第34話:束縛
あたしは自分で自分の気持ちが、よくわからなくなっていた。
気持ちを衛に打ち明けてみたけど、それが何なのかはわからないまま。
衛はこれで確信した。
(これは
「ごめんな、言い過ぎた。緋乃の気持ちも考えずに無神経なことを言っちまった。好きな人とは、いつでもいつまでも一緒にいたいよな」
「ううん、あたしこそ衛の気持ちに応えられなくてごめん」
(緋乃って、自分の気持ちには意外と鈍感なんだな)
衛はそんなことを思いながら教室に戻った。
「さて、どう攻め落としたものか…」
衛は小さくつぶやいた。
「あいつを使ってみるか」
思いついた衛は、休み時間に入ってからすぐ四組に向かった。
あたしの心はまだどんより梅雨空模様。
別れたくなんてない。
けど翔に心を許せる状態でもない。
衛に話をしてみたけど、何も変わってない。
自分でもおとなげないとは思ってる。
あのことは許したんだから、それで全部終わり。
いままでどおり側にいたい。
でも…。
俺は正直、どうしていいかわからなくて困っている。
緋乃は誕生日の時に待っててと言われて待っていたら、お店が閉まってしまい、少しだけ緋乃を探しに行ってみて、閉まった店に戻ったらそこにいた。
不安にさせてしまったことは確かだろう。
クリスマスイブも約束をすっぽかされたと思ったけど、家族のことだから仕方ない。緋乃も家族のことと、俺のことで不安だったはずだ。
これは緋乃が申し訳なく思っていたから、俺が納得すれば済んだ話。
けど今回は事情が違う。
何時間も待たせただけでなく、迂闊にも唇奪われたところを見られた。
俺自身、恩を仇で返された遺恨はあるが、あのことは緋乃も納得してくれたはず。
それで全部丸く収まると思っていた。
衛には緋乃の気持ちを考えろと言われたけど、意味がわからない。
俺は人助けと思ってやったことが、結果として緋乃を不快にさせたことはわかる。
だから一方的に謝った。
それじゃダメなのか?
何が足りないんだ?
「翔…」
グルグル考えていると、目の前に久しぶりの顔があった。
「
「ちょっとついてきて」
またか、と思いつつ席を立つ。
ひとけのないところで立ち話。
「お前も事情を知っているってところか」
「うん。緋乃から聞いた。今のあたしはもう意識を読めない。だから口で言ってくれなきゃわからないことだらけ」
雪絵は真っ直ぐ見つめてくる。
「翔は、あのことをどう思ってる?」
「悪いけど…」
俺はその場を離れようとする。
「逃さない」
制服の裾を掴んで離さない雪絵。
「逃げれば解決するの?」
振りほどくのは容易いこと。
けど確かに逃げても何もならない。
「雪絵、前より迫力が出てきたな。あっさりしてたのが、食い下がるようになった」
「そう。聞かなくてもわかったあの頃とは違う。それにあなたたちを放ってはおけない。緋乃のあんな姿、見ていられない。チャイムが鳴って時間切れになっても、次があるから時間稼ぎは無駄」
観念するか。
そこまでの覚悟でこられちゃ、こっちも中途半端な気持ちで応じるのは失礼だ。
「緋乃には、本当に申し訳なく思ってる。あの時、俺がわざわざ首を突っ込まなければ何も起きずに済んだ」
「翔は困ってる人を放っておけない人ってことはわかってる。緋乃はそこが引っかかってるんじゃないと思う」
「そこが一番わからないところなんだ。怒ってる様子でもないし、別れたいと思ってる様子でもない。一体何がそんなに引っかかってるのかがわからない」
ひた、と俺の目を見つめてくる。
「多分、緋乃は寂しいだけなんだと思う」
「抱きしめてやれってのか?」
雪絵は首を横に振る。
「体じゃなくて、心で…言葉で抱きしめてほしいんだと思う」
「………意味がわからない」
「考えて。緋乃の気持ちを」
考えるほど、わからない。
「自分の心に、問いかけてみて。緋乃の気持ちを」
「雪絵も教えてはくれないんだよな」
「翔が、自分で気づかないと意味がない。その日のことを思い浮かべて。緋乃の気持ちを考えて」
キーンコーンカーンコーン…。
時間切れか。
「雪絵…」
「もう後は翔の問題。真剣に考えて」
掴んでた裾を離す雪絵。
俺に…何を求められてるのか、わからない。
衛に言われたこと、雪絵に言われたこと、どっちも似たようなものだ。
それで考えていても堂々巡りして結局元に戻ってしまう。
思ったこと、緋乃に言ってみるか。
あまり無鉄砲に言っても逆効果と言われたから、よく考えて…。
---
緋乃へ
前は置き去りにしてごめん。
不安にさせてしまったね。
けど俺の心はずっと君から離れてない。
恩を仇で返された格好になったけど、あの女性が俺の目の前に現れる可能性はもうない。
あれからまともに話もできていないけど、いつも緋乃の気持ちを考えている。
緋乃の気持ちを聞かせてほしい。
---
多分違うな…。
こんな内容は前にも送っている。
もっと別のアプローチで…。
---
あの日、突然いなくなって寂しい思いをさせたよな。
何時間も探してくれていたのはわかっている。
付きまとわれた女との別れ際に見つかって嬉しかった。
けど同時に取り返しのつかないことをしたと悔やんだ。
ショックだったよな。
俺は不意打ちでされてとても不愉快な気分になった。
緋乃とじゃないと、やっぱりダメなんだ。
---
なんか弱いな…。
これでもないだろう。
どうすれば、緋乃の気持ちを開くことができるんだろうか…。
「ねぇ緋乃、そろそろ翔を許してあげたらぁ?」
「うん…許してるはずなんだけど…でも…」
あたしの心はまだどこかに影を落としたまま。
事情はわかってるし、そのことについて謝ってくれた。
これでスッキリしたはずなのに、何かが抜けている。
笑って翔とお話するのには何かが…。
「別れたいわけじゃないんでしょぉ?」
「もちろんだよっ!」
あれから、翔と話はしている。
けど業務連絡みたいなやりとりばかり。
恋人みたいな関係とはほど遠い感じで、あたしは焦りを覚えている。
なぜか翔とどう接していいかわからない。
入学当初の頃はとても近づきたかった。
偶然隣の席になって、自然と会話があった。
けど今は、その頃の心境と違う。
「なら少しは翔とお話してみたらぁ?」
「してるよ…」
「委員の仕事についてだけでしょぉ?」
「っ………」
返す言葉もない。
そのとおりだった。
「いつまでも翔が待ってくれるとは限らないし、話の中で何か許せるきっかけが得られるかもよぉ?」
委員の仕事としてだけど話はしてるし、それでも時折見せる優しさは相変わらずある。
けど…
そんなんじゃない。何かが違う。
どうしてなのか、翔がわからない。
まるで玉ねぎの皮を剥き続けて、芯やタネが見つからなくて、それでも絶対あるはずと探しているような…。
ぬか床に釘を刺して、しっかり固定できるはずと釘をグリグリしてるような。
翔には悪いと思ってる。
年明けからずっとこの状態が続いていて、あたしから謝ったこともあった。
何が足りないのか聞かれたこともあったけど、答えられなかった。
あたし自身もよくわからないから。
カレンダーを見ると、二月の文字が目に入ってくる。
もう一ヶ月、経ったんだ…。
「もうすぐバレンタインだねぇ」
「うん…」
せっかく彼氏ができてからのバレンタイン。
あたしの気持ちをしっかり伝えたい。
でも翔の気持ちがわからない。
モヤモヤする。
「緋乃はどうするのぉ?」
「…わからない」
「衛、ちょっと来て」
気がつくと雪絵が教室に来ていた。
いつものひとけがないところで立ち話する。
「前に言われたとおり動いてみたけど、全然進んでないみたい」
「ああ、だいぶ雲行きが怪しくなってきたな。やることはやったから、口出ししないつもりだったが、そろそろ危険水域になりそうだ」
「どうするの?」
「あと数日だけ、様子を見る。それでも進まねーなら、翔と殴り合いになっても仲直りさせる」
「そう………衛、変わったね」
「そういう雪絵もな」
あたしは帰りがけに駅ビルへ立ち寄って、バレンタインのチョコを選んでいる。
まだ翔とは気まずいまま。
どこか喉の奥につかえてるような感じが抜けない。
このままじゃこれ、とても渡せないけど…。
でもきっと、翔なら…なんとかしてくれる。
根拠のない思いだけど。
バレンタイン当日のお昼休み。
「はい、詩依。これバレンタインチョコね」
「ありがとぉ!これあたしからぁ」
時間が解決してくれるとも思ったけど、そういうものでなかった。
まだもやもやしている。
そのまま放課後になった。
どうしよう。これ。
あたしはバレンタインのチョコを一つ残している。
翔にあげるつもりの本命チョコ。
今日はもうチャンス無いから、氷空くんにあげようかな。
あたしは三組に足を運ぶ。
「ね、氷空くん」
「何?」
(もう限界だ。しゃーねー、ここらでケリつけるか)
衛はもうこんな状態を見ていられなくなった
「ずいぶん悩んでるみたいだな、翔」
「おかげさまでな」
「話がある。こいよ」
もううんざりという感じだ。
教室を出て、衛は三組に入って氷空くんと話している緋乃の姿を見る。
「緋乃、悪い。ちょっと来てくれ」
「えっ?うん。ごめん、氷空くん。またね」
あたしは渡そうとしたチョコをカバンにしまって衛のところへ行く。
いつものとおり屋上に出た。
ここには三人だけ。
「翔、お前は緋乃の気持ちを真剣に考えたのか?」
「考えたさ。けどそれじゃ緋乃は納得しないみたいだ」
あたしは気まずいこの状態をなんとかしたいと思ってる。
けど、頭ではわかってる。翔にその気は無かったことも、無理やりされたことも。
でも気持ちが乱れていて、翔と笑って話す気にどうしてもなれない。
何か足りない。
「だったら教えてやるよ。緋乃がどんな気持ちだったのかをな」
そう言うと、衛はあたしの腕を引っ張って、翔の目の前で軽くキスする。
「衛っ!てめっ…!」
一瞬で翔の目が敵意に満ちる。
「なっ…何するのよ~っ!?」
ばっちーん!
「ほがっ!!」
片手じゃ物足りない。
思わず両手で、両側からサンドイッチビンタをお見舞いする。
「どういうつもりだ!?」
両頬にもみじマークができた衛の胸ぐらを掴む翔。
「聞かせてみろよ。今のお前の気持ちをよ。気取らず飾らなず本音でな!」
「っ!?」
胸ぐらを掴まれた衛の問いかけに、一瞬たじろぐ翔。
顔を赤くして口を開く。
「すっげぇ…妬いた…。今すぐお前をぶっ飛ばしたい………あ、そうか…これが緋乃の求めていたものか…」
「だってよ。緋乃」
衛はあたしの方を向いて言い放つ。
「翔…聞く限り、お前は確かに被害者だ。一方的にな。だが緋乃の気持ちはどうだ?お前が被害者ヅラしていくら弁明しても謝罪しても、緋乃はそれじゃ納得しない」
翔は衛から手を離す。
「逆の立場に立たされた時、お前がどう思うか。それこそ緋乃が知りたかったことなんだよ」
これだったんだ。足りなかったもの。
自分でも気づかなかった。
「いつから…気づいてたの?」
衛はあたしの方を向く。
「話を聞いた時にはそうだろうなと思ってた。ごめんな緋乃。翔の本音を引き出すためとはいえ、無理やり唇を奪ったことは許されることじゃない。緋乃の気が済むようにしてくれ」
キスされたのはショックだったけど、翔の本音が聞けた。
あたしと同じ気持ちだったんだ。
やっと自分で自分の気持ちがわかった。
気づかせてくれた。衛が。
「ううん、もういいよ。ありがとう、衛」
あたしは肩に掛けたカバンから、包みを出す。
「翔、あたしからの気持ち…受け取って」
差し出した包みを手に取る。
「ハッピー…バレンタイン!」
あたしはニコッと笑って翔に抱きつく。
「やれやれ、やっと一件落着か」
「そうだな。今度はお前が大変な目に遭う番だがな」
「へっ?」
苦笑いした翔がそう言うと、緋乃と一緒に横へスイッと移動する。
そこにいたのは…
「げっ!詩依っ!」
頬をプクーっと膨らませて、顔を真っ赤にしていた。
「いっ、いやこれは…翔と緋乃を仲直りさせるためにだなっ!」
「衛っ!」
有無を言わさない迫力の詩依。
「言ったよねぇ!束縛しろよってぇ!」
「はいっ!言いましたっ!」
ビシッと姿勢を正す衛。
「今後、緋乃との会話と体の接触、禁止ぃっ!」
「そんなぁ!今回は多めに見てくれよっ!頼む詩依~」
そんなやりとりを見ながら、あたしは翔の顔を見る。
見つめ返してくる翔。
詩依と衛が言い合ってる前で、どちらからともなく口づけを交わした。
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