第20話:空振り

「うっ、入りづらい…」

 休み時間になって、詩依しよと二人で隣の二組へ行こうとしたが、さっきのやり取りが話題になっているみたいで、すごく入りにくい空気になっていた。


「はぁ…。昼休みに直接誘おうかぁ」

「うん…」

 しょうはそんな二人の後ろ姿を見ていた。


 昼休みになって学食が賑わっている。

「結局誘えなかったね。あの空気が怖いよ…」

 あたしはコップの水をゆらゆら揺らしながら言う。

緋乃あけのが余計なことするからでしょぉ…」

「ううっ…」

「ま、いいんじゃない?焦らなくても。詩依が騒ぎを大きくしたわけでもあるし」

 雪絵ゆきえは余裕の表情で席に座る。

「雪絵…誰のためにこんなことしてるのかわかってる?」


「ここ、いいかい?」

「どうぞ…って、氷空そらくんっ!?どうしてここにっ!!」

 柔らかい笑顔で

「だって、朝言ったでしょ?お昼一緒にって」

「そそ、そ…そうだけど」

 よかった。結果オーライだね。

 あれ?

 さっきまで向かいにいた雪絵が消えてる。

『雪絵~~っ!!!』

 いつの間にか離れたテーブルへ移動していた雪絵を見つけ、詩依が連れ戻しに向かった。


 連行されてきた雪絵は、氷空くんの向かいへ座らせる。

 縮こまってもじもじしてる姿がなんか可愛い。

「氷空くんってお昼はいつもどうしてるの?」

「お昼はだいたい一人で食べてるけど」

 言いつつ箸を進め、

「昨日も同じ顔ぶれで食べてたよね?」

 質問を返してくる。

「そうよ。そういえば雪絵、昨日はすっごく手際が良かったよね…ってあれ?」

 詩依と雪絵が消えていた。

「ほら、食事中に立たないのぉ」

 またもやいつの間にか席を離れていた雪絵が詩依に連行されていた。

 一瞬、詩依がお母さんに見えたのは気のせいだろうか?

 雪絵ってほんと恥ずかしがり屋ね。

「………緋乃こそ…」

 ボソッと呟く雪絵。

 そっか。意識を読めるんだっけ。

「氷空くんって落ち着いててモテそうだよねぇ」

「そんなことないよ。クラスでも静かにしてる方だと思う。今朝のあれでいろいろ聞かれたけど、珍しがられてた」

 かあぁ~っ。

 思い出して恥ずかしくなってしまった。

「そうなのぉ?氷空くんの彼女ってどんな人なのか気になるわねぇ」

「いないよ。彼女」

 詩依ぐっじょっ!

「え~っ!?いそうなのにぃ」

 意識してしまったのか、雪絵の顔が一気に赤くなって俯く。

 あたしも前はあんな感じだったんだろうな~。

 このやり取りを、離れたところで翔とまもるが食べながら見ていた。


「何やってんだ?あの三人は」

「別にいいんじゃね?一日中べったりでも疲れるだろ」

 衛のあっさりな言い分はもっともだけど、翔は胸に消化不良な気持ちを残す。

 三人と一緒にいる男よりも、衛は雪絵の様子がおかしいことに気づいていた。

「ところであいつ誰だ?」

 不機嫌そうな顔で氷空を見る。

「確か三組のやつじゃね?名前はしらないけど」

「ちょいとシメてくるか」

 ガタッと席を立とうとする翔。

「やめとけ。まずは座って落ち着け」

 立ち上がりかけて再び席につく。

「おまえさ、少し嫉妬深すぎやしね?」

「………詩依とくっついた点では安心してるけど、正直俺はお前のこと完全に認めたわけじゃないからな」

「知ってる」

 事も無げに返す衛を見て一瞬表情が緩む。

「別におまえから認められるためにこうしてるわけじゃないし、詩依は俺が落ち込んでる時に必死で支えてくれたかけがえのない人だ」

 パクっとごはんを口に放り込む。

「はっきり言っちまえば、正直まだ緋乃のことは諦めきれてねぇ。もしおまえが緋乃を悲しませるようなことがあったら、今度は俺が緋乃を支える」

「そんとき、詩依はどうするんだ?」

「別に乗り換えるなんて言ってねーよ。おまえ自身気づいてないだろうが、今のおまえは余裕がなさすぎだ」

 翔は俯く。

「だって…仕方ねーだろ。自分で自分を抑えきれないんだから」

「わかってりゃ結構。あんま独占欲むき出しにしてっといつかの俺みたいになっちまうぞ。あと、人を幸せにするのは愛だ。人を思いやる心だ。自分の欲求を押し出しすぎると心は離れてくもんだ」

「そういう意味じゃ、おまえのばーちゃんってすごいよな。遺品の行き先まで細かく心配りしていたんだろ?」


 衛はあの時のことをすべて翔に話していた。

 過去の自分と決別するために。

「ああ、すごい人だったよ。ご近所でも人気だったのがわかる」

 喋りながら食べ終わる二人。

「もし俺が詩依に、衛は緋乃を諦めてないって言ったらどうなるんだ?」

「どーもなんねーよ。知ってるから」

 あっけらかんと言う衛。

「はい?」

 翔は抜けた返事をする。

「海から帰った次の日に、詩依から告白の返事があったんだ。なんて言ったと思う?」

 黙って話を促す翔。


 あの日…あたしは衛を呼び出した。

「昨日は迷惑をかけちゃってごめんなさぁぃ」

「もう過ぎたことだろ。忘れろとは言わないけど、気にするな」

 あたしは登校日の衛が印象的だった。

 我を忘れるほど暴れたその日のうちに会おうと言われて、実は迷っていた。

 もしあたしもあんなふうに暴力を振るわれたら…。

 けど衛が落ち込んでるときこそ、あたしが支えてあげなきゃと、会う決心をした。

 実際に会ってみると、まるで憑き物でも落ちたような優しい空気を連れてやってきた。

 幼い頃の苦い思いを打ち明けられ、その日に起きたことを全部話してくれて、支えたことを感謝されて、衛から告白された。

 けど衛自身が、あたしに返事はまだしなくていいと制された。

 海から帰った次の日、あたしは衛を呼び出した。

 小鮒夫妻との出会いは、あたしの人生を変えるきっかけになった。

 その時起きたこと、これまでは笑顔であらゆる感情に蓋をしてきたこと、小鮒夫妻との出会いが感情の蓋を取り払ったこと。全部打ち明けた。


「あたしも…衛が好きぃ」

「あり…」

「でもね、いいの?本当にいいのぉ?」

 衛の返事を遮る。

 あたしには気になることがもうひとつあった。

 その言葉に隠れている強い気持ちに、衛はわずかに鼻白む。

「あたしは、子供の頃に親から愛されなかったぁ。だからいっぱい愛されたい。あたしが本気で好きになったらすごく嫉妬するし、衛を全部独り占めしたいから…束縛も…多分しちゃうよぉ」

 あたしは俯く。


「それに…緋乃にだけは負けたくない…衛が緋乃を思う気持ちにだけは絶対…負けたくない。もしあたしが、緋乃とおしゃべりもしちゃダメって言ったら、衛は…」

 顔を上げた一瞬

「んっ!?」

 衛は詩依と唇を重ねた。


「しろよ。束縛」


 刹那な口づけの後にかけた短い言葉。

 あたしに対する気持ちを否定せず、あたしの気持ちも受け入れる覚悟を示していた。

 後に、この約束が大きく影響するとは知る由もない。

「言ったねぇ。絶対だよぉ」

 目を細めながら涙を浮かべて約束するあたしと、真っ直ぐとあたしを見つめる衛の姿がそこにあった。

 そのまま二人で写真を撮り、それを小鮒夫妻への贈り物としたことを護は後日知る。


「かっこつけすぎだろおまえ」

「ははっ、返す言葉も無いや。恋愛は一人じゃできない。相手がいるからできるもんだ。おまえ緋乃のカレシなんだから信じてやれよ」

「信じてるさ…けど胸の奥でつかえる何かがとれるわけじゃない」

「そりゃそーだ。そういうところも全部ひっくるめて恋愛だろ。俺なんてあんなこと言っちまった手前、詩依に言われたらなんも言い返せねー。妬かせねーよう距離感をしっかり見極めないとな」

「気になったんだけどよ、お前そんな中途半端な気持ちで付き合ってるのか?」

 背もたれに身を預ける衛。

「どー思ってくれても結構。けど付き合うと決めたからには真剣に向き合ってるつもりさ。緋乃に対する想いはまた別の話だ」

「そこがわかんないところなんだ」

 身を乗り出す翔。

「好きだというなら全部欲しくなるだろ。なのに一番欲しいと思う緋乃じゃなくて、詩依と、それでホントに向き合えているのか?なんか義理で付き合ってるように思えてならない」

「詩依が好きなのは本当さ。それ以上に緋乃の存在が大きいのは認める。けどよ、好きって感情だけじゃ片付けられないのが男と女ってもんだ。世の中には政略結婚なんて関係もある」

「あんなもん大人の都合じゃないか」

 汚らわしいものを見たような口調。

「確かにな。けどよ、昔はお見合いって関係が当たり前だった。ある意味、恋愛感情よりも損得勘定で結婚相手を選んでいた時代だ。仕事も好きってだけじゃ続かない連中もかなりいる。損得勘定と恋愛感情のどっちが正しいというつもりはないが、好きってだけじゃ、いずれ終わることもある。「好き」が終わった時に支えてくれるのは損得の計算だ。それで損が大きければ完全に終わらせるべきだろうな」

「それ、詩依に言ったらどうなるんだろうな?」

「さーな。人の考えることなんてわからねーことだらけだ。詩依は緋乃を大切な友達と思いつつも対抗意識燃やしてるみたいだけどな。それとこれとは話が別だ」

 どこか納得できない心地のまま、学食を後にする。


 緋乃たちも食べ終わり、氷空と離れて三人で集まる。

「雪絵、氷空くんはどうだった!?」

「どうって…やっぱりわからない」

「だからいいんじゃない。わからないから、わかりあうため一緒にいたくなるんじゃないの」

 聞いた雪絵はいじわる、と言いたげな顔をする。

「もしかして、いやだった?」

「いやじゃ…ない」

「よろしぃ。雪絵ならあたしが何考えてるかわかるでしょ?とことんやらせてもらうわよぉ」

 にやりとする詩依を見て、雪絵が顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 なにこの可愛い雪絵っ!!?

 教室に戻って、詩依と向かい合う。

「雪絵っ、可愛い~っ!!」

「最初のあんたと似てるわよぉ」

「えっ!?そうなのっ!?」

 黙って頷く詩依。

 あたしってあんな感じだったんだ…。

「で、詩依は何か考えでもあるの?」

「まずは一緒に下校よぉ。でもまともに会話できるとは思ってないから、まずは慣れることから始めなくちゃねぇ」

 もう詩依の中ではプランができあがってるみたい。


 放課後。

「緋乃、一緒に帰…」

「早くいこ、詩依」

 翔には悪いけど早速行動開始。

 まずは氷空くんを掴まえなきゃ。次に雪絵も。

 ぽん。

 衛が翔の肩を叩く。

 翔の頭では、昼に言われた衛の言葉が反芻していた。

 想像を上回る酸っぱいものを食べてしまった時のような顔をする。

「お前は、大丈夫なのかよ?」

「女の子ってあーゆーもんだ。何か楽しいことでも見つけたんだろ。お前も少し頭冷やしてみろよ」


 ちょうど教室を出た氷空くんを見つける。

「よかった、まだいた」

「何か用?」

 にこやかに聞いてくる氷空くん。

「一緒に帰ろ」

「いいけど」

 よし、後は雪絵を…。


「雪絵ぇ~…逃げたわねぇ…」

 詩依が雪絵のいる教室に飛び込むが、すでに雪絵の姿はなかった。

「緋乃ぉ、雪絵を捕まえに行ってくるぅ」

 通り過ぎざまに言い残して、詩依は走り去ってしまう。

「ちょ…詩依っ!!」

 思わず嫌な汗が流れる。

 どうしよう…てっきり詩依と雪絵が一緒のつもりで、氷空くんを帰りに誘ったけど…。

 でもここで氷空くんとバイバイして、すぐ雪絵が連れ戻されたらせっかくの機会が水の泡になっちゃう。

「あはは…ゆっくり行きましょう」

「うん」

 詩依が走り去った後、二人きりになったところの後ろ姿を翔が眺めていた。


「えっ、じゃああたしと同じ中学だったの?」

「同じクラスになったことは無いけど」

「全然わからなかったよ~」

「僕も初めて知った」

 黙ったままも感じが悪いからと、少し話してみたらいきなり共通点が見つかった。

 そう思ったら親しみが湧いてきた。

 あたしって単純かな。

「ところで走ってった友達はいいの?」

「うん、どこ行ったかもわからないし」

「電話すればいいじゃん」

 サラッと言う氷空くん。

「そんな、氷空くんに失礼じゃない」

「僕は気にしないよ」

「じゃ…」


 プルルルル…プルルルル…。

「でない。気づいてないのかも」

 氷空くんって二人で話してみてわかったけど、なんか掴み所がないというか、ふわふわ浮かぶ雲を掴もうとしているような感じがする。

 雪絵が何考えてるかわからないって言ってたのと何か関係あるのかな?

 ゆっくり歩いているけど、結局雪絵は見つからない上に詩依は戻ってこなくて、あたしは氷空くんと一緒に駅まで着いてそのまま帰ることになった。

 まさか雪絵とくっつけるために動いてるなんて、本人には言えないし…。


 あたしは気づいていなかった。この状況で、何かがズレ始めていることに。

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