第33話:葛藤
なんで、
呆然と立ち尽くす。
翔から離れた女の人が人混みに消える。
我に返った翔は、周りを見て気づいた。
「
ゾクッ。
翔の全身に鳥肌が立った。
(まさか…さっきの、見られた…?)
翔は慌ててあたしに駆け寄ってきた。
思わず、じわっと後退りする。
あと数秒のところまで迫ってきた時、あたしは背を向けて走り出した。
「待ってくれっ!緋乃っ!今のは、今のは違うんだッ!」
わかってるっ!そんなことはわかってるっ!翔が望んだことじゃないことくらい、見ていたからあたしにもわかるっ!
まだ人通りが多い参道を駆け抜け、境内にさしかかる。
人の間を抜けて脇にそれる。
売店のある通りを走り、次第に人通りが減ってくる。
ガシッ!
単純な足の速さでは勝てなかった。
追いつかれて腕を掴まれる。
「話を聞いてくれっ!緋乃っ!」
「ごめん、今日はもう…帰るね」
翔の顔を見たくなかった。
大好きなのに…いや、大好きだから…。
こんな顔は見せられない。
「緋乃……なら送るよ」
「ううん、ひとりで帰りたいの…」
気持ちがグチャグチャすぎて、翔の顔を見れない。
「そうか…」
振り向かずに、掴まれてる手の力が抜けた瞬間、手を振りほどいてトボトボと歩き出す。
帰りの電車で、物思いにふける。
今も、翔が唇を奪われたあの一瞬が頭を離れない。
わかってる。
あれは明らかに、翔が奪われた側だって。
何か事情があってあの女性に引っ張り回されたんだってこと。
わかってる。
何の理由もなく、あたしを放っておかないって。
どうしても避けられない何かがあって、無理やり引っ張り回されたことくらい。
わかってる。
連絡もしてくれないのが、混雑のせいだってこと。
そうさせてもくれなかったのが、一緒にいた女性だってこと。
わかってる。
わかってる。
わかってる…のに…
苦しい…
この気持ち…どうしたらいいのっ!?
誰か…教えてっ!
『ドアを閉めます。ご注意ください』
駅放送のアナウンスが響き、電車が発車する。
今日、緋乃と初詣を終えたあとのことを思い返す。
(くそっ、放ってはおけなかった。だが関わるべきじゃなかったっ!)
ガツンッ!
思いっきりドアに拳をくれてやっても、過去に戻れるわけでもない。
しかしやり場のない怒りに、自分が押しつぶされそうになる。
何があったのか、メッセージしたかったけど、後にすることを選んだ。
この憤りが落ち着くまで。
すぐに送ると、今の気持ちを緋乃にぶつけることになりかねない。
(落ち着くんだ。翔。まずは落ち着け)
三が日は終わり、世間は通常モードに移りつつある。
ポロン。
翔からメッセージが届いた。
あれから翔とは連絡もしていない。
ケンカしたわけじゃない。
別れたわけでもない。
ただあたしの気持ちとして許せないだけ。
逢えないのは寂しいし、キスされてたことは悲しい。
メッセージを見てみる。
元日のことについて、時間を追って書かれていた。
やっぱり、あたしのことを放っておいたんじゃない。
ずっと気にかけてくれていた。
それはわかった。
最初と最後に謝っていたけど、気持ちがすっきりしない。
「うん、わかってる。翔が望んだことじゃないことはわかってる」
とだけ返事した。
休みは明後日まで。
モヤモヤするこの気持ちをどうにかしたくて、
会って話をすることになった。
イートインのあるカフェ。
結構混んでるけど、すぐに席をとっておいた。
「あけましておめでとうございます」
「
あんたらもか。
ついでに
もう意識を読む力は無いけど、その分だけ表情や口数が増えたし、話がしやすくなった。
あたしはブレンド。
詩依はカフェラテ。
雪絵はカプチーノ。
それぞれで違うものを頼んでいた。
「でさぁ、翔はずっと緋乃を気にかけてくれてたんでしょぉ?」
「うん。気になって仕方なかったって」
「けど緋乃は納得してないって顔してる」
そう。
頭ではわかってる。
けど気持ちがざわついて落ち着かない。
「もう、あの女性とは二度と会うこともないと思うし、行きずりの関係だったみたい。メッセージにはそう書いてあった」
「ならもういいんじゃない?許してあげれば」
「許したい気持ちはもちろんあるわよ。けど何かが足りない気がするの」
「そっかぁ、あたしが同じ立場になったとしたらぁ、やっぱりモヤモヤしちゃうよねぇ。たとえば
「でもケンカしてるわけじゃないでしょ?」
「もちろん、翔とケンカなんてしたくないよっ!」
「翔の責任はほとんど無いみたいだし、悪いって反省してるんでしょぉ?」
やましい気持ちじゃないこともわかってる。
仕方なくて引っ張り回されたことも。
お互い好きって気持ちも変わらない。
許したい気持ちもある。
けど何かすっきりしないこの気持ち…。
結局、あたしの気持ちは平行線のまま、その日はおしゃべりしてから帰った。
新学期が始まる。
「あけましておめでとう」
新年の挨拶で始まる学校の日常。
「おはよう、緋乃」
「うん、おはよう」
新年の挨拶は済んでるから、普段の挨拶をする。
「なあ、詩依。あいつら一体どうしたんだ?」
一瞬で空気の違いを察知したのか、衛が聞いていた。
「護、ちょっときてぇ」
詩依は護を連れて教室を出ていった。
「新年早々そんなことがあったのか」
詩依は、緋乃から聞いたひととおりを衛に話した。
「衛はどぉ思う?」
「今はなんとも言えないけど、多分ちょっとしたことだと思うんだ。仲直りするのに必要なことは」
「それが何なのかわからないのよぉ」
「俺も動いてみる。何かわかったり進展があればすぐ話そう」
「緋乃」
「何?」
詩依と衛がどこかへ行ってから、翔が話しかけてくる。
「少し、話しよう」
「………今は、話したくない」
「そうか…」
特に食い下がることなく、翔は席に戻った。
「そんじゃ席替えするぞ」
担任が端的に口を開き、ホームルームで席替えが行われた。
何も言わずに翔が教壇に出ていく。
「緋乃」
こそっと聞いてくる衛。
「何?」
「お前出ていかなくてよかったのか?」
「うん。たまには休ませてもらうよ」
あたしの返事に、衛は少し苛立ちを覚えたけど、あたしは気づかなかった。
放課後。
「それじゃ、あたしバイトあるから帰るね」
詩依に伝えて、すぐに廊下へ出る。
席替えでは、四人が見事に離れた。
あたしは廊下側の前寄り。
詩依はほぼ中央。
衛は窓側前寄り。
翔は窓側一番後ろ。
「翔、少し顔貸せ」
衛の呼び出しに、面倒そうな顔でついていく翔。
二人は屋上に出た。
柵まで進んで、衛が口を開く。
「詩依から初詣のことはだいたい聞いた。ナンパ撃退で絡んだ女に付きまとわれて、三時間くらい引っ張り回されてから、別れ際に不意打ちでキスされたところを緋乃に見られたんだって?」
「そんなところだ」
翔にいつもの元気はない。
「はぁ、なんつーかタイミング悪すぎだろ。それで、その後どーしたんだ?」
すぐ追いついて掴まえたけど、話をする余地もなくそのまま帰って、三日経って落ち着いてから状況の説明と謝ったときのメッセージを見せた。
衛はガシガシと頭を掻く仕草をする。
「お前さ、緋乃のこと本当に考えたか?」
「考えたよ。前は俺が待たされたけど、今回は緋乃を待たせて、不安にさせて、終いにはあれだ。そりゃショックだろう」
悔しそうに拳をつくって握りしめる。
「わかってねー。お前わかってねーよ」
「どこがだ」
少しムッとする翔。
「ま、いい機会だ。少し悩んでみ」
肩をぽんと叩いて、ドアに向かう。
「お前はわかったのか?どうすればいいのか」
「どうすれば、というか…なんで緋乃がお前と話もしたがらないのかはぼんやり見えてきた」
衛は翔の横を通り過ぎながら言う。
「教えてくれないのか。それが何なのかを」
ピタッと足を止める衛。
「やっぱりわかってないよお前。けどこれだけは教えておこうか」
翔は体ごと衛の方へ向ける。
衛は背中を向けたまま、顔だけくるっと向けた。
「お前自身が自分で気づかなきゃダメなんだ」
ポケットに手を突っ込んで歩き出す衛。
「あともう一つ。下手な鉄砲は数撃っても当たらねーぞ。緋乃に伝える言葉はよく吟味しときな。伝える言葉の重みを保ちたければな。ヒントを言うなら、かつての俺を思い出してみな」
バタン。
衛が出ていき、屋上のドアが閉まる。
「やっぱり、わかんねえよ」
こんな時に雪絵が解決の糸口を教えてくれたものだが…もう雪絵は頼れない。
全部見抜かれていたのは気持ち悪いけど、こういう時に雪絵の存在感が際立つ。
以前は付き合うことをやめた身。それでもみんなの応援があって付き合いだした。
付き合うまでが大変だと思ってたけど、付き合ってからのほうがよほど悩みは増えている。
「いらっしゃいませ~。店内でお召し上がりの場合は先に席をご確認ください」
バイトも慣れてきたもので、あたしはカウンターを任されるようになった。
「ありがとうございました~」
ふう。
さっきまでの忙しさが嘘のように落ち着き、あたしはカウンターのふきんがけをしていた。
「緋乃ちゃん、何かあった?」
先輩の女性が心配してきた。
わかるよね…。
「実は…」
あたしは初詣のことを話した。
「そんなことがあったんだ。ショックだったよね」
「うん…彼はあくまでも巻き込まれた被害者みたいなものだし、謝ってくれたからそれ自体はいいんだけど…」
「心が納得してくれない、と言いたげね」
「そうなの。なんか足りない気がして、彼に何故か素直になれない自分がいるの」
ふきんで拭く手を止める。
(行為自体の始末はできてるけど、心の問題がまだ残ってるのね。彼に期待してること、わかる気がする。何となくだけどね。けど彼がその事に気づくのが大切ということかな)
先輩は心の声を口にはしなかった。
「大丈夫だよ。きっと彼なら緋乃ちゃんの気持ち、わかってくれるよ。一度見たくらいで何を、なんて言われるかもしれないけど、しっかり気持ちに気付いて汲んでくれる人だもんね」
バイトを終えて、家に帰る。
自分の部屋でベッドにダイブした。
なんで、あたしこんなに素直じゃないんだろ?
あたしを放っていかなきゃならない事情だったことも、キスされてたことも許したつもり。
頭では分かってる。
けどこのやり場のない気持ちとどう向き合えばいいのかが分からない。
翔に逢いたい気持ちはある。
もちろん大好きだし、全部受け止めてるつもり。
けどこのポッカリ空いてる心にはまる、パズルのピースが見つからない。
付き合うって、もっと楽しいものだって思ってた。
けどなんでだろう。
この気持ち。
なんで寂しいんだろう…?
たぶん、ちょっとしたことなんだと思う。
自分でもわからない、この気持ちを満たしてくれるのはなんだろう?
グチャグチャしすぎて自分でもどうしていいかわからない。
翌日。
翔とは席も離れちゃったし、なんか席以上に心が離れちゃった気がする。
「緋乃、ちょっと来てくれ」
「衛…」
あまり話をしたい気分じゃなかったけど、話せば少しは楽になるのかもと思って、ついていく。
翔はその姿を見て、モヤモヤする暗雲が色濃く立ち上った。
「お前ら、どうしたんだ?あんなにラブラブな二人が、らしくねーだろう」
ひとけの無いいつものとこで話し始める。
衛は何があったかを知ってることは、あえて伏せていた。
「変だよね…あたしがフッておきながら、勝手だってわかってるけど…聞いてくれる?」
「もちろんだ」
あたしは衛に、初詣のことを全部話した。
詩依に話したとおりのこと、そして翔本人からも聞いていたこと。そこに解釈の違いは無かった。
「なるほどな。今回のことはお互い様と割り切ってるし、翔が引っ張り回されたことやキスされたことなんかはもう、謝ってきてるから片付いてる、と」
「うん…でもなんかまだ納得できてないというか…寂しい気がするの」
衛は、やはりと思った。
「今の状態は交通事故みたいなものかな」
「えっ?」
「事故を起こして、法的な処理は全部終えたけど、被害者と加害者の心の問題が解決してないままくすぶってる。そんなとこじゃないか?」
わからない。
けど何かが抜け落ちてる感じがして、翔と笑って向き合えない。
「それで、緋乃はどーしたいんだ?いっそ別れちまうか?」
わざと意地悪な言い方をしてみる衛。
「そんなのイヤッ!別れるなんて絶対イヤッ!」
「でも翔と笑って向き合えねーんだろ?時間の問題じゃないか?」
「そんなんじゃないのっ!そんなんじゃ…ないの…」
「嫌なこと…いわないでよ…」
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