第39話:窮地
あたしはまだ知らなかった。
恐ろしい仕掛けが水面下で動き出していることに。
土曜日。
学校は休みで今日はバイト。
とっても楽しみっ!
今日は彼女、
それよりも最近、気になることがある。
親父が俺の異性関係を意識していることだ。
言いっぷりは後継者を気にしたような言い方だが、なにか引っかかる。
何かを企んでいる。
直感がそう告げていた。
念の為、ときどき緋乃のバイト先をチェックしているけど、特に変わった動きはない。
思い過ごしならいいんだが…。
はっきり言って、親父とはうまくやれてない。
どうも仕事一筋すぎて、人間臭さというものに欠けるきらいがある。
言うなれば仕事に特化したサイボーグかアンドロイドというか…。
感情が希薄すぎて、どうにも
もし護が親父を見たらなんて言うのか、気になりはする。
あの頃の雪絵に、一番見てもらいたかったけど、もうあの力はない。
日曜日。
今日は翔とデートの約束がある。
来月はあたしの誕生日だけど、アピールするのもなんかいやらしいというか、
デートはランチからということになっていた。
予約できないらしく、翔が先に並んでると言ってた。
あたしは指定された時間に、その場所へ向かうことにしている。
「えっと、このビルかな?」
スマホ片手に、GPSを動かして確認する。
「ここだね」
あたしはエレベーターのボタンを押して、昇降かごが到着するのを待つ。
ポーン。
エレベーターに乗り込んで、目的階を押す。
目的階に着くより前に、エレベーターの故障で閉じ込められる…なんてアクシデントもなく到着した。
えっと…翔は…。
「こんちは。緋乃」
「おまたせ、翔」
すでに翔はお店の前で並んでいた。
近づいていくと後ろに並んでるお客さんが、壁に遮られて見えなかったところにたくさんいてギョッとする。
「すごい行列…」
翔は一番目にいた。
「何時からいたの?」
「一時間前くらいかな」
「そんなに待ってたの?」
あたしは翔がカバンを置いてたところに座る。
「予約できないところだから、何時に並べばいいのかわからなくてね。予約できるところだと、緋乃のバイト代じゃきついでしょ?」
それを聞いて、クリスマスの時を思い出した。
おしゃれなお店だったけど、配管トラブルでだめになっちゃったんだよね。
大きな置き看板を見るとランチビュフェと書いてある。
えっ?お値段が1000円切ってる…?
「ね、翔…」
「なんだい?」
「ビュフェって食べ放題ってことだよね?」
「そうだよ」
「それが1000円以下って…」
「うん。だから緋乃にちょうどいいかと思ったんだ。品数も豊富だし。お酒は別料金だけど、未成年でまだ飲めないからこれ以上の料金はかからないよ」
それじゃこれだけ並ぶのも納得した。
翔と話し合って、デート代はそれぞれが実費を出すことで落ち着いている。
あたしのバイト代はだいたい計算できるらしいから、そのへんもよく考えてデートコースを決めてくれている。
ファミレスでも別にいいんだけど、こんなお手頃のお店を知ってるなんて、さすが翔だなと思った。
お店が開いて、席に着く。
「うわぁ…、お料理がいっぱい」
「50種類くらいあるらしいからね。それぞれ一口だけにしても、全種類いけばそれだけでお腹いっぱいになると思うよ」
「ありがとう、翔」
「うん、楽しんでね」
あたしはお皿を手にとってお料理を少しずつ乗せていく。
種類が多いから、ちょっとだけ取ってもすぐお皿いっぱいになっちゃう。
席に戻るけど、すぐもう一皿を追加したくなって店内を歩き回る。
「今どこにいるかだって?言う必要はないだろ。親父も休みの日くらい仕事休めや」
ピッ。
翔はお店のトイレ近くで電話をしていた。
「親父め…なんか動きが活発になってきてやがる。何を隠してるんだ…」
あたしは三皿を盛って、席に戻ってきた。
けど、翔はまだ一皿もテーブルに乗せてない。
何してるんだろ?
店内を見回してみると、翔の後ろ姿があった。
………まだ一皿目を盛ってるの?
翔があたしに気づいて、手を振ってくれた。
あたしも手を振り返す。
「おまたせ、緋乃」
翔が二皿に盛って戻ってきた。
「ずいぶんかかったじゃない。何してたの?」
「あれこれ見てたら目移りしちゃってね」
勘だけど、翔は何かあったみたい。
お店に入る前と後で違う。
笑顔が少しぎこちない気がする。
席に戻ってくるのが遅かったのと、何か関係があるのかしら…。
「でね、雪絵ってば氷空くんのノロケ話ばっかしてくるんだよ」
「雪絵も変わったよな。無表情で何もかもお見通しで、肝心なところはしっかり締めてきたあの頃が懐かしいくらいだ」
パクっと唐揚げを頬張る翔。
「一番恋に遠い存在だって思ってたのに、氷空くんにベタぼれしてるよねっ」
「緋乃もずいぶん変わったと思うよ」
シャキッとキャベツの葉をかじる。
「そうかな?」
「いきいきというか、堂々としてきたというか」
うっ…。
「そりゃ、翔に鍛えられたもん。副委員長にされたり、教壇に立たせられたり、それになにより……翔と一緒だから…」
言ってて、少し照れてしまった。
「は~っ、お腹いっぱーい」
お店は90分制だったけど、60分くらいの段階でお腹がいっぱいになって、飲み物やデザートを
すっ。
あたしと手をつないでくる。
「緋乃に、見せたいものがあるんだ」
優しく微笑んで言ってきた。
ふたりで歩くこの時間も、あたしにとっては幸せいっぱい。
騒然とした街並みを抜け、場違いに思えるほどの広い公園に差し掛かる。
あ、ここ入場料あるんだ。
「行こ」
再びあたしの手をつないできて、ゆっくりと歩く。
まだ昼過ぎだから日が高い。
この公園、来たことなかったな。
無料開放されてる公園は来たことあるけど、入場料のある公園はやっぱり何か違うな。しっかりと手入れされてる。
「見えてきた」
ふわっと香るこの風は、あたしの心をくすぐった。
「薔薇っ!?」
見ると、整然と並ぶ花壇に色とりどりの薔薇が咲き乱れていた。
薔薇目当ての入園者も多くて、かなり人が行き交っている。
「そう。色んな種類があるから、ゆっくり見よう」
春薔薇。
薔薇は年に二度シーズンがある。
それは春と秋。
ちょうど今の時期は春薔薇が咲いていた。
「へー、品種名が書いてあるんだ?」
「見ても、言われても違いがよくわからないけど。色と大きさくらいだろうな。違いとしてわかるのは」
鼻を近づけて嗅いでみる。
「あ~っ、癒やされるな~」
あたしは胸いっぱいに薔薇の香りを吸い込んで、その刹那な安らぎを楽しむ。
「薔薇の香りにはリラクゼーション効果があるらしいからね。他の花には無い薔薇独特の効果ってやつがあるって」
「そうなんだ?」
「薔薇っぽい香りで薔薇と銘打ったフレグランスがあるけど、あれには薔薇にある効果は無いんだよ」
「そうなのっ!?」
「で、風呂いっぱいのお湯でも、一滴垂らすだけで十分効果があるとも言われてる」
あたしの知らないことがスラスラ出てくる翔って、やっぱりすごいと思う。
「あとな…」
「まだあるの?」
「薔薇のオイルは、常温では粘性の高い液体だけど、冷蔵庫に入れると固まるんだ」
「そうなの?」
「だから、冷蔵庫に保管しておいて何も変化が無いなら、それは薔薇のオイルは使ってないってことになる」
知らなかった。エッセンシャルオイルって奥が深いんだ。
「じゃあ、薔薇の香りってされてる香水って何を使ってるの?やっぱり化学合成?」
「多分ゼラニウムじゃないかな。よく似た香りらしい」
話をしながら薔薇を見ていると、どれも手前に品種名が書いてあることに気づいた。
「薔薇っていろいろな名前が付いてるんだね」
「作った人がつけてるんだろうな」
よかった。
トラブル無く、何事もなく過ごせていることに安心していた。
翔と逢う時って大なり小なりトラブルがあって、すんなりと一日を終えることができないことが続いていたから、今日もヒヤヒヤしながらだったけど。
「二名でお願いします」
バラ園がかすかに見えるカフェでお茶することにした。
席についたあたしたちは、コーヒーを注文する。
「薔薇っていい香りだったね。あちこちで見かけはするけど、なかなか嗅ぐことってなかったから、すごく感激しちゃったっ」
「薔薇のエッセンシャルオイルが市販されてるけど、花から直接ってのはまた違った香りがするよ」
「エッセンシャルオイルって、香水に使うあれ?」
「そう、よく知ってるね」
「あ~、あんな香りに包まれてみたいな~。お風呂に垂らしたり、ディフューザーに乗せたり…」
翔はスマホをタスタスと操作している。
「何してるの?」
「あった」
翔は少し苦笑いしながら、画面を見せてくる。
「薔薇のエッセンシャルオイル、これくらいするんだ」
「いち、じゅう、ひゃく、せん………げっ!いちまんえん…?しかも3ml程度で…?」
なんというお値段。
「薔薇って花びら1kgからオイルが数滴しか取れないらしいから、こんな値段するんだよ。オイルになる薔薇は多くがブルガリア産で、品種もあそこにあるのとは違うみたい」
「詳しいんだね」
「詳しいってほどじゃないけど、興味があることは調べるようにしてるから」
フッと店内の明かりが消える。
窓の外から差し込む光で十分明るいけど…。
「あっ、翔。見て見て。あそこ何かのお祝いみたいだよっ!」
見ると、店員さんがローソクを立てたケーキを他のテーブルに運んでる。
そのケーキは2つ向こうのテーブルに置かれ、お客さんと一緒に小さくバースデーソングを口ずさむ。
その様子を翔が眺めている。
「あのお客さん、誕生日みたいよ」
思わぬところで誕生日のイベントを見ちゃった。
……そうだ、これで翔があたしの誕生日を気にしてくれれば…。
「俺の時は写真立てをプレゼントしてくれたよな。緋乃」
「うんっ」
このまま自然な感じであたしの誕生日の話になれば…。
「あたしもあんなふうに落ち着いた感じで祝いたかったなー」
「緋乃はあの時、写真立てに振り回されたんだっけ。何があったかは知らないけど」
「うん。ちょっと手違いがあったみたいで」
「おまたせしました」
店員さんが注文のコーヒーを持ってきた。
話が中断される。
「ありがとう」
翔はサービスを受けたときも必ずありがとうって言ってる。
してくれて当然、なんて思ってないのが素敵。
「ところで緋乃」
「何?」
もしかして…あたしの誕生日について聞いてくるつもりかな?
「護とは、あれから話できてないのか?」
「…うん」
違った。
このまま誕生日の話から離れちゃうのかな…?
「護も緋乃と話ができるようにと話し合ってるみたいだけど、詩依は内心穏やかじゃないみたいだ」
ああ、もう誕生日の話をする空気じゃなくなっちゃったな。
「そうなの?」
「俺としては一番近くで緋乃を守ってくれそうだから、早く話できるようになってくれると嬉しいんだけど」
あたしのことを気にかけてくれるのはいいんだけど、あたしの誕生日って気にしてくれないのかな。
しばらくして、お店を出ることにした。
「げっ」
カフェが入っていたビルを出ると、そこには
「ダーリーンッ!」
芽衣が駆け寄ってきて、翔に抱きついた。
「やめろ芽衣。俺はお前の気持ちに応えてやれない。どんなことがあっても俺は緋乃を見ている」
「そうよ石動さん、翔から離れてよっ!」
「嫌だよ、あたし翔の
そう言いつつ翔の胸でスリスリしている。
「それはあなたが勝手に決めてまとわりついてるだけでしょっ!?」
「違うよ。だって…」
翔の腕にしがみついた芽衣は目線をあたしの後ろに向ける。
すぐ後ろに黒塗りの高級車が留まる。
運転手が後ろのドアを開けた。
出てきたのは二人。
凄まじいまでのオーラを放ちつつ、只者ではないことがあたしにもわかった。
二人ともスーツに身を包み、その立ち振舞いにスキはない。
「お初にお目にかかる。芽衣の父、
「
思わず後ろにジリ、と下がってしまうほどの威圧感。
二人が並ぶと、ものすごい気に思わず気圧されてしまう。
「本日をもって石動 芽衣」
剛三郎に続いて孝蔵が口を開く。
「ならびに銘苅 翔。以上二人を両家同意のもと、正式に婚約者と認定する」
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