第14話:過去との決別

 衛は突然暴れだした。


 結局大騒ぎになり、先生も加わって取り押さえられた衛は、拘束されて指導室へ連れて行かれた。


「あたしのせいだ…」

 指導室の前で立ち尽くすあたしは後悔した。

「緋乃の返事はきっかけに過ぎないわ」

 いつの間にか雪絵がそこにいた。

「いつも、いいタイミングでいるよね。雪絵は」

「その前に、おめでとう。翔は女性に対する悪いイメージを乗り越えたようね。最終段階をクリアしたわ」

 最終段階?

 意味がわからないけど、雪絵の中ではきっと確たる何かがあったんだろう。

「衛は…どうなの?」

 雪絵は指導室のドアを見る。


「今のところ、難しいわね」

「何が原因なの?」

「翔と同じく、幼い頃の記憶みたい」

「前から疑問だったんだけど、雪絵は超能力者なの?」

 チラッとあたしの方を見る。

「そんなことより、今は衛のことが先よ」

「ごまかさないで。衛がこうなること、翔に言ってたんでしょ?」

 今度はあたしの方を向く。

「なら聞くけど、それを知ってどうするの?」

「友達だもん。知りたいに決まってるでしょ!?」

「友達なら、あたしが何者かなんて気にせず、これまでどおり接してほしいな」

 少し目を細めて微笑む雪絵。

 うっ…。

 もうこれ以上は聞けない雰囲気。


「雪絵ぇ…」

「詩依、来たのね」

「心配だからぁ…」

 いつも笑顔で明るい詩依が、今は陰りを見せていて不安な表情を隠せない。

「衛、どうなっちゃうのぉ?」

「けが人こそ出てないから、処分は軽いと思う。騒ぎを起こしたことについては厳しく追求されると思うけど」

「でもぉ…」

「やっぱりその後、よね」

 詩依の言葉にあたしがつなげる。

 この後、雪絵が黙り込んだ。

 長くなりそうだったから、あたしと雪絵は帰ることにするが、詩依は出てくるまで待つと言ってその場に残った。


 衛は子供の頃を思い出していた。

 年に一度は家族で祖母のいる田舎に帰っていた頃のこと。


「おや、衛。元気にしてたかい?」

「うんっ!」

 白髪を頭の上でまとめて団子にしている、絵に描いたようなおばあちゃん。

 そのおばあちゃんの胸に幼い頃の衛が飛び込む。

「も~、衛ってばほんっとおばあちゃんっ子なんだから」

 おばあちゃんっ子はもうひとりいた。

 史大ふみひろだ。

 親戚が集まる時は長い休みを使うことが多く、二人が一緒にいることはよくある。

 おばあちゃんは人当たり柔らかで、すべてを包み込むような器の大きさを持つ人だから、親戚だけでなく近所でも人気だった。


 そんなある日…。


「衛っ!!大変よ!!おばあちゃんが…」

 母さんの慌てぶりが事態の大きさを物語っていた。

 おばあちゃんはゆったりと動くから、周りもあまり気にしていなかったが、数日で急速に衰弱した末に亡くなってしまった。

 葬儀はひっそりと行われ、遺品整理に同席することとなった。

 俺は涙が止まらなかった。

 三日三晩泣き尽くし、立ち直るまでに時間がかかった。

 遺品整理の当日…。


「史大は?」

「あの子、風邪で来られなくなっちゃったみたい」

 おばあちゃんの部屋には、独特の香が染み付いて残っていた。

 写真を撮られるのを嫌がるおばあちゃんの写真は少ない。

 そんな中で、俺が選んだ形見は数少ないおばあちゃんの写真二つにした。

 写真立ての写真と写真入れのあるペンダント(ロケット)。

 そこまではよかった。

 二ヶ月ほど経ったある日、史大と親が家へ訪れた時に事件が起きる。

 俺の部屋にあったおばあちゃんの写真立てを、史大が一方的に奪っていった。

 必死に取り返そうとするも、史大のほうが体格がよく、もみ合い、ケンカの末に俺は怪我をしてしまった。幸い後遺症こそ残らなかったが…。

 家族も史大の横暴にすっかり手を焼いてしまい、半年近く言い争っていたが写真立ては取り戻せなかった。


 俺に力が足りなかったから、大切なものを守れなかったんだ。

 大切なものを守るためには力が、揺るぎない意思が必要なんだと思い知ったのが五歳の頃だった。

 掴むその手を緩めてしまえば、大切なものは俺の手から離れていってしまう。

 だから、無くしたくないものは、絶対に守り切る。

 子供ながらにそう誓った。

 時が経ち、守りたいと思える人が現れた。


 名は水無月 緋乃。

 最初はオドオドしてたり、授業で黒板に答えを書くために指名された時も足がガクガクしていて頼りないけど、とてもまっすぐで可愛いと思っていた。

 仲良くなるのに時間はかかったけど、次第に打ち解けてきてくれた。

 そんな中、父さんが大阪へ単身赴任で家を出ていく際、一緒に行こうと強く推してきたが、緋乃と過ごす時間を手放してなるものか、と必死に言い争った。

 妥協した父さんは、高校を大阪の学校にする条件付きで、残り二年ちょっとの時間をくれる。

 やはり失いたくないものは、しっかり掴んでいないとダメだと実感した瞬間だった。


 中学の卒業式を間近に控えていたものの、緋乃との距離は恋仲には少し開いたままと感じていた。

 これが最後と追い詰められた俺は、勇気を出して緋乃に告白した。

 そこが偶然にも火事現場のすぐ側だったのが不運で、野次馬に流されて緋乃とはぐれてしまった。

 結局緋乃の姿は見ることができず、親しい友人に大阪へ発つことを伝えて、次の日に大阪へ向かった。


「聞いてるのか!?加賀屋っ!!!」

「聞いてます」

「次騒ぎを起こしたら退学してもらう。いいな!!?」


 すでに午後二時。

「失礼しました」

 三年半弱の間、大切にしてきた緋乃を失った。

 無力感に打ちひしがれている俺を迎えてくれたのは…。

「おつかれだったねぇ」

 苦く微笑んでいる詩依だった。

「ずっと待ってたのか?」

「うん」

 指導室を後にして、並んで帰る。


 駅についても詩依はずっと黙っている。どんな言葉をかけていいか迷っている様子だ。

 もうすぐ俺が降りる駅に着く。

「あの…あたしでよければ、話を聞くくらいできるから…いつでも呼んでねぇ」

「ああ、ありがとう」

 話を聞いてもらったところでどうにもならない。

 また俺は、大切なものを手放してしまったのだから。

 寄り道する気すら起きず、まっすぐ家に帰った。

 部屋に戻ると、机に小包が置いてある。

「誰からだ?」

 伝票を見ると、見覚えのある名前だった。

「これ、史大の親だ」

 小包を開けると中には手紙が一通、おばあちゃんの写真立てと紙切れが入っていた。


 -----

 衛くんへ

 ご無沙汰しています。史大の母です。

 先日、うちの息子は交通事故で亡くなりました。

 遺品を整理していて見つけたものを送ります。

 史大がご迷惑をかけてごめんなさい。

 何も説明せずに大切なものを持っていった史大を許してください。

 -----


 あの時の…。

 今更どうしろってんだ。

 五歳のころに奪われた写真立てが手元に戻ってきた。

 けど、守れなかった事実が消えるわけじゃない。

 小包に残っていた紙切れを見る。

「これ、おばあちゃんの字だ…」


 -----

 史大と衛へ

 老い先短い中で、こんなあたしを慕ってくれた史大と衛には感謝してもしきれません。

 写真に写るのが苦手で、残しているものが少ないことを許してください。

 史大には写真立てを、写真入りペンダントは衛が大切に飾ってください。

 一緒に写ってる写真がたったこれだけしかなくて、孫たちには形として残せるものが少なくて後悔しています。

 せめてこの写真だけは二人が大切にしてくれると嬉しいです。

 -----


 写真立てを見ると、確かにおばあちゃんと俺、そして史大が後ろに写っていた。

 写真入りペンダントはおばあちゃんと俺しか写っていない。


 俺は、思わず涙が止まらなくなった。

 おばあちゃん…死に際でも俺たちのことをここまで気にかけてくれていたんだ。

 それも遺品の行き先まで考えて…。

「史大の馬鹿野郎~…これを見せてくれりゃ、あの頃の俺だって喜んで写真立てを渡したのに…黙って奪っていくから、ずっと勘違いしちまったままだっただろうが…」

 やっと理解した。

 史大は俺から奪ったんじゃない。この遺書の内容に従っただけだったんだ。

 大切なものを守るのは力なんかじゃない。思いやりの…心。

「おばあちゃん…俺、間違ってたんだね。変わってみせる…絶対に…」

 引き出しに写真立てと遺書を仕舞い、あてもないけど外に出る。


「ねぇ、雪絵。衛って絶対危ないよねっ!!」

「そうだね、緋乃はあまり近づかないほうがいいかも」

「そうだよね…なんであんなことになっちゃったんだろう…?」

 駅前ビルのカフェテラスのスペースで雪絵とお茶している。

「今だから言うけど、緋乃が翔と付き合うのは不可能だと思ってた。緋乃だけじゃなくて誰であっても。それでもやるだけやって後悔するなら、諦めがつくと思って応援してた。詩依も同じくね」

「最初からダメってわかってて後押ししてたのっ!?」

「口で言っても諦めないでしょ?けど、緋乃は諦めなかった。蜜を閉じ込めていた籠が、思わぬところで消えて無くなった」

 雪絵がグラスを口に付けて傾ける。

「やっぱり蜜と籠ってそういうことだったの」

「うん。でも翔との交際、おめでとう。緋乃」

 ニコッと笑う雪絵。

「ありがとう…嬉しいけど、今ってあまりそんな気分じゃないのよね…衛のことがあるし…」

 言いかけて、視界に見えちゃいけないものが映った。

「雪絵っ!そこに衛がっ…!!」

 あたしに気づいて、衛がこっちに歩いてくる。

 顔がざあっと青ざめてしまう。


 絶体絶命っ!!


「…緋乃、衛はもう大丈夫みたい」

 チラッと雪絵が衛を見ると、事も無げに言った。

「へっ?どういう…」

 衛が手の届くところまで迫ってきた。

 背中に緊張が走るっ!!

「さっきは迷惑かけたな。すまない」

「衛?…どう…したの?」

 こってり絞られて反省した風でもないし…なんか憑き物が落ちたかのようにスッキリした空気を纏っている。


「ね」

 雪絵が短く同意を求めてくる。

「何より大切なのは緋乃、君自身の心だって気づいた。俺の押しつけで振り回して本当に悪かった」

「…いえ、こちらこそ」

 頭が追いついてこない。午前中の激しく荒ぶる衛が見る影もない。翔以上に優しい空気が伝わってくる。

「翔を幸せにしてやってくれ。俺はもう君を追いかけたりしないと誓うよ」

「はっ、はい」

 言うと、衛はくるっと背を向けて遠ざかる。


 ポカーンとその姿を眺めていると、雪絵はフフッと微笑む。

「ほら大丈夫だったでしょ」

「…うん…でも何が何やら…」

「そのへんはまたの機会に詩依から聞くといいわ」

 雪絵が余裕の表情で答える。

「なんで詩依?」

「それはお楽しみってことで」

「じゃあ今聞くっ」

 あたしはスマホを取り出して…。

「今はダメ」

 すぐさま止める雪絵。

「なんで?」

知らないから」

 うー、聞きたい。雪絵のその確信がどこからくるのか。


 衛はスマホを取り出し、電話をかける。

「もしもし、詩依か?突然ですまないけど、今から会う時間作れないか?」

 ……。

「いや、直接話をしたいんだ」


「ね~雪絵~…気になるから教えてよ~」

 衛が詩依と会う約束をした頃、あたしは駄々をこねていた。

「…あたしが言ったってこと、絶対内緒にできる?」

「するっ!!」

「なんで知ってるか追求しない?」

「…しない」

 答えるのに一瞬の間ができてしまった。

 はふ…。

「雪絵、今ため息ついた」

「まぁいいわ。教えてあげる」

 あたしは雪絵の言う衛の秘密を聞いた。

「…そんなことが…でも…」

 ハッとなって、あたしはとっさに口をふさぐ。

「緋乃、いま追求しようとした」

「しっ…しないから安心してっ!」

 思わず汗が垂れる。

 ついでに雪絵は翔が誰とも付き合わなかった秘密も教えてくれた。

「…そう、やっぱり小さい頃の記憶って大きいんだ」

「そゆこと。追求はナシ」

 でもほんと、雪絵がなんでこんなに裏の事情に詳しいのか不思議でならない。

「緋乃、追求ナシでしょ」

「うん…そうだったね」

 雪絵は交流合宿の自由行動でも見かけた、三組にいる男子生徒を思い出した。

 気にしないようにと思うほど、気になってしまう。

 緋乃にも詩依にも、自分のことも全部話す日が近づいていることを薄々感じていた。

「衛のことは心配ないから、残りの休みは翔といっぱい思い出づくりするといいわ」

「うん。ありがとう。雪絵」


 返事の代わりに、にこりと笑って見せた雪絵の顔は、女の目から見てもとても可愛らしく感じた。

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