 時折、翔は芽衣に厳しい視線で奪ったスマホを返すよう迫っていた。


「あ~あ、もう少し邪魔したかったんだけどな…あんな熱心に迫られたら、焦らすのも少し可哀想になっちゃった」

 芽衣は両手を上げて後頭部を抑えるようにしてつぶやいた。

「ま、はまだこれからだから、今回は見逃してあげる」

 意地悪な笑みを浮かべる芽衣だった。


 結局、芽衣がダダをこねて二時間を過ごしてしまった。

 スマホの電源を入れて、通信が回復する。


 ポロン ポロン ポロン


 次々に通知がやってきた。

 着信のお知らせだらけだ。

 すべて緋乃から…。

 LINEのメッセージも…。

「すまない…緋乃…」

 電車に乗り、緋乃の最寄り駅にあるコインロッカーから手荷物を回収する。

 足早に緋乃の家へ向かう。


「えっ?帰ってきてないんですか?」

 家の呼び鈴を押して、出てきた家族は心配そうに、緋乃が帰ってきてないことを翔に告げた。

 電話をしてみるけど、バッテリー切れだろうか。

 電話はつながらないし、LINEは既読にならない。

 まさか…。

 翔は駅へ向かった。


 あたしは駅前広場のベンチで待っていた。

 翔とあれから連絡が取れないし、今はバッテリー切れを起こしてしまった。

 短い時間で済むと思ってたからモバイルバッテリーを持ってきてなかった。

 真っ暗な画面を見つめても、もう充電するまでは二度と点かない。


 ザッ


 後ろに気配がした。

 思わず立ち上がって、小走りで距離を取って身を翻す。

「翔…?」

「待たせてすまない。緋乃の家に行ったけど、家族は帰ってないって心配してたぞ」

「何が…あったの?」

 多分、話してくれない。

 あたしが勝手に待ってただけだし、翔は家に帰ってろと言ってた。

「芽衣のやつにひっかき回されてな。スマホの電源を切られたり、いろいろ邪魔された。緋乃はバッテリー切れか」

「また…石動さんが…」

 怖かった…最近動きがないにしても、また名指しで知らない人に声をかけられたら、護も氷空くんもいない状態で、どうすればいいのかわからなかった。

 けど家で待つと、翔とのつながりが薄くなる気がして、帰りたくなかった。


「翔…逢いたかった」

 あたしは翔の胸に飛び込む。

 しばらくそうしていたら、翔が肩を掴んであたしを離す。


「緋乃、誕生日おめでとう」

 翔は包みを取り出す。

「えっ…?知ってたの…?」

「雪絵に聞いた」

 そっか。

 意識を読めなくなっても、誕生日は変わらない。

 だから…。

「ありがとう」

 あたしは包みを受け取る。

 思わず涙が出てきた。

「開けていい?」

「どうぞ」

 リボンを解き、封のシールを剥がし、ガサガサと包み紙をめくる。


「あっ…」


 アロマディフューザーだった。

 おまけにアロマオイルが添えられている。

 柑橘系のオレンジ、ベルガモット、レモン。

 フローラル系のジャスミン、ゼラニウム、ラベンダー。

 それにペパーミントにイランイランと…ローズアブソルート…。

 もしかして、バラを見に行ったあのときのこと…覚えてて…。


「翔…あたし、こんなの貰えない…」

「気に入らなかったか?」

「そうじゃないの。ディフューザーだけじゃなくて、こんなにたくさんのアロマオイル…それにローズオイルまで…これは少なく見ても…さんむっ」

 翔は唇で、あたしの唇を塞いできた。


「もらって。俺の気持ち」

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